NHKのクローズアップ・現代で,今夜は,木下恵介監督の映画が取り上げられていました。えっ,どうして?と思いながら,ぼんやりと眺めていました。もちろん,夕食の時間ですから,片方で夕刊を眺めながら・・・。そうしたら,世界の4大映画祭のすべてで木下作品が取り上げられ,大きな話題になっているというのです。
その瞬間に,ハッと脳裏に浮かんだのは,なぜか,シモーヌ・ヴェイユの「根をもつこと」,そして「魂の欲求」ということばでした。同時に,トリン・ミンハの「涙する情動を取り戻せ」ということばでした。
木下恵介監督といっても,もはや知る人の方が少ないかもしれません。わたしたちの世代の人間は,みんな木下映画をみて「涙した」ものでした。もう,最初から最後までボロボロに泣いたものでした。ですから,映画館に向かうときから泣くことを覚悟して,ハンカチを何枚も用意してでかけたものです。たとえば,木下映画の代表作といわれる『喜びも悲しみも幾年月』。佐田啓二,高峰秀子主演の,いい映画でした。わたしが大学の2年生の夏休みと記憶していますので(間違っているかもしれません),昭和32年の作品です。夏休みに帰省したら,郷里の豊橋市の松竹映画館で上映していました。無理やり,母親を連れ出して,見に行きました。
昭和20年が敗戦の年。その1年前にアメリカのB29の爆撃によって焼け出され,丸裸のまま母親の実家に駆け込みました。かろうじて命拾いをしてから,食べるものも,着るものもまともには手に入らない苦しい配給の時代を過ごしました。それから12年間,5人の子どもたちを育てるために両親は必死でした。そんな情況のなかでも,わたしはありがたいことに大学に進学させてもらいました。もちろん,東京での生活費の大半はアルバイトで稼ぎました。そうして2年目の夏休みで帰省したときの話です。
母親はお金がないのでもったいない,と言って行こうとはしませんでした。わたしは,三日間ほどかけて母親を口説きました。この映画は,木下恵介監督の傑作と言われている映画なので,試しにみておいた方がいい,と。そうして,ようやく映画館にでかけました。でも,間違いなく泣いてしまう映画なので和タオルをもっていきました。予想どおり,わたしも泣きましたが,母親は嗚咽していました。母親は,途中から,わたしの左手を両手で握りしめて,離そうとはしませんでした。そうして,交代で和タオルをつかっていました。こんなにたくさんの涙を流した映画は,あとにもさきにもありません。それはそれは,たいへんな映画でした。そして,大満足しました。
わたしの記憶している木下映画はみんなお涙頂戴ものばかりでした。それが,いま,日本の若い世代に注目されているだけではなくて,世界の映画ファンを魅了しているというのです。その理由について,何人かの映画監督さんが登場して解説をしていました。そのなかで,印象に残ったのは,「お互いに共感するこころ」が大事だという考え方が木下監督の根源にあって,それが映画となって表出しているのでは・・・という山田太一さんのことばでした。1950年代の映画ですから,みんな貧しく,世の中の矛盾に泣かされつづける弱者が,耐えに耐えて生きていく,そういう人物が主人公になっていました。そこでの人と人とを結び付ける力は,「共感するこころ」,そして「涙する情動」でした。
他者と苦しみを分かち合う,共感し合う,そして涙する情動・・・・こういうものを現代の文明社会に生きるわたしたちはすっかり忘れてしまっています。そのことをいちはやく指摘したのがトリン・ミンハでした。「涙する情動を取り戻せ」という名言はトリン・ミンハの名前とともに記憶しています。
「涙する情動」で思い出すのは「泣き虫先生」こと山口良治監督のことです。もはや,この人の名前を知る人も少なくなってしまったかもしれません。伏見工業高校ラグビー部監督として全国にその名をとどろかせ,映画やテレビでもおなじみになった『スクール☆ワォーズ』のモデルとなった人です。詳しい説明はたぶん不要でしょう。ツッパリや悪がきばかりが集まっていたラグビー部員を忍耐づよく指導して,全国優勝にまで導いた名監督です。この山口さんのあだ名が「泣き虫先生」。
