2015年8月27日木曜日

出雲大社の存在は明治以後,にびっくり!NHK・ぶらタモリの「出雲」で知る。恥ずかしい。

 8月24日(月)の夜に放映されたNHKテレビの「ぶらタモリ」という番組を,遅い夕食をとりながら,ぼんやりと眺めていた。一瞬,チャンネルを変えようかとおもったが,旅先が「出雲大社」だということがわかったので,ちょっとだけ覗いてみて,面白くなかったら変えればいいとおもいながら眺めていた。そうしたら,驚くべき「事実」を知り,びっくり仰天してしまった。

 出雲大社は,明治以前は存在しなかった,というのである。そして,明治以前まで存在したのは杵築大社だ,と。この杵築大社が明治になって出雲大社と改称したのだ,という。おやおや,である。わたしの頭のなかでは,出雲大社は古代からずっとあって,それがこんにちまで継承されてきたのだ,ということになっていた。しかし,そうではない,というのだ。

 そこで慌てて,出雲大社について調べてみた。すると,つぎのようなことがわかった。

 1871(明治4)年,杵築大社を出雲大社と改称。官幣大社に列格。大正時代に勅祭社となる。現在は神社本庁包括に属する別表神社。宗教法人出雲大社教の宗祠。出雲国一の宮。

 これをみるかぎり,わたしがむかしから出雲大社が存在したと信じてきたのは,それは杵築大社のことだった。なぜ,こんなことが起きたのか。その責任は,古代史を語る研究者や作家たちにある。なぜなら,古代出雲を語る記述の最初のところで杵築大社(のちの出雲大社)と断り書きをしていても,あとは,全部,出雲大社で押し通してしまっているからだ。そそっかしい読者のわたしは,杵築大社と呼ばれた時代は創建当時のわずかな期間のことであって,そのあとすぐに出雲大社になったものと勘違いしてしまったのだ。

 たとえば,こうだ。国譲り神話のなかで,オオクニヌシを祀るための大きな社殿を建造した,という話がでてくる。その名前は杵築大社,のちの出雲大社のことである。そして,この出雲大社を守る国造には・・・,という調子で,このあとの説明では,すべて出雲大社という名称を用いている。だから,杵築大社という名称は記憶のなかのかなた遠くに消えてしまう。そして,出雲大社という名称だけが鮮明に残ってしまう。

 こんなことも知らないまま,こんにちまで生きてきたことが恥ずかしい。

 テレビをみていてびっくり仰天したことが,もう一つある。それは「縁結びの神様」として全国に知られるようになったのも,これまた明治以後のことだ,というのである。杵築大社を出雲大社と改称したのをきっかけにして,この出雲大社の存在を全国に知ってもらうために,出雲大社に所属する御師(おし)たちが暦やお札を全国に配ってあるいた。そのときの宣伝文句に八百万の神様が集まる大社にことよせて,「縁結び」の神様である,と言いふらしたのが大当たりして,一気に知られるようになった,という。折しも,鉄道時代がやってきて,出雲大社の近くまで鉄道を引いたので,全国から鉄道を使って参拝客が押し寄せるようになった,と。それはそれはたいへんな賑わいで,町も大いに栄えた,という。

 こうして出雲大社は全国にその名が知られるようになった,というのである。いやはや,伝統はいともかんたんに「創造」されてしまうものなのだ,という典型的な例。わたしたちの多くは,この「創造」された伝統を丸飲みして信じてしまっていた,という次第。

 思い込みというものは恐ろしい。これから気をつけなくては・・・・。くわばら,くわばら。
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