2010年11月16日火曜日

ざぶとんが飛ばなかった白鵬の連勝ストップ。

 稀勢の里の突き落としにあわてて,あっさり寄り切られてしまった白鵬。白鵬はこころにスキがあった,と語ったがはたしてそうだろうか。もう一点は,白鵬の連勝記録が意外なところでストップしたにもかかわらず,ざぶとんも飛ばなかったという。加えて,双葉山越えの連勝記録のかかった九州場所にもかかわらず,お客さんの数は去年より減っているという。このことの意味はなにか。この3点が気になって,今日は,このことばかり考えていた。
 稀勢の里の「突き落とし」は,白鵬としては十分に予測のできたことであって,そんなに慌てることはなかったはず。たしか,白鵬は稀勢の里に4敗しているはずで,そのうちの3敗は「突き落とし」である。その後,この手を食わぬ工夫をして10連勝(以上?)はしているはず。このところ白鵬は稀勢の里に負け知らずできた。それは,稀勢の里の得意技である「突き落とし」を未然に防いできたからだ。今場所とて同じはず。にもかかわらず,稀勢の里の術中にはまってしまった。白鵬は「こころにスキがあった」と言ったが,わたしはそうはみない。やはり,白鵬のからだがガチガチに固くなっていたために,百も承知していたはずの稀勢の里の突き落としを,柔らかいからだで抜くことができなかったのだ,とみる。
 もう一つ,うがった見方をすれば,以下のとおりである。一昨日のブログで書いたように,白鵬は,やはり,双葉山の連勝と自分の連勝とは意味が違うということを承知していたようだ(年2場所であること,など)。だから,このまま連勝してしまっていいのだろうか,と先輩横綱に相談したという。そのとき,どのようなアドバイスを受けたかはわからないが,中には,その手前で負けておけ,と言った先輩横綱もいたのではないか,とわたしは邪推する。そして,どうせ負けるなら,日本人力士で将来有望な力士がいい,と。だとすれば,その筆頭は稀勢の里である。日本人力士で将来横綱になれるとしたら,いまのところ稀勢の里しかいない。だとしたら,負けるなら稀勢の里,という考えがちらりと白鵬の脳裏をよぎったかもしれない。これが,白鵬の言う「こころのスキ」ではなかったか。双葉山のことをあれだけ勉強している白鵬のことだから,双葉山の連勝にストップをかけた,当時の平幕だった安芸の海が,のちに横綱になったことは間違いなく知っていたはずである。稀勢の里も今場所は平幕力士である。
 勝った稀勢の里も,このことを承知しているのであろう,これをきっかけにして自信につなげたい,と語っている。これが,もし,シナリオどおりだとしたら,これぞまさに大相撲だ,とわたしは嬉しい。そして,白鵬も,本気で日本の大相撲の行く末を考えているんだ,と認めたい。横綱は,力士たちが力を合わせて作り出すものだ。なぜなら,人気のある横綱をつくらないことには,自分たちも,食べてはいけなくなってしまうからだ。この構造は,歌舞伎の人気役者を「つくる」のと同じだ。この役者ならいけそうだとなれば,みんなでそういう雰囲気を作り上げていく。そうして,多くのお客さんを喜ばせるのである。つまり,運命共同体なのだ。その意味では,大相撲と歌舞伎は「芸能」という点でとてもよく似ている。
 白鵬が,このことを理解しているとしたら,それはもう立派に,日本人以上の日本人になった証である。それが,稀勢の里との一番となって表出したとしたら・・・・。わたしは,そうであることを半分以上,信じている。
