11月12日(土)・13日(日)の二日間にわたって,スポーツ史学会第25回大会が,平塚市の東海大学体育学部を会場にして開催される。大会組織委員会委員長は松浪稔さん。
大会プログラムを眺めながら,さまざまな思いがよぎる。
まず第一に,「第25回大会」という回数に,歴史を刻んだものだと思う。思い起こせば,いまから26年前,わたしはウィーン大学に在外研究員として滞在していた。このウィーンに行く前に,「スポーツ史学会」立ち上げの下準備はできていた。あとは,恩師の岸野雄三先生のお許しをえるのみとなっていた。このときに,先頭に立って,岸野先生と交渉の任にあたってくれたのが,現会長の藤井英嘉さんである。わたしは,遠く,ウィーンにいて,うまく交渉が成功することを祈っていた。
この交渉についてはいろいろの紆余曲折があったが,最終的には,うまくまとまった。藤井さんの功績が大きかった。そのあとの,夏休み明けに,わたしはウィーンから帰国して,早速,スポーツ史学会結成の準備にとりかかることになった。で,ここでもいろいろのことがあったが,とにかく,スポーツ史学会が誕生する運びとなった。めでたし,めでたし,である。
それから,もう,25年が経過しているのだ。まるで夢のような話である。その第25回大会の会長として陣頭指揮をとる藤井英嘉さんは,わたし以上に,感慨無量なるものがあると思う。ロマンチストの彼のことだから,一人静かに,いまは亡き恩師岸野雄三先生に報告しながら,涙を流しているのではないか,と同級生のわたしは思う。そして,走馬灯のように,つぎからつぎへと,この25年間の記憶が駆け巡る。苦楽を共にした同志として,わたしの胸にも突き上げてくるものがある。
そして,第25回大会のプログラムをじっと眺めてみる。いつのまにか,わたしの知らない人たちの名前がずらりと並んでいる。そして,それらの発表の座長を務める人たちもまた,大いに若返っている。ここ数年の間に,一気に,会員が若返ったような印象である。とりわけ,大学院生の発表が激増した。その分,大学に勤務する現役の研究者の発表が激減している。この傾向はどの学会も同じだと聞いているが,なぜか,寂しいかぎりだ。
折しも,今日,スポーツ史学会会員名簿なるものがとどいた。めくってみて驚いた。名前と所属とメール・アドレスのみである。中には,名前だけ,という人もいる。所属があるのに,書かない人もいる。個人情報なんとかやらで,どこまで公表するかは個人の意志によるのだそうな。わたしの個人情報などは,もうとっくのむかしにインターネット上を駆け巡っている。中には,わたしの知らない情報まで流れている。が,別段,変わったことはなにもない。これまでどおりである。
この空白だらけの,まるで,蜂の巣のような名簿を眺めながら,これが現代社会の一つの縮図なのか,と暗い気持ちにさせられてしまう。つまり,学会の会員といえども,お互いに,まったく,人間として信用されていない,という現実を目の前に突きつけられているのだから。もっと言ってしまえば,「部外秘」としても,それが守られないということだ。なんともはや,情けないかぎりである。
だからというべきか,一種の人間不信感が,目にみえないかたちで学会の会場の中を空気のようにして流れているように感ずるのは,わたしだけなのだろうか。どこかよそよそしいのだ。以前はそうではなかった,と記憶する。わたしがデビューしたころには,発表が終ると先輩たちみんなが慰労してくれたものだ。懇親会などでは,若手を引き上げてくれる雰囲気があった。が,いまは,どうなのだろう。世代ごとに集まって輪をつくっているように見受ける。そこに割って入る先輩もあまりみかけない。
さて,明日の初日の夜には,懇親会がある。どんな雰囲気になるのか,いまから楽しみの一つだ。いつのまにか,わたしより先輩の人の顔も少なくなっている。明日は,何人,きてくれるのだろうか。これも楽しみの一つ。
大会組織委員長の松浪さんが頑張って仕掛けた,節目の第25回大会である。シンボジウムも「スポーツメディア史を考える─現代,日本近代,欧米近代の視点から」という斬新なテーマがかかげられている。シンボジストも多彩な顔ぶれだ。さて,どのような展開になるのか,こちらも楽しみの一つ。
できるだけ,楽しみを増やして,明日はでかけることにしよう。
ただでさえ,暗いご時世なのだから,できるだけ明るい期待を抱くことにしよう。
