いまも福島原発は異常な状態がつづいている。しかも,改善のきざしはみえてこない。ますます悪化しているとしかいいようのない状態だ。
あらゆる方法で,福島原発の実情を把握しようとするのだが,いかんせん,素人の限界を感ずるのみ。情けないが事実だ。でも,ようやくわかってきたことは,やはり,きわめて危険な状態にある,ということだ。
その根拠は,IAEAの事務局長矢野之弥氏の記者会見で述べている内容だ。情報通の友人に確認したところでは,IAEAには,加盟国は放射能に関するあらゆる事実を報告する義務がある,とのこと。だから,日本国内に流すことのできない情報も,IAEAには報告されているはずだ,というのである。で,そこでの矢野事務局長の発言は「チェルノブイリのレベル7よりは下,スリーマイル島のレベル5よりは上」だという内容。レベル7もレベル5も,素人のわたしにはわからない。ただ,わかることはその被害の大きさだけだ。そこから判断すると,福島原発はレベル6,というのが現段階でのIAEAの評定である,ということ。しかも,これは「現段階」までの情報を分析するかぎり,という条件つきのものだ。最悪の場合には,チェルノブイリ並みの大爆発も視野に入れておかなくてはならない,ということでもある。しかも,すでに,スリーマイル島よりは「上」の水準に達している,ということは厳然たる事実として確認されているということでもある。
このIAEAの分析とほとんど同じ見解をとっているのが,アメリカの某専門家(インターネットの映像で確認したが,名前を記録するのを忘れた)である。で,少しだけ気になったのは,この専門家は,現状ではレベル6で収束する可能性が高いと考えるが,ひょっとするとレベル7になるかもしれない,と含みを残したことだ。アメリカの学者だから,ほんとうのことを述べている,と考えるとこの発言の意味は重い。日本の学者さんのように,ときの権力に自発的に隷従するような,余分な配慮はしていないと考えるからだ。
チェルノブイリとスリーマイル島の事故は,原発事故としては世界の「二大事故」と認識されている。その間に割って入るようにして,いま,福島原発は推移している。現状で収束したとしても,これからはフクシマを含めて「三大事故」と呼ばれるようになることは間違いない。
とまあ,ここまで考えてきたときに,やはり,今回の福島原発の事故はただごとではない,ということが明らかになってくる。少なくとも,昨日の夕刻までのわたしの認識では,ちょっとした不具合が福島原発で起きているなぁ,それにしてはなかなか復旧しないなぁ,なにをやってるのだろう,という程度のものだった。が,いつものNさんから電話をもらって,しばらくお話をうかがっているうちに,いけない,これは自分できちんと情報を確認しないといけない,と初めて目が覚めた。
その結果,国内向けの情報開示と,IAEAに報告している情報との間にある,あまりの格差の大きさに驚くほかはなかった。現段階でのIAEAの判定は「レベル6」。この数字がなにを意味しているのか,日本のメディアは,もっとわかりやすく説明する必要があろう。もし,このレベルで収束するとしたら,ということは「レベル7で爆発するとしたら」,いったい,どういうことが想定できるのか,わたしはそこが知りたい。そして,もし,チェルノブイリと同じ「レベル7の爆発」が起きるとしたら,福島の場合には,どのような状態が想定できるのか,そこが知りたい。そういうことが視野のうちに入ってくれば,つぎなる行動のとり方もはっきりしてくる。
ドイツの友人は,明らかに,チェルノブイリと同じことが起きている,と指摘してきた。しかも,早い段階で。ということは,ドイツのテレビや新聞では,早々にそのような判断をくだしていた,ということだ。だから,ドイツでもスイスでも,日本からの難民受け入れの態勢を整えている,とまで言ってきたのだ。フランスでも,早々に,日本への渡航禁止を政府決定した,という。それほどに危険な状態に入っているという認識なのだ。知らないのは日本人であるわたしたちだけだ。
わたしの思考のスイッチを,もう一度切り換えて,危機意識のレベルを上げなくてはならない,といましみじみと考えている。Nさんの仰るとおり,今回のできごとは戦争と同じだ。いつ,どこから敵が現れるかわからない,未知の世界に踏み込んでしまっているのだ。だから,なにが起きても不思議はない。ということは,つねに,最悪の事態を想定して,行動する以外には方法はない。
小学校2年生で敗戦を経験したわたしのからだには,第二次世界大戦中の,恐ろしい体験・記憶がトラウマのように埋め込まれている。そういうものが,意味不明のまま,からだの中で蠢きはじめている。そして,これまでのぬるま湯に浸っていたからだとはまったく異なる別のからだに移行しはじめている。それはなにを隠そう,理性もまだ十分にははたらかない未熟な,あるいは,動物性に近い「からだ」への蘇りだ。
「レベル6」をめぐって,わたしのからだの記憶の古層が騒ぎはじめている。こころを鎮めて,しばらくは,このからだの声に耳を傾けてみようと思う。
あらゆる方法で,福島原発の実情を把握しようとするのだが,いかんせん,素人の限界を感ずるのみ。情けないが事実だ。でも,ようやくわかってきたことは,やはり,きわめて危険な状態にある,ということだ。
その根拠は,IAEAの事務局長矢野之弥氏の記者会見で述べている内容だ。情報通の友人に確認したところでは,IAEAには,加盟国は放射能に関するあらゆる事実を報告する義務がある,とのこと。だから,日本国内に流すことのできない情報も,IAEAには報告されているはずだ,というのである。で,そこでの矢野事務局長の発言は「チェルノブイリのレベル7よりは下,スリーマイル島のレベル5よりは上」だという内容。レベル7もレベル5も,素人のわたしにはわからない。ただ,わかることはその被害の大きさだけだ。そこから判断すると,福島原発はレベル6,というのが現段階でのIAEAの評定である,ということ。しかも,これは「現段階」までの情報を分析するかぎり,という条件つきのものだ。最悪の場合には,チェルノブイリ並みの大爆発も視野に入れておかなくてはならない,ということでもある。しかも,すでに,スリーマイル島よりは「上」の水準に達している,ということは厳然たる事実として確認されているということでもある。
このIAEAの分析とほとんど同じ見解をとっているのが,アメリカの某専門家(インターネットの映像で確認したが,名前を記録するのを忘れた)である。で,少しだけ気になったのは,この専門家は,現状ではレベル6で収束する可能性が高いと考えるが,ひょっとするとレベル7になるかもしれない,と含みを残したことだ。アメリカの学者だから,ほんとうのことを述べている,と考えるとこの発言の意味は重い。日本の学者さんのように,ときの権力に自発的に隷従するような,余分な配慮はしていないと考えるからだ。
チェルノブイリとスリーマイル島の事故は,原発事故としては世界の「二大事故」と認識されている。その間に割って入るようにして,いま,福島原発は推移している。現状で収束したとしても,これからはフクシマを含めて「三大事故」と呼ばれるようになることは間違いない。
とまあ,ここまで考えてきたときに,やはり,今回の福島原発の事故はただごとではない,ということが明らかになってくる。少なくとも,昨日の夕刻までのわたしの認識では,ちょっとした不具合が福島原発で起きているなぁ,それにしてはなかなか復旧しないなぁ,なにをやってるのだろう,という程度のものだった。が,いつものNさんから電話をもらって,しばらくお話をうかがっているうちに,いけない,これは自分できちんと情報を確認しないといけない,と初めて目が覚めた。
その結果,国内向けの情報開示と,IAEAに報告している情報との間にある,あまりの格差の大きさに驚くほかはなかった。現段階でのIAEAの判定は「レベル6」。この数字がなにを意味しているのか,日本のメディアは,もっとわかりやすく説明する必要があろう。もし,このレベルで収束するとしたら,ということは「レベル7で爆発するとしたら」,いったい,どういうことが想定できるのか,わたしはそこが知りたい。そして,もし,チェルノブイリと同じ「レベル7の爆発」が起きるとしたら,福島の場合には,どのような状態が想定できるのか,そこが知りたい。そういうことが視野のうちに入ってくれば,つぎなる行動のとり方もはっきりしてくる。
ドイツの友人は,明らかに,チェルノブイリと同じことが起きている,と指摘してきた。しかも,早い段階で。ということは,ドイツのテレビや新聞では,早々にそのような判断をくだしていた,ということだ。だから,ドイツでもスイスでも,日本からの難民受け入れの態勢を整えている,とまで言ってきたのだ。フランスでも,早々に,日本への渡航禁止を政府決定した,という。それほどに危険な状態に入っているという認識なのだ。知らないのは日本人であるわたしたちだけだ。
わたしの思考のスイッチを,もう一度切り換えて,危機意識のレベルを上げなくてはならない,といましみじみと考えている。Nさんの仰るとおり,今回のできごとは戦争と同じだ。いつ,どこから敵が現れるかわからない,未知の世界に踏み込んでしまっているのだ。だから,なにが起きても不思議はない。ということは,つねに,最悪の事態を想定して,行動する以外には方法はない。
小学校2年生で敗戦を経験したわたしのからだには,第二次世界大戦中の,恐ろしい体験・記憶がトラウマのように埋め込まれている。そういうものが,意味不明のまま,からだの中で蠢きはじめている。そして,これまでのぬるま湯に浸っていたからだとはまったく異なる別のからだに移行しはじめている。それはなにを隠そう,理性もまだ十分にははたらかない未熟な,あるいは,動物性に近い「からだ」への蘇りだ。
「レベル6」をめぐって,わたしのからだの記憶の古層が騒ぎはじめている。こころを鎮めて,しばらくは,このからだの声に耳を傾けてみようと思う。
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