強いチームにしてやろうと思って対外試合を組むと,生徒たちはボイコットしてしまう,校内での生活の規律を守るように指導しても,学校の外で悪をする,さんざん苦労した挙句,とうとう先生はラグビー部員たちを前にして「涙する」。どうしてこんなことがわかってもらえないのか,と涙ながらにお説教。「先生が泣いている」。ここから生徒たちの態度に変化が現れはじめます。そして,ついには,試合に勝てるようになってきます。すると「いい試合をしてくれた」「ありがとう」と言って「涙する」。負けるとわたしの指導が悪かったと謝り「ごめん」と言って「涙する」。山口さんのキー・ワードは「感動」。人は感動することが大事だ,と。感動する経験が人を変える,と。山口さんはそれを地でいく人。生徒たちが,それに気づくとみるみるうちに変わっていく。山口監督は「気づかせる」ことの名人。
生徒たちと苦しみを分かち合い,共感し合い,そして涙する,これが山口監督のセオリー。こういう監督のもとから多くの名選手,名コーチ,名監督が輩出したこともよく知られているとおりです。そのひとりが平尾誠ニ。
そんな山口良治監督を義父にもつ人,それが桜宮高校バスケットボール部顧問の先生だ,と週刊誌が報じています。ほんとうか?とわが目を疑ってしまいます。もし,ほんとうだとしたら,この顧問の先生には「涙する情動」が欠けていたのだろうか,と考えてしまいます。同じ「熱血」先生でも,生徒の前で「涙する情動」を持ち合わせているかどうか,ここがおおきな分かれ目であり,決定的なポイントとなります。
箱根駅伝でみごと総合優勝に導いた日体大の別府監督もまた,去年の惨敗のあと,初めて選手たちの前で「涙した」といいます。そこから「基本の基」,選手たちの生活態度からやり直すことによって,なにが大事なことかということに選手たちが「気づき」はじめたといいます。そうして,選手たちは生まれ変わったように走りはじめたといいます。
「涙する情動を取り戻せ」というトリン・ミンハのことばが,これからふたたび注目されるようになるのでしょう。木下恵介監督作品がそのきっかけになるのでは,と今日のクローズアップ現代は教えてくれました。それは,とりもなおさず,シモーヌ・ヴェイユのいう「根をもつこと」であり,「魂の欲求」を大事にし,実現させることにもつながっていくはずです。近代という時代をとおして「根こぎ」にされてしまった「魂の欲求」(たとえば,「涙する情動」)を,もう一度,「根づき」させること(根づかせること)が,不可欠であるとシモーヌ・ヴェイユは言います。
わたしたちは,いま,とても重要な転換期に立たされている,としみじみ思います。
その瞬間に,ハッと脳裏に浮かんだのは,なぜか,シモーヌ・ヴェイユの「根をもつこと」,そして「魂の欲求」ということばでした。同時に,トリン・ミンハの「涙する情動を取り戻せ」ということばでした。
木下恵介監督といっても,もはや知る人の方が少ないかもしれません。わたしたちの世代の人間は,みんな木下映画をみて「涙した」ものでした。もう,最初から最後までボロボロに泣いたものでした。ですから,映画館に向かうときから泣くことを覚悟して,ハンカチを何枚も用意してでかけたものです。たとえば,木下映画の代表作といわれる『喜びも悲しみも幾年月』。佐田啓二,高峰秀子主演の,いい映画でした。わたしが大学の2年生の夏休みと記憶していますので(間違っているかもしれません),昭和32年の作品です。夏休みに帰省したら,郷里の豊橋市の松竹映画館で上映していました。無理やり,母親を連れ出して,見に行きました。
昭和20年が敗戦の年。その1年前にアメリカのB29の爆撃によって焼け出され,丸裸のまま母親の実家に駆け込みました。かろうじて命拾いをしてから,食べるものも,着るものもまともには手に入らない苦しい配給の時代を過ごしました。それから12年間,5人の子どもたちを育てるために両親は必死でした。そんな情況のなかでも,わたしはありがたいことに大学に進学させてもらいました。もちろん,東京での生活費の大半はアルバイトで稼ぎました。そうして2年目の夏休みで帰省したときの話です。
母親はお金がないのでもったいない,と言って行こうとはしませんでした。わたしは,三日間ほどかけて母親を口説きました。この映画は,木下恵介監督の傑作と言われている映画なので,試しにみておいた方がいい,と。そうして,ようやく映画館にでかけました。でも,間違いなく泣いてしまう映画なので和タオルをもっていきました。予想どおり,わたしも泣きましたが,母親は嗚咽していました。母親は,途中から,わたしの左手を両手で握りしめて,離そうとはしませんでした。そうして,交代で和タオルをつかっていました。こんなにたくさんの涙を流した映画は,あとにもさきにもありません。それはそれは,たいへんな映画でした。そして,大満足しました。
