関西方面へ,25,26,27日と出かけ,講演,研究会,フィールドワークを済ませてもどってきましたら,その間に,わたしのブログに6人の方からコメントをいただいていました。そのうちの5人の方は匿名でしたが,お一人だけ実名でコメントをいただきました。大阪体育大学学長永吉宏英先生です。このコメントにはなにをおいても応答しなければならないと考えました。コメントを寄せられたわたしのブログは,1月13日付けの「『体罰』ということばについて。大阪体育大学大学院の授業で議論」というものです。
このブログに対して,永吉先生からいただいたコメントは以下のとおりです。
「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」
大阪体育大学は,体育・スポーツや福祉の指導者養成に携わる大学としての伝統と社会的責任を踏まえ,クラブ活動を含むあらゆる教育の場において,体罰を行うことや体罰を是とする教育が行われることを断固として拒否します。
平成25年1月24日
大阪体育大学学長 永吉宏英
大学の方針と食い違うように見受けられるのですが
以上です。
で,わたしの応答は以下のとおりです。
「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」を全面的に支持します。そして,わたしのブログは,この方針に食い違うことはない,と確信しています。もし,疑念をいだかれたとしたら,やはり,それは「体罰」ということばの概念をめぐる問題にあろうかと思います。若い高校生を死に追い詰めるような肉体的苦痛を与える暴力は断じて許されることではありません。しかし,残念ながら,このような暴力も含めて「体罰」ということばが世間で流布しいます。その意味では,すべての「体罰」を教育の現場から排除すべきだという考えに全面的に賛成です。
しかし,先生もよくご存じのように,文部科学省も厳密な意味での「体罰」の概念規定をしていません。ですから,「体罰」の概念をめぐる議論も百花繚乱です。それは,恐ろしいほどの乱れ方です。その乱れに便乗したまま,メディアが濫用しますので,わたしたちはますます混乱してしまいます。その上,「体罰」問題が裁判沙汰になったときの法の裁きもまた,判例ごとに驚くほどの違いがあります。つまり,それほどに「体罰」ということばの概念規定は困難だということでもあります。
たとえば,東京弁護士会のHPにはつぎのように書かれています。
「体罰とは,懲戒として,殴る,蹴る,直立不動の姿勢をとらせるなどの肉体的苦痛を懲戒として与えることをいいます。トイレに行かせないといった行為も肉体的苦痛を伴うので,体罰にあたると考えられます。学校教育法11条は『校長及び教員は,教育上必要と認めるときは,文部科学大臣の定めるところにより,学生,生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし,体罰を加えることはできない。』と定めており,体罰は禁止されています。
体罰にあたるかどうかの判断について,文部科学省は,『当該児童,生徒の年齢,健康,心身の発達状態,当該行為が行われた場所的及び時間的環境,懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え,個々の事案ごとに判断する必要がある』,『有形力(目に見える物質的な力)の行使により行われた懲戒は,その一切が体罰として許されないというものではない』などとしていますが(18文科初第1019号・平成19年2月5日),いずれにしても,肉体的苦痛を伴うようなものであれば体罰に当たる点に注意する必要があります。」
こまかなことは省略しますが,要するに「体罰」ということばには大きなグレーゾーンがある,ということです。つまり,「体罰」と言った場合には,単なる暴力以外の意味もあることを文部科学省も認めているという次第です。そして,ここの部分に教育の根幹を形成する「教育愛」にかかわる重要な問題が潜んでいる,ということです。教育現場に携わった経験のある人であれば,みんな知っている事実です。ですから,このことを文部科学省もよく承知しているわけですので,その苦悩がこういう形で表現されているのだとわたしは考えています。
このグレーゾーンの核心部分に触れる発言が院生さんからありましたので,ここは避けてとおるわけにはいかないと考えました。そこで,わたしの考えているところを正直に吐露したという次第です。たぶん,このあたりのことを,学長さんは「大学の方針と食い違うように見受けられるのですが」とコメントされたのでは・・・と推測しています。
ここからは,いいわけになりますが・・・・。
