2013年1月22日火曜日

桜宮高校の入試中止。受験生無視,在校生無視,教育委員会はだれのためのもの?断じて許せない。

 ああ,ついにここまできてしまったか。世も末である。教育委員会は子どもたちの教育を守るための組織であるとわたしは長い間,そう信じてきた。なのに,教育委員会は子どもたちや親や教員を守るための組織ではなかったのか。その教育委員会が,あろうことか,なんの罪もない受験生を切り捨てた。その決定を文科相も認めた。いったい,だれを信じたらいいのか。

 無責任体制の権化。だれも責任をとろうとはしない。ひとり,気の狂った市長が,おれの言うことを聞かなければ予算執行を行わない,と脅しをかけた。そんなバカな発言にみんな怯えてしまったのか,それとも,自己保身に走ったのか,入試中止を決定してしまった。5人の委員のうち4人の,バカな委員のことだ。1人は,それに反対した。この委員を信じたい。が,形式民主主義は,多数決ですべてを決めてしまう。このたった1人の,わたしからすれば,まっとうな意見は無視されてしまう。教育の場でこのようなことがまかりとおってしまっていいのだろうか。なにゆえに反対なのか,その根拠に耳を傾けることがあってもいいではないか。このたった一人の反対意見について,もっと開かれ場で議論をしたっていいではないか(早い段階でのインターネット情報では,5人のうち3人が「中止」意見だった。途中から,もう一人が「中止」派になったということか)。

 が,大阪市教育委員会はそうはしなかった。いそいそと「入試中止」を決定してしまった。それはそれで意見はあろう。教育現場が混乱をきたす(入試までの日がない)。予算執行が行われないと,もっと大きな混乱をもたらすことになる。だから,小異を切り捨てて,大同につく,という立場もあろう。しかし,これは間違いだ。少ない受験生を切り捨てて,いままでどおりの予算を確保して,多くの受験生の利益を守る方がいい,と考えたとしたらそれは大間違いだ。でも,これが日本の,情けないことではあるが,ほんとうの姿なのだ。(原爆の被爆者,水俣病,原発被災者,などなど。みんな軽視されてきた。)

 「みてみぬふりをする」「ことなかれ主義」「無責任体制」,そして,「保身主義」。わが身可愛さに他者を切り捨てる。あとは「だんまり」。大阪市教育委員会の5人の委員さん。あなた方が(一人を除いて),そういう「無責任」な人たちだったとは,大阪市民の大多数の人は思っていなかったはず。でも,たった一人,良識のある委員さんがいた。この人にメディアは光を当ててほしい。でも,たぶん,どこのメディアも無視するのだろう。それが,いまの日本のメディアだ。少数意見はことごとく無視していく。そして,大衆を煽動する。多数に寄り掛かって。尖閣諸島の問題がそうだ。あれは日本が「盗み取った」のだ,と言えば「国賊」扱いにされてしまう(鳩山由紀夫君のように,そして,わたしも)。

 少数意見は,よほどのことがないかぎり,わたしは「正しい」と思っている。ただ,その「正しさ」を理解できない多数が押し切ってしまう。それが世の中というものだ。イエス,ソクラテス,コペルニクス,みんな多数決で殺されてしまった。民主主義の暴力。ポヒュリズム。

 いまは,桜宮高校を受験しようと夢見ていた純粋無垢の受験生たちが,その犠牲者だ。こんなこともわからない橋下市長,大阪市教育委員会委員,文部科学大臣。情けない。あなた方に生きる生身の人間の「血」が流れているとは思えない。弱者を切り捨てて保身に走る輩が世の中の中枢にいる。それも,けして少なくない。むしろ,多数だ。

 しかし,こんな決定を大阪市民が黙っているとは,わたしは思わない。大阪市民は人情の篤い人が多い。「受験生をどないしてくれんの,可哀相に」という人たちが立ち上がるに違いない。また,それを期待してもいる。

 在校生はもっとつらかろう。「ぼくたちはなにか悪いことをしたの?」と。なんで入試が中止になるねん,と。クラブは上級生が指導したっていいではないか,と。一時的に,別の一般教科の先生に肩代わりしてもらって。

 いま,「ことなかれ主義」に走ってはならない。いまこそ,からだを張って,自己主張をしよう。教育委員会委員を筆頭に。学校長,教員,父兄,生徒,受験生。そして,OB。さらには,良識ある大阪市民。橋下市長がなんと言おうと,予算執行を拒否しようと,わたしたちはこう考える,と。ありとあらゆる手段を用いて,意志表示をしていこうではないか。

 桜宮高校卒業生の君。わたしの教え子でもある君。そして,いまや立派な高校の体育教師となっている君。いまこそ,からだを張って,自己主張をしてほしい。場合によっては,わたしもからだを張って応援する。頑張れ。



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