2011年11月21日月曜日

『アフターマス』震災後の写真(飯沢耕太郎+菱田雄介著,NTT出版)を読む。

出版されて間もないころに(10月28日初版第1刷),新聞の書評でとりあげられ,話題になっていたので,一度,読んでおこうと思っていた本である。ようやく,ここに手が伸びて,本日,読了。

「2011年3月11日14時46分」にはじまる東日本大震災がもたらした事態の総体がまだ十分に把握できないうちに,はやくも人間の記憶や意識は変化しはじめている。いい意味でも悪い意味でも。そこに鋭いクサビを打ち込むとすれば,まずは写真が,もっとも身近で,わかりやすい,というのはあまりに素人じみた考えにすぎないのだろうか。

写真評論家飯沢耕太郎と写真家・テレビディレクター菱田雄介のコラボレーションとして編まれたこの本は,いま一度,東日本大震災とはなにかを問い,「写真になにができるのか」と問う。

飯沢は評論家としての立場から,つまり,写真家の側からの,写真を撮ることの倫理性について思考を深めていく。それは,「3・11」以前までの写真を撮り,発表していく,というプロのカメラマンにとっては,ごく当たり前の行為が許されない情況が出現したこと,これが,かれの思考を深めさせる原動力となっている。つまり,「3・11」以後の東日本大震災の実態が日を追って明らかになるにつれ,かれの写真評論家としての,これまでのスタンスや思考にゆさぶりをかけてくる。そんなことでいいのか,と。そのゆさぶりに真向から向き合い,どうすればいいのかと日々,写真のこれからについて思考を重ねていく。もっと言ってしまえば,東日本大震災の情況の進展と同時進行のようにして,リアルタイムで自己の内に開かれた思考を書きつけていく。こうして,評論家の苦悶がそのまま記録されていく。

他方,菱田は写真を撮る人としての倫理の問題について,その苦しい胸の内を吐露する。写真は,撮る人,撮られる人,そして,その写真を見る人との,すくなくともこの三者の微妙な関係性の上に成り立つ。そのどこがくずれてしまっても,それはもはや写真として成立しなくなってしまう。だから,これまでのような写真の考え方だけでは,「3・11」以後という事態に対処できない,という。つまり,どういう被写体を,どのように撮って,それをどのような方法で公表していくのか,その反響はどうか,最終的な責任のとり方をどうすればいいのか,などを考えると身動きできなくなってしまう,という。

そして,二人とも,同じように悩み苦しむ問題は共通している。それは,死者の写真を撮るべきかいなか,もし,撮ったとしたら,どのような方法で公表すればいいのか,そして,それらの写真家の行為に対する批判にどのように応えればよいのか,ということだ。

この問題を考える手がかりとしてスーザン・ソンダクの論考を引き合いにだす。それは「死者との距離」の問題ではないかとして,思考をもう一歩踏み込んでいく。ソンダクは,アフリカの飢餓や中東の戦争の死者の写真は,撮る方も公表する方も,そして,それを見る方もあまり抵抗はない,という。この見解に,飯沢も菱田も,なるほどと納得する。

しかし,飯沢は,今回の被写体は日本国内で起きた自然災害による死者となるので,あまりにも距離が近すぎる,という。いわゆる身内意識が強く働くからだ,と。だからといって,撮らないで放置しておいていいのか,とみずからに問う。しかし,そこからさきの論理的整合性をもった思考は開かれない。

そこで,飯沢は,みずからを死者となったと仮定して,仮説を展開する。もし,自分が死者だったとしたら,やはり写真は撮ってほしいと自分は思う,と書く。そして,公表してほしいと。こんな風に考えるのは自分だけかも知れない,と断りながら。そして,自分の死を無駄にしたくはない,とも。だからといって,これを他人に押しつけたり,普遍化することは不可能だ,ともいう。

しかし,飯沢は,こういう未曽有の情況に真っ正面から立ち向かうことによってこそ,そこから新たな写真の可能性が開かれるのではないか,と一縷の夢と希望を託す。

菱田の苦衷はもっと切実だ。災害による死者を目の前にしてカメラを向けるだけの勇気も覚悟もできているか,と自分自身に問う。どう考えても自分にはそれはできない,と葛藤する。ここを超えていくには,なにが必要なのだろうか,と考える。そして,むしろ,それは勇気とか,覚悟とかの問題ではなくて,自然体そのものに身をゆだねるしか方法はないのではないか,と自問する。そのとき,その場の,自分のからだの反応に任せ,そこからの身やこころの動きにしたがうしかないのでは・・・,と。そして,ここからつぎのステージに向けて模索をつづけたい,と締めくくる。

菱田の思考を,もし,わたしが引き受けるとしたら,それは「開かれた身体」にゆだねる,ということになるのだろうと思う。あらゆる構えも意図も目的も意味も,すべて捨て去って,あるがまま。ひたすら,その「場」の力に身をゆだねる。無心。無我。大いなる他者に身を投げ出すしかないのでは・・・,と考える。そこは,西田幾多郎のいう「純粋経験」であり,「行為的直観」の世界だ。禅でいうところの「無」の境地。

となると,写真を撮る営みとは,まるで修行のようなものだ。その行の深まりとともに,写真という行為もまた深まっていく。つまり,写真という理念と行為が同時に進行していく世界。禅仏教でいえば,「修証一等」(しゅしょういっとう・道元)の世界。無駄に力んだり,大義名分を立てて頑張ったところで,所詮,底は割れている。だから,あるがまま。無理は禁物。

以上が,読後,直後のわたしの感想。
そして,本の中程に挟み込まれている菱田の28枚の写真について論評する資格はわたしにはない。ただ,文字通り,写真のタイトルである「hope/TOHOKU」を写し取っているなぁ,と感心するのみである。ただ,ひたすら,悲惨な写真ばかりを並べるのではなくて,そこはかとなく「hope」が伝わってくる中学生の卒業式の写真を組み込んだところが,嬉しい。人間・菱田が,こういう作品をとおして,みごとに露出している。ハートのある人だなぁ,と感ずる。

「3・11」は,間違いなく「世界史」に記録されるできごととなった。それは,1000年に一度と言われる地震の規模の大きさと,信じられないほどの大きな津波をもたらし,とてつもなく大きな災害をもたらしたのみならず,これに加えて原発事故という10万年単位で対処しなければならない「人災」をともなったからである。

しかし,このテクストには,原発事故の視点は,なぜか,除外されている。まるで忌避しているかのような印象が残る。

あるいは,放射能災害を「写真」でとらえることは不可能だとでも考えているのだろうか。被写体としてとらえどころがない,とでも考えているのだろうか。もし,そう考えているとしたら,それは違うだろう。もちろん,放射性物質による災害を写真にすることの「困難」はよくわかる。しかし,この「困難」と真っ正面から向き合うことによってこそ,写真の新たなる可能性が拓かれてくるのではないか。それこそが「写真」の未来ではないのか。

写真の思想性が問われるとしたら,まさに,放射性物質を「写し撮る」ことこそが21世紀の写真の最大のテーマとなるのではないか。そこを,なにゆえに,忌避したのか,わたしには納得のいかないところだ。

もう,ひとこと,付け加えておけば,地震や津波からの災害復興の足を引っ張っているのは,なにを隠そう原発事故をコントロール(制御)する手立てがまったくみえてこないからだ。だからこそ,東日本大震災と原発事故とはセットで考えなくてはならないのだ。なのに,この著者たちは,原発事故のことにはいっさい触れてはいない。なぜか?

この問いをないがしろにしてはならない,とわたしは真剣に考えている。

このテクストの素晴らしさを,けして貶めるつもりはない。が,わたしのこのような視点を併せ持ちながら,このテクストを鑑賞していただければ,幸いである。

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