 第2点目の「ざぶとんが飛ばなかった」ことについて。ざぶとんが投げられないように,いまでは,ざぶとんが2枚ずつ縫い合わせてあるという。だから,飛ばなかったのかもしれない,と新聞は書いている。しかし,もし,ほんとうに興奮したら,引きちぎるなり,2枚重ねのままでも,土俵に向かって投げただろう。だが,それも起きなかったという。なぜか。それは白鵬だからだ。そこには二つの含意がある。一つは,もし,この連勝記録が朝青龍だったとしたら,間違いなくざぶとんが舞ったとわたしはおもう。朝青龍の相撲は,そういう力をもっているからだ。しかし,白鵬の相撲は,みている人を興奮させる材料に乏しい。勝って当たり前のような印象を与えるからだ。つまり,理詰めで,負けない相撲をとる。相撲通にはたまらない味をみせるが,一般の相撲ファンには訴える力が弱い。もっと言ってしまえば,白鵬の相撲の強さはまだまだほんものではない,というどこかに不信感が漂う。わたしは,いまでも,白鵬がそんなに強い横綱だとはおもわない。たとえば,千代の富士が立ち会い一気に左前まわしを引いたときの,あの恐ろしいほどの強さは,白鵬のどの相撲にもみられない。では,なぜ,白鵬は連勝できるのか。他の力士が弱いのだ,とわたしはみている。弱すぎる,と言ってもいい。つまり,白鵬を倒す工夫が足りない,ということ。
 双葉山の連勝がストップしたときは,ざぶとんが乱れ飛んで,大変だったことは,古い記録を読むとよくわかる。すぐに,号外が飛び,町中の人たちが競ってそれを奪い合ったという。そして,しばらくの間は,日本全国で,双葉山の連勝ストップの話題でもちきりになった,という。それに引き換え,昨日は号外がでたという話も聞かない。今朝の新聞も大して大きな報道にはなっていない。しかも,夕刊には,すでに,一行の記事もない(朝日新聞)。こんなに連勝記録を話題にしてきた新聞にしては,あまりにもあっさりしたものだ。この調子では,数日のうちに白鵬の連勝の話は忘れ去られていくのではないか,と心配になるほどである。
 勝った安芸の海もまた大変なことになっていたという。国技館から自分の部屋に帰るまでの間,ファンにもみくちゃにされ,着ていた羽織はびりびりに破れ,履いていた雪駄は脱げてしまって,はだしだった,という。こういう話はつきぬほどあるし,のちのちまで語り継がれてきているのだ。
 はたして,今回の白鵬の連勝ストップには,どれほどの話題が後世に語り継がれることになるのだろうか。心もとないかぎりである。
 第3点は,九州場所のお客さんの入り方が,白鵬の連勝がかかっていたにもかかわらず,昨年よりも減少している,ということだ。このことが,なにを意味しているのか,これはもはやわたしごときがわざわざ言挙げするまでもないことだろう。みなさんのご想像に委ねた方がよさそうだ。そうしろ,という声が耳元で聞こえる。その声に,ここのところはしたがうことにしよう。どうぞ,ご自由にご想像ください。
 くどいようだが,朝青龍を失ったことのツケの大きさを,日本相撲協会は深く反省すべきだ。そして,相撲ファンが期待しているのは,白鵬のような相撲ではなくて,朝青龍のような相撲なのだ。土俵の上での所作一つとっても,それが「絵」になる,そういう力士が必要なのだ。なぜなら、さきほども言ったように,大相撲は歌舞伎と共通する「芸能」の要素が大きいのだから。華のある力士の登場をファンは待ち望んでいるのだから。ハラハラドキドキさせてくれるような力士がでてきたら,わたしも場所に足を運ぼうとおもう。ここ当分は,テレビも見たいとおもわない。わたしの大好きだった大相撲がどこかに行ってしまった・・・・そんな印象である。まことに,残念なことながら。

 

1 件のコメント:

925 さんのコメント...

白鵬連勝ストップについてのブログはまだかなと待っていました。稀勢の里だからこそ心のすきができたのでは・・・、もし負けるのであれば稀勢の里にと思ったのではないか・・・、というお話は非常におもしろく読ませていただきました。勝負を通じて力士同士が「結(ゆい)」の関係を紡ぎ、「揃い」踏む、そんな関係が見えるようです。