2011年3月15日火曜日

制御不能の原発のなりゆきが恐ろしい。

 原発についてのきちんとした知識がないので,ますます不安になるのかもしれない。人間が直接,手動で制御できない原発というものはいったいなにものなのか。コンピューターや自動制御装置に頼りすぎてしまって,もはや,人間の手のほどこしようもないものなのかも・・・・。考えてみれば,そういう文明の利器(?)に取り囲まれていて,わたしたちは,いつのまにか機械の奴隷と化している。機械の操作を間違えると機械に叱られる。そういう時代の真っ只中にいる。
 もう,ずいぶんむかしの話。わたしが自動車に乗りはじめたころ(1965年ころ・東京オリンピックの翌年)は,自分でかなりの部分をいじることができた。また,いじれるように教習所で自動車のメカも教えてくれた。カーボンの掃除の仕方とか,エンジン・オイルの汚れの見方とか,バッテリーが上がってしまったら,クランクを差し込んでエンジンをかけるとか,いろいろのことを教えてもらった。で,それはとても役に立ったし,車をいじる喜びや愛着があった。が,新車に乗り換えたころから(1970年ころ),エンジンまわりの自動制御装置が複雑になってしまって,自動車の修理工場でも,直接,手を加えて調整するということができなくなり,不調になった部品をそっくり取り替えるだけの仕事になってしまった,と修理を得意としていた従業員の人は嘆いていた。メカに対して手も足も出せないのだ,と。
 それと同じことが,もちろん,もっともっと進化した高度なテクノロジーが自動化されてしまって,もはや,人間の手出しできないところにまで,いまの原発はきてしまっているのではないか,と想像している。最先端の科学技術は,いったん,トラブルが起きるともうどうしようもない。自動に頼りすぎてしまって,手動のでる幕をなくしてしまったのか,と。

 3号機の爆発は,世界中の人びとが息を潜めて注目しているようだ。ドイツの友人からは,早速,チェルノブイリと同じことが起きているのでは・・?と問いかけ,すぐに,ドイツでもスイスでも逃げてこい,受け入れ態勢はできている,と。ありがたいような,でも困った提案である。仕方がないので,この段階で逃げ出すなどということは日本人としてできない,やれるだけの努力をしてみて,どうしても駄目なら,そのときは逃げ出すことになるかもしれない。それまでは,ここで頑張る,と返信しておいた。
 つづいてスペインのバスク人から。こちらは,とても冷静に,十分に気をつけてください。無事でいられることを祈っています,という趣旨のもの。
 つぎは,中国から。この人は日本語が堪能な人なので,日本語で書いてきた。それもみごとな日本語で。ふつうの日本の大学生よりもはるかに美しい日本語で。とにかく,健康・安全第一に,と気づかってくれている。
 今日になって,3人の外国の友人からお見舞いメールがとどいた。それほどに,地震のすさまじさもさることながら,原発事故についてはとりわけ敏感に反応していることが伝わってくる。

 ひるがえって考えてみれば,原発建造が国会で議論されたときに,あれほどしつこく安全性は大丈夫かと念をおしたのに対し,あらゆる事態を想定して建造するので安全は保障される,と答えていた大臣や,それを推進した総理大臣の顔が浮かんでくる。もちろん,自民党の全盛時代の話だ。東京電力の専門家も同じように答弁していたし,原子力の専門家もまた同様の答弁を繰り返していく。その結果がこれではないか。しかも,いまごろになって「想定外」の事態だったといいわけをしている。「想定外」ではなくて,当時の「想定が甘かった」と答弁すべきだろう。気はたしかか,と問いただしたくなる。
 しかも,今回の事故の引き金になったのは,停電だ。そして,自家発電機が波をかぶって作動しなかった,というきわめて単純なところからはじまっている。自家発電機が作動しなかった・・・?第二,第三,第四の自家発電機は設置してなかったのか。そして,波をかぶらないように工夫はされていなかったのか。詳細がわからないので,なんともいえないが,わたしにはなんとも納得しがたいことばかり。この責任をだれがとってくれるのか。
 それにつけても,映像をみると,その原発の炉心のある地下まで降りていって作業をしている人たちがいる。こういう映像をみると,わたしは絶句してしまってものが言えなくなる。凄い人たちがいるものだ,と。みずからのからだを張って,文字どおり命懸けの仕事に従事しているのだ。無条件に頭が下がる(こういう原発の最先端で仕事をする人たちが,どういう経緯でここにたどりついたのか,ということについて書いた本をむかし読んだことがある)。
 タニガキ君も,外野席で雑音を入れていないで,黙って,あの作業をやってみたらどうか。それが映像となって全国に知られたら,一躍,英雄扱いにしてくれるだろう。そのくらいの肝っ玉をもった政治家がいたっていいではないか。かつて,ハイジャック事件が起きたとき,みずから手を挙げて,俺にまかせろ,と言った政治家がいたではないか。これぞ男ぞ,と思った。

 でもまあ,今回のこの原発の事故で多くの人が,真剣に学ぶことになるのだろう。わたしもそのうちのひとりだが,これで,もう迷うことなく原発はやめにしましょう,と声高らかに宣言したい。つぎの爆発事故が起きる前に,停止させて,廃棄処分にしよう。その代替として,ソーラー・システムを導入しよう。原発を建造するだけの費用と,その維持管理,さらに,最終的な廃棄処理にかかる費用を考えれば,ソーラー・システムの導入は安いものだと思う。すでに,自宅で自主的にソーラー・システムを200万円ほどで建造し,東京電力に余剰電力を売っている人を知っている。200万円でつくれるのなら,それに政府が補助金を半分負担するようにすれば,かなり大勢の人が手を挙げるだろう。わたしだって一戸建ての家をもっていたら,すぐにでも手を挙げる。
 幸いなことに,日本の太平洋側は冬でも晴れの日が多い。日照時間は十分に確保できる。この点,ヨーロッパとは格段の差がある。太平洋側でつくった電気を,日本海側の人たちに格安で分けてあげて,屋根に雪を溶かす装置を備えれば,どれほど喜ばれることか。毎年,多くの犠牲者(雪下ろしのために)がでているのだから。これこそ立派な人命救助だ。
 こんなことは素人の浅知恵なのだろうか。でも,一度,ぜひ,当局で検討してみてもらいたいものだ。原発をこれ以上増やすことを考えれば,それなら,ソーラーシステムでという人は相当数いるだろうと思う。
 こんなことでも考えていないと,あの爆発の映像を繰り返し見せつけられているうちに,気が滅入ってしまう。なにもできなくなってしまう。
 いまこそ,前向きにものごとを考えないと,ますますストレスがたまってしまう。
 日本国復興のための秘策でも考えていないと・・・。
 そして,できることなら,どこかで,みんなで侃々諤々の議論でもして,たまりにたまったストレスを発散したいところだ。だれか,この指に止まりませんか。

0 件のコメント: