2011年1月31日月曜日

西谷修さんのブログを推薦します。

 エジプトの動向が気になっていたら,今日の朝日の夕刊のトップに「米,新政権移行を支持」と大見出しにあり,「ムバラク氏と距離」と小見出し。一瞬,わたしの思考回路はフリーズしてしまいました。
 150人もの犠牲を払った民衆のやむにやまれぬ覚悟の意志表示が,ようやく「国際社会」に認められる方向に一歩を踏み出したという思いと同時に,アメリカという国はなんとまあ「ご都合主義」の,自分勝手な国なんだろうか,と。あれだけ(30年間もの長い間)ムバラク政権を支持し,ムスリムを弾圧することに肩入れしてきたにもかかわらず,形勢不利とみるや,手の平を返す,このやり方。わたしたちはしっかりとこのアメリカン・スタイル(流儀,やり口)を見届けておくことだ。自分たちにとって不利だと判断すれば,いともかんたんにとかげのしっぽ切りを断行する。この計算高さ。でも,子供騙し。
 でも,よくよく考えてみれば,ムバラク追放を要求している民衆のこころの奥底には,アメリカこそ憎き手配師,もういい加減にしてくれ,という強い不満が渦巻いているはずだ。しかし,その感情をいちはやく察知したかのように,「新政権移行を支持」という立場を表明したのは,いかなる計算のもとでのことか。新聞によると,トルコ,イスラエル,サウジアラビア,英国の首脳に,オバマ大統領が直接,電話で「エジプト国民の願望に応じる新政府への秩序ある移行」を伝え,協力を求めた,という。はたして,これらの国がどのような応答をしたのか,しばらくは眼が離せない。もし,このまま,エジプト革命がなし遂げられることになれば,中東世界にくすぶっているイスラム勢力も黙ってはいられなくなる。いな,もう,すでにさまざまな動きが始まっていると聞く。ひょっとすれば,一気に連鎖反応的なドミノ現象が起こる。その可能性はきわめて高い。
 と思っていたら,西谷修さんが,ブログで「混迷のエジプトでアルジャジーラの放送禁止」というタイトルの文章を書いている。このブログを読んで,わたしの頭のなかはかなりすっきりとした。これまで曖昧だった中東問題の根源にあることがらが,手際よくまとめられていたからである。その上で,アルジャジーラの問題である。アルジャジーラの放送をシャットアウトしているエジプト政府(つまり,ムバラク)のやり口は,これまでのアメリカがとってきた路線をそのまま引き継いでいるのだから。それどころか,アメリカは,もっと攻撃的にアルジャジーラがいることを承知の上でその支局を攻撃し,死者まで出している。そのアルジャジーラの放送を禁止したムバラク政権に,アメリカは距離をおくという。この矛盾。
 そして,このスペースにはとても書き切れないが,と断りを入れつつ中東問題の核心部分(アルカーイダが登場することになった歴史的背景など)について,きわめてわかりやすい解説をしてくれている。このブログはお薦めなので,ぜひ,読んでみていただきたい。アドレスは以下のとおり。
 www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/gsl/
  これで駄目だったら,「西谷修」で検索すると,「西谷修-Global Studies Laboratory」という見出しがでてくるので,ここをクリックすれば,そのままブログに入っていくことができる。このブログを読むと,西谷さんは,すでに,20年も前からベンスラマの企画したシンポジウムに参加して,この問題に深く関与していることがわかる。それだけに,いかなるメディアも伝えられないような味わいのある内容のブログとなっている。ぜひ,ご覧ください。
 わたしのような者が,余分なことを言うよりは,西谷さんのブログを読んだ方が間違いがないし,わかりが早い。というわけで,このブログはここまでとする。
 あとは,西谷さんのブログをよく読んで,しっかりと考えてみてください。学ぶことがじつに多い。
 こんどの水曜日の「稽古のあとのハヤシライス」が楽しみ。いったい,西谷さんの口からどんな話が飛び出してくることやら・・・・。ボイス・レコーダーを用意しなくては・・・・。
 

2011年1月30日日曜日

いよいよ世界が動きはじめたか。チュニジアにつづいてエジプトが。

 昨夜というか,今朝というか,眠れなかった日本人は多かったことと思う。そして,歓喜した人が・・・。ドーハの悲劇を記憶している人たちにとっても,この一戦の勝利は重い。日本のサッカーはいよいよ新しい時代に入ったと言ってよいだろう。それほどにこのチームは試合ごとに強くなった。まことに成長いちじるしい。そして,この勝利は大きな自信となって,こんごにつながるだろう。わたしも楽しみにしている。
 しかし,サッカーは勝ったり負けたりの世界。一喜一憂する世界。それだけに,一場の喜怒哀楽にこころを奪われてしまって,もっと大きな事件が起きていることを忘れてはなるまい。とりわけ,メディアが世界の重大ニュースを軽視するのではないかと心配だ。
 そう,チュニジアにはじまるエジプトの動向である。昨日の夕刊あたりでは,エジプトの警察も軍隊もデモ隊に対して手加減しているような情報が流れていたので,ほっと胸をなでおろしていた。そして,いよいよ,ことばの正しい意味での「民主化」(アメリカのいう民主化は眉唾ものであることは衆知のとおり)を達成することができるか,と期待に胸がふくらむ。加えて,今朝のインターネット情報には,フランス・ドイツ・イギリスが共同声明を発表した,とある。しかも,デモ隊の意志表明と行動を正当化し,支持する,という内容だ。これで国際社会の側からのギアが一つ入った。つぎはアメリカの動向だ。アメリカ的「民主化」はムバラク支持でこれまでやってきた。が,こんどというこんどは,そうは単純ではなかろう。しかも,大統領選挙がかかってくる。ここはオバマ君の賢い選択(世界全体のとおい将来を見通した選択)を期待したいところ。
 チュニジアにつづいてエジプトの「自発的」な民主化が成功すれば,中東世界におよぼす影響は計り知れないものがあろう。それこそ連鎖反応的な「雪崩現象」が起こる可能性が大である。だから,これからの動向には,ことのほか注目していきたいと思う。なぜなら,いよいよ世界が動きはじめた,と感ずるからである。世界が動くとは,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の「一神教」三兄弟の勢力地図が変わるということ,とわたしは考えている。キリスト教(次男)とユダヤ教(長男)が手を組んで,イスラム教(三男)をいじめにかかっている,単純に言ってしまえば,これが世界を認識する一つの見方だ。長い間,苦労してきた長男は次男の権力の陰に隠れて,わがまま勝手なふるまいをしながら,次男になにかと指示をだす。悪い奴は三男だ,と。次男は長男の言うとおりに三男いじめに走っている。しかも,それが「正義」だと騙りつつ。しかし,この三男は一筋縄ではない。なにせ,三男を信仰する信者の数は,長男や次男の信者の比ではないからだ。しかも,発展途上国に広がっていて,いずれも貧困にあえいでいる。つまり,いつ爆発してもおかしくない火種を抱え込んでいるのだ。
 その「正義」の一角が音を立てて崩れ落ちようとしている。さて,次男グループのリーダーを任じてはばからないアメリカはどうするのか。同じ次男さんでリーダーを(これまで不承不承)支持してきたフランス,ドイツ,イギリスが,いよいよリーダーにさきがけて造反の意志表明をした。これはただごとでは済まされない。リーダーはいかなる選択をするにしても苦衷の選択とならざるをえない。リーダーはきわめて重大な意志決定を迫られた,と言っても過言ではなかろう。
 この動きを,同じ強権によって国家を支配しているロシアと中国は,よりいっそう緊張感を高めつつ,息をひそめて眺めているだろう。なぜなら,明日はわが身だから。インターネットに素早く反応する国民をかかえる中国は,はたして,この情報をも国家管理してしまうのだろうか。しかし,隠せば隠すほど,その反動は大きい。しかも,隠しきれないのがインターネット情報なのだ。かならず,漏れ伝わっていく。
 いよいよ世界は動きはじめたか・・・とわたしは本気で考えている。
 アジア杯優勝の喜びは喜びとして存分に味わいつつも,一方では,覚めた頭脳をはたらかせてエジプトの今後にも鋭いアンテナを張っていきたい,そして,わが国の政権のゆくえも放ってはおけない,いよいよ,われわれ自身も動きしはじめなくては・・・・と。

2011年1月29日土曜日

大相撲の玉鷲報道を考える。

 昨日(28日)は,共同通信社のK記者から取材を受けて,ついつい長話をしてしまった。テープ・レコーダーにスイッチが入ると,なにかしゃべらなくては・・・と柄にもなくテンションがあがってしまったようだ。それもさることながら,K記者の取材の姿勢がとてもよく,上手に話題を引き出してくれる。だから,自分ひとりではふだん考えたこともないことにまでも新たな展望が開けてきて,不思議な体験をさせてもらった。K記者のお人柄の暖かさと記者としての矜恃のようなものが伝わってきて,いつのまにかわたしにも伝染してきて,必死で応答している自分がいる。だから,わたしの頭のなかはフル回転。とてもいい時間を過ごした。一種の「場」を作り上げる能力のある方だなぁ,といまにして思う。久しぶりに味わう快感である。
 そんな取材中の話のなかで,メディアをとおして流れる情報が人びとの意識に大きな影響を及ぼす時代なので,情報の取り扱いにはよほど注意しないといけませんね,というような話になった。同じひとつのできごとであっても,その見方,受け止め方によって,情報はいかようにも加工・編集できてしまいますからね,という具合に。
 そんな話をした直後だっただけに,今朝のインターネット上を流れていた大相撲の玉鷲報道にはあきれはててしまった。片男波部屋のモンゴル出身力士が,千秋楽の日の夜,酔っぱらって腕に大怪我をし,入院したが27日には退院した,というそれだけの話。もう少し補足しておけば,部屋で打ち上げが終わったあと,親方をはじめ後援会の人たちと街に繰り出した。店に入る通路で,酔っぱらった玉鷲がガラスにもたれかかったときに,そのガラスが割れて,腕の動脈を切る怪我をしたので,すぐに病院に運んだところ入院となり,27日に退院した,という(この書き方も,わたしが,ネット上を流れているいくつかのメディアの報道をチェックして,その記憶で,つまり,わたしが加工し,編集したことだけを取り上げているにすぎない。だから,真実はどうなのかは定かではない。あるいは,真実などというものは報道のしようがないのかも・・・・)。
 それでも,ここまで整理できるまでには相当の時間がかかっている。なぜなら,まず,最初に,びっくりしてこの報道に飛びついたのは,Niftyのホームページにでていた今日のニュースの見出しである。そこには,つぎのような見出しがでていた。
 「”朝青龍病”蔓延,モンゴル出身・玉鷲がガラス割る」(夕刊フジ)
 これをみた瞬間のわたしのこころの中は「ムカッ」といういらだたしさであった。「朝青龍病」だと?
そんな病名がいつから定着したのだ! いったい,どんな症状のことをいうのか? 数日前に,グルジア出身の黒海と臥牙丸が飲み屋で喧嘩して・・・という報道があったばかりなので,「えっ,またか?」と思うであろう読者のことを計算に入れた上での,まさに詐欺まがいのまことに質の悪い報道の仕方である。こういう報道を「メディアの暴力」とわたしは呼ぶ。報道の自由を騙る「暴力」だ。その理由は以下のとおり。
 関連の報道のポイントをいくつか紹介しておくと,以下のとおりである。
 「ガラスを壊した」(日刊スポーツ),「ガラスにひびが入った」(読売),「もたれかかって割れた」(共同通信),という具合である。
 「ガラス割る」と「ガラスを壊した」という表現には,明らかな悪意を感じ取ることができる。報道各社の記事を読み比べてみると(10社ほど確認),「店に入る通路で,酔っぱらった玉鷲が大きなガラスの仕切りにもたれかかったときに,そのガラスが割れた」というあたりが真相らしい。もちろん,これもわたしの推測にすぎない。しかし,「割った」と「割れた」では大違いである。ここには明らかな故意の悪意が感じられる。いや,それどころか,嘘の報道をしている。名誉棄損で訴えられてしかるべき報道だとわたしは思う。
 もちろん,基本的には,酔っぱらった玉鷲が悪い。しかし,そんなに酔っぱらった玉鷲を街中に連れ出した親方(元・玉春日)も悪い。監督不行届である。後援者の責任も重い。それにしても,このとき付き人たちはどうしていたのか。もしかして,玉鷲は,むりやりに連れ出されたのかもしれない。断り切れなくて・・・。もし,そうだとしたら・・・。これは単なる憶測なので,やめておこう。
 さきほど「故意の悪意」と書いたが,その背景にあるのは「ゼノフォビア」(外国人忌避)だ。このことは,すでに,雑誌『世界』(岩波書店)にも書かせてもらったことがある(朝青龍が腰痛を理由に巡業を休んでモンゴルに帰国。その間にサッカーをしていたことがテレビの映像となって流れた。それがマスコミの批判の的となり,朝青龍バッシングの嵐が吹きまくった。そのために,あの朝青龍が「ウツ」になってしまったほどのショックを受けた。なぜ,こういうことになるのか,朝青龍には理解できなかったのだ。その間の経緯を考えた論考。その結論のひとつが「ゼノフォビア」である)。日本人横綱が不在になってすでに久しい。そのことに対する,口ではいえない不満が屈折して,モンゴル出身力士に対する誹謗中傷となって噴出する。しかも,メディアの一部がそれを率先垂範している。つまり,アジテーションだ。そして,このアジテーションをそのまま信じてしまう日本人が少なくない,ということだ。このことがなによりも大問題だ,とわたしは考えている。
 じつは,わたしは共同通信社がどのように報道したのかな,とはらはらしながらページを開いた。そうしたら,きわめて冷静に「もたれかかって割れた」と書いてあって,胸をなでおろした次第。なぜなら,共同通信社は全国の地方紙とネットワークを組んでいるので,その影響力は計り知れないのだ。だから,せめて,共同通信だけは,冷静に,精確な報道をしてもらいたい,と以前から思っている。朝日・読売・毎日・日経,などの報道は,けしからんと思えば講読をやめればいい。そういう人が,わたしの身辺には増えてきている。わたしも大手新聞社の「傲慢」と「無自覚」,そして「不勉強」,「無責任」に業を煮やしているところ。そろそろ決別すべき時期か,と考慮中。その苦衷についてはこのブログでも書いたとおり。
 同時に,ブロバイダーも変えなくては・・・・と検討中。もっとも,こちらはいくらでもセレクトできるので,自分の好きなブロバイダーのHPに入っていけばいいのだが・・・。
 余談だが,最後にひとこと。玉鷲よ,強くなってもどってこい。前頭筆頭で5勝10敗は立派な星だ。あと三つ勝てば勝ち越しになり,三役に昇進だ。そのためには,三役力士から勝ち星を挙げられるようになること。そこを目標に頑張ってほしい。とても素質のある力士だけに,わたしはこころから期待している。あとは得意の型をもつこと。へこたれるなよ,玉鷲!モンゴル魂で一直線に前に出ろ。

2011年1月28日金曜日

「マスク」考現学。

 冬の到来とともにマスクをする人が毎年増えつづけているという。そういわれてみれば,街行く人びとの多くがマスクをしている。電車に乗ってまわりを見回してみてもマスクをしている人は多い。いったい,どういう目的で,マスクをしているのだろうか,と不思議だ。なぜなら,わたしはマスクというものをした記憶がないまま,こんにちに至っているから。
 つい最近の新聞記事に不思議なことが書いてあった。「あなたはなぜマスクをしているのですか」と若い女性に尋ねてみたところ「顔をみられたくないから」と答えたというのである。不思議に思った記者さんは,これをテーマにしてあちこち取材をしてみた。そうしたら,若い女性だけではなく,高校生の男子にもそういう人がいた,という。しかも,その数はけして少なくない,というのである。こうして,ひととおり取材を終えて情報を整理してみると,意外にも「顔を隠すためにマスクをする」という人がマスクをしている人全体の中でもかなりの割合を占めている,というのである。しかも,年齢層にはあまり関係ない,という。
 これはいったいどういうことなのか。わたしにはわけがわからない。もちろん,わたしにも「今日はあまり人には逢いたくないなぁ」という気分の日はある。でも,約束があるかぎりは気を取り直して逢う。でも,逢って話をしているうちに,そんな気分も消えていく。つまり,軽い「ウツ」なのである。その反対に,なんだかしらないがやたらとはしゃぎたくなるときもある。こちらは軽い「ソウ」なのである。こんなことは,たぶん,だれにでもあることだろう。しかし,それが強度を増してくると「ウツ」病になるのであろう。いま,この「ウツ」病が密かに急増している,と聞く。そして,思いがけない悲劇を生むことも少なくないとも聞く。
 街中にでていくのに,顔を隠さねばならない,という心理がわたしには理解できない。ここからさきは,それこそ,香山リカ先生のような専門家のご意見を聞きたいところではある。が,それはともかくとして,「マスクで顔を隠す」ということが,最近の新しい傾向として登場しているとすれば,その原因は奈辺にありや,という疑問がわいてくる。もちろん,その原因は素人が考えてみてもそんなに単純なものではなさそうだ。そこらあたりまではなんとなく推測ができる。いま,仮に,その原因が複合的なものであるとすれば,いったい,どういう要素が複合していくと「顔を隠す」というところにいってしまうのか,わたしはそのあたりのところを知りたい。
 最近のマスクを観察してみると,さまざまなデザインのものが出回っていて,ついこの間までのマスクとはすっかり様変わりしていることに気づく。なるほどなぁ,と感心してしまうほどによくできている。つまり,顔の曲線にぴったり合うように工夫がこらされているのだ。つまり,マスクの横から空気が入りにくくなっている,というわけだ。なぜ,ここまでしなくてはならないのか,これもまたわたしには理解不能である。なぜなら,マスクをしてもインフルエンザのウィールスをシャット・アウトすることにはなんの効果もない,というさる信頼できる筋の医学的な実験結果について詳しく講義を受けたことがあるからだ。しかし,いつのまにやら,マスクをしていれば風邪をうつされない・うつさない,という暗黙の了解(常識?)のようなものが世間に広まっている。
 病院にいくと,お医者さんもマスクをしている人が多い。だから,患者さんたちも,そうか,マスクをすればいいのだ,と勘違いしてしまう。しかし,マスクをする内科の個人病院のお医者さんに話を聞いてみると,診察する際には,患者さんとの顔の距離が極端に近くなることもあるので,こちらの呼気が患者さんの顔にかからないように配慮しているだけだ,とおっしゃる。なるほど,と納得。そういえば,いま通っている歯医者さんもマスクをしている人が多い。口の中を覗き込みながら,細かな作業をしなくてはならないのだから,自分の呼気も,患者さんの呼気も,相当に気にはなるだろうなぁ,とこれも納得。とくに,いま患者になっているわたしの立場からすれば,よくわかる。たとえば,ガリガリと削られているときには,無意識のうちに呼吸を止めてじっと痛みがきたときのために備えている。そして,そのマシンが止まった瞬間に大きく深呼吸をしてしまう。そんなときには,たぶん,歯医者さんの顔にストレートにわたしの呼気はとどいているだろう,と思う。だとすれば,マスクをしたくなる心理もよくわかる。
 それ以上に,世間の衛生観念のようなものが妙な具合に定着している,ということに起因することの方が比重が重そうだ。つまり,お医者さんがマスクをしていると,なんとなく衛生管理がゆきとどいている病院,という妙な観念が一般的にあるように思う。だから,一般の患者さんへの戦略としてお医者さんがマスクをするというのはあるかもしれない。とくに,外科の手術のときには,そこに立ち会う人もふくめて全員がマスクをしている。この方が,なるほど,安心する。
 と,そんなことを思っていたら,なんと,こんどは透明マスクが登場した,と新聞にある。目的は,マスクをしてしまうとその人の感情表現がほとんど伝わらなくなってしまうので,それを除くためだ,という。こうなると,もはや,マスクはファッションの一部だ,ということになりそうだ。これならわたしにもよくわかる。医学的な根拠などはどうでもいい。ちょっとかっこいいからしているだけ,という人の感性の方が安心する。
 透明マスクには,わたしはある種の期待をいだく。なぜなら,顔を隠すためのマスクではなく,顔をみせるためのマスクだから。この方が健全だと思うから。自分の顔をよりよくみせる,という積極性が感じられるから。ちょうど,メガネと同じだ。つまり,メガネのフレームにさまざまな工夫が凝らされ,その中から自分の気に入ったものを選ぶ。そこに,その人の個性が表現されている。似合う・似合わないの議論はともかくとして,その人の個性がそこには表出している。その意味では,黙っていてもコミュニケーションが,すでにひとつ進展している。透明マスクには,そういう可能性を感ずるから,楽しみでもある。ひょっとしたら,さまざまな面白いデザインの透明マスクが登場するのではないか・・・と。そして,みんなが個性を表出して,思いおもいのマスクをすればいい。奇想天外のマスクも登場してくるのではないか,と想像するだけで楽しくなる。
 マスクと風邪との関係などはどちらでもよくなり,透明マスクのアラカルトを比較しながら楽しめる社会が到来することを,いまから楽しみにしたい。いつ,どこで,透明マスクにお目にかかれるか,これも楽しみだ。