わたしの記憶している木下映画はみんなお涙頂戴ものばかりでした。それが,いま,日本の若い世代に注目されているだけではなくて,世界の映画ファンを魅了しているというのです。その理由について,何人かの映画監督さんが登場して解説をしていました。そのなかで,印象に残ったのは,「お互いに共感するこころ」が大事だという考え方が木下監督の根源にあって,それが映画となって表出しているのでは・・・という山田太一さんのことばでした。1950年代の映画ですから,みんな貧しく,世の中の矛盾に泣かされつづける弱者が,耐えに耐えて生きていく,そういう人物が主人公になっていました。そこでの人と人とを結び付ける力は,「共感するこころ」,そして「涙する情動」でした。
他者と苦しみを分かち合う,共感し合う,そして涙する情動・・・・こういうものを現代の文明社会に生きるわたしたちはすっかり忘れてしまっています。そのことをいちはやく指摘したのがトリン・ミンハでした。「涙する情動を取り戻せ」という名言はトリン・ミンハの名前とともに記憶しています。
「涙する情動」で思い出すのは「泣き虫先生」こと山口良治監督のことです。もはや,この人の名前を知る人も少なくなってしまったかもしれません。伏見工業高校ラグビー部監督として全国にその名をとどろかせ,映画やテレビでもおなじみになった『スクール☆ワォーズ』のモデルとなった人です。詳しい説明はたぶん不要でしょう。ツッパリや悪がきばかりが集まっていたラグビー部員を忍耐づよく指導して,全国優勝にまで導いた名監督です。この山口さんのあだ名が「泣き虫先生」。
強いチームにしてやろうと思って対外試合を組むと,生徒たちはボイコットしてしまう,校内での生活の規律を守るように指導しても,学校の外で悪をする,さんざん苦労した挙句,とうとう先生はラグビー部員たちを前にして「涙する」。どうしてこんなことがわかってもらえないのか,と涙ながらにお説教。「先生が泣いている」。ここから生徒たちの態度に変化が現れはじめます。そして,ついには,試合に勝てるようになってきます。すると「いい試合をしてくれた」「ありがとう」と言って「涙する」。負けるとわたしの指導が悪かったと謝り「ごめん」と言って「涙する」。山口さんのキー・ワードは「感動」。人は感動することが大事だ,と。感動する経験が人を変える,と。山口さんはそれを地でいく人。生徒たちが,それに気づくとみるみるうちに変わっていく。山口監督は「気づかせる」ことの名人。
生徒たちと苦しみを分かち合い,共感し合い,そして涙する,これが山口監督のセオリー。こういう監督のもとから多くの名選手,名コーチ,名監督が輩出したこともよく知られているとおりです。そのひとりが平尾誠ニ。
そんな山口良治監督を義父にもつ人,それが桜宮高校バスケットボール部顧問の先生だ,と週刊誌が報じています。ほんとうか?とわが目を疑ってしまいます。もし,ほんとうだとしたら,この顧問の先生には「涙する情動」が欠けていたのだろうか,と考えてしまいます。同じ「熱血」先生でも,生徒の前で「涙する情動」を持ち合わせているかどうか,ここがおおきな分かれ目であり,決定的なポイントとなります。
箱根駅伝でみごと総合優勝に導いた日体大の別府監督もまた,去年の惨敗のあと,初めて選手たちの前で「涙した」といいます。そこから「基本の基」,選手たちの生活態度からやり直すことによって,なにが大事なことかということに選手たちが「気づき」はじめたといいます。そうして,選手たちは生まれ変わったように走りはじめたといいます。
「涙する情動を取り戻せ」というトリン・ミンハのことばが,これからふたたび注目されるようになるのでしょう。木下恵介監督作品がそのきっかけになるのでは,と今日のクローズアップ現代は教えてくれました。それは,とりもなおさず,シモーヌ・ヴェイユのいう「根をもつこと」であり,「魂の欲求」を大事にし,実現させることにもつながっていくはずです。近代という時代をとおして「根こぎ」にされてしまった「魂の欲求」(たとえば,「涙する情動」)を,もう一度,「根づき」させること(根づかせること)が,不可欠であるとシモーヌ・ヴェイユは言います。
わたしたちは,いま,とても重要な転換期に立たされている,としみじみ思います。
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