玄侑宗久さんの短編に『宴』という作品があって,死者の骨を身内の者が集まって坊主と一緒に食べてしまう「転座供養」の話が描かれている。
ストーリーはいたって簡単。52歳になる未亡人が,夫の骨を本家の墓に入れてくれないし,住んでいた家も本家にとられるという話の進みゆきのなかで,それならいっそのこと夫の骨を身内の者で食べてしまおう,という話。未亡人は,桜の花の満開の日を選んで,長男夫婦と次男を呼び集めて,それを実行する。その相談に乗った坊さんも加わって合計5人で,死者の骨を磨り潰してビーフ・シチューにして食べてしまう。長男は学校の先生,次男は東京の大学でウィルスの研究をしている研究者。世間一般からみれば,いわゆるまともな家族である。しかし,どこか変。この相談に乗って,「転座供養」だと宣言する坊主も,一見したところまともにみえるが,やはりちょっと変。でも,このことが粛々と執り行われていく。
もちろん,もっともっと複雑な背景がそれぞれの登場人物にはある。坊さん個人にしても,父が医者,兄たちもみんな医者,自分も医者になるべく勉強したが,受験に失敗して家出をして出家する。以後,14年間,家族とは会ったことがない。しかも,子供のころから父親と親しげに会話をした記憶がまったくない。小学生のときに,道路で父親に出会って「こんにちは」と挨拶をしたら,家に帰ってからひどく叱られた記憶がある,という。この家族も,医者一家とはいえ,どこか壊れている。
お互いの血のかよった暖かい人と人との関係がどこにも見当たらない,それでいて,世間体でいえば知的エリートに属する人たちの,凍てつくような冷え冷えとした人間関係が浮かび上がってくる。
玄侑宗久さんは,なにゆえにこのような短編を書いたのだろうか。ご本人も禅僧としての修行も積み,坊主と作家の二足のわらじを履きながら,活発な活動をつづけていらっしゃる。この人はなにを考えているのだろうなぁ,とある種の親しみの感情とともに,以前から気になっている。だから,ほとんどの作品は読んでしまう。そして,そのつど,なるほどなぁ,と思うことが多い。しかし,この作品は困った。はたと,考えこんでしまった。
死者の骨を磨り潰して食べてしまう,これを「転座供養」と称して,合理化してしまう沢道和尚。「転座」とは仏教用語かと思って辞書を調べてみたら,そうではなく遺伝子用語。「染色体の一部が,切断・再結合・交換などにより位置を変える現象。染色体内転座と,染色体間転座がある。染色体内転座をとくに転位という」とある。だから,「転座供養」とは,玄侑宗久さんの造語である。骨を磨り潰して食べてしまうことを,あえて「転座」と考え,それを供養と結びつける。そして,沢道和尚はさいごにつぎのように宣言する。
「来年も満開の桜を見たら,お父さんを憶いだすでしょ」「どこかでビーフ・シチュー食べたときも,きっと憶いだすでしょ」「ですからどこで何をしていても,桜が咲いているのを見たらそれがお墓参り。ビーフ・シチューを食べたらそれがお墓参り」,という具合である。
なぜ,こんな話を持ち出したのかというと,それには理由がある。
比嘉豊光さんが「骨の戦世」で展示した骨は,旧日本兵のものである。この骨を写真という作品にして展示することに,どうしても釈然としないものがある,と豊光さんに近い関係者から話を聞いたこと(9月の西谷さんの集中講義のとき)。そして,豊光さんが「この骨はヤマトのものだから,ヤマトンチューが処理しろ」と言い放ったということ(この話はNさんからも聞いているし,最近では,合田正人さんも『読書人』の書評のなかで書いている)。この骨が発掘されて洗骨している途中で,脳髄のミイラ化されたものがでてくる,それを豊光さんはビデオ・カメラで撮影しているのだが,その瞬間から画像が乱れに乱れていく,撮影している豊光さんがこの骨の主と,まるで innewerden しているかのように(この画像を,つい二日前(30日)にみてきたばかり)。このあたりの話も30日のシンポジウムで聞けるかな,という期待があったが,残念(台風のため中止)。
やはり人骨というものは「ただもの」ではない。わたしのように寺で育って,ふつうの人よりは多少とも人骨に対する免疫があるにもかかわらず,豊光さんの写真展をみて,身動きがとれなくなった作品が何点かあった。これを記録写真としてみたとき,これほどの迫力をもつ写真もまた希少であろう。しかし,これをアートとして作品とすることの是非については,ひとまず措くとして,広く展示されることの意味は大きいと思う。そして,この写真集が岩波ブックレットとして刊行されたという。これから,さまざまな議論が沸き起こることだろうと思う。
豊光さんは「ヤマトンチューの手で処分しろ」というが,さて,それが是か非か,沖縄の人たちの間でも意見は別れるという。では,ヤマトンチューたるわたしたちとて,どうするのがベターなのか,判断に苦しむところだ。
こんなことを考えていたので,ふと,玄侑宗久さんの短編『宴』を思い出してしまった,という次第である。死者を弔うこと,これは生き残った者のつとめである。その象徴ともいうべき骨を,どうすべきか,意見の分かれるところだろう。夫であり,父である人の骨を磨り潰してビーフシチューにして食べてしまう「転座供養」という,異様な光景も,そしてまた,それを主宰して共に食べてしまう坊主の立ち位置もまた,そこはかとない「人間性」の深淵を覗き込むような,わたしたちの「存在」の危うさの表出に立ち会う,恐ろしさをおぼえずにはいられない。
玄侑宗久さんの提起したものは,「人間性」という隠れ蓑に対する徹底した懐疑であったのか。「人間性」とはなにか,バタイユの提起した「動物性」の問題ともからめて,もう一度,原点から考え直すことが,いま,求められているように思う。深く,重い課題である。
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