人間インフルも「人災」だ・・・・・。困ったことがいま進展しつつある。

 鳥インフルは「人災」だ,と思って書いているうちに,「あっ,人間インフルも同じではないか」と気づき,やはりこれも書いておこうと思います。ただし,人間インフルの方は自由競争という名のもとに安易に人間の欲望を充たしすぎた結果にすぎないのですが・・・。それでも,結論は同じ。人間もまた,鶏と同じように,この半世紀の間に「免疫力」のいちじるしい低下。
 またまた古い話からはじめます。わたしの子どものころ(もう65年も前のこと)は,みんな「鼻ったれ小僧」でした。わたしも立派な「鼻ったれ小僧」でした。冬になれば間違いなく鼻の下に2本の「うどん」が出たり,入ったりしていました。しかし,ときに,間違ったように鼻をたらしていない子がいて,どうしてなのだろう,と子どもごころに思ったものです。まあ,冬になれば教室のほとんどの子が,みんな鼻をたらしていて,ズルズル鼻を吸い上げる音があちこちでしていました。言ってしまえば,冬の間はいつも,みんな慢性の風邪を引いていたのです。
 それでもみんな学校にきていました。風邪で学校を休むなどという子は滅多にいませんでした。クラスに一人だけ,からだの弱い子がいて,この子はちょくちょく熱を発して休むということがありました。この子は,なぜか,鼻をたらしてはいませんでした。が,休み時間も教室の中にいて,外にでてみんなと遊ぶということはしませんでした。用心深く,養生をしていたのだと思います。だから,みんなもこの子には特別な応対をしていました。
 その他の子はみんな鼻をたらしながらも元気いっぱいに外で駆け回っていました。みんな慢性の風邪を引いていましたが,インフルが大流行して欠席が多くなって学級閉鎖になる,というようなことはありませんでした。つまり,鼻をたらす程度の軽い風邪で食い止めていた,それだけの免疫力があったということでしょう。
 当時は,着るものも不十分,家の建て付けが悪いのですきま風が部屋の中を吹き抜けていました。ですから,冬になるとみんな寒さに震えていました。個人の家の暖房設備は火鉢だけ。みんなここに集まって手をかざして暖をとる。それだけでした。学校は,いまでもはっきり覚えていますが,10℃を割ると,教室にあるダルマ・ストーブに火が入ります。ですから,毎日,朝,教室の温度計とにらめっこでした。11℃,などというのはもっとも恨めしい温度でした。もっとも,10℃を割って,ダルマ・ストーブに火を入れて燃やしたからといって教室が温かくなるわけではありません。ストーブのまわりが温かくなるだけです。でも,みんなそこに集まってきて暖をとります。これが,なんと楽しかったことか。そういうときは,ほとんど授業にはなりません。仕方がないので,先生がアドリブでいろいろのお話をしてくれました。これが授業よりも,なによりも楽しみでした。
 あの時代から考えれば,いまは,まるで別世界です。一番大きな差は,アルミサッシの導入でしょうか。外気を完全にシャットアウトして,室内の温度を自由自在にコントロールできるエアコンがセットされています。この状態が,よほどのことがないかぎり当たり前のこととなりました。こういう環境の中で育つ,いまの子どもたちには鼻ったれ小僧はひとりもいません。つまり,慢性の風邪を引いているような子はいないのです。回虫も絶滅し(われわれの子ども時代にはみんて胎内に回虫を飼っていました),鼻ったれ小僧もいなくなり,とても健康な社会が到来したかのようにみえます。が,はたしてそうでしょうか。
 それどころか,インフルの大流行が,毎年,くり返され,それが当たり前の時代になってしまいました。風邪を引けば,医者に行く,注射をしてもらい薬を処方してもらって2,3日休む,ということが日常的になりました。会社でも,学校でも,シーズンの到来とともにだれかが休むと,いつかは自分の番だ,と覚悟するようになっています。これは,考えてみればとても変なことです。おまけに,インフルの予防注射まであって,これに国が補助金を出しています。これも,とても変なことだと,わたしは思っています。
 よくよく考えてみましょう。そこには,自分のからだを自力でコントロールできなくなってしまった人間が急増し,それが圧倒的多数を占めるようになった結果,国家が乗り出してきて応急処置として予防接種を奨励している。しかも,それでよし,としている人がほとんどです。これがこんにちのわたしたちの置かれている情況です。
 鳥インフルに当てはめてみると,風邪を引いたら「殺処分」の対象です。この「殺処分」になった鶏の代償を国が8割負担して養鶏家を助けています。しかし,新聞などの報道によれば,鳥インフルにかかった鶏の肉を食べても,玉子を食べても人間にはなんの影響もない(影響のあった人は世界中に一例もない),といいます。にもかかわらず・・・・。わたしにはわけがわからない。
 もちろん,こういう「殺処分」をすることによって,だれが得をし,だれが損をするのか,ということぐらいはわたしにもわかります。この構造はなにかととてもよく似ています。そう,アメリカの言う「テロとの戦い」です。つまり,「テロリスト」と名づけてしまえば,「殺処分」というわけです(日本のマスコミ報道もみんな「右へならへ」で,アメリカと同じ立場をとっている)。
 このように考えてきますと,人間インフルもまた,鳥インフルと同様に,間違いなく「人災」です。その根源にある原因は免疫力の低下です。そのことの自覚を欠いた人びとが政治の主導権をにぎっているために,その原因を取り除くための処方が無視されています。そして,人間を国家管理のもとで予防接種という名のドーピング漬けにして,ある特定の人びとが得をする仕組みが着々と構築されていくのです。
 いま,必要なのは,根源的な原因を除去することです。なにゆえに,これほどまでにインフルが大流行するのか。繰り返し答えを言っておきます。現代人の免疫力が低下したからです。なにが,現代人の免疫力を低下させる原因になっているのか。それは明々白々です。そこに,なぜ,政治家は手をつけようとはしないのか。自分たちの得にならないから・・・・。情けない。しかし,その元を質せば,このことに気づかない(手を出さない)政治家を,わたしたち選挙民が選んでいるのです。だから,それはわたしたちの責任です。ここから出直すしか方法はありません。
 「テロとの戦い」も同じ。テロということばはできるだけ使いたくありません。これはれっきとした差別用語で,イギリスのBBC放送ですら,テロとか,テロリストということばは使わないそうです。では,日本語ではなんといえばいいのか。「自爆的抵抗」(西谷修)をする人たち。自分のからだにダイナマイトを巻き付けて,死を覚悟して抵抗する人たち。こういう「自爆的抵抗」をする人たちが,どのような理由で登場するようになったのか,そこのところをこそ糾すべきでしょう。そして,その原因を取り除くこと,それこそが「正義」でしょう。抵抗する人間はすべて有無を言わさず「皆殺し」にすることが「正義」とはとても考えられません。しかし,国際社会という先進文明国の多数が「テロとの戦い」を「正当化」し,正義」だと認めてしまっています。この狂った「理性」こそが最大のガン。
 いつのまにか熱くなってしまいました。
 ここに,もうひとつ,スポーツの世界における「ドーピング問題」が加わります。アンチ・ドーピング運動などという「まやかし」がまかり通っています。困ったものです。が,これを語りはじめますと,もう,エンドレスになってしまいますので,残念ながら,ここでは割愛。(その一部は,すでに,このブログでも書いていますので,探してみてください)
 以上,鳥インフル,人間インフル,テロとの戦い,ドーピング問題,これらはすべて同根の「人災」です。どこかで一つだけボタンのかけ違いをしてしまい,それ以後,そのかけ違いに気づかないまま,こんにちにを迎えてしまいました。これを直すには,「かけ違い」をしてしまったボタンのところまでもどって,そこから一つずつボタンをはめていけば,きれいに問題は解消するはずです。また,それしか方法はない,とわたしは考えています。

 あれもこれも欲張ってしまって,全部ここに持ち込んでしまったために,問題があまりに錯綜しているようにみえるかもしれません。が,根っこは一つ,ということを理解していただければ,それで十分です。その拠って来る原因を突き止めて,その原因を取り除くこと,それが先決です。ただ,眼前の表象に踊らされて,応急処置だけでごまかしておいて,ことのすべてを解決したかのように錯覚させようというのは間違いではないか,というのがわたしの主張です。
 人間が人間であるためのもっとも大事な理性がどこかで<横滑り>を起こし,狂気と化してしまった,だから,もう一度,生きものとしての人間のレベルに立ち返って,理性のあり方を問い直すことが必要だ,と『理性の探求』の著者・西谷修さんは主張されています。わたしもまったく同感ですので,この路線でこのブログも考えているつもりです。でも,ことば足らずであったり,牽強付会であったりして,曲解しているところがあったとしたら,お許しください。
 今回は,書いているうちに突然の「萌の襲」が始まってしまい,思いがけない展開になってしまいました。意とするところをご理解いただければ幸いです。
 いささか長くなってしまったことも謝ります。ほんとうは,もっと簡潔に書けるようにならなくてはいけません。まだまだ修行が足りません。反省。
 にもかかわらず,最後まで読んでくださり,ありがとうございました。

 最後にもう一言だけ。いま,とんでもなく恐ろしいことが眼にみえないところで着々と進展している,このことだけは忘れないようにしましょう。そして,できるだけ高いアンテナを張ってそのことの進展を注視するように努力しましょう。これから生まれ出ずる生命のために。
 

2011年1月27日木曜日

鳥インフルは「人災」ではないか。

 鳥インフルが愛知県の豊橋市でも発生したという。豊橋市はわたしの故郷なので,いっそうただごとではない。新聞の記事をひととおり読みながら,あれっ,と気づくことがあった。
 いつのころからであろうか。鶏が一羽ずつ小さなケージに個別に分けられて飼育されるようになったのは・・・・?
 わたしの家でも,栄養補給よりも現金収入に主眼をおいた鶏の飼育をしていた。というよりは,われわれ子供たちの野球の道具(グラブ,ボール,バット,など)を購入するための資金稼ぎのために,自分たちが交代で鶏の世話をしていた。だから,玉子を自分たちで食べるという習慣はなかった。あっても,年に1回か2回(運動会,遠足)というときの貴重な食料だった。わたしたちは交代で,鶏のえさを確保すること(鳥菜という野菜を栽培すること,アサリの貝殻を叩いて粉にすること,米ぬかを確保すること,など)と鶏小屋の掃除をすること(これがなかなかやっかいだった),そして,定期的に玉子買いがやってくるので玉子を持っていって売ること,これらが主な仕事であった。6畳くらいの広さの鶏小屋に,常時,10羽くらいは飼っていたように記憶する。そして,天気がいいと日中は寺の境内に放し飼いにしてあった。夕方近くになると,みんな小屋にもどってくる。ときおり,数が足りないときもあるので,探して,連れてくる。不思議なもので,鶏は鶏小屋の外で玉子を産むことが多かった。しかも,決まったところで産んだ。鶏には,それぞれの個性があって玉子を産む場所も違っていた。お好みの場所があったのである。
 つまり,確認しておきたいことは,わたしたちが子どものころの鶏の飼育の仕方は,鶏小屋があって,そこで集団で生活をし,天気のいい日は屋敷のなかで放し飼いにされていた,という事実である。集団生活だから,ときには諍いが起きて激しく闘争することもあった。いじめられて羽が抜けてしまうのもいた。蛇が玉子をねらって小屋の中に侵入してくると,一斉に鳴き声をあげて,その危険を知らせてくれた。しかし,小屋の外では,それぞれ勝手に行動し,のんびりとあちこち歩きまわりながらエサを探していた。このスタイルは,近所の農家でも同じだった。文字どおり,「庭に住む鳥」「にわ・とり」であった。自分たちのテリトリーを知っているかのように,屋敷の外にでるということはしなかった。
 いつのころからか,農家の中に,鶏を大量に飼育する人がでてきた。こうなると,もはや,放し飼いは不可能となる。温室のような細長い鶏小屋に,所狭しと大量の鶏が飼育されるようになった。わたしが中学生になるころ,つまり,朝鮮戦争が始まる1950年ころ,と記憶する。敗戦後,ほぼ5年が経ったころである。こういう小屋をみると,かならずいじめられる鶏が1羽か2羽はいた。羽が抜かれ,鳥肌がまるみえで,しかも,血を流していることもあった。でも,その他の鶏はみんな仲良く悠然と暮らしているようにみえた。
 それからしばらくして,鶏の飼育方法が飛躍的に変化していった。つぎつぎに新しい飼育方法が導入されて,農家は,そのつどその方法を取り入れた。そして,ついに,1羽ずつケージに分けて飼育するという究極の方法が導入された。初めて,この光景をみたときには驚いた。これで大丈夫なのか,と不審におもったことを記憶している。鶏は正面を向いたまま向きを変えることもできない狭いケージのなかだけが自分のスペースである。ケージの前に小さな窓があり,そこから鶏は頭を出してエサをついばみ,水を呑む。玉子を産むとケージの外に転がってでてくるようになっている。鶏はひたすら,エサの配給を待ち,水を呑み,夜はうずくまって眠る。ただ,これだけのくり返しの日々を送り,玉子を産まなくなると,どこかに引き取られていき,生涯を閉じる。
 運動不足のみならず,鶏同士の交流はなし。その結果は,体力の低下,ストレスの蓄積。最終的には「免疫力」の低下。こういうことが,もう,何世代にもわたってつづけられているのだ。だから,おそらく,わたしたちが子どものころに飼育していた鶏と,いまのケージで飼育されている鶏とは,相当の変化が起きているに違いない。とりわけ,「免疫力」の低下,という点で。
 近年の鳥インフルの大流行は,こうした人間の都合(経済的コストの軽減)に合わせた「合理的」な飼育方法がゆきついた,当然の帰結ではないか,とわたしは素人ながら考えている。だから,これは「人災」なのだ,と。
 カラスが鳥インフルにかかって大量に死んだとは聞いたことがない。スズメが大量に死んだとも聞かない。野生の鳥は,大勢に影響はないのだ。
 みなさんは,どんな風にお考えでしょうか。

2011年1月25日火曜日

大相撲は世界化できるか。否。

 22日の「山焼きの会」(1月奈良例会)での合評会の中で,わたしへの問いに,「大相撲は世界化できるのか」というものがありました。わたしの結論は「否」。なぜか。そのときにお話したその理由について書いておこうと思います。
 まず,「大相撲」と「相撲」ということばの概念をきちんとしておきましょう。「大相撲」とは,こんにちわたしたちがテレビでおなじみの日本相撲協会が組織している興行相撲のことを意味します。それ以外の相撲は大相撲とはいいません。他方,「相撲」は,大相撲も学生相撲もちびっこ相撲もふくめた普通名詞として,一定の形式をもった(主として,ルールと制度が確立している)ものを意味します。その他にも,わたしは「すもう」ということばを用います。つまり,大相撲でもない,相撲でもない,その他の相撲のようなものをひとくくりにして「すもう」と呼びます。
 以上がわたしの相撲を論ずるときの前提です。そして,以下が本論。
 まずは,結論から。「相撲」の世界化は可能。しかし,「大相撲」の世界化は不可能。
 その理由は以下のとおりです。
 「相撲」の世界化はすでに進展していて,「世界相撲選手権大会」も開催されています(1992年以後)。「ヨーロッパ相撲選手権大会」や,国別の選手権大会も,それ以前から開催されています。ルールも日本発のアマチュア相撲のルールに準拠して行われています。ただし,若干の文化変容が起きていることは事実です。たとえば,土俵ではなくマットが主流。ということは,土俵という概念が基本的なところで違います。つまり,体育館の中でも,野外でも,相撲用のマットをセットすればどこでも土俵ができる簡易式の土俵と,土を盛り上げて,その上に砂を撒いた土俵とでは,相撲の基本的な身体技法(たとえば,摺り足)までもが違ってきます。のみならず,大相撲のように土俵祭りをとおして神の降臨を待つというような祭祀儀礼をとおして聖域化される土俵とは,まったく別物と言わざるを得ません。つまり,日本の伝統的なアニミスティックな神信仰(神道)は,きれいに抜け落ちています。ここが,相撲のグローバリゼーション(世界化・国際化)にともなう,もっとも深いところでの変化・変容ということになる,とわたしは考えています。
 で,この土俵に典型的に現れていますように,日本の大相撲を世界化することは不可能,というわけです。土俵の他にも,たとえば「髷」を結うことは力士の必須の条件になっています。また,場所に入るときの服装も,力士の番付上の地位によって決まっています。つまり,和装です。あるいは,行司さんの装束もたいへんです。このように一つひとつ数えていけば,まだまだあります。こうした日本の伝統的な様式美をどのようにして輸出していけばいいのか,と考えたときどうしても大きな壁に突き当たってしまいます。
 というようなわけで,大相撲が日本から外にでていって,そのまま伝統的な様式美を保持したまま世界化することは不可能だ,というのが現段階でのわたしの考えです。がしかし,日本の国内で開催される大相撲を支える力士たちが「国際化」することは可能です。現に,その進展ぶりを,わたしたちは目の当たりにしています。ですから,このことは説明するまでもないと思います。もうすでに,大相撲の番付表のほぼ半分は外国出身の力士です。三役以上の力士でいえば,圧倒的に外国人力士が多数を占めています。一部には,日本の大相撲が外国人力士たちによって乗っ取られてしまうと危惧する人もいます。ですから,日本相撲協会は,一部屋に一人以上の外国出身力士の登録を認めていません。このように,大相撲の力士の数だけで考えれば,もうとっくのむかしに大相撲は国際化している,ということになります。
 また,外国人力士の代表格である横綱白鵬などは,日本人以上に日本人になろうとしています。日本の国籍をとって,日本人の女性と結婚し,日本の相撲の歴史を熱心に勉強しています。とくに,双葉山を理想の力士として尊敬し,その伝記なども読んで,その理想像に近づこうと努力しています。こういう白鵬のように,日本人になるための努力をまじめにしている力士は比較的多いと聞いています。つまり,そこのところをうまく通過しないことには,外国人力士は大相撲の社会では生きてはいけないからです。逆に,日本人力士の方が,日本の伝統社会の礼儀・作法などをないがしろにする挙動が多いとも聞いています。つまり,いまの若者たちは日本人としての躾けとは縁遠い存在だという次第です。ひょっとすると,この部分でも日本人力士と外国人力士との間に逆転現象が起きてくるかもしれません。
 というような次第で,大相撲がそのままの様式美を保持したまま世界に普及していくとは考えられません。が,相撲の方の国際化は可能であろう,と思います。しかし,それでもなお,その相撲はわたしたちが考える阿吽の呼吸を合わせて立ち上がるというものとはほど遠いものになっている,と聞いています。つまり,阿吽の呼吸を理解するのはとても困難なので,「1,2の3」で立つ,というように教えているそうです。もっと言ってしまえば,きわめて機械的な立ち会いになってしまっている,というのです。当然のことながら,相撲道というような考え方はどこかに消え失せてしまい,完全なる「近代スポーツ」に変化・変容した相撲になってしまいます。これは,伝統スポーツが近代化して「近代スポーツ」となるときの,ひとつの必然というべきでしょう。
 この道は柔道や剣道も同じです。
 日本の伝統的な柔道は国際化すると「JUDO」となり,わたしなどが考えるには,もはや,似て非なるもの,まったく別種の近代スポーツが誕生したという印象です。このことは剣道でも同じことが起きています。また,中国の太極拳でも同じことが起きています。つまり,近代化すること,あるいは,国際化することの背景には必ずそういう問題が隠されています。
 ある特定の地域や社会で伝承されてきたバナキュラーな(土着文化的な)スポーツは,近代化と同時に,そのバナキュラー性を放棄することになります。つまり,土着的な宗教性をすっぽりとそぎ落とすことが,普遍性を求める「近代化」の前提条件となるからです。近代スポーツは,すべて,その道を通過することによって成立した近代に固有のスポーツ文化です。ですから,一見したところ,無色透明なものにみえます。
 ですから,大相撲を無色透明なものにしてしまえば,それはもうまったく別のスポーツ文化になってしまう,とわたしは考えています。ですから,相撲はこれからも世界に向けて広く普及していくと考えられますが,それらは日本で培われてきた「相撲」からはどんどん離れていって,それぞれの地域の文化と融合することによって,さまざまに文化変容していくことは間違いありません。
 というような次第で,相撲の国際化は可能,しかし,大相撲の国際化は不可能である,これがわたしの現段階での考えです。
 みなさんのご意見をお聞かせください。

2011年1月24日月曜日

「山焼きの会」からもどりました。

 毎年,恒例の「山焼きの会」からもどりました。その間,ブログをお休みしてしまいました。が,また,復活させたいと思います。まずは,その報告から。
 1月22日(土)の午後6時から花火が上がって,それから若草山に点火されます。それまでの午後の時間は二つの集まりが,ことしは企画されていました。第一部は,奈良教育大学卒業生との懇親の会(12:00~14:00」,第二部は,「ISC・21」1月奈良例会(14:00~18:00)です。
 第一部の企画は,世話をしてくれたT君とわたしとの連絡ミスがあって,わたしは欠席。たいへん申し訳ないことをしてしまいました。お許しください。何人かの卒業生の人が子どもさんも連れてきてくださっていて,折角のチャンスだったのに・・・・と残念な思いをしました。
 第二部は,『現代思想』(青土社)の11月号の特集・大相撲の合評会。こちらは大勢の人が発言してくださり,とても楽しい会となりました。いろいろのご意見をいただきましたが,わたしの印象に強く残ったのは,つぎのようなことでした。
 大相撲は,近代スポーツのゆきづまりを超克する新たなスポーツ文化を切り開く可能性を秘めているのではないか,と3人で語っているが,その具体的なイメージはどのようなものなのか,というものでした。もちろん,このことを語るには,もっとくだけた具体的な内容に踏み込んでいく必要がありました。みなさんが提示してくださった問題には,たとえば,つぎのようなものが記憶に残りました。大相撲がグローバル化するということはどういうことなのか,大相撲は外国出身力士に乗っ取られてしまうという危惧についてはどうなのだろうか,大相撲のもつ様式美とはなにか,それを外国出身力士はどのように伝承していくのか,などなど。そして,それぞれについて,かなり踏み込んだ議論ができたように思います。ありがたいことです。それぞれのテーマについての具体的な議論の内容は,いつか,機会をみて,このブログのなかで取り上げてみたいと思います。
 ことしの山焼きは,いつもと違って,特別の印象が残りました。まずは,花火の量・質ともに上等のものでした。昨年は,奈良遷都1300年の記念行事がいろいろと展開されていましたので,その影響もあるのかなぁ,と思いながら楽しみました。最後に仕掛け花火が終わると,いよいよ,若草山への点火です。ことしは,いつものような懐中電灯をつかった点滅の合図はなく,そこはかとなく点火がなされ,とても静かな燃えはじめ方でした。なにか,別の方法で点火の指示が出されたようです。初めは静かに燃えはじめましたが,次第に火に勢いがでてきて,みていてとても楽しいものでした。とくに,二つめの笠と三つめの笠が勢いよく燃え上がっていく姿が印象的でした。まれにみるとてもいい山焼きだったと思いました。気温も比較的温かく,風もほとんど吹かず,それでいてわずかに山の麓から上に向かって吹いていましたので,山焼きにも,それを眺めるにも,絶好の条件が整っていたと思います。もうすでに10年以上も,この場所(ここは奈良の中でも最高の山焼きを眺める場所)から山焼きを眺めていますが,その経験のなかでも上位にランクされる山焼きでした。
 これが終わると宴会です。まずは,恒例の,昨年,いいことがあった人に向けての「乾杯」です。ことしは特別にたくさんあったように思います。が,それにもまして,来年はもっと多くの「乾杯」ができるように,お互いに頑張りましょう。
 宴会には芸能もあって,昨年につづいて「歌手」が登場しました。竹村君の娘さんの美遊ちゃんです。小学校2年生ですが,とてもとても2年生とは思えない歌唱力があって,ギターで伴奏している父親の方が緊張しているように思いました。が,みんな聞きほれてしまい,拍手喝采が起こるのに間があいたほどでした。わたしは去年も驚きましたが,ことしは,素直に感動しました。こうなると,来年はどうなっているんだろうか・・・と期待がふくらみます。
 というような具合で,楽しい山焼きの会が無事に終了しました。
 以上,ご報告まで。

 

2011年1月20日木曜日

「世外の徒,内面で生きよ」(高橋睦郎)・PART Ⅱ.

 自分で書いたブログに書いた本人が引きづられている。「世外の徒」と「内面で生きよ」という二つのフレーズに分けて,ひたすら考えつづけている。「世外の徒」か・・・・。「内面で生きよ」・・・・か,と。そうしていると,「世外の徒」と「世内の徒」との境界はどこなのか,わからなくなってくる。わたし自身はいったいどっちなのか,という具合に。同時に,「内面で生きよ」ということばの意味もどんどん深いところに降りていく。わたしの思考パターンでいけば,いとも簡単に禅僧の姿が彷彿とするし,その延長線上に,西田幾多郎のような哲学者が浮かびあがってくる。
 さてはて,高橋睦郎さんは,どこまでを射程距離において,この「世外の徒,内面で生きよ」と呼びかけたのであろうか。
 ここは一般論を語るよりは,ひたすら,わたし自身の問題として受け止め,考えてみたい。
 わたしは「世外の徒」なのか,それとも「世内の徒」なのか。本人の自覚としては「世外の徒」のつもりである。しかし,世間一般からいえば(とりわけ,身内の見方によれば),ごくごく平凡な「世内の徒」ということになる。じつは,このギャップの大きさに,わたし自身はしばしばとまどっている。だから,いつも,この落差を埋め合わせるようにして日常生活を営むことになる。結構,苦痛をともなうことがある。だから,ここ鷺沼の事務所に「引き籠もる」ということになる。ここは,まことに居心地がいい。ここで,なにをしているのか。ひたすら「世外の徒」に没頭しているのである。つまり,「内面で生きる」を実践している。
 どんなかたちにしろ,原稿を書き,それが活字となって世間に読まれるものとなることを生業としているかぎり,わたしは「表現者」の一部に属している,とおもう。しかも,できることなら評論家ではなく批評家でありたい,と。となれば,それなりの覚悟を決めて,それなりの努力をしなくてはならない。だから,いつのまにか,ヘーゲルの『精神現象学』を開いたり,バタイユの『宗教の理論』に没頭したり,道元の『正法眼蔵』に跳ね返されたり,西田幾多郎全集とにらめっこをしたり・・・・という具合である。そして,助けを求めるときは西谷修さんや今福龍太さんの著作に手をのばす。そして,そんなことを繰り返しながら,「スポーツとはなにか」と考える。こんなことを四六時中,考えている人間は,どう見たって「世外の徒」でしかありえない。
 だから,高橋睦郎さんのような詩人の文章に触れると,わたしの中で眠っていためくるめくような世界が開かれていく,そういう快感がある。バタイユは『宗教の理論』のなかで,人間がかつて属していた動物性の世界を語ることができるのは,詩人のことばだけだ,と断言している。つまり,動物性の世界は,だれも経験した人はいないし,実証することも不可能な世界だ。だから,哲学をもってしても,厳密にことばで語ることはできない,とバタイユは言う。残された方法は,詩人のことばだけだ,と。そして,その言外には,みずからの著作である『内的体験』でとったアフォリズムの手法がイメージされていることだろう。さらには,バタイユが「ニーチェを生きる」とまで入れ込んだニーチェの代表作である『ツァラトゥストラ』のアフォリズムがあるだろう。こんな形式でしか語れない世界がある。しかも,アフォリズムだからこそ伝わるなにかがある。
 詩の世界は,まさに,そういう世界だとわたしは理解している。だから,同じ詩人の吉増剛造さんの詩も,詩文もそうだ。現実にはありえない非現実を描きながら,現実以上のなにかが伝わってくるものがある。吉増さんの映像もそうだ。多重露出をするから,一見したところ,なにがなんだかわけがわからない。だから,そのうちに,ぼやけた映像をみているこちらの頭が理性を放棄しはじめる。そのころから,少しずつなにかが伝わりはじめる。ふつうでは考えられない世界を切り開く思考は,やはり,ふつうの生活をしていたのでは生まれてはこない。これが「世外の徒」の生きている世界なのであり,「内面で生きる」姿なのだろう。
 芸術や芸能の世界というのは,平凡な日常の世界を突き抜けていった,その境界領域をゆうゆうと凌駕していく,そのさきに広がる世界なのだ。そこに到達するには,なみなみならぬ才能と努力が掛け合わさって,はじめて可能なのだろう。そして,それを支えている力が「内面で生きる」能力なのだろう。「内面で生きる」能力とは,その人の思想・信条(心情)であり,思想・哲学であり,広義の宗教である。そこが「世外の徒」に求められる「生」なのである。これはなかなか容易ではない。とんでもない世界なのだ。そのことを理解してやってほしい,と高橋さんは言外にほのめかす。そのこころが温かい。
 わたしがいま考えている「スポーツとはなにか」という問いに応答するのも同じだ,とわたしは考えている。ヨーロッパ近代の生み出した近代合理主義に塗り固められた合理的な「ことば」だけでは,とてもではないが説明不可能である。スポーツの起源を,人間が,動物性の世界から人間性の世界に「横滑り」するところまで遡って考えようとしているのだから。こんなことをやろうとしている人間は世界中探してもいないかもしれない。いたら,ぜひとも,教えてほしい。すぐに,友だちになれそうな気がする。
 金メダリスト(ボート・エイト)で世界的な哲学者となったハンス・レンク(記号論)ですら,みずからのオリンピック決勝レースでのフロー体験までは認めたけれども,それを手懸かりにして「スポーツとはなにか」を問い直そうとはしていない。かれの主著の一つである『スポーツ哲学』は,もっぱら「スポーツのもつ人間形成的価値」に向けられている。その論法は20世紀までの主流をなすものだ。しかし,21世紀を生きるわたしたちには,もはや,通用しない(これはいささか言い過ぎ。いまもなお,支配権力と結ぶ思考はこれが主流だ。が,それはすでに時代錯誤である,とわたしは考えている)。そこを,いかにして突破していくか,それが,いま,わたしたちが問われている最大の課題だ。そのためには,近代合理主義をいかにして超克していくか,にかかってくる。

 とここまで書いたところで,突然の要件が飛び込んできて,中断。
 で,なんとか終わりにしなくては・・・・。
 高橋睦郎の,新聞に寄せられたこのエッセイは,少なくともこのわたしには,恐るべきパンチ力をともなってストレートに伸びてきて,しかも,みごとに顔面にヒットした。ダウン寸前のフラフラ状態になりながら,だからこそ,自分の限界ぎりぎりの思考を引き出してくれた。予期せざる「贈与」(マルセル・モース)をいただいた。このポトラッチをどのようにしてつぎに引き渡していくか。そのためには,付加価値を乗せなくてはならない。至福のときの到来である。


〔未完〕
 

2011年1月17日月曜日

「世外の徒,内面で生きよ」(高橋睦郎)に寄せて。

 詩人の高橋睦郎さんが,1月14日の朝日新聞に「世外の徒,内面で生きよ」〔海老蔵事件に思うこと〕というエッセイを寄せている。久々に批評性豊かなエッセイに触れることができ,切り抜いて,何回も読み返している。詩人の文章らしく,無駄な文言や文章はひとつもなく,簡潔で,しかも凝縮され,濃密な内容になっているので,わたしのような人間が軽々しく要約するわけにはいかない。が,ここはブログであるということでお許しをいただいて,わたし流の受け止め方をさせていただき,わたし流に解釈させていただく。
 まず,「世外の徒」という表現が意表を衝く。ふつうの国語辞典には載っていない。でも,ふつうの日本人であれば,なにを意味しているかはわかる。なるほど「世外の徒」か,とわたしはしばらく腕組みをして考えた。わたしは,これまで,こういうことばを知らなかったので,歌舞伎役者にしろ,相撲界の力士にしろ,タレントさんにしろ,こういう人たちは「ふつうの人ではない」のだから,という言い方しかできなかった。「世外の徒」。白川静の『字通』で確認したかぎりでは,「せがいのと」と読むらしい。
 で,高橋睦郎さんは,やんわりと「世外の徒」を市民社会の市民道徳で裁くことに疑念をはさみながらも,「内面的に世外の徒として生きるほかはない」という。さらに,このことは歌舞伎界に限らず,芸術や芸能の世界に生きる「表現者」は,「内面的に世外の徒であることの自覚,むしろ自負が必須ではないか」と求めつつ,返す刀で「願わくは社会の側にも,そのことへの一定の理解が望まれる」と切って落す。みごとというほかはない。
 この,ある種の,棲み分けが,21世紀に入ってできなくなってしまっている。つまり,「世外の徒」という認識が欠落してしまって,みんな同じでなくてはいけない,という市民社会意識が蔓延し,それが当たり前の社会になってしまった。これは悪しき平等主義であり,悪しき民主主義ではないか。これでは,芸術も芸能も枯渇してしまう。高橋睦郎さんのいうような,いわゆる「表現者」が,ふつうの市民感覚をもつ「世内の徒」ばかりになってしまったら,人を感動させるような「表現」はもはやできなくなってしまうだろう。
 高橋睦郎さんは,ご自身が「詩人」という「表現者」であることをしっかりと認識していらっしゃる。だから,みずからの肝に「内面的に世外の徒であること」を銘じ,それを「自覚」し,「自負」することを心がけていらっしゃるに違いない。それだけに,海老蔵の事件に対しても,歌舞伎界という世界がどういう世界であるかを熱っぽく語ったうえで,海老蔵へのきびしい注文をつけつつ(世外の徒としての自覚・自負をもてと),社会に向けても一定の理解を求める姿勢を示す。
 この高橋さんの「芸」こそが,つまり,わたしのような「世内の徒」である読者をも感動させる「芸」こそが,「世外の徒」であることを自覚し,自負する詩人のなせる技なのである。詩人もまた,わたしのことばでいえば「ふつうの人ではない」のである。だからこそ,存在理由があるのだ。
 海老蔵よ,「内面で生きよ」,と高橋さんは呼びかけつつ,読者にはまた違うさまざまなメッセージを発信していることに気づくとき,ますます,詩人の冴え渡る「芸」をみるのである。たとえば,わたしは「世外の徒」という条件つきであるとはいえ,「内面で生きよ」という呼びかけに慄然としてしまうのである。なぜなら,「内面で生きよ」という呼びかけはなにも「世外の徒」だけに向けられたものではないと感じるからである。「内面で生きよ」とは,なにを隠そう,現代社会に生きるすべての人間に対して放たれた高橋流の「毒矢」ではないか,と。
 ここからは,わたしの勝手なアナロジーだと思って読んでいただきたい。
 人間が生きるとはどういうことなのか,と詩人・高橋睦郎は,読者に向かって問いかけている。そして,それは「内面で生きる」ということにほかならないのだよ,とみずから応じている。現代社会に生きるわたしたちのほとんどが,「人間が生きる」ということにあまりに無自覚ではないか,とも問いかけてくる。つまり,「内面で生きる」ということをすっかり忘れてしまっているのではないか,と。そういう人間が圧倒的多数を占める社会だからこそ,「海老蔵事件」が成立してしまうのだ,と。
 もっと言ってしまえば,「海老蔵事件」は,「内面で生きる」ことを忘れてしまったわれわれ「世内の徒」が,でっちあげたものにすぎない,と。そこには,これを「事件」として書き立てるジャーナリズムがあり(ジャーナリストもまた「表現者」であるにもかかわらず「内面で生きる」ことを忘れてしまった「世内の徒」に堕している),それに異常な関心を示す読者がいて(「内面で生きる」ことなどほとんど考えたこともない「世内の徒」が圧倒的多数),それをまた物知り顔に煽り立てる評論家なるものが存在する(この人たちこそ「内面で生きる」「世外の徒」としての自覚・自負が必要であるにもかかわらず,そんなことはとんと忘れてしまって,まるで他山の火事であるかのごとく評論(コメント)するだけ)。この三位一体が,「海老蔵事件」を成立させてしまった真犯人なのだ。つまり,われわれ自身が,みんなで寄ってたかって,「海老蔵事件」を捏造してしまったのだ。
 そこに欠落しているのは,「内面で生きる」ことを自覚し,自負する,「批評精神」であり,真の「批評家」である。すなわち,ことばの正しい意味での「世外の徒」の欠落なのである。詩人・高橋睦郎はそこにターゲットを絞り込んでいるということが,この短いエッセイを何回も何回も読み返すうちに透けてみえてくるのである。ことここにいたってわたしの全身に鳥肌が立つ。
 詩人・高橋睦郎は,海老蔵を「写し鏡」にして,まずは,「世外の徒」よ,「内面で生きよ」と呼びかける。そうしないと,芸術も芸能も枯渇してしまうぞ,と。そして,その返す刀で,一般社会人にも一定の理解ができる程度には「内面で生きよ」と切り返す。そうしないと,芸術も芸能も枯渇してしまうぞ,と。これこそが,真の「批評家」の身振りであるぞ,と。
 以上が,わたしのアナロジーである。これは,単なるわたしの妄想にすぎないのだろうか。みなさんのお考えをお聞かせいただきたい。

