2013年1月6日日曜日

「人は変われる」(日体大・別府監督)。

 「この1年,本気でやった。人は変われる」という見出しで,『東京新聞』(1月4日)の「この人」のコラムに,箱根駅伝で30年ぶりに総合優勝の日体大監督別府健至さんが,写真入りで紹介されている。ぐっと固く結んだ唇が,つよく印象に残る。かつてのお人好しの別府さんの顔ではない。勝負師の顔に変わっている。

 顔は嘘をつかない。なにか大きなきっかけがあると,人間の顔は変わる。顔は内面の表出そのものだ。顔はなにかを意識的に表現することもできる。しかし,表現する顔は,ほんものの顔ではない。あらゆる鎧兜をとりはらったときに,その人間の素の顔が表出する。このときの顔は,他人を動かす力をも持つ。この顔に接した人は,なぜか,こころを開き,みずからの顔も変化する。「じか」に触れる体験がこれだ(竹内敏晴)。

 別府さんの顔をみていたら,なぜか,竹内敏晴さんを思い出した。人が「じか」に触れ合うとき,人間は変わる。それまでの自己ではない自己に出会う。いわゆる「自己を超えでる」体験だ。人間はこういう濃密な時間を,どれだけ織り重ねるかによって決まる。スポーツの良さは,自己の身もこころも開いて,まったく新しい自己と向き合う体験を積み重ねること,にある。そして,古い自己を捨てて,新しい自己に生まれ変わっていくことにある。蛇が脱皮するように。内圧を高めていくことによって,おのずから古い皮が破れて,新しい皮が現れる。

 このことは,なにもスポーツに限ったことではない。人が生きるということの内実はここにある。アートの世界にしても,学問の世界にしても,あるいはまた,商売の世界にしても,職工の世界にしても,みんな同じだ。いわゆる「出会い」(Begegnung)だ。それには,機が熟すことが大事だ。その機が熟すには,なみなみならぬ努力が必要だ。第15代目の楽吉左衛門も同じことを言っている(二日前のブログ,参照のこと)。

 別府監督は,一年前の過去最低の19位に甘んじたとき,初めて選手たちの前で涙を流したという。別府さんがはじけた瞬間だ。そして,恩師の渡辺公二さんを特別強化委員長に招いて,みずからの退路を断ち,本気で選手たちと向き合った。当初は相当の軋轢があったという。しかし,監督の本気度はじわじわと選手たちに伝わりはじめる。このとき,選手一人ひとりが監督と「じか」に触れ合う体験をしたはずだ。そこからチームは一変することになる。そこからの選手一人ひとりの努力が相乗効果を生むことになり,チームが一丸となっていく。そのトータルの結果が,今回の30年ぶりの総合優勝という快挙となる。

 そして,「この1年,本気でやった。人は変われる」という別府監督のことばとなって結実する。選手たちも,おそらく,みんな異口同音に同じことを言うだろう。監督もコーチも選手も,そして,それを支えた影武者たちも,みんな大きな財産をわがものとした。人間が生きる上での最高の財産だ。それも「基本の基」を,当たり前のように実行しただけの話だ。人が生きるとはどういうことなのか,をこの人たちは学んだ。そのことに思い至ったとき,わたしはこころから感動した。ただ,ただ,ひたすら感動した。

 人が生きるということの「根」はここにあるのだろう。スポーツの良さは,この「根」を,からだをとおして学ぶことにある。しかも,この「根」こそ,普遍のものだ。ここを学び,からだに記憶させた人間は,どんな社会に出て行っても通用する。生きる力は,この「根」をもつかどうかにかかっている。この力のことを,ドイツ語では,Leistungという。直訳すれば「達成,達成能力」。

 ドイツの哲学者ハンス・レンク(Hans Lenk)はこのことをみずからの著作『スポーツの哲学』(Philosophie des Sports)のなかで力説している。かれは,このことをみずからの体験をとおして,確信し,その根拠について詳細に論じている。かれは,オリンピック・ローマ大会のときに,ボートの選手として金メダルを獲得した選手(しかも,キャプテン)である。大学では,体育学と数学を専攻し,やがて,哲学の道へ進み,ドイツ哲学会会長となる。そして,ついには世界哲学会会長にも就任し,東大に招かれて来日したこともある。このときと,それ以前にも来日したことがあり,わたしは二度,かれに会って話をしている。この話は,いずれ別の機会に,このブログでも書いてみたいと思う。今日のところはここまでにとどめておく。

 人は「じか」に触れ合うことによって「変わる」ことができる。ほんとうの自己と他者との「出会い」,これが「じか」に触れるということだ。ここを通過することによって,日体大の,いや,別府監督の,そして,チームが一丸となった選手たちの,さらにはそれを支える影武者たちみんなの,心構えが変わった。生き方が変わった。そして,これまでみたことのない,まったく新たな地平に到達することを可能としたのだ。つまり,自己を超えでて行ったのだ。くり返すが,このことは「普遍」に通ずる,きわめて重要なことだ。

 「人は変われる」。このことを実現させ,実証した別府監督にあらためて敬意を表したい。
 そして,このたびの日体大の快挙は結果ではない,このプロセスにある。このことをもう一度,強調しておきたい。

 「人は変われる」可能性があるかぎり,生きていくことができる。


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