そして,第25回大会が成功裏に終ることを祈ろう。
大会プログラムを眺めながら,さまざまな思いがよぎる。
まず第一に,「第25回大会」という回数に,歴史を刻んだものだと思う。思い起こせば,いまから26年前,わたしはウィーン大学に在外研究員として滞在していた。このウィーンに行く前に,「スポーツ史学会」立ち上げの下準備はできていた。あとは,恩師の岸野雄三先生のお許しをえるのみとなっていた。このときに,先頭に立って,岸野先生と交渉の任にあたってくれたのが,現会長の藤井英嘉さんである。わたしは,遠く,ウィーンにいて,うまく交渉が成功することを祈っていた。
この交渉についてはいろいろの紆余曲折があったが,最終的には,うまくまとまった。藤井さんの功績が大きかった。そのあとの,夏休み明けに,わたしはウィーンから帰国して,早速,スポーツ史学会結成の準備にとりかかることになった。で,ここでもいろいろのことがあったが,とにかく,スポーツ史学会が誕生する運びとなった。めでたし,めでたし,である。
それから,もう,25年が経過しているのだ。まるで夢のような話である。その第25回大会の会長として陣頭指揮をとる藤井英嘉さんは,わたし以上に,感慨無量なるものがあると思う。ロマンチストの彼のことだから,一人静かに,いまは亡き恩師岸野雄三先生に報告しながら,涙を流しているのではないか,と同級生のわたしは思う。そして,走馬灯のように,つぎからつぎへと,この25年間の記憶が駆け巡る。苦楽を共にした同志として,わたしの胸にも突き上げてくるものがある。
そして,第25回大会のプログラムをじっと眺めてみる。いつのまにか,わたしの知らない人たちの名前がずらりと並んでいる。そして,それらの発表の座長を務める人たちもまた,大いに若返っている。ここ数年の間に,一気に,会員が若返ったような印象である。とりわけ,大学院生の発表が激増した。その分,大学に勤務する現役の研究者の発表が激減している。この傾向はどの学会も同じだと聞いているが,なぜか,寂しいかぎりだ。
折しも,今日,スポーツ史学会会員名簿なるものがとどいた。めくってみて驚いた。名前と所属とメール・アドレスのみである。中には,名前だけ,という人もいる。所属があるのに,書かない人もいる。個人情報なんとかやらで,どこまで公表するかは個人の意志によるのだそうな。わたしの個人情報などは,もうとっくのむかしにインターネット上を駆け巡っている。中には,わたしの知らない情報まで流れている。が,別段,変わったことはなにもない。これまでどおりである。
この空白だらけの,まるで,蜂の巣のような名簿を眺めながら,これが現代社会の一つの縮図なのか,と暗い気持ちにさせられてしまう。つまり,学会の会員といえども,お互いに,まったく,人間として信用されていない,という現実を目の前に突きつけられているのだから。もっと言ってしまえば,「部外秘」としても,それが守られないということだ。なんともはや,情けないかぎりである。
だからというべきか,一種の人間不信感が,目にみえないかたちで学会の会場の中を空気のようにして流れているように感ずるのは,わたしだけなのだろうか。どこかよそよそしいのだ。以前はそうではなかった,と記憶する。わたしがデビューしたころには,発表が終ると先輩たちみんなが慰労してくれたものだ。懇親会などでは,若手を引き上げてくれる雰囲気があった。が,いまは,どうなのだろう。世代ごとに集まって輪をつくっているように見受ける。そこに割って入る先輩もあまりみかけない。
さて,明日の初日の夜には,懇親会がある。どんな雰囲気になるのか,いまから楽しみの一つだ。いつのまにか,わたしより先輩の人の顔も少なくなっている。明日は,何人,きてくれるのだろうか。これも楽しみの一つ。
大会組織委員長の松浪さんが頑張って仕掛けた,節目の第25回大会である。シンボジウムも「スポーツメディア史を考える─現代,日本近代,欧米近代の視点から」という斬新なテーマがかかげられている。シンボジストも多彩な顔ぶれだ。さて,どのような展開になるのか,こちらも楽しみの一つ。
できるだけ,楽しみを増やして,明日はでかけることにしよう。
ただでさえ,暗いご時世なのだから,できるだけ明るい期待を抱くことにしよう。
そして,第25回大会が成功裏に終ることを祈ろう。
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