〔未完〕

2011年1月16日日曜日

『嗜み』9号の見本誌がとどきました。

 『嗜み』9号(文藝春秋)の見本誌がとどきました。今回は「食こそ人生」という特集になっています。この雑誌にしばらく前から原稿の依頼がくるようになり,毎回,なにかを書かせてもらっています。もちろん,わたしの担当は特集(今回は「食」)とはなんの関係もありません。この雑誌の最後のところに「TASHINAMI  INFORMATION/Cross Cultural Review」というコーナーがあって,そこのコラムを担当しています。このコーナーでは,BOOK, ART, MOVIE, MUSIC, DVD/Blue-ray. という5つのジャンルの情報を8人ほどの評者が分担して執筆しています。
 この5つのジャンルは,お前とはなんの関係もないではないか,と言われてしまえばそれまでの話です。でも,わたしの出番もないわけではないのです。このコーナーはアルシーヴ社の佐藤真さんが担当しておられ,この辣腕の編集者が,わたしにもひとこと言えそうな題材を選んで割り振ってくれます。しかも,なんの拘束もなく,まったく自由に,思うままに書いていい,という依頼です。まことにありがたいことではあります。が,わたしはこれまでこのようなジャンルの批評ということはしたことがありません。ですから,いまも,ずいぶんととまどっています。でも,何回も回を重ねていくうちに,なんとなくこんな感じかな,というわたしなりのスタンスのようなものが少しずつ掴めてきたように思います。でも,まだまだこれからですが・・・・。
 このコラムを担当する人たちは,たとえば,今回の9号で登場する人たちでいいますと,以下のとおりです。
 管啓次郎(翻訳家),大竹昭子(作家),渡邉裕之(都市文化批評家),大城譲司(ライター),五十嵐太郎(建築評論家),小沼純一(音楽・文芸評論家),香山リカ(精神科医),といった人びとです。わたしから言わせれば,とんでもない執筆陣の顔ぶれです。そこにわたしのようなものが加えてもらっていいのだろうか,と戸惑うばかりです。ですから,どれほど,わたしが緊張しながらこの仕事にたずさわっているかは想像していただけるものと思います。
 しかも,このコラムの仕掛けの面白いところは,一つの作品(単行本にしろ,映画にしろ,展覧会にしろ)を二人のジャンルの違う評者がそれぞれの立場から論ずるという点にあります(Cross Cultural Review)。ですから,わたしのようなものの書くものと,上に記した人たちの書かれるものとが「対比」されるような形式で掲載されるわけです。もう,すでに香山リカさんとは2度も同じコラムを担当させていただきました。そのつど,冷や汗たらたらです。でも,わたしとしては,あの香山さんが,同じ作品を,こんな風にご覧になられたのだ,ということがとてもよく伝わってきて,なるほどなぁ,といい勉強をさせていただいています。
 最初,この企画がスタートしたときのわたしの肩書は「ISC・21」主幹研究員,というものでした。他の人たちの肩書とくらべてみたら,これではなにをしている人間かわからないなぁ,ということに気づきました。そこで,いまでは「スポーツ史家」という肩書にしました。そうしたら,やはり,書きやすくなってきました。つまり,なんの断りもなしに,ストレートに自分の土俵に持ち込んで批評をすればいい,ということがわかってきたからです。そうしますと,やはり,他のどなたともバッティングしない,ということもはっきりしてきました。と同時に,「スポーツ史家」のまなざしなどというものは,これまでどなたも考えたこともない,まったく新しい,あるいは,意表をつくものになる可能性がある,ということにも気づいてきました。
 ここまできて,ようやく,あの辣腕の編集者・佐藤真さんが,わたしを起用した理由がわかってきました。でも,そうなるとそれはそれで,こんどは責任重大ということになってきます。つまり,「スポーツ史家」のまなざしが,現代社会や人間や世界を,どのように批評することができるのか,が問われることになるからです。この点で,今福龍太さんの主張される「批評」と「評論」の違いに気づかせていただいたこと(『近代スポーツのミッションは終わったか──身体・メディア・世界』,西谷・今福・稲垣共著,平凡社,2009)が,とても役立っています。しかも,この本のなかで,西谷さんも,今福さんも,ともに,スポーツはもはや世界や人間やメディアを考える上では不可欠の文化であるし,それらを写し取るための絶好の写し鏡でもある,とおっしゃっています。ですから,このお二人に背中を押されるようにして,わたしはいまこの仕事に,じつは,本気で勝負しているつもりです。
 なぜなら,「スポーツ史家」のまなざしが,これまでの批評の世界には欠落していた,ということに多くの人たちが気づいてくれたら,そのときこそわたしが長年にわたってやってきた仕事が報われるときだ,と考えているからです。いま,取り組んでいます「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)の最大の課題は,これだ,と言っても過言ではありません。ですから,ますます,この『嗜み』での仕事は緊張度を増しつつある,というのが本音でもあります。

 というわけで,今回の9号では,P.120とP.121に,わたしの担当部分が掲載されています。ので,ぜひとも,書店で本を手にとり開いてみてください。すでに,このブログでも書いたように記憶しているのですが,一つは,映画『アンチクライスト』,もう一つも映画『死なない子供,荒川修作』です。幸いなことに,どちらも,わたしのこころの琴線に激しく触れるものがありましたので,全身をわなわなと震わせながら,気持ちをこめて書きました。ぜひ,ご一読を。ちなみに,1月25日発行です。書店には,それ以後に並ぶはずです。
 どうぞ,よろしくお願いいたします。

2011年1月15日土曜日

本日より「ヨソノ・カエル」と改名します。よろしく。

 テッカン,テッカン,たいへんなことになってしまったよ,とアキコが叫ぶ。いったい,どうしたんだい,朝から,とテッカン。あの孫が,とうとうねガエッタのか,ひっくりカエッタのか,よくわからないけれど,カエル君になってしまったのよ。これじゃ,わたしたちが丹精こめてつくった文化学院も行く末どうなるかわからないよ,とアキコ。キミシニタモウコトナカレという歌を忘れてしまったのかしら・・・。
 (注:そうです。忘れてしまったのです。アキコさんの長男は歌人としての道を選びましたが,次男,つまり,カエル君の父君は,外交官として海外で活躍しました。ですから,カエル君も海外生活が長く,典型的なバイリンガルとして育ちました。ですから,言ってしまえば日本人としてのアイデンティティがいささか不安定であることはたしかです。つまり,軸がぶれるのです。政治家としての才能も豊かなのに,肝腎要の軸がぶれるのです。今回もその典型的な動き方をしたのでは・・・と思っています。ちなみに,カエル君はあの評価の高い文化学院の理事長のはず。)
 こうして,とうとう「ヨ〇ノ・カ〇ル」君はこの世を去り,ごく短時間の輪廻転生を経て「ヨソノ・カエル」君としてこの世に生まれ変わってきました。みごとな「生まれ変わり」です。しかも,いきなりダイジンとなって。あろうことか,あのカンチガイ君に誘われて・・・。
 苦労して立ち上げた「タチガレ党」だったか,「タソガレ党」だったかあまり記憶がないけれど,そちらはいったいどうなってしまうの。カンチガイ君とその党を,あれほどまでに鋭く批判し,このままでは日本の経済は沈没してしまう,という本まで書いたのに・・・。もう,これ以上,カンチガイ君に国をまかせておくわけにはいかない,ときびしく迫っていたのに・・・・。それを,なんと一夜にして「ひっくりカエッタ」り,「ねガエッタ」りするのか,その理由がよくわかりましぇ~ん。あんなに意気込んでつくった党なのに,あっさり見捨ててしまっていいの。そんなにまでしてカンチガイ君に義理をはたすなにかがあったわけ・・・・・・?
 あっ,そうか,夜中に囲碁をやったね。あの囲碁友達の「コザワ」君と。アマチュア7段という政界きっての実力者同士の,勝ったり負けたりのあの囲碁友達の「コザワ」君と。あっ,ひょっとしたら賭けでもしたんじゃないの。「タソガレ党」と縁を切るか切らないか,と。あるいは,実弾まで積んで賭け碁に及んだのではないの。その負けた金額がとんでもない額になってしまって・・・・。そして,とうとう,どうにもならなくなって,あとは,やけのやんぱち「ねガエル」か「ひっくりカエル」になるしかなかったのではないの。それなら,とてもよくわかるよ~ん。
 それにしても,突然,ヨソの党から「ねガエッテ」やってきた「ヨソノ・カエル」君をいきなり「ダイジン」にすることはないじゃ~ん。「ミンス」党にはそれほどまでに人材が居ないということなの。いやいや,いるじゃないですか。かつて輝いていた人たちが・・・いっぱい。佃煮にしても余るほど・・・・。若手だっているじゃないですか。そういう人たちになぜチャンスを与えてあげないの。こんなことをしていたんじゃあ,「ミンス」党の若手は黙ってはいないよ。
 いよいよ「ミンス」党崩壊劇のはじまり,はじまり・・・・という紙芝居。
 それにしても,ほんとに,あのカンチガイ君の考えること,やること,わたしにはまったくわけがわからない・・・・。故江田三郎の愛弟子だとおっしゃるが,ほんまかいな,といまになって思う。そんな関係があってかなかってか,「サツキ」君までを強引に「ホウム」大臣に押しつけたりして・・・・。ほんまに,わたしにゃ,「わっかりましぇ~ん!」

 さて,このつづきの話は,読者のみなさんで「創作」してみてください。そして,コメントにして投じてみてください。このあとの「モノガタリ」(この場合の「カタリ」とは「語り」「嚕り」「騙り」のいずれでも可)をみんなで創作してみませんか。そして,大いにみんなで楽しみたいと思います。それが,せめてもの,われわれ庶民にできる葬送儀礼というものではありませぬか。「ヨソノ・カエル」君と「カンチガイ」君の合葬祭として。そうです。儀礼は大事なのです。そうしないと,カンチガイ君もヨソノ・カエル君も心安らかにあの世に旅立つことはできましぇぬ。なんなら,モーツァルトの「レクイエム」を葬送行進曲にして。
 たくさんの方の「モノガタリ」をお待ちしています。inamasa君からのこころからのお願いです。
 よろしく。4649。

2011年1月14日金曜日

奈良の山焼きの日にお里帰りをします。

 1月22日(土)は奈良の山焼きの日です。数年前から,山焼きの日が1月の第4土曜日に行われるようになりました。それまでは,成人の日の前の土曜日だったように記憶します。が,この山焼きの日に,わたしはお里帰りをすることになっています。
 ことしで,計算間違いをしていなければ,13回目のお里帰りです。
 これにはちょっとしたわけがあります。わたしが,奈良教育大学で17年間,教鞭をとり,そこを辞して東京にでることになったとき,在学生や卒業生から「おれ達を見捨てるのか」と詰め寄られ,「いやいや,そんなつもりは毛頭ない」とは言ったものの,打つ手はなにもありませんでした。「せめて,年に1回は奈良に帰ってきてほしい」と言われ,即座に,「ならば,山焼きの日に毎年帰ってくる」と声高らかに宣言してしまった,というわけです。でも,これはいまから考えると「正解」だっとおもっています。なぜなら,だれにも連絡する必要はありません。そして,宿泊は,大学の教職員会館が利用できることを知っていましたから,「毎年,山焼きの日の午後にはここに集まろう。そして,ここでわたしは1年間の経過報告をします。そして,みんなからも1年間の報告をきいて,そして,山焼きをみて,そのあとはこの会館で懇親会をやろう」と,このとき瞬時にして骨格は決まりました。あとは,だれかが世話人となって,この教職員会館を借りる手続をすればいいだけとなりました。幸いにも,奈良教育大学の先生たちも協力してくれ,毎年,欠かすことなく,この会はつづいています。
 わたしにとっては,奈良は第二の故郷です。出身地の豊橋ですら,住んでいたのは14年間。東京が18年間(この間に,7回引っ越しをしています)。あと,愛知,大阪と移住しますが,ここはいずれも2年間だけ。そして,いま住んでいる川崎が14年めに入ります。というわけで,やはり第一の故郷は豊橋,そして,第二の故郷は奈良,東京はなぜか故郷という感覚はありません。いま住んでいる川崎も長くなってきましたが,ここも故郷という感覚はありません。ですから,わたしにとっての故郷は,豊橋と奈良しかありません。そういう意味でも,奈良は第二の故郷なのです。地に足のついた生活をしたのは,この二カ所しかなかったということのようです。
 ですから,わたしにとっての奈良は特別です。ですから,毎年の山焼きの日は,正月早々の最大の楽しみでもあるわけです。その日がことしは22日(土)。第14回目のお里帰りという次第です。午後2時から集まって,いまでは,研究会をやって,山焼きをみて,それから宴会です。
 ことしの研究会のプログラムは(詳しくはHPの掲示板をみてください),『現代思想』11月号の特集・大相撲の合評です。この中の,「大相撲のゆくえ──近代スポーツを超えて」という鼎談(西谷修,今福龍太の両氏にわたし)と,「7月の身体」(井上邦子)が取り上げられることになっています。大相撲を「思想」の視点からみると,どういう世界がみえてくるのか,そこが議論のポイントになろうかとおもいます。それぞれにコメンテーターが割り当てられて,問題提起をしてくれることになっています。いまからとても楽しみ。

 この関連で,もう一つの話題。折角,『現代思想』の合評をしていただけるのならというわけで,わたしたちの鼎談の録音テープを聞いてもらおう,と考えました。というのも,実際に雑誌に載録されたのは,鼎談の後半の部分であって,前半は,編集の都合でカットされてしまいました。じつは,この前半の部分で,このわたくしめが珍しく饒舌にしゃべっていて,なかなかいいことを言っている,と自負している次第です(自分で褒めないとだれも褒めてくれませんので)。で,そこの部分も,ぜひ,こんどの合評会では聞いていただこうと考えました。
 そこで,『現代思想』の編集担当者の押川さんにお願いをして,その音源を「宅ふぁいる便」で送ってもらいました(容量が大きいので,特別の方法で送ってくれた,というわけです)。で,まずは,パソコンのハードにダウン・ロードしたまではよかったのですが,そのあとがいけませんでした。容量が大きくて,メールの添付では送信できない,ということをすっかり忘れていました。1月奈良例会の世話人をしてくれている竹村君に,これを添付ファイルにして送信しようとしたわけです。ずいぶん時間がかかるなぁとおもいながら,待つこと数分。そうして表示されたものが「容量が大きいので,分割して添付してください」というものでした。「あっ,そうか」と気づいて,じゃあ,USBにコピーして竹村君のところに郵送すればいい,と考えました。ところが,パソコンのハートにダウンロードしておいたはずの音源が見当たりません。それから探すこと数時間。とうとう,どこにも見当たりません。どこに行ってしまったのでしょう,あの音源は。
 で,今朝,もう一度,パソコンを操作して探してみましたが,どうしても見つかりません。仕方がないので,またまた,担当の押川さんにお願いをして「宅ふぁいる便」で再送してもらいました。こんどこそ,失敗は許されません。まずは,パソコンのハードに落して,それから予備にとUSB,2本にコピーをとり,さらに,竹村君宛てに転送しました。もう,これで大丈夫でしょう。
 西谷さんや,今福さんが,どんな風にして大相撲を語られているのか,そこにイナッチ君がどのように絡むのか,どうぞお楽しみに。
 なお,この会は,ある意味で公開されています。詳しくは,HPの掲示板をご覧の上,世話人の竹村君に連絡をしてみてください。「ISC・21」1月奈良例会と「イナッチ会」(奈良教育大学卒業生の会)との合同の集まりです。夜の宴会も時間制限なしの(徹夜も可),楽しいひとときとなります。用事のある人から順次,帰宅。宿泊する人は,眠くなった人から眠る,というシステムです。まったくの自由です。
 朝まで引っ張っていく主犯は,じつは,このわたし。あのおっさんには困ったものだ,とは影の声。でも,ことしは早めに眠るつもりですので,ご安心のほどを。
 では,22日(土)午後2時,奈良教育大学の教職員会館でお会いしましょう。

2011年1月13日木曜日

政権交代の意味を忘れてしまったカンチガイ君。

 だれがいったいこんにちの民主党を想像することができたことでしょう。恥ずかしながら,わたしも一票を投じた人間のひとりとして,告白せざるをえません。まさか,こんな政党だったとは・・・・。
 わたしが投じた一票は,まさに,政権交代のためでした。そして,ハトヤマ君はみごとにその理念を実行に移そうと努力しました。いいぞ,と思った矢先に「カネ」の問題がからみ,坊ちゃん総裁はコザワ君と刺し違えて,一緒に身を引いてしまいました。政界も引退すると宣言して・・・・。しかし,どっこい生きている。生きているどころか,夢よもう一度,とチャンスを狙いはじめている。カンチガイ君が政権交代したことをすっかり忘れてしまって,もっぱら党内の権力闘争に情熱を燃やしているからだ。そして,センゴクジダイ君の首をはねて,内閣改造だという。ここは,ハトヤマ君と同じように,センゴクジダイ君と刺し違えて,カンチガイ君も身を引けばよかったのだ。それが日本のためだ。国民にとっては,党内の権力闘争などはどうでもいいことだ。この日本をどうしてくれるのか。ただ,それだけだ。カンチガイ政権が長くつづけばつつぐほどに,日本は国際社会からどんどん置いてけぼりをくうことになろう。日本列島沈没論の登場である。
 カンチガイ君は,いまだに,なにもしていない。なにもしていないどころか,20年前,いや,30年前の日本にもどしつつある。ハトヤマ君が,「最低でも県外移設」という理想を語ったのに,とんでもない「日米合意」をとりつけてしまい,それを堅守するという。沖縄県民の意志がはっきり「ノー」と言っているにもかかわらず・・・・。そして,なおも沖縄県民の説得をつづける,とアメリカにごまをすっている。そうではないだろう。住民の意志を尊重したい,と民主主義の国アメリカに申し入れをすることが政府のとるべき方法だろう。ものごとは,そこからだろう。だが,その手も打たずに,自分で身を引いてしまう。外交の「ガ」の字もない。こんなことをしてまで,アメリカに追従しなくてはいけないのだろうか。まさに「自発的隷従」のお手本。情けない。
 どうやら,わたしのような人間にもうっすらとみえてきたことは,日本の民主党による政権交代にもっとも危機感をいだいたのはアメリカだったようだ。そして,ハトヤマ君がかかげた理想論にも,アメリカは腰を抜かすほど驚いたらしい。そして,これはまずい,ということでアメリカの「なにか」が動きはじめたらしい。その「なにか」は相当に恐ろしい圧力を民主党政権にかけてきたらしく,ハトヤマ君の引退劇を生み,カンチガイ君の「自発的隷従」を導きだすことに成功した,ということのようだ。でなければ,こんなことはありえない。サルでもわかる。新聞をとおして透けてみえてくるのは,その「なにか」のひとつであるアメリカの「ジャパン・ハンドラー」なる集団の存在である。この「ジャパン・ハンドラー」なる集団がいかなるものなのかという精確なことはわたしにはわからない。しかし,「ジャパン」という国を自由自在に操ることのできる集団らしいことはたしかだ。最近のカンチガイ君の言動のちぐはぐさ加減の源泉はどうもこのあたりにあるらしい。カンチガイ君の一言一句にまで注文をつけているらしい。いまや,操り人形と化してしまったカンチガイ君。日毎に面相が悪くなってきている。ひところの晴れやかな笑顔が激減してしまった。
 のみならず,庶民派の政治家としてのイメージはじつは虚像にすぎず,カンチガイ君は単なる「庶民」だったのではないか,とすら思えてしまう。はっきり言ってしまえば,俗物だった,ということ。つまり,政治家としての理念がどこにも見出せないのである。『あなたが首相になってなにができるというの』という名著(迷著?)があるが,そのとおりになってしまった。さすがに長年連れ添ってきた人の眼はたしかだった。
 今日の新聞などによれば,民主党は,政権交代したときの選挙公約の「見直し」をする,というのだ。それは違うだろう。世の中では,そういうのは「サギ」と申します。サギをするくらいなら,国会を解散して選挙のやり直しをすべきでしょうが。それが選挙民に対するマナーというものでしょうが。こんなことをやっているからこそ,ますます,選挙の勝ち目はなくなってしまうんですよ。もう,残っている手段は,奇想天外な,マジック・ショウしかないでしょう。それは最悪の選択肢です。どうか,それだけはやめていただきたい。
 それよりも,政権交代をめざした選挙公約を守り,それを実現することはできませんでした,ですから,もう一度,きちんと守ることのできる,実現することのできる選挙公約をかかげて選挙のやり直しをします,お許しください,と土下座をすべきでしょう。カンチガイ君,その位のことをしてみてはどうですか。テレビに出演して,小手先の演技でなんとかごまかそうとしたって,国民はそんなに甘くはありません。ますます,ボロがでてくるだけのこと。現に,そういう反応がでています。
 もう,いっそのことコザワ君と一緒に「身を引きましょう」と言って(ハトヤマ君のように),あとのことは民主党の若手に道を譲ったらどうですか。ゼロからの出直し,それしか,もはや残る手段はありません。そうすれば,若手が気持ちよく再スタートを切ることができます。そうして,ガチンコ勝負に徹するときでしょうが。
 政権交代どころか,自民党よりももっとひどいアメリカへの「すり寄り」をはじめてしまったいまとなっては,もはや,つける薬もありませぬ。自然死を待つほどの時間的余裕はありませぬ。潔く自死を選んでください。いまや,それだけが国民のためになる,唯一の選択肢です。そして,新しい展望をもつ政権党をめざすしかありませぬ。
 党内の権力闘争など,素知らぬ顔をして,まったく次元の異なる理想をかかげて,国民に夢を与えるような政治家が登場することを,ひとり静かに祈るのみである。かといって,コイズミ・ズンイツロウ君のような人がでてくるのも困りものではありまするが・・・・。
 今夜はここまで。
 南無阿弥陀仏。南無妙法蓮華経。アーメン。ソーメン。冷やソーメン。

