2011年3月7日月曜日

グンナール監督作品『溶けてしまった氷の国は・・・・』の上映とシンポジウム(西谷修)に参加して。

 3月6日(日)12:30~17:30,東京外国語大学(多摩キャンパス)で「君はオーロラを見たか」──アイスランドの天国と地獄,というイベントがありました。主催者は,西谷修さんと中山智香子さん。とても内容の濃いイベントで,久しぶりにずっしりと重いお土産をいただきました。
 当日の配布資料のなかに,西谷さんが書いた「趣旨説明」がありますので,まずは,それを引用しておきます。これを読むだけで,西谷さんがなにを企んでいるか,ということが明々白々となります。みごとな導入になっています。
 「かつてヴァいキングが住み着いたといわれる最果ての島,氷河に覆われた火山とオーロラの国アイスランド──この国は90~00年代のグローバル化と金融自由化の流れの中で,新自由主義の処方箋に従って,’金融立国’を目指し,国ごと投機に投げ込んで一場の夢に酔ったあげく,2008年秋の世界金融恐慌であえなく’国家破産’してしまいました。
 それだけでなく,孤島ゆえに遺伝サンプルの貯蔵庫とみなされ,住民の遺伝子まで’資源’としてバイオ産業に売り渡そうとしたのです。
 漁業権から遺伝子まで,自然の恵みと歴史の産物を,丸ごと市場の濁流に投げ込もうとする天をも恐れぬこの振る舞いに,島の神々の怒りが爆発したのか,去年は氷河火山の吹き上げる噴煙がヨーロッパの上空を広く覆って航空機を麻痺させました。
 M.フリートマンの口車に乗り,グローバル経済と大国(英米)の恣意に翻弄されたこの国は,しかし今,その破綻の経験を肝に銘じ,ヴァいキング崩れの男たちに代わって政権に就いた女性首相のもと,世界秩序の内幕を暴いて物議を醸す情報サイト,ウィキリークスに拠点を提供しています。
 極北の小国であるがゆえに,グローバル世界の病理を凝縮するように身をもってあぶり出してしまったアイスランド,その’破綻’と’さ迷い’を映像化したグンナル監督を招き,その作品「溶けてしまった氷の国は・・・」を観ながら,経済の金融化から,生命の資源化,情報の民主化まで,グローバル世界の熱いトピックについて,メディア・情報の現場で活躍する方々を迎えて議論します。」
 祭りのあとの余韻に浸っているいまになっても,この趣旨説明を読むと,すべてのことがらがこのなかにみごとに凝縮して述べられていることに,いまさらながら感心してしまいます。そして,この凝縮したことば(キーワード)を手懸かりにして,昨日の映画とシンポジウムをありありと思い出しています。わたしの感想をひとくちで言ってしまえば,グローバリゼーションが含みもつ「暴力」をまのあたりにして茫然自失,というのが実感です。
 「グローバリゼーションと伝統スポーツ」というテーマで,この夏には国際セミナーを予定しているわたしたちとしては,このグンナル監督の映画「溶けてしまった氷の国は・・・・」はあまりに衝撃的でした。この映画からなにを抽出して,スポーツとグローバリゼーションの関係を分析していけばよいのだろうか,としばし考え込んでしまいました。たとえば,「経済の金融化」の代わりになるものは「スポーツの金融化」(別の言い方をすれば,「スポーツの商品化」と置き換えればわかりやすいか)の問題があろう。この問題は,もう,すでに,相当のレベルにまで進展してしまっていて,もはや引き返すことは不能というべきか。あるいは,そのことに,どこかに歯止めをかけるとすれば,どのようにして可能なのか。あるいはまた,「スポーツの商品化」をとことんまでつきつめていくと,どういうことが起こるのであろうか。こういう発想がつぎからつぎへと生まれてくる。そんな,不思議な迫力をもった映画です。
 グンナル監督は,予想したよりは若々しくて,バイタリティに満ちあふれていた。声も大きいし,張りがある。元気そのものだ。そして,アイスランドは,とてもいい国で世界に誇れる国だと信じていたが,その国家に裏切られた,という「怒り」の感情が漲っている。そして,黙っていてはなにもはじまらない。まずは,どんなにささやかなことでもいい,行動を起こすことだ,と。そして,自分たちの手で国家を変えていかなくてはいけない,と強く主張する。この断固とした姿勢が,新鮮で強烈な印象として残りました。なぜか,日本の現状が見透かされているようで,とても恥ずかしい思いがしました。わたしたちは,いったい,どうしてしまったのだろうか,と。
 それともう一点だけ触れておけば,いまごろになって,昨秋の宇沢弘文さんをお招きしての,西谷さんの仕掛けたイベントの意味が,より鮮明になってくるから不思議です。宇沢さんは,岩波新書にもなっていますように「社会的共通資本」という概念を提示して,経済の「金融化」という考え方に根底からの疑問を提示されました。そのことの意味が,これからますます多くの人びとに理解されるときがくるだろう,といまごろになって気づくわたしでした。もっと言ってしまえば,西谷さんが,経済学者の金子勝さんに注目されるのも,その延長線上にあるということも,より鮮明にわかってきました。
 というようなわけで,グンナル監督の映画をみて,それに関するシンポジウムを聞かせてもらおう,などという軽い気持ちででかけたのは間違いでした。現代の世界を見極めるための,きわめて重要な,根源的で,普遍的なテーマがそこには流れていて,その一環としてグンナル監督を招聘したということも,とてもよく納得できました。
 この映画の日本語の字幕入りのDVDは,商品にはなっていなくて,ごく少数だけ私家版としてスペアがある,というアナウンスがありました。どうしても,と仰る方にはお分けします,とのこと。イベントが終わってすぐに,西谷さんに直にお願いして,特別に分けてもらえるように手配しました。6月の東京例会の折にでも,みんなで観賞してみたい,と考えています。そのときには,西谷さんにもお出でいただいて・・・・,などとすでにつぎなる戦略を企んでいるところです。
 楽しみにしていてください。
 詳しいことは,わたしのHPの掲示板で。

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