ある必要があって,ポストモダニズムということを考えている。大急ぎで,いろいろの参考文献を読み漁ってみる。諸説あって,さて,困ったというところ。
その前に,ポストモダニズムということばがあるくらいだから,ポストモダンという時代があるはずである。それは,もうすでに過去のものとなってしまったのか,それとも,いまがそうなのか,あるいはまた,たんなる幻想だったのか,といろいろ考えてしまう。わたし自身は,もうずいぶん前に,この問題を考えたことがある。そして,考えに考えた末に,ポストモダンを「後近代」と呼ぶことにした。それは,スポーツ史の時代区分をどのようにしようか,と考えてのことだった。つまり,スポーツとはなにか,という問いに対して歴史的に応答するとすれば,それなりに時代区分をして,それぞれの時代のスポーツの特質を語ることによって,その違いが明確になるのではないか,と考えたからである。
その当時は,近代スポーツとはなにか,というわたしの中での大きな問いがあった。近代スポーツの特質とはいったいどういうものなんだろう,とその答えが欲しかった。そこで考えたのが,当時,盛んに議論されていた「ポストモダン」とはどういうことを言うのだろうか,ということだった。で,調べてみると,1950年代にすでに建築の世界で,直線的で,合理的な,無機質な建築から脱皮して,もう少し人間味のある,人間の側に立つ建築をめざそう,という人たちが現れた,という。
たとえば,ユーゲント・シュティルと呼ばれるような建築様式が登場する。ウィーンにはフンデルトヴァッサー(日本語の「百水」という号をもっていて,それをドイツ語訳して,それをアーティストとしての名前にしていた)が設計し,実際に住んでもいたというアパートがある。いまは,一部,美術館になっているが,いまでも,一般の市民がそこで暮らしている。とてもおしゃれな,曲線を多用した,住み心地のよさそうなアパートである。
画家でいえば,クリムトやエゴン・シーレなどと同時代の人である。この人たちの絵もまた,それまでのモダニズムの追究した絵とはことなる,明らかにポストモダンを切り開くものであった。いまでも,人気抜群の画家たちなので,日本にもかなりよく紹介されているとおりである。エゴン・シーレの描く人物像などは,ほとんど写実とはほど遠い,壊れたような人物であるにもかかわらず,写実以上につよく訴えてくるものがあるから不思議だ。とくに,エロティシズムに関しては驚くほどの描写力をもっている。これがポストモダンの絵画であるといわれれば,なるほど,とうなづくしかない,それほどの説得力をもっている。
絵の絡みでいえば,岡本太郎の絵画・彫刻も,ポストモダンを意識した典型的なものだと言っていいだろう。大阪万博の折に制作した「太陽の塔」はいまも会場跡地に健在である。フランスに留学中に,シュール・レアリズムの洗礼も受けたし,ジョルジュ・バタイユの組織する社会学研究会にも参加し,そこで遊びの研究で知られるカイヨワとも接触をもっていたことを考えれば,まさに,ポストモダンを代表するアーティストのひとりであったと言っていいだろう。
文学でいえば,ジェームス・ジョイスやプルースト,という具合にいくらでも名前を挙げていくことはできる。パタイユの初期のころにペンネームで書いた『眼球譚』や『マダム・エドワルダ』などの小説も,言ってみれば,ポストモダンを先取りする作品だった。
このようにして,あれこれ考えを巡らせていると,なんとなくポストモダンという時代がイメージ・アップされてくる。しかし,このポストモダンという時代は,モダンという時代を超克して,まったく新しい時代を切り開いたのかと問えば,そうではない。モダンという時代の論理や制度や組織は厳然として支配していて,その間隙を縫うようにして,モダンのはらんでいる諸矛盾を批判し,そのアンチ・テーゼを提示したにすぎないのだ。だから,それをポストモダンと呼んでいいのかどうなのか,そこに大いに疑念をもっていた。
とりわけ,スポーツ文化にあってはポストモダンは,あったのか,あるのか,たんなる幻想なのか,と考えた。たしかに,近代競技スポーツが過剰な競争原理のもとで奇形化し,競技会そのものがビッグ・イベント化して,ついには経済原則に乗っ取られてしまう,という現象を目の当たりにしたとき,これは異常である,とだれもが考えた。そして,そこから脱出するためのアイディアがいくつも提示された。しかし,いずれも大きな運動にはならなかった。むしろ,体制側のモダニズムの原理・原則がますます肥大化し,スポーツの世界を圧倒している,というのが現状であった。その点は,いまも,ほとんど変わらない。それどころか,ますます,モダニズムの勢いは増すばかりで,優勝劣敗主義が社会の論理にまで,無意識のうちに浸透している,というのが現状だ。新自由主義の恐ろしさにも鈍感になってしまい,勝ち組・負け組などと呑気なことを,平気で鵜呑みにしている。むしろ,近代競技スポーツの論理が,そのまま,人びとの無意識のなかにまで浸透し,社会の仕組みにまで入りこんで,平然と大通りを闊歩しているかのようにみえる。ここには,ポストモダニズムの影も形もみられない。
では,いったいポストモダンとはなんなのか。スポーツ文化にとってポストモダンとはなにか,と真剣に考えた。そして,スポーツ史という学問の枠組みから考えると,モダンの前にプレ・モダンがあって,モダンの後にポスト・モダンがある,という単純な理論仮説を立てることができる,とひらめいた。しかし,ポストモダンということばをそのまま,スポーツ史研究に持ち込むことには抵抗があった。そこで,プレ・モダンが一般的には「前近代」と訳されているのだから,ポストモダンを「後近代」と訳したっていいではないか,と考えた。しかも,ポストモダンということばは,すでに述べたように,建築やアートの世界では使い古され手垢にまみれていて,それなりの歴史性を帯びているが,スポーツの世界にはポストモダンのかけらもみられない。だとしたら,まったく新しい概念を賦与したことばを作ろうと考えた。その結果,考えついたのが,さきほどの「後近代」という,直訳そのままである。そして,スポーツ史でいうところの「後近代」は,まだ,存在しない。しかし,近代スポーツとはなにか,と問うときのアンチ・テーゼとしての「後近代スポーツ」を理論仮説として想定することはできる。そうして,前近代と後近代にはさまれたところに位置づく近代,および,そこで成立している近代スポーツとはなにか,と問うことができる。つまり,近代,および,近代スポーツを浮き彫りにするための概念装置として「後近代」という,架空の時代を設定することはなかなか有効ではないか,と考えた。
だから,わたしの言う「後近代」は実際には存在しない,という前提である。世にいわれているポストモダンとは一線を画しているつもりである。しかし,そのことを確認することもしないで,勝手に混同して,稲垣の言っていることは奇怪しいという批判が,裏でなされているとも聞く。わたしにとっては,あるいは,スポーツ史という観点に立てば,ポストモダンは存在しない。たんなる理論仮説としての概念装置にすぎない。
Nさんにそれとなく聞いてみると,わたしはポストモダンということばはできることなら使いたくないですね。あえて言うとすれば,ウルトラ・モダンかなぁ,とおっしゃる。なるほど,とわたしは納得である。モダンはますます勢いを増して,もはや,手のつけようがない(これはわたしの解釈)。とっくのむかしに古き良き時代のモダンを通り越してしまっているが,それでもなお,その路線は立派なモダンの延長線上にある。だから「ウルトラ・モダン」か,と。
スポーツ文化の現状をみるかぎり,ウルトラ・モダンのスポーツ文化が花盛りである。しかし,スポーツ史という研究を,もっと際立たせるために,あるいは,エッジに立って考えるためには,まだ来ぬ「後近代」という時代をあえて設定して,近代・近代スポーツの特質を浮き彫りにしたい,といまでもわたしは考えている。
さて,これからの,21世紀を生きていくわたしたちにとって,スポーツ文化とはなにか,それをささえるスポーツ思想とはどのようなものなのか,そのことと「ポストモダニズム」はどのようにリンクしているのか,考えなければならないことは延々とつづく。でも,こういうことを考えるのはじつに楽しいことではある。
1 件のコメント:
「後近代は実際には存在しないというのが前提である」と書かれているところにポイントがあるなあ・・・と感じながら読ませていただきました。存在することを前提に論をはこべば、通時的な、直線的な歴史の枠組みに回収されてしまう・・・。それでは、何も「批評」できなくなるのだと感じます。
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