2011年1月12日水曜日

ようやく年賀状の返信を書きはじめ,気づいたこと。

 ようやく大きな山をひとつ越えることができましたので,遅きに失してはいますが年賀状の返信に手をつけるところまできました。ことしも大勢の方から賀状をいただき,感謝しています。
 その賀状のほとんどには添え書きがしてあって,もっとも多い添え書きは「お元気ですか」というものでした。最初のうちは,こんなことしか書くことがないのか,と悪態をつきながらも,結構楽しみつつ賀状を一枚ずつめくっていました。が,あるところで,はっと気づきました。「お元気ですか」と書いてくれている人たちは,みんなわたしの年齢を知っている人たちばかりだ,ということに。で,病気などしていなければいいが・・・という心温かい気配り・心遣いのもとにこの文言が書かれている,ということに。
 そうなんです。わたしは,いつも,自分の年齢のことはすっかり忘れて生活をしています。ですから,文末に「おからだお大事に」などと書かれると,「お前こそ大事にしろ」などと吠えていたりします。しかし,よくよく考えてみれば,ことしの3月にはもう73歳になる人間なのだ,ということに気づきます。そうなると,そうか「おからだお大事に」というのは,ほんとうにこころからわたしのことを心配してくれていることばであるということに気づくわけです。なんとも,うすのろなわたしであることか,と自分であきれています。まあ,それほどに自分の年齢のことはすっかり忘れて生活しているということでもあるのですが・・・・。
 と同時に思い出すことは,このように書いてくれている賀状は,ほとんどがわたしの教え子たちである,ということです。しかし,わたしの記憶のなかでは,その教え子たちは,みんな学生時代のまま,いっこうに歳をとっていません。ですから,「お元気ですか」「おからだお大事に」などと書かれると,「なにを生意気に」などと意気込んでしまいます。お前さんなんかに言われたくはない,などと。でも,よくよく考えてみると,その「元学生」さんたちも,もう,みんな40代の後半にさしかかっているということに気づき,愕然としてしまいます。そうなんだ,もう,日本の社会を背負って立つ中堅どころから管理者になりつつある人たちなんだ,ということに気づき,ちょっとした「眩暈現象」を起こしたりしています。でも,そういう人たちが,わたしの健康状態を心配してくれている,ということがわかったところで,立場は一気に逆転してしまい,急にわたしの眼が「汗をかき」はじめます。ありがたいことです。ほんとうに,ありがたいことです。ただ,ただ,感謝,あるのみ。それほどまでに,浅はかな反応しかしていなかった自分が恥ずかしくなってしまいます。
 「お元気ですか」「おからだお大事に」と書いてくださった,みなさま,どうかお許しください。これからは決してそのような不遜な気持ちをもつことのないよう,こころから誓いますので。そういう気持ちをもっていてくださる人たちこそ,わたしのことをほんとうに心配していてくださるこころやさしき人たちなのだ,とこの歳になってようやく理解できました。恥ずかしながら・・・・。穴があったら入りたい(入れたい,と言った友人もいましたが・・・)。
 こういうやさしい気持ちを伝えてくださったみなさまには,「ブログを開いてみてください」と添え書きをして賀状を出しました。その理由は,わたしのブログを読めば,元気であるかどうかはすぐにわかる,というまだまだ不遜な気持ちで書いていました。が,いまはまったく違います。すっかり改心(回心,戒心)していますので・・・・。どうぞ,お許しください。
 わたしの賀状を受けとった人たちは,みなさん間違いなくこのブログを読んでくださっているはず・・・・と信じています。そして,わたしがこんな気持ちでいることが,ひとりでも多くの人たちに伝わることを祈っています。
 というようなわけで,賀状の返信を書きながら,はっ,と気づいたことを正直に書かせていただきました。こんごとも,どうぞよろしくお願いいたします。

 ことのついでと言ってはなんですが,このブログを読んで,面白かったときには下の欄外にある「おもしろかった」枠をクリックしてください。その数が増えると,わたしはますます元気になります。
そして,ますます面白いブログを書くと思います。
 そして,できることなら,「コメント」を寄せていただけるともっと元気がでてきます。そうすることによって,もっともっと,みなさんと「つながる」ことができます。いまの世の中,この「つながる」ことが著しく変化しはじめていて,その確かな手応えのようなものが希薄になってしまいました。これではいけない,というのがわたしの反省点のひとつです。ですから,年に一度のご挨拶だけではなく,このブログをとおして,折にふれ,わたしを励ましてくださると,とてもありがたいと思います。もちろん,コメントしてくださったときには,できるだけ応答したいと考えています。
 また,コメントまではいかなくとも,こっそり,わたしにメールを書いて感想や近況などお聞かせくださると,これもまたわたしを元気づけてくれます。

 どうか,ことしの一年がお互いにますますいい年になりますよう,お祈りしたいと思います。
 みなさんにとって,どうぞ,ことしが,これまでとは違う新たな展開を生み出す年になりますよう祈ります。では,お元気で。 


 

2011年1月11日火曜日

ほっと一息,やはり山田詠美ちゃん。

 正月元旦から気持ちを切り替えてとりくんでいた『IPHIGENEIA』第2号の最終段階の編集作業がようやく終わりました。今回の第2号はいろいろの意味で難航しました。このことは完成したときの合評会の折にでも報告したいと考え,いまはなにも言わないことにしておきましょう。いまは,なんとかやり切れたという思いで,ほっとしています。
 第2号の目玉はなんといっても,西谷修さんの『理性の探求』(岩波書店,2009)と今福龍太さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス』(月曜社,2008)の合評会でしょう。とてもいい内容に仕上がっていますので,ご期待ください。が,これをまとめるのは大変でした。合評会は大勢の人が発言しています。ですから,その大勢の人が自分の発言について,ゲラの段階でかなりの直しの手を加えたりしています。その結果,微妙に発言に食い違いがでてきたりしてしまいます。場合によっては,全文カット,などということも起きました。そうすると,このズレ(のようなところ)を,最終的には強権を発動させて,辻褄合わせをしなければなりません。この作業がたいへんでした。が,それもなんとかクリアして,ゴールに到達しました。これでやれやれです。あとで,不満がでてくるかも知れませんが,そのときは,ひたすら謝るのみです。
 「目次」をつくり,合評会の最初のページの構成を考え,小見出しをつけ(これがとても大変な作業で,かなりの集中と時間を必要としました),執筆者一覧を完成させ,さいごに「編集後記」を書き上げました。元旦から毎日,鷺沼の事務所に通って,一日もやすまず取り組みました。年賀状もほったらかしにしたままです。賀状をくださったみなさんにはほんとうに申し訳ないことをしています。どうぞ,お許しのほどを。これからとりかかります。いただいた賀状には必ず応答するつもりです。が,まずは,ほんとうに,ほっと一息。
 そこで,いつものように自分へのご褒美。ちょっとばかり気分転換に小説を読むこと。と思って,まだ,読んでない小説の山に目をやると,一冊だけ書店がかけてくれたカバーのついたままの文庫本が目に入りました。手をのばすと,それがまたみごとに詠美ちゃんの本。わたしの大好きな作家のひとりです。タイトルは『風味絶佳』(文春文庫)。まずは,書店がかぶせてくれたカバーをはずして,表紙カバーから楽しみます。むかしのキャラメルが剥いたまま数個ころがっていて,そのバックは黄色。これはどうみても,わたしたちの子ども時代にもっとも憧れたM製菓のキャラメルを想起させます。懐かしい感情が一気によみがえってきます。この装丁をしたのはだれかと思って確認してみると,野中深雪さん。「風味絶佳」という文字と「山田詠美」という文字が同じ大きさで,大きく縦に並んでいます。その文字の色が,キャラメルの色と同じ。いいですねぇ。おみごと,と声をかけて,こんどは,ひっくり返して,表紙カバーの裏側をみます。そこには,谷崎賞受賞。解説・高橋源一郎,とあります。ますますいいですねぇ。
 表紙カバーの折り込まれた内側に著者紹介が載っています。もう,百も承知ですが,ファンというものは手にとるたびにそこを読むのです。ふむふむ,とうなづきながら。まるで,知り尽くした古典落語を聞きながら,そろそろ落ちがくるぞと胸をときめかしているのと同じです。85年,黒人の男との愛と破局を描いた『ベッドタイムアイズ』(文藝賞受賞)で衝撃的デビュー。ここを読みながら,ただちに,この小説を読んだときの衝撃を思い出し,からだがその時代にタイム・スリップしていきます。これがまたたまらない快感なのです。若返りのひとつの秘法です。87年,『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で第97回直木賞。うん,そうそう,そうだった。でも,あのころのわたしはまだ初(ウブ)で「ソウル・ミュージック」もわかる,「ラバーズ」もわかる,だが「オンリー」って何だ,と真剣に考えたものでした。人に聞くのも恥ずかしいし・・・などと悩んだりもしました。よかったなぁ,あのころは,なんにも知らなくて・・・。89年,『風葬の教室』で平林たい子賞。うん,これは学校の先生は必読の小説だ,と言って教員になった教え子たちに押しつけたものでした。91年,『トラッシュ』で女流文学賞。この小説はわたしにはとても大きな衝撃があって,しばらくは茫然自失でした。なぜなら,同性愛者の関係というものが男女の関係よりもはるかに純粋で,お互いに全身全霊をこめて愛し合っていなければ成立しない世界である,ということを知ったからです。つまり,馴れ合いはありえない,と。つねに,新鮮な二人であるためには,どういう生き方をしなければならないのか,という重い課題を提示されたからです。男女の関係は甘い,と。96年,『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞。この作品の中にでてくるつぎの文章は,いまでも忘れることはできません。「動物の目でみてごらん。世の中,まるで違ってみえてくるよ」というこの一文,眼からウロコでした。もちろん,夏目漱石の『我が輩は猫である』の視線ではあるのですが,この『アニマル・ロジック』はそんな単純な話ではありません。遺伝子の話であり,血液の話です。まるで,バタイユのいう「内在性」の世界に近いものを感じます。まさに,泉鏡花文学賞だなぁ,という世界の話です。強烈な印象がいまも残っています。2001年,『A2Z』で読売文学賞。この小説を読んで「上手い」とほんとうに思いました。あの島田君(詠美ちゃんはそう呼んでいる)ですら,ちょっと参りました,というのではないかとおもうほどです。(いつだったか,詠美ちゃんは文学雑誌に「島田君,どうしたの?最近,ちょっと変だよ」というタイトルで,エッセイを寄せたことがあります。お二人はとても仲良しなのです。島田雅彦さんの父上さん=わたしの友人も,そう言ってました)。05年,『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞。
 なんとまあ,7つもの文学賞を独り占めにしているではありませんか。しかも,それぞれの賞は,それぞれ固有の文学の世界を構築している作品に対して授与される賞ばかりです。山田詠美という作家がいかに多くの顔をもつ作家であるか,ということの証です。しばらく前のブログで,山田詠美の小説について奥泉光が「批評性」に焦点を当てて解説していることを書きました。「批評」ということについては,他のところでも論じていますので(わたくしめが・スポーツ文化論という立場での重要性について),ぜひ,参照してみてください。それほどに「批評性」は重要である,ということだけここではもう一度,指摘しておきたいと思います。
 さて,『風味絶佳』には六つの短編が収められています。カバーのキャッチ・コピーによりますと「恋愛小説の名手がデビュー20年目におくる風味絶佳な文章を,1粒ずつじっくり味わってください」とあります。で,さっそく,最初の1粒に手をのばしてみました。短編小説のタイトルは「間食」,なんのことだろうと小首をかしげながら読みはじめました。わずか50ページ足らずの短編です。参りました。ただ,ただ,参りました。それだけです。で,この1粒を味わってしまったら,二つ目に手を出す気にはなれません。それほどに,1粒の味が深いのです。人間を観察する目,社会をみる目,人間の感情の襞や人情の機微を描きだす文章力,ここに「批評性」が盛り込まれているのですから,もう,参りましたのひとこと。
 という次第で,これから一日一編ずつ,熟読玩味したいと思っています。
 詠美ちゃんはいいねぇ。お薦めです。ぜひ,ご一読を。

2011年1月10日月曜日

ソウル放送局とはテレビ局のことでした。

 〔昨日のつづき〕電話で取材申し込みがあったときに確認したことは,「ソウル放送局」と「武道について」だけでした。ですから,わたしは放送局が取材にくるのだから,取材記者がひとりでやってきて,録音するなり,メモをとって終わり,と軽い気持ちでいました。
 約束の時間よりは相当に遅れて(電話で連絡がありました)到着。ドアを開けてみたら,二人で現れました。一人はスーツ姿の中年の紳士,もう一人はダウンのジャケットを羽織った大柄な若者で,大きなテレビ・カメラを担いでいるではありませんか。おやおやと思いながら,ご挨拶。スーツの紳士は李さんという名前,ダウンの若者は金さん。さっそく,金さんはダウンを脱いで三脚を立てて大きなテレビ・カメラをセット。この金さんの大胸筋がただものではありません。なにかスポーツをやっていたんですか,と問うとバレー・ボールをやっていた,とのこと。それにしては,その体格は柔道かシルムの選手ですよ,とわたし。学生時代はもっと細身でした,と金さん。これで少し緊張が解けて,さっそく簡単な打ち合わせに入りました。
 まずは,玄関のドアを開けるところからはじめて,ご挨拶を撮り,事務所と仕事部屋を撮りたい,とおっしゃる。そして,机に坐って仕事をしているところ・・・・,本を読んだり,原稿を書いていたり,パソコンを操作したり・・・と注文はいくつもつづきます。おまけに,本棚も撮りたい,能面も撮りたい,という調子です。ちょうど,いま,ある原稿を書こうとしていて,そのために必要な本があちこち山積みです。これはあまりにひどい状態なので,片づけるからと言ったら,この状態が最高です,という。困りました。が,仕方ないかと諦めることにしました。
 それよりもなによりも,ラジオだと思っていましたから,いつもの普段着のまま。作務衣のできそこなったようなものを着ていて,これでは日本人を誤解されてしまうからと話したのですが,それも「この方が雰囲気があっていい」とまたまた断られてしまいました。もっとひどいのは,わたしの髭。この髭は去年からカットもしないで伸び放題のまま。頭もぼさぼさのまま。ちょっとだけ待ってください,髭をカットして,頭にヘア・リキッドをつけてくるから,という申し出も,「いや,武道を語ってもらうには,このままの方がいい」と言って聞いてくれません。
 そうか,この人たちは,わたしの姿をみて「これは絵になる,いい画像になる」と考えたに違いありません。完全にわたしはひとつの「商品」として扱われている,と気づいたときはすでに手遅れでした。こうなったら,もう,相手の路線に乗っていくしか方法はありません。言われるままに(演出の打ち合わせどおりに),手順を踏んで撮影がはじまりました。かれらの思惑どおりに進んでいることは,かれらの嬉しそうな顔をみていて,途中から気づいていました。そうです。わたしが居直って一生懸命に合わせているのですから。
 さて,肝腎のインタビューの方も,きちんとシナリオ書きがあって,それをカメラマン兼ディレクターと取材記者とで何回も確認しながら進んでいきました。質問は多岐にわたり,これをどうやって編集するのかなぁ,と思いながらまじめに応答しました。質問の主なものをあげておきますと以下のとおりです(記憶に残っている範囲でのことですが)。
 この研究所はいつ開設したのですか。その目的はなんですか。
 武道の歴史について話してください。武道の起源はなんですか。(この応答だけは慎重にしなくてはと考えました。そこで,「武」「武芸」「武術」「武道」の概念の違いを説明し,それから,こんにちで言うところの武道の歴史について概略を話しました。)
 戦後,アメリカのGHQが武道を禁止しましたが,このことをどのように考えますか。
 いまの日本人は武士道についてどのように考えていますか。武士道とはなにですか。
 刀の製造法の歴史について話してください。
 武士が名刀を持つということについてはどのように考えていますか。
 空手の歴史について話をしてください。
 大山倍達についてはどのようにお考えですか。かれが日本の武道に与えた影響はどんなものですか。
 日本でいま一番盛んな武道はなにですか。柔道ですか,剣道ですか,空手ですか。(この問いに対して,わたしは連盟に加盟している人数と,愛好者を合わせると太極拳が一番多いと聞いています。概数ですが,100万人はゆうに越えるだろうと言われています。と応えると,これには驚いた様子でした。)
 最後に,忍者のことについて話してください。(ここは,わたしのもっとも得意とするところですので,熱弁を振るいました。そして,ここは使ってくださいね,とお願いもしておきました。たぶん,大丈夫でしょう。とても関心をもってくれたようですから。なぜなら,忍者は生き延びるためのプロである,ということを強調したからです。まずは,一般にはあまり知られていない忍者と禅仏教との関係をはじめ,天文学,地理学,薬草学,医術,といったありとあらゆる知識を身につけたとき,はじめて名のある忍者となることができるのです,ということから語りはじめ,そのための忍者に固有の修行法にいたるまで,かなり細かな説明をしました。途中で何回も「ほんとうですか」と問い直されたほどです。
 というような具合で,ほぼ2時間,おしゃべりをしました。それが15分に編集されるそうです。さて,どんな映像になるのでしょうか。できあがりを楽しみにしたいと思います。放映日は1月23日,ソウル・テレビからだそうです。あとで,収録したDVDを送ってくれるとのこと。2月の東京月例会の折にでもみていただきましょうか。
 取り急ぎ,以上が昨日のソウル・テレビ収録のご報告です。

 

2011年1月9日日曜日

朴(パク)ちゃんの紹介で,ソウル放送局の取材を受ける。

 珍しいこともあるものです。ソウル放送局から,取材の申し入れが数日前にありました。そして,今日の午後5時に鷺沼の事務所でその取材を受けることになりました。間に入ったのはパク・ジョンジュン君。そう,あの「朴ちゃん」です。もう,ずいぶん長い間,音信不通になっていましたので,どうしているのかとおもっていたら,いまは韓国にいる,というこれは留守電に入っていたかれのことばです。まあ,人間関係というものは,いつ,どこで,なにがあるかわからないものです。
 取材のテーマは「武道について」でした。ちょっと意外でしたが,朴ちゃんが間に入ったということであれば,なんとなく納得。朴ちゃんとは,日体大大学院の修士課程のとき,わたしの指導を受けた院生のことです。そのご,国士館大学大学院の博士課程に進みましたが,博士論文がなかなか書けなくて苦労している,というところまでは知っていました。が,そのごのことは情報がありませんでした。国士館大学での指導教員はT先生。この間のスポーツ史学会でお会いしたので,朴ちゃんのその後のことを聞いてみました。ちょっと困った顔をされて,「あの子ねぇ,最後の詰めが甘いんですよね。あと一踏ん張り,頑張ってくれるといいのですが・・・」と口をにごされました。このコメント,わたしには手にとるようにわかります。朴ちゃんは天才肌なので,自分でわかればそれで満足,それを人に伝えることはまことに下手。文章を書くと三段跳びで話が飛んでいってしまいます。これでは意味が通じないよ,と言えば,これ以上の説明は必要ない,と自信満々。長嶋茂雄のパッティング・コーチと同じです。「ボールがきたら,いいかい,バシッと打て。バシッとだよ」,これで長嶋君はバッティングの極意を説明したつもりなのである。
 朴ちゃんは,韓国では有名な柔道家です。中学生で全国チャンピオンになり,以後,各年齢別の柔道の大会のトップを走りつづけ,やがて,韓国ナショナルチーム入りをはたします。そして,世界各国での大会で大活躍をします。ですから,韓国の人はほとんどの人がかれの名前を知っています。わたしが韓国に講演を頼まれてでかけたときに,38度線から北朝鮮の景色をみたいと言って朴ちゃんに案内してもらったことがあります。そのときに,バス停などで立っていると,かならずこどもたちが寄ってきて話しかけてきました。一緒にいる親たちも,やはり,有名人をみる目つきをしていました。「なにを話しているの」と聞くと,「柔道が強くなるにはどうしたらいいか」と聞かれている,と。「なんと応えているの」「親孝行をしなさい」「それが答えなんだ」「韓国ではこれを言わないとスポーツマンとして失格です」「ああ,そうなんだ」というような会話をしたことを思い出します。
 朴ちゃんは,人なつっこくて,やさしいのでみんなに好かれていました(ここは過去形)。友達もたくさんいました(日本でも)。韓国の女優さんたちもほとんどみんな友達だと言っていました。日本でも,なぜか,有名人と友達になっていました。だから,わたしたちは「朴ちゃん」という愛称で親しみをこめて呼んでいました。しかし,短所もありました。ある一線を越えると,がんこでわがまま。自己中心主義者。これが見えはじめると,少しずつ,友達が身を引いていきました。それまでは,みんな仲良し,すぐに友達になってしまいました。その意味でも天才的でした。
 そのごの朴ちゃんがどのように成長したかをわたしは知りません。たぶん,いろいろの苦労を重ねて,年齢相応に成長しているのだろうなぁ,と想像しているだけです。そして,かれの得意の柔道をとおして,日本と韓国の架け橋となり,重要な役割をはたしているのだろうなぁ,と想像しています。なぜなら,わたしのところの院生であったときから,韓国の柔道関係者は,日本にくると,いつも朴ちゃんを通訳として頼っていましたから。こういう仕事をしているときの朴ちゃんは目が輝いていました。社交的で,すぐに人のこころをとらえるのが上手で,行動が早い。これはかれの天性でもありました。
 というわけで,そんな朴ちゃんの計らいで,ソウル放送局の取材が成立したというわけです。
 朴ちゃんを紹介する話が予想外に長くなってしまいましたので,取材の話は明日にまわすことにしましょう。
 乞う,ご期待! ということで。

2011年1月8日土曜日

『現代思想』11月号の「大相撲」特集を合評してくれる,というお話。

 1月22日(土)は奈良の山焼きの日です。恒例によって,奈良教育大学卒業生の会である「山焼きの会」と「ISC・21」1月奈良例会が合同で研究会を開催します,という案内が世話人の竹村君からとどきました。午後6時には,若草山の山焼きがはじまりますので,それまでの時間(午後2時~午後5時30分)を研究会にします,とのこと。夜は,会場となる教職員会館で「inacchi先生を囲む会」(奈良教育大学時代には,inacchi先生と呼ばれていた)が持たれることになっています。そして,時間の許す人は,そのまま会館でごろ寝をして一夜を過ごします。
 その研究会で,『現代思想』(青土社)11月号で「大相撲」の特集が組まれたので,それの合評をしてくれる,とのことです。このブログでも取り上げましたので,ご存じの人が多いと思いますが,この特集で「大相撲のゆくえ」と題して,今福龍太・西谷修の両氏とわたしとで「討論」をさせていただきました。同じ号に,井上邦子さんが「7月の身体」という論考を寄せています。そこで,この二つを俎上に乗せて,みんなで合評をしようというわけです。正月早々の企画であり,とてもありがたいことだと感謝しています。
 ということで,この『現代思想』11号がらみの情報を少々。
 この特集を組んだ,そのタイミングがよかったのか,『週刊読書人』の「論潮」がすぐに取り上げてくれました。ありがたいことです。しかも,同じ号に,今福さんが編集しているサウダージ・ブックスの「叢書 群島詩人の十字路」『マイケル・ハートネット+川満信一詩選』が,仲里効さんによって書評されていました。これらの記事を読んで,ついつい嬉しくなって,今福さんにこのことをメールで連絡しました。
 今福さんは,ちょうどそのとき,「群島シンポジウム」があって台北に行っていてもどってきたばかりでした,というメールとともに「知らなかった。すぐに手に入れて読みました。よかった。ありがたいことです」と素直に喜びの返信。仲里さんの書評も核心をつくもので,こんなありがたいことはない,とも。一般的に著者というものは「孤独」です。なぜなら,一生懸命に仕事をしていても,おもったほどには反響がありません。だから,ちょっとでも反響があると素直に嬉しいものです。わたしだけかと思っていたら,あの今福さんとて例外ではなかった,ということを知り,なんだか嬉しくなってしまいました。
 そのメールのなかに,つぎの一文があったことも書いておきたいとおもいます。「井上論文,秀逸。とても心地よく読ませてもらいました。これからを楽しみにしています」と。もちろん,このことはすぐに井上さんにメールで連絡しました。井上さんは,逆に「緊張してしまいます」と返信をくれました。いいですねぇ。こういう感覚が大事だとしみじみおもいます。浮かれてしまったら,それで終わりです。でも,ちょっぴり羨ましい。わたしも,だれかに褒めてもらいたい。年齢に関係なく,いくつになっても褒められるということは嬉しいものです。

 というようなわけで,こんどの山焼きの日は楽しみです。
 いっそのこと,西谷さんや今福さんにも声をかけてみようかと思っているほどです。もちろん,多忙をきわめるお二人ですので,無理なのはわかっていますが・・・・。断わられても,声だけは掛けておく,というのがこれまでのわたしの流儀でしたので・・・・。でも,かなりの確率で,OKであったことも事実です。「奈良の山焼きを,奈良で一番いいポイントから眺めることができます」という誘い文句で・・・などと,いま思案中。ひょっとして,息抜きにきてくれるといいなぁ,と半分以上は本気。もし,お二人が来られるなどということになったら,みなさん,どうしますか。えらいこっちゃ,です。
 とまあ,そんな初夢のようなことを夢想しながら,ことしの山焼きが近づいてきます。この10年以上,いや,まもなく15年になりますが,毎年,わたしはこの山焼きの日に奈良に「帰る」ことを卒業生たちと約束をし,実行してきました。最初は「山焼き講演」と称して,わたしがひとりで3時間,4時間とおしゃべりしてきました。が,さすがにもう体力的に無理だ,と世話人さんが判断されたようで,このような企画となったようです。嬉しくもあり,ちょっぴり残念でもあり,悲喜こもごもというところ。もちろん,ことしのこの企画に異論があろうはずもありません。時機をえた,とてもいい企画だと思っています。むしろ,感謝しているほどです。
 大相撲問題を考えることは,まさに,現代の日本の縮図を見るおもいがします。このことは,『現代思想』のときにも話したことですが,大相撲問題は,典型的な日本社会の諸矛盾がみごとに集約されていて,それがいま大相撲の「国際化」(モンゴル人力士による乗っ取られ)という古き日本人の危機感を煽ることになり,はからずもその恥部が露呈してきたにすぎない,とわたしは考えています。こういうことが,どこまで掘り下げて議論してもらえるか,じつは,とても楽しみにしているわけです。
 それと,もう一点。『現代思想』11月号に掲載された,わたしたちの「討議」は,じつは後半部分でした。その前半部分は全部カットされてしまいました。とても残念。で,『現代思想』の編集担当者にお願いをして,あのときの録音をCDにして送ってもらいました。できれば,この録音版をみなさんに聞いていただいて,それから議論をしてもらおうかな,といま考えています。お正月ですので,できるだけ楽しい企画にした方がいい,との判断です。
 なお,井上論文は,とてもよくできています。昨日のブログではありませんが,朝日の野村周平さんに,ぜひ,井上論文を読んでから記事を書いてほしかった,としみじみおもいます。なお,野村周平さんは,慶応のラグビー部出身の記者で,ラグビーの記事に関してはなかなか面白い記事を書いていらっしゃいますが,でも,わたしからすれば,やはり「評論」でしかありません。ラグビーの世界の内側からしかものごとがみえていません。当然といえば当然ですが・・・・。でも,新聞記者になった段階で,<外>からの視座を身につけるべく努力すべきです。そのことがわかっていません。これは,朝日新聞運動部の考え方の問題でもありましょう。
 とまたまた,野村さんの話になってしまいました。
 この辺りで,今日のブログはおしまい。
 大相撲を考えることは,日本を考えることだ,と言っておきましょう。けして他山の火事ではありません。われわれ日本人の問題です。それほどの大問題なのです。いつか,この問題を一つひとつ分解して,論じてみたいと思っています。元大関琴光喜のとった行動は,平均的日本人とほとんど変わりません。あの立場に立たされたら,みんな同じような行動をした,とわたしは考えています。この辺りで,ストップ。このさきはエンドレス。では,いずれ,また。

2011年1月7日金曜日

モンゴル出身力士はなぜ強いのか,をめぐる記事について。

 朝日新聞の悪口ばかり書いていたら,そんなに朝日が嫌いなら講読を止めればいい,と言われてしまいました。どうもわたしの真意が伝わっていないなぁ,とおもいましたので,少しだけいいわけをさせていただきます。人の悪口には二通りあるとわたしは考えています。一つは,本当に憎しみをもっていう悪口,もう一つは,なんとかよくなって欲しいという愛情のこもった悪口。わたしの悪口は,後者の方です。かつて素晴らしい記事を掲載していた朝日全盛時代のイメージがわたしの頭のなかから消えないからです。だから,夢よもう一度,というわたしなりの密かな願いがあることだけは忘れないでいてください。その上での悪口を,今日も書きます。
 1月4日から,「野村周平が担当します」というモンゴルの相撲に関するコラム記事が3回,連載されました。この実名記事の方針にわたしは大賛成です。こんごも,この姿勢を貫いてほしいとおもいます。で,折角,実名で記事を書くチャンスをもらったのですから,野村さん,なぜ,もう少し勉強しなかったのでしょうか。上・中・下の3回の記事を読んで,まず,おもったことはただ人の話を聞いてまとめただけ,という薄っぺらさです。これなら,ちょっとした中学生でもまとめられます。朝日新聞の取材力からすれば,この程度の取材で満足していては駄目でしょう。モンゴル相撲に関してはすでに多くの読者がかなりの情報をわがものとしています。ひょっとしたら,野村さん,貴方が一番素人だったのかもしれませんね。だから,取材を重ねるうちに,これは面白いと貴方自身が感動してしまい,貴方にとっての感動だけをまとめた,という印象になってしまいました。だから,わたしにはまことにつまらない記事になってしまいました。なぜなら,モンゴル出身力士がなぜ強いのか,というご自身の問いの答えがほとんどどこにも見当たらないからです。あるとすれば,270万人の人口のうち3万人もの人がナーダムをめざす力士である,という事実を指摘なさっているだけです。では,なぜ,3万人もの人がナーダム祭の頂点をめざして力士になるのか,その歴史的・文化的・民族的バックグラウンドについては,ほとんどなにも語ってくれていません。
 そこのところを取材と文献の裏づけで固めてほしかったのです。たとえば,記事の中の一番最後に小長谷先生のお話がでてきます。それもわずかに4行足らずです。野村さん,小長谷先生のご著書を一冊くらいはお読みになったのでしょうか。あるいは,野村さん,モンゴルについてどのくらいの予備知識をもって,この記事を書かれたのでしょうか。あるいは,モンゴル相撲というものがどういうものなのか,本を読んだりして本気でお考えになったことがあるでしょうか。そして,ナーダム祭というものがモンゴルの人びとにとって,どういう意味をもった祭りであるのか,お考えになったことがあるのでしょうか。あるいはまた,モンゴル相撲の力士と馬の関係についてお考えになったことがあるでしょうか。つまり,モンゴル相撲を支えている文化的・歴史的・社会的・民族的意味についての知識をいくらかでもお持ちでしたら,このような薄っぺらな記事にはならなかったのではないか,とわたしは考えるのです。
 ついでに言わせていただけるなら,昨年の『現代思想』11月号で「大相撲」を特集したことはご存じですよね。その中に,「7月の身体」という井上邦子さんの手になる秀逸な論考が掲載されていたこともご存じですよね。その同じ号に,今福龍太・西谷修の両氏とわたしとの「討議・大相撲のゆくえ」が掲載されていることも。もっと言わせていただけるなら,『世界』の4月号には,今福龍太さんとわたしとの対談で,モンゴル相撲に触れていることもご存じですよね(2009年4月,朝青龍はなぜ追放されたか)。こういう例をあげていくときりがありませんので,このあたりで止めにしておきますが・・・・。
 それともう一つの重要なポイントは,日本の大相撲というものがどういうものなのか,ということに関する基本的な知識です。たとえば,大相撲が国技であると信じて疑わないメディアがほとんどです。ひょっとしたら,野村さん,貴方も日本の大相撲は国技である,と信じていらっしゃるのではないでしょうか。もし,そうだとしたら,そもそも出発点からして大問題です。たとえば,新田一郎さん(東大教授で相撲部の監督,しかも,いまも学生さんたちと同じ土俵に立つ,という現役の力士さんでもある)の『相撲の歴史』(講談社学術文庫)を読むだけではっきりわかりますように,相撲が国技である,という根拠はどこにもありません。なんとなく,だれいうともなく言われはじめただけの話(あえていえば,国技館が建設されてからの話)です。
 さて,あまり長くこんな話を書いても仕方がありません。
 わたしがなにを言いたかったのかを最後に書いておきたいとおもいます。
 結論からいえば,批評性が欠落している,ということです。もと力士の相撲評論家が大相撲を語ったり,もとプロ野球選手の野球評論家がプロ野球を語ったりするのと,新聞記者である野村さんが
相撲や野球を語るのとは違わなければなりません。なにが違わなくてはならないのか。相撲評論家は評論しかできません。野球評論家も評論しかできません。どちらも内輪の人ですから。逆に,新聞記者には「評論」はできません。では,なにができるのか。「批評」ができるのです。第三者の立場に立って,豊富な取材情報と豊かな教養に支えられた,しかも,なんらかの思想・哲学を信念としてもつ「批評」ができるのです。それが新聞記者の役割だとわたしはおもっています。そこから生まれる記事をわたしたち読者は期待しているのです。
 かつて,野村さんの大先輩にあたる中条一雄さんというスポーツ担当記者がいらっしゃいました。この人は,「たかがスポーツ,されどスポーツ」という名言を吐いています(著書にもなっています)。この人がいたころの朝日のスポーツ記事はとても面白かった。なぜなら,野球評論家や相撲評論家ではとても語れない,はっきりとした主張が新聞記者の手によって書かれていましたから。主張があるということは,その人なりの思想・哲学をもっているということです。そういう記事が,どんどん減ってしまいました。まるで,そういう記事を書いてはいけないかのように・・・・。そして,いまではみる影もないほどみじめな記事ばかりになってしまいました。
 が,ようやく朝日新聞も昨年の暮れから,大幅に署名記事を増やしました。このことを,わたしはこころから歓迎しています。やはり,記者の方たちの力のそそぎ方,情熱の傾け方が一気に変化した,ということが手にとるようにわかります。とてもいい傾向だとおもっています。だからなおのこと,署名のない記事は,わたしに言わせれば,なんと無責任な記事が多いことか,ということになります。みんな,だれかがこう言った,というところに逃避して,責任をとろうとしません。これでは中学生新聞の手法と同じです。当事者から与えられた情報をそのまま流すだけが新聞というメディアの務めなのでしょうか。そうではないでしょう。
 かつての筑紫哲也さんや,途中から作家になられた辺見庸さんなどが,署名で書かれた記事などは,そこはかとない迫力を感じたものです。それ以前には『泣き虫記者』を書いた入江さんがいます。この本を読んだときには,わたしも新聞記者になりたい,とさえおもいました。こういう記者がでてこないかぎり,新聞に明日はない,とわたしは考えています。すでに,その斜陽の影が押し寄せてきています。こんなときだからこそ,しかも,スポーツ全盛の時代だからこそ,スポーツ記事から「批評性」豊かな情報を流すということをはじめられてはいかがでしょうか。
 野村周平さんには,名指しで大変きついことを言ってしまいました。が,ご理解ください。わたしは朝日新聞を愛しているのです。ですからでてくる苦情なのですから。ぜひとも,そこのところをわかってください。もちろん,いまの新聞社に,かつてのような専門の担当記者を養成する力も,密度の濃い取材をする力も,その裏をとる校閲の力も,すっかり衰えてしまっていることは承知しています。だからといって済ませられる問題ではありません。なぜなら,最終的には新聞記者としての死活問題になる,とわたしは考えているからです。単なるロボットでいいのなら,構いません。このときこそ,わたしが新聞に見切りをつけるときになるだけの話ですから。
 どうか誤解しないでください。わたしは,最大限のエールを送っているつもりです。このあたりが,よく,わたしが誤解される理由のようです。もう少し上手にやんわりと文章を書けばいいのですが,あまりに直截に書くものですから・・・・。でも,わたしの主張に嘘や虚飾はありません。大げさにいえば,わたしなりにからだを張った主張をしているつもりです。つまり,わたし流の「批評」を展開しているつもりです。少しでも好きな新聞がよくなるために。
 朝日新聞の,すくなくともスポーツ記事が,そして,わたしがこよなく愛する大相撲の記事が,ピリッとした記者の批評性の盛り込まれたものに生まれ変わることを,こころから期待しています。そのつもりでお励みくださいますように。
 野村周平さん,よろしくお願いいたします。こんごのご活躍をこころから期待しています。
 できることなら,一度,お会いしたいくらいです。


 

2011年1月6日木曜日

新幹線「ひかり」号のチケットを早めに購入する理由。

 今月の22日(土)に予定されている「ISC・21」1月奈良例会に参加するためのチケットを購入しました。いつも早めに購入することにしています。なぜなら,早めに購入した方がなにかと恩典があるような気がするからてす。
 若い人たちは関係がないので知らない人が多いかもしれませんが,JRには「ジパング倶楽部」という制度があって,わたしはその会員になっています。男65歳,女60歳以上の人であれば,だれでも会員になることができます。年会費は3,670円。入会金は無料。この会員になると,購入するチケットの料金が3割引になります。これは大きな割引です。ただし,東海道新幹線は「のぞみ」には乗れません。したがって,「ひかり」を利用することになります。本数が少ないのが難点です。そこさえ我慢すれば,問題はとくにはなにもありません。その他の恩典としては,毎月1回『ジパング倶楽部』という雑誌が送られてきます。ここには意外に面白い旅情報が載っていたりして,まあまあ楽しむことができます。
 まあ,ひとくちに言って3割引ですから,3回に1回は無料だと思えば,ずいぶん,得をした気分になれます。わたしは平均して年に10回は関西方面にでかけますので,大いに助かっています。が,残念なことは「ひかり」号のみに限定されているということです。もちろん,「こだま」は問題ありません。なにゆえに「のぞみ」号には乗せないのか,これは大きな問題だとわたしは考えています。ヨーロッパの鉄道の制度には,リタイアした人を優先する制度がたくさんありますが,日本のような年寄を排除するような制度は,管見ながら,見当たりません。一度,JR(精確には「JR各社」というのが正しいらしい。もっと精確には「JR6社」という,と会員手帳のうしろにある「会則」に書いてあります)に問い合わせてみようと思っています。その理由はあとで書きます。
 で,まずは,早めに購入する理由について。
 一つは,窓側の席に座りたいから。まったく子どものような動機です。いや,まさに子どもそのものといった方がいいでしょう。わたしはむかしから汽車に乗ると,景色を眺めながら,ぼんやりしているのが好きでした。なにを考えるのでもなく,ぼんやり眺めているのです。そうすると,自分でもまったく予期しない,あるいは,ふだんはまったく考えもしない新しい「発見」があるからです。その内容を一つひとつ書きはじめますと際限がなくなりますので,それはまた別の機会にゆずることにします。とにかく,いろいろのことが頭のなかに浮かび上がってくるのが楽しくて仕方ありません。それが汽車に乗るときの最大の楽しみなので,できることなら窓側の席に坐りたいのです。
 二つには,乗る時間帯と季節にもよりますが,太陽との関係を念頭に入れて座席を指定します。冬なら日当りのする側に,夏なら日当りのしない側を。冬は日光浴をしている気分で,顔面で太陽の日差しを受け止めます。ほっこりとしたなんとも幸せな気分になれます。さすがに夏は遠慮させていただいています。問題は,春と秋です。ここは気分の問題ですので,そのとき,そのときの気分や体調に聞いてみて決めることにしています。こういうマイ・マザー(わが・まま)を満足させるためには,早めにチケットを購入することが不可欠です。
 三つには,二人掛けの窓側の席ですと,よほどのことがないかぎり,隣の席に人が坐ることがないからです。これは長い間,じっくりと観察していてわかったことです。相席は,まずは3人掛けの方から埋まってきます。そして,それから2人掛けの方にやってきます。たぶん,これはコンピューターにそういう設定がされているのではないか,と想像しています。ですから,2人掛けの窓側の席がとれれば,ほとんど隣の席も独占することができます。座席で,できるだけぼんやりしていたいわたしとしては,これはかなり重要なことなのです。
 四つには,これも長年の観察の結果なのですが,団体さんの席から遠く離れているからです。「ひかり」号の特色の一つは,さきに説明したとおり,ジパング倶楽部の会員の人が多く乗ります。つまり,お年寄りが多いということです。しかも,意外な発見は,団体旅行をする人が多いということです。こういう集団は,どうやら車両ごとに集めてあるようにも思います。一人で旅をする人の座席は,窓側から売れていくとすれば,まずは,2人掛けから,そして,3人掛けの窓側へと売られていくことになるはずです。そうすると,団体さんの席は遠く離れていくことになります。これまでの経験からしても,この推測はほぼ間違いありません。
 五つには,ぎりぎりでチケットを購入しますと,運が悪いと,この団体席の真っ只中の一つにあたってしまうことがあるからです。こうなったら悲劇です。もう,旅をしているどころではありません。いやでも,まわりに坐っている人たちの会話が全部まる聞こえで耳に入ってきてしまいます。眼のやり場もないですし,さりとて,眠ったふりをしているのも変ですし,ほんとうに困ってしまいます。場合によっては,お酒が配給されます。もう,こうなったら宴会も同然。しかも,お年寄りですから理性によるコントロールも弱くなっています。次第に声は大きくなってきますし,もう,どうしようもありません。しかし,こういうときに限って満席で,あき席がどこにもありません。ですから,どんなことがあっても,この最悪の選択だけは避けなくてはいけません。
 というような調子で,早めにチケットを購入する理由を挙げていくと際限がないほどです。まあ,とにかく,ひとり旅を楽しもうと思ったら,早めにチケットを購入しておくにかぎる,というのがわたしの最近のモットーです。
 さきに書きました,「のぞみ」号に乗せてくれないことに対する異議申し立ての理由については,長くなりますので,今回は省略。
 というわけで,今回も首尾よく,希望どおりの座席を確保することができました。これで,安心して,太陽の日差しを楽しみながら,ぼんやりと窓の外の景色をながめることができます。そして,空想の世界と現実の世界との自由気ままな往来を楽しむことができます。まい・ふぇいばりっと・わーるど。至福の時間です。お分かりいただけたでしょうか。これで,準備万端,1月奈良例会参加の旅が楽しみになってきました。
 もちろん,言うまでもなく,最大の楽しみは久しぶりにお会いできるみなさんの顔を,しっかりと見届けることです。その瞬間に,空白の時間になにがあったか,どういう生活をしていたか,がなんとなく浮かび上がってきます。それから会話がはじまります。そのやりとりがなんとも楽しみです。それでは,みなさん,1月22日(土),奈良の山焼きの日にお会いしましょう。

2011年1月5日水曜日

太極拳の初稽古。

 ことしの正月は元旦から毎日,鷺沼の事務所に通って,とうのむかしに締め切りのきてしまっていた仕事の切りをつけようと必死に頑張りました。で,その甲斐があって,ようやく目処がつくところまでこぎつけました。あと一息というところで今日は一服することに。
 なぜなら,今日は太極拳の初稽古の日。
 やはり,初稽古というのは,なにかにつけなんとも気分が改まるものです。
 ここ数年,仕舞い込んだまま着ることもなく,放ってあったカウチングを羽織ってでかけました。ひところ大流行して,多くの人が愛用していましたが,最近ではとんとお目にかかることもなくなりましたので,そろそろいい頃合いかと考えました。案の定,若い人たちの眼はこちらにそそがれており,これでよし,と自分に言い聞かせました。また,わたしと同じくらいの世代の人たちは,まだ,あんなものを着ている人間がいる,といういささか冷めた目つきでこちらをみていました。これはこれで,計算どおり。悪いものではありません。こうして,わたしなりにありきたりではない正月気分を味わいながら大岡山へ。
 まずは,会館の借用料を支払いに大岡山の北商店会の副会長さん宅を訪ね,新年のご挨拶。もう正月の三が日もすぎていていささか遅いかと思いましたが,でも,ものごとにはけじめというものが大切だと考え,少しだけ声を張って「明けましておめでとうございます」と声をかけました。わたしと同じくらいと見受けられる令夫人が,はっと一瞬息をのみ,あわてて「明けましておめでとうございます」と返してくれました。これで緒戦突破です。なにごとも最初が肝腎,遅れをとってはいけません。これで先手がとれましたので,こんどは余裕で「正月の五日になって,こんなご挨拶はもう遅すぎるかな,と思いましたが・・・」と追い打ちをかける。くだんの令夫人,「いえいえ,おめでたいことは遅すぎるということはないと思います」と笑顔で応答してくださる。これで,このあとの会話はじつになごやかに進む。お金と通帳をわたして印鑑をもらい,間髪を入れず「本年もよろしくお願いいたします」とこちらからご挨拶。またまた,あわてて「こちらこそ,どうぞよろしくお願いいたします」。これでことし一年は大丈夫,と気持ちがすっとしました。
 毎月の最初の稽古日にお金を払いにうかがうわけなので,少しでも楽しい会話ができた方が,双方のためにもいい,と古い人間であるわたしは考えます。こんな些細なことではありますが,こんな他愛のない日常の積み重ねが楽しく生きる智慧ではないか,と古い人間であるわたしは考えます。だから,できるだけさりげなくこういうことを実行しようと思っています。でも,相手を間違えると嫌がられることもあります。そうならないように,そして,気づかれないように,最初はかなり慎重に対応することにしています。
 午前10時30分。柏木さんを除いて全員(5人)が顔を揃える。柏木さんは,正月三が日を安曇野の穂高神社で開催した能面展で過ごし,昨日の4日に作品を片づけて荷造りをして発送し,夜帰宅されたばかりで,とても疲れているし,荷物を受けとらなくてはならないのでお休みします,と連絡がありました。わが太極拳仲間にあっては紅一点。しかも,あの明るい性格で雰囲気を盛り上げてくださるので,柏木さんの不在はなにか歯が抜けたあとのような感じです。これはみなさんも同じ感想のようで,西谷さんも開口一番「柏木さんは?」とおっしゃる。関口さんも「あれ,柏木さんは?」と同じ問い。やはり,わが太極拳仲間にとって柏木さんはなくてはならない存在なのです。わたしが説明すると「ああ,そういえばそんな話でしたよね」と思い出してくれる。「それにしても,正月からもう仕事をしていたんだ」「凄いですよね」とみなさん感心していらっしゃる。わたしも同感。
 そんな会話をしているうちに,西谷さんが掃除機を引っ張り出してきて,掃除をはじめました。あれっと思って声をかけると「なんとなくほこりが眼についたもんだから・・・」と。ごく当たり前のように掃除を始めました。ちょっと具合が悪いなぁとみんな思っているのですが,手を出すタイミングを逸してしまったようで,なすすべもなくそれぞれ準備運動らしきものをはじめています。わたしはこのままでは申し訳ないと思い,掃除機のコードを延ばしたり,コンセントを差し替えたりして,なんとなく手伝っているふりをしました。西谷さんは,自分で思い立ったことはさっさと自分ではじめる,そういう人なんだということは知っていましたが,ここは一つ遅れをとってしまったなぁ,と反省。
 これでよし,という爽やかな顔で西谷さんも準備運動にとりかかりました。少しずつからだをほぐしながら,ストレッチにとりかかったところで,西谷さんが,休み中にさぼっていたのですっかり固くなってしまった,とひとりごと。でも,一番固いのは関口さん。二人の院生さんたちも必死でストレッチ。去年の15日(水)が最後の稽古だったので,みんな久しぶり。わたしは,暮れも正月も体調がすこぶるよかったので,鷺沼の事務所でかんたんな稽古をつづけていました。ですから,いつもと同じ。
 こうして,いつもどおりの準備運動をやり,ストレッチをやり,基本運動をやり,気功をやり,基本の型の稽古をやり,24式へと進みました。そして,お互いの気になる動作を確認し,調整して,さて,このあとどうしようかなというタイミングで,珍しく,関口さんから「もういっちょ」という合図がありました。それでは,ということで2回目の24式へ。みんな気合が入っていましたので,気持ちよく2回目もできました。
 ことしの初稽古にしては,なかなか実のある稽古ができたかな,と思います。みんな,朝,顔を合わせたときとは打って変わったいい顔になっていました。ここが太極拳のいいところだ,とわたしは思っています。上手になるということよりも,稽古をはじめると徐々にからだの芯が温かくなってきて,からだ全体がほぐれていくのを感じます。そして,調子のいいときには,手の指さきが微妙にふるえはじめます。気が流れたときです。このときの快感がたまらない。李老師は,からだ全体に気が流れ,快感につつまれる,と言います。それはもう,なにものにも代えがたい快感である,とおっしゃる。少しでも,その境地にあやかりたいものだ,といつも願いながらわたしも稽古をしています。上手・下手は度外視して,快感をさぐること。その結果として,気がついたら,上手になっていた,というのがわたしの理想です。
 稽古が終わると,いつもの「珈琲館」へ。もう,顔馴染なので,店の人たちも一様に笑顔で迎えてくれます。そして,稽古のあとのハヤシライス。でも,今日は,なんと全員がハヤシライスではなくてカレーライスでした。こんなことはとても珍しいことです。みなさん個性的な人たちばかりですので,食べ物はきちんとその日のからだの様子を考えながら,好みのものを選択します。ですから,これは新年の特異現象。話題は多岐にわたりました。沖縄のこと,ボローニヤのこと,広島のこと,都知事選のこと,大阪のハシモト君のこと,名古屋のカワムラ君のこと,アメリカのジャパン・ハンドラーのこと,などなど。そして,最後は,もっぱら「ダメカン」「アカン」の「カンチガイ」政権に集中。いまの民主党は政権交代したことの意味がまったくわかっていない・・・・と西谷さんは手厳しい。大新聞まで,オザワ潰しに大合唱をしている,とも。こうなったら,意地でもオザワ支持を言わなくては・・・などと半信半疑の発言まで飛び出す。まあ,新年早々の放談のつもりが,いつのまにか真剣そのものに。ここに柏木さんがいたら,もっと面白い話になっただろうになぁ・・・・と残念の極み。
 天気は快晴。いい気分で解散。また,来週,と声を掛け合って。
 今日はとてもいい稽古始めでした。
 この人たちと週に1回,顔を合わせ,昼食を共にし,いろいろおしゃべりすることのできる幸せをしみじみと思う,そういう日でした。神様に感謝。

2011年1月4日火曜日

サクセスフル・エイジング。からだはますます正直になる。

 「サクセスフル・エイジング」,わたしはこのことばが好きです。もとは,資生堂が生み出したコピーです。福原義春さんのセンスが反映しているかのようです。
 以前,中村多仁子さんとのご縁で,資生堂の企画する対談に出演したとき,このことばを知りました。正直に言って驚きました。「サクセスフル・エイジング」・・・・なんと響きのいいことばでしょう。これぞ,21世紀のコンセプトではないか,と感動しました。これでなくてはいけない。加齢とともにわたしたちのからだはますます正直になる・・・・これが最近のわたしの実感です。若いときには感じられなかったからだからのサインをみごとに感じ取ることができるようになってきたからです。これぞ,わたしのからだが感じるサクセスフル・エイジング。新たなる身体が開く可能性の拡大。これは加齢によって知ったからだの大きな喜びです。
 加齢は,もちろん,失うものも少なくありませんが,新たに獲得されるものもある,とこれはわたしの実感。このことをもっと世間に周知すべきだと考えています。とりわけ,老人の威力を知らないいまどきの若者たちに。IT革命以後,老人は邪魔者扱いにされることが多くなってきましたが,そうではない,と。老人にならないとわからないからだの不思議があることを。
 たとえば,風邪を引く前兆はかなり早くから感じられるようになりました。その段階で,わたしなりの処方箋をほどこすと,まずは大丈夫。それ以来,すでに,10年以上,風邪というものを引いたことがありません。その予兆はいろいろなサインとなってからだから送られてきます。むかし痛めた関節に違和感を感じたり,皮膚の一部がなにかいつもと違うと感じたり,眼が充血していたり,気力が低下したり,とその兆候はさまざまです。あっ,きたなっ!という直感がまず走ります。このときに,もし,気づかずにやり過ごしてしまったとしても,まだ大丈夫です。そのあとにはもう少し強く,腰の痛みや股関節の異常を感じたりします。あれっ,と思ってその前の予兆をチェックしてみると,かならず思い当たる節があります。ならば・・・ということで,藪井竹庵先生(自称)の処方をほどこすことになります。
 この他にも,いっぱい,あります。が,こんなことをずらずらと書き並べてみても仕方がありません。それよりも言いたいことがあります。そちらを優先させてください。
 それは「アンチ・エイジング」なることばです。どこぞのアスレチック・クラブのキャッチ・フレーズならまだしも,著名なお医者さんまでもが,「アンチ・エイジング」なることばを多用して,これに便乗し「若さを保つ秘訣」などを説いてまわっています。「アンチ・エイジング」,年齢に逆らったり,歳をとらないことにどういう意味や価値があるというのでしょう。こういう考え方こそが,ヨーロッパ近代の生み出した「合理主義」が行きついた必然だと,わたしは考えています。おそらく,近代合理主義の理想は「不死」ということなのでしょう。もしかりに,人間が「死なない」ことになったらどういうことになるか,考えてもみてください。あちこちに「不死」の人間がうろうろしはじめたら,恐ろしいことになります。「人間は死ぬから人間なのだ」「死ななくなったら,それはもう人間とは呼べない」と西谷さんは,合評会の折にも言っています。ちなみに,西谷さんには『不死のワンダーランド』という著書がありますので,詳しくはそちらも参照してみてください。
 人間はどんなことがあっても,必ず,加齢を重ね,やがて死ぬのです。生まれたときから死に向って一直線なのです。これは生物として,生身の生きものとして,避けられないことなのです。ですから,それに「逆らう」(アンチ)とはどういう意味や価値があるのか,とわたしは問いたいのです。いやいやながら(不承不承)加齢に向き合うよりは,喜んで加齢することと向き合い,上手に折り合いをつけていることの方が,わたしはずっといいと考えています。それこそが健全な生き方ではないかと考えています。「アンチ・エイジング」の考え方には「若さ」に対する不自然な,あるいは,アンバランスな願望が宿っているように,わたしには見えます。その意味で,とても,不健全な生き方ではないか,と思ってしまいます。
 やや,飛躍するように聞こえるかもしれませんが,「アンチ・ドーピング」という考え方も同じです。なにゆえに,トップ・アスリートは風邪を引いても,勝手に薬を飲んではいけないのか,わたしには理解不能です。ふつうの人はごく当たり前のように,自分で風邪薬を買ってきて飲んでいます。お医者さんに行けば,すぐに,注射をしたり,薬を処方してくれます。また,多くのお医者さんは,患者を薬づけにすることに,なんの抵抗も感じないどころか,それが現段階ではもっとも適切な治療方法だと考えていると聞きますし,現に,そういうお医者さんが多いのも周知の事実です。言ってしまえば,いまの世の中「ドーピング」は当たり前のことです(覚醒剤系の薬は別として)。ですから,わたしは,この「アンチ・ドーピング」ということばを聞くたびに,近代スポーツのめざした目標(「より速く,より高く,より強く」)実現ための必然的な結果として,近代科学のテクノロジーに支えられた「ドーピング」に頼ることを禁止することの,小学生にもわかる「論理矛盾」に気づかない「大人たち」にあきれかえっています。どんなことがあっても「アンチ・ドーピング」を徹底させなくてはならない,という「えせヒューマニスティック」な立場に立つ「大人たち」のふりかざす「理性」という名の「狂気」に,わたしは辟易としてしまいます。
 ここに隠されているロジックについては,いつかまた,詳しく論じてみたいと思います。が,いずれにしても,どこぞの国の「正義」をふりかざす姿勢と「アンチ・ドーピング」運動の主張とは瓜二つです。もちろん,「アンチ・エイジング」という考え方も同じです。それらは,みんな仲良しクラブのお友達同士です。そこにいくと,「サクセスフル・エイジング」という考え方が,なんと美しく,なんと輝かしく,周囲を圧倒して,燦然と輝いているではありませんか。
 加齢とともに正直になり,賢くなっていく,わたしのからだに誇りをもって生きていこう,とこころのそこからわたしは思っています。21世紀のスポーツ文化は,こういう「からだ」をこそ擁護する文化でなければ・・・としみじみ思います。
 あっ,いつのまにか「スポーツとはなにか」という根源的な問い直しと同じところにゆきついている・・・・・。やはり,いまのわたしの頭はなにを考えてもみんなそこにゆきついてしまうようだ。喜ぶべきか,悲しむべき性というべきか,それが問題だ。(シェイクスピア?)
 こんな,わたしの考え方について,みなさんはどんな風にお考えでしょうか。お聞かせいただけると幸せです。

2011年1月3日月曜日

「スポーツとはなにか」という根源的な問い直しについて。

 『IPHIGENEIA』の編集業務に,今日も必死で取り組んでいます。今日は,西谷さんの『理性の探求』の合評会のゲラのチェックです。主な作業は,自分の発言を直すことと,いい区切りのところに「小見出し」をつけていくことです。「小見出し」をつけることは,じつは,とても難しいことなのですが,あまり考えてしまうと作業が前に進まなくなってしまうので,あるところで踏ん切りをつけることにしています。内容がうまく読みきれたときには,自分でも気に入るような「小見出し」がつくのですが,そうでないときには惨めです。そうならないよう努力あるのみ。
 さて,この作業をとおして,しみじみ思うことは,西谷さんの『理性の探求』という本は,スポーツ史やスポーツ文化論での「理性」の問題をもっと深く探求せよ,とあの手この手で教えてくれている,ということです。コメンテーターをつとめてくれた松浪さんも,三井さんも,松本さんも,それぞれニュアンスは多少異なるものの,根っこの部分では,それぞれの専門的な研究の関心事に引き寄せて,それぞれの立場から「理性」とはなにか,と問い直してくれています。それぞれに真剣であり,しかも,いいポイントをついているので,西谷さんもおおいに触発されたかのように,のりにのって応答してくださっている。読んでいて心地よい。ですから,何回もくり返して読んでいると,そこからつぎつぎに新しい研究のためのヒントが浮かび上がってきます。そして,すぐにも,新しい研究プロジェクトを立ち上げて,うずうずしてきます。いまとりかかれば,時代を先取りするような斬新な共同研究がはじめられるのに・・・・と残念でなりません(いま,すぐにははじめられない理由があります。そのことを書きはじめるとまたまたたいへんなことになってしまうので,この問題はいずれまた,ということにしておきたいとおもいます)。
 このテクストには,随所に,考えるヒントが隠されています。たとえば,西谷さんは,合評会の最後の発言でつぎのように締めくくり,わたしたちを激励してくれています。
 「・・・・本当に『おかしい』と思ったことを『おかしい』と言う,そこから始めないと,もうまともな見方が通らなくなるようなサイクルが世の中にどんどん回っているという感じです。そしてその出発点になる『おかしい』という感覚は,ごくまともに,この体で生きているというようなところに根拠があるのだと思います。スポーツというのは,そのからだで,社会の成立ちにふれるようなパフォーマンスを展開しているわけで,そのことをまた,どう言語化し,意識化して,その働きを生かしてゆくのかというのは,人と社会との関係や,人の生き方などを考えるときに,とても重要なことだと思っています。前にも言いましたけれども,ともかくスポーツは深く総合的な営みなはずなんですね。だから,スポーツを本格的に論じることで,あまり見えていなかった社会のいろいろな局面が見えてくる,そういう領域だと思っています。そういうところに少しでもお役に立てればと思っているんですが・・・・。」
 この西谷さんの発言部分からだけでも,研究テーマを立てようと思えば,いくらでもテーマを立てることができます。しかも,プロジェクトを組んで,大型の研究が可能です。しかし,少なくともことしは無理なので,来年には立ち上げて,スタートを切りたいと考えているところです。で,このことはとりあえずおいておくとして,わたし個人としては『理性の探求』のあちこちから研究テーマのヒントをもらっていますので,それを一つずつこなしていこうかと考えている次第です。それらのうちで,もっとも大きなテーマで,しかも,早急にとりかかりたいテーマは以下のようなものです。
 それは「スポーツとはなにか」という根源的な問い直しです。それは,ある意味では,すでにスタートを切っていて,着々とその準備は進んでいます。たとえば,神戸市外国語大学での集中講義は,もっぱら,そのための助走として力をそそいできたつもりです。具体的には,マルセル・モースの『贈与論』をスポーツ史・スポーツ文化論的に読解すること(2010年前期),そして,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』を同じようにスポーツ史・スポーツ文化論的に読解すること(2010年後期),がそれに相当します。そのかなりの部分は,このブログをとおして公開していますので(前期は9月,後記は12月),ご記憶の方も多いと思います。
 そして,これからわたしが展開しようとしている主張の主眼は以下のところにあります。
 これまでのスポーツ史もスポーツ文化論も,そのほとんどは近代スポーツ(あるいは,競技スポーツ)を前提にして,それがごく当たり前のようにして存在し,しかも,それを擁護する立場(たとえば,近代スポーツは人類が達成した誇るべき文化である,というような立場)から論じられてきました。そして,せいぜいのところ,過剰な競争原理の必然的な結果として生まれた勝利至上主義や,メディアもふくめて経済原則最優先のスポーツ政策に対する批判が,このところ増えてきているにすぎません。ですから,スポーツ文化全体を擁護する立場はゆるぎなく存在している,と言っていいでしょう。たとえば,「アンチ・ドーピング運動」のように。はたして,そんなことでいいのだろうか,というのがわたしの「おかしい」の原点にあるものです。
 そうではなくて,スポーツ文化そのもののなかに否応なく組み込まれている諸矛盾を明らかにすることこそが,いま,問われているのではないか。もっと踏み込んでおけば,わたしたちが日頃から慣れ親しんでいるスポーツ文化が,意識的にしろ,無意識的にしろ,結果的に抑圧・隠蔽している要素を明らかにすること。そのためには,いささか飛躍しますが,原初の人間の登場するところまで遡って考えることが不可欠だ,とわたしは考えています。つまり,ヒトが人間になるとき,すなわち,原初の理性が立ち上がるとき,このときいったいなにが起きたのか。ヒトが人間になるとはどういうことだったのか。そのとき,人間はなにを失い,なにを新たに獲得することになったのか。その失ったものの補填を原初の人間たちはどのようにしてクリアしようとしたのか。このことを突き止めてみたい,とわたしは大まじめに考えています。
 その仮説は以下のようです。
 それらは,供犠であり,ポトラッチであり,贈与であり,儀礼である。そして,それらが営まれた祝祭空間に注目する。原初のスポーツ的なるものも,このような祝祭空間から誕生した,というのがわたしの現段階での仮説です。だとしたら,供犠とはなにか。儀礼とはなにか。これまで論じられてきた理論仮説ではなく,新たな理論仮説が必要となってきます。そこで,わたしが援用しようと考えているのが,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』であり,マルセル・モースの『贈与論』なのです。このようなテクストを取り込んで,スポーツの原初形態を考えようという人は,管見ながら,わたしはまだ知りません。しかし,このような視点に立てば,この他にも援用すべき文献は際限なくあります。
 で,まずは,わたしが考える理論仮説を明確にした上で,細部の詰めをしていこうというのが,いま,考えていることです。この作業を通過しないかぎり,近代スポーツの背後に抑圧され,隠蔽され,排除されている<亡霊>を明らかにすることはできないのではないか。わたしは,なんとしてでも,そこまで踏み込んでみたいのです。
 そのとき,おそらく,いまのわたしたちが考えている「スポーツとはなにか」という問いから導き出される答えとはまるで異なる,途方もない答えが立ち現れることになるだろう,とわたしは期待しています。だから,なんとしても,そこに分け入ってみたいのです。それは,もはや,やむにやまれぬわたしの(動物的な)衝動ですらあります。その衝動を引き起こす直接的な引き金となったテクストが西谷さんの『理性の探求』であった,という次第です。ほんとうに,恐るべき本との出合いであった,としみじみおもっています。
 はたしてどこまでできるかは未知数です。しかし,「へんだな」と気づいた以上は,その答えを探しにいくしか方法はありません。そういう意味では,ことしは正月早々から気合十分なのです。あとは,時間との闘い。じっくり腰を据えて,とことん追い込んでみたいと思います。
 いささか話は大きくなってしまいましたが,正月にみる夢だと思って,お許しください。そして,どのような経過をたどりながら,どのような結果にいたるか,どうかきびしい眼でチェックしていてくださることを期待しています。この夢を正夢にすべく,これからスタートを切りたいとおもいます。
 乞う,ご期待!(映画の予告編のように)


 

2011年1月2日日曜日

『IPHIGENEIA』の編集業務にとりかかる。

 今日の午前中に,竹村編集長から『うえねうさら』(Ueneusar)(21世紀スポーツ文化研究所発行のWebマガジン)の第2稿がとどいた。なかなか刺激的な内容なので,今回は食い入るように読み込んでしまった。専門領域がまったく違う,されどそれぞれの分野の最先端に立つ若き専門家たちの「Physical」ということばから浮かぶイメージを文章にしてもらったものだ。竹村編集長の教え子で,いずれも俊秀なる若者たちだ。その文章を読んでみると,なるほどなぁ,と感心してしまう。やはり,われわれはもっと違う空気を吸わなくてはいけない,と深く反省。とりわけ,自然科学に従事している若い研究者たちは,われわれ世代の自然科学系の研究者たちとはちょっと次元の違うところに立っているようにおもう。たとえば,「オートポイエーシス」の考え方について,なんの迷いもなく一刀両断のもとに切り捨ててしまう。この歯切れのよさに,わたしなどは呆然としてしまう。そのかれは,ロポット君に感情をもたせ,話をしなくても,人間との気持ちが通じ合えるところまで,研究をすすめたいと夢を語っている。もはや,「オートポイエーシス」などといって喜んでいる場合ではなさそうだ。その専門家である河本英夫さんに読ませてあげたいとおもうほどだ。
 このほかにも魅力的な話題がいっぱいである。たとえば,陶器とやきものの違いを知ったときの感動を語る自称「やきもの屋」さんの話も,まさに「Physical」の核心をついている。そして,モノ(オブジェ)に「吸いよせられる身体」について語る。これには参った。オブジェをどのように語ろうかと考えあぐねていたときだけに,わたしには眼からウロコであった。この君には逢いにいきたいとすらおもう。常滑で「やきもの屋」として修行している,という。文章もなかなか読ませる。とても深いところで自己と向き合ってきていることがよくわかるし,そこから「やきもの屋」としての取り組みをしているからであろう,表現の手段が違うだけで,考えていることは同じだから説得力のある文章になっている。しかも,とてもわかりやすい。直接,逢ったことがなくてもなんとなく人柄が透けてみえてくる,そんな思いである。
 こんな話がつぎからつぎへとでてくる。まもなく,研究所のHPにアップされるとおもわれるので,そちらを楽しみにしていてください。

 で,やはりいい刺激をうけると,こちらにもエネルギーが乗り移ってくる。「ISC・21」のWebマガジンが気合の入った内容でまもなく発行されるとなれば,黙ってはいられない。意気消沈して手が出せないでいた「ISC・21」の研究紀要『IPHIGENEIA』の編集業務を放っておくわけにはいかない。と,ようやく気を取り直して,今日の午後からとりかかった。今福さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス』と西谷さんの『理性の探求』の二つの合評会の載録ゲラに「小見出し」を入れる作業から。二つとも,まずは,さっと眼をとおしておいてから「小見出し」をつけるべく着手。久しぶりに読んだからか,とても新鮮で,自分で驚いている。こんな内容だったのだろうか,と。
 とりわけ,西谷さんの本の合評会は,想像していたよりもはるかに質の高い議論が展開されている。松浪,三井,松本の3氏がおおいに気を吐いたということだ。だから,それに触発されるようにして,西谷さんがのりのりで応答してくださっている。読んでいて心地よい。その間に割って入るようにしてしゃべっているinamasa氏の発言がまことに貧弱なので,めげてしまっている。文章の推敲も下手くそだ。これではどうしようもないので,さらに,文章に手を加えている。時間がいくらあっても足りない。が,活字になるということは怖いことなので,可能なかぎりきちんとしておこう,と必死のパッチである。こういう時間もなかなかいいものだ。
 お蔭で,ことしの年賀状は相当に遅れてしまいそうだが,背に腹は代えられぬ。まずは,これをやり終えてからだ。いやいや,大急ぎで片づけなくてはならない仕事はまだまだあるのだ。しかも,大物だ。でも,一つひとつこなしていくしか方法はあるまい。
 昨日につづいて今日も鷺沼の事務所に出勤である。ことしは休日なしの日がどこまでつづくのやら・・・・と半分楽しみにしている。なぜなら,事務所で過ごす時間は休日を送っているのとほとんど変わらないのだから,本人はなんの文句もない。じつに楽しい。というのは,人に使われて仕事をしているのではなくて,ひたすら,自分の道楽のために時間を使っているのだから・・・・。考えてみれば,これがわたしの長年の夢であり,理想であった。その夢や理想をいま実現しているのだから,文句のあろうはずがない。
 さて,もうひとふんばりすることにしよう。まだ,時間はある。大いに楽しみながら・・・。

2011年1月1日土曜日

新年早々から年末の決意が反故に。徹夜で『のぼうの城』を読む。意志が弱いなぁ。

 みなさん,明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 さてはて,新年早々,いきなり徹夜をしてまった。
 暮れに,高らかに宣言した「早起き鳥」の決意が,もう反故になってしまった。
 31日の朝,いつもより少しばかり早めに起きて,朝飯前の一仕事のまねごとができた。これでお膳立てはできた,と喜んだ。そして,31日の夜は早めに休んで元旦から早起きをして朝飯前の一仕事を軌道に乗せればいいと「取らぬ狸の皮算用」もきちんとできた。で,それを実行に移すべく,昨夜はいつもより少しばかり多めに泡盛を飲んで,そのまま眠るつもりだった。ことし最後の夜だし,テレビはないし,新聞・雑誌・ぴらつかこよみ(沖縄の情報誌)などをめくりながら,10年ものの古酒を飲んだ。これがまた格別においしい。かなり飲んで,いい酔心地になってきたので,よし,これで眠れると思い,書斎でことし最後の日記を書いていたら,なんだか快感を覚えるほどに眼がパッチリしてきた。こんなはずはない。すぐに眠くなるはずなのに・・・。
 時間も午後11時を過ぎている。では,なにか本でも読めば眠くなるだろう,と安易な気持ちで手をのばしたさきに『のぼうの城』があった。これが間違いのはじまりだった。
 おもしろすぎたのだ。もう,ずいぶん前から話題になっていて,本屋さんにも目だつところに平積みにしておいてある。だいたい,こういう仕掛けられたベストセラーには手を出さない,というのがわたしの流儀だ。必死で避けてきたのだが,年末にいろいろのメディアの企画する「ことしのおすすめ本」のなかに,かならずといっていいほどにこの『のぼうの城』があがってくる。そして,ついに,あるわたしの信頼している本読みのプロが,この本を「いちおし」の本だといって紹介している記事が眼に入る。では,いつか,気分転換するときにでも,と思って買っておいた。
 早く眠るための本としては,もっとも手を出してはいけない本であった。時代小説なのだが,仕掛けがいいし,テンポがいいし,登場するキャラクターがとても生き生きしている。しかも,現代社会にむけての強烈な「批評性」が読み取れる。筋書については,触れないでおこう。ただひとつだけ,この小説を読み終えたいまいえることは,「人間とはなにか」という根源的な問いである。わたしはそこにいたく響くものがあった。そして,感動した。ここではそれだけに留めおくことにする。あとで,もう少しだけ内容に触れるつもりにして。
 泡盛10年ものの古酒の底力とでもいうべきか。それとも,わたしの体調がすこぶるよかったというべきか。あるいは,長年の生活習慣のリズムが甦ってしまったというべきか。とにかく一向に眠くなってこないのである。かなり飲んだはずなのに・・・。
 まず,上巻。なんだ,秀吉の城攻めの話か,と思いながら読みはじめる。が,そうではなかった。それは単なる伏線であった。そして,いつのまにか,作者和田竜にはめられている。気がついたときは,すでに手遅れ。あっと言う間に半分を読んでいる。時間は午前1時少しすぎたところ。えーい,ままよ,あとちょっとで終わりだ,と考えて一気に最後まで読む。午前3時ちょい前。いつもなら,このあたりで眠りにつく。それがいつもの生活のリズムでもある。が,もう,下巻が読みたくていても立ってもいられない。こんな衝動にかられたのも久しぶりのことである。眼はますますランランと輝いてくる。頭もすっきり。ほろ酔い気分などとうのむかしに消えてしまっている。というわけで,とうとう,下巻を読み終えたのは午前6時。
 こんどは興奮してしまって,眠れない。なんということはない。でも,少しは眠っておかないとと思い,ふとんに横たわる。頭のなかは,「のぼう様」のことでいっぱい。この男はなにものか。なんともはやつかみどころのない不思議なキャラクターを,和田竜は創り出したものではある。その着眼といい,追い込み方といい,みごとという他はない。
 読んでいる途中から,はたと気づいたことは,作者の和田竜は,この作品をとおして『老子道徳経』の理想を描こうとしているな,ということだった。そして,読み終えたいまは,この気づきは間違いなかったと確信している。「のぼう様」は老子の精神を帯同した人物なのだ。だから,のらりくらりと捉えどころのないキャラクターになっている。老子のいう「無為自然」。これを地でいく。あの戦国時代に。かれは農民もふくめたわずか1000人足らずの兵で籠城し,2万を越す石田三成の大軍と対峙し,どうどうの闘いをしてみせる。しかも,初戦はみごとな勝ち戦である。その「のぼう様」のこころの奥底にあるものは,以下のとおりである。
 「二万の兵で押し寄せ,さんざに脅しをかけた挙句,和戦いずれかを問うなどと申す。・・・・・そんな者に降るのはいやじゃ。・・・・武ある者が武なき者を足蹴にし,才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。・・・・それが世の習いと申すなら,このわしは許さん」
 現代社会の縮図を,この戦国時代の城攻めをとおして再現してみせているかのようだ。どこぞの国,どこぞの企業,どこぞの大学,どこぞの町会,どこぞのクラブ,・・・・に,こんな実例はごろごろしている。わたしたちは,いま,こういう力関係のなかにどっぷりと浸かっていて,身動きできない状態にある。そこから抜け出すには死を決して闘うしか方法はない。その決断力がいま問われている。弱者には,その決断力が,欠けている。そうなると,あとは地獄が待っているだけだ。しかし,この「のぼう様」は間違いなく弱者に属しながら,最後の一線だけは「許さん」という矜持を保持している。ここがたまらないのだ。
 とまあ,こんな具合に,わたしのこころはくすぐられっぱなし・・・・。だから,最後まで読まないことには終われない。情けないが,とんでもない本に出会ってしまったものだ。でも,これこそが至福のとき。だからこそ,小説は止められない。

 以上,正月早々から懺悔のブログとなってしまった。
 ひょっとしたら,今夜は早く眠くなって,早く眠れるかもしれない。まかり間違っても,寝酒に泡盛の10年ものを飲んではいけない。これは「目覚め薬」だ。もちろん,これはわたしの場合にかぎる話であるが・・・・。
 さて,いつから「早起き鳥」となり,「朝飯前の一仕事」ができるようになるか,これがことしの最大の課題になりそうだ。いやはや・・・・。

 元旦なので,コメントの方もよろしくお願いします。コメントがたくさん入って,みんなで議論ができるようになるのが,わたしの理想です。みんな一人ひとり意見は違って当たり前だと思っていますので,ご心配なく。
 それから,「おもしろい」にもクリックを入れてください。それが,わたしの励みになりますので,よろしくお願いします。もちろん,おもしろくないなぁ,というときは無視してください。
 では,ことしもよろしくお願いいたします。

 意志の弱いinamasaより,新年のご挨拶まで。