ブログは限られたスペースに,ほとんど結論的なことしか書けませんので,これまでにもしばしば同様な指摘を受けてきました。そこで,読者の方たちにお願いしていますことは,当該のブログに関連したブログをほかにも書いていますので,それらと合わせて,総合的な判断をしていただきたい,ということです。たとえば,今回のブログに直接関連するものだけでも,以下のものがありますので,参照していただければ幸いです。
1月10日 桜宮高校バスケットボール部で起きたことは「事件」であって,「事案」ではない。
1月15日 「新しい文化の誕生」。帝京大学ラグビー部,岩出監督のことばが素晴らしい。
1月16日 橋下君,トンチンカンですよ。桜宮高校の生徒や受験生を犠牲にしてはいけません。
1月17日 「涙する情動を取り戻せ」(トリン・ミンハ)。木下監督,山口良治監督,そして桜宮高校。
1月20日 言論によるビンタは野放しのまま。これでいいのか。冗談じゃない。
1月22日 桜宮高校の入試中止。受験生無視,在校生無視,教育委員会はだれのためのもの? 断じて許せない。
1月22日 桜宮高校の生徒8人,記者会見で反論。素晴らしい。駄目なのは大人。
ながながと書いてしまいました。これで学長さんへの応答を終わります。
たいへん責任の重いポジションで,世間の荒波にもまれながらの対応,人には言えぬご苦労が多いことと思います。どうか,くじけずに,わが信ずるところを,一直線に進んでください。こころから応援しています。
〔お詫びと訂正〕
大阪体育大学学長さんからコメントがあった,という前提で,このブログを書いてしまいました。が,学長さんからのコメントはありませんでした。それは,「匿名」さんが,「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」をオープンにして,コメントしてくれたものでした。一度は,このブログを削除しようかと考えましたが,内容的には,前のブログを補完するものになっていると考えましたので,このまま掲載することにしました。とんだわたしの勘違いで,みなさんにはたいへんご迷惑をおかけしまた。お詫びして訂正させていただきます。ご寛容のほどを。
このブログに対して,永吉先生からいただいたコメントは以下のとおりです。
「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」
大阪体育大学は,体育・スポーツや福祉の指導者養成に携わる大学としての伝統と社会的責任を踏まえ,クラブ活動を含むあらゆる教育の場において,体罰を行うことや体罰を是とする教育が行われることを断固として拒否します。
平成25年1月24日
大阪体育大学学長 永吉宏英
大学の方針と食い違うように見受けられるのですが
以上です。
で,わたしの応答は以下のとおりです。
「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」を全面的に支持します。そして,わたしのブログは,この方針に食い違うことはない,と確信しています。もし,疑念をいだかれたとしたら,やはり,それは「体罰」ということばの概念をめぐる問題にあろうかと思います。若い高校生を死に追い詰めるような肉体的苦痛を与える暴力は断じて許されることではありません。しかし,残念ながら,このような暴力も含めて「体罰」ということばが世間で流布しいます。その意味では,すべての「体罰」を教育の現場から排除すべきだという考えに全面的に賛成です。
しかし,先生もよくご存じのように,文部科学省も厳密な意味での「体罰」の概念規定をしていません。ですから,「体罰」の概念をめぐる議論も百花繚乱です。それは,恐ろしいほどの乱れ方です。その乱れに便乗したまま,メディアが濫用しますので,わたしたちはますます混乱してしまいます。その上,「体罰」問題が裁判沙汰になったときの法の裁きもまた,判例ごとに驚くほどの違いがあります。つまり,それほどに「体罰」ということばの概念規定は困難だということでもあります。
たとえば,東京弁護士会のHPにはつぎのように書かれています。
「体罰とは,懲戒として,殴る,蹴る,直立不動の姿勢をとらせるなどの肉体的苦痛を懲戒として与えることをいいます。トイレに行かせないといった行為も肉体的苦痛を伴うので,体罰にあたると考えられます。学校教育法11条は『校長及び教員は,教育上必要と認めるときは,文部科学大臣の定めるところにより,学生,生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし,体罰を加えることはできない。』と定めており,体罰は禁止されています。
体罰にあたるかどうかの判断について,文部科学省は,『当該児童,生徒の年齢,健康,心身の発達状態,当該行為が行われた場所的及び時間的環境,懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え,個々の事案ごとに判断する必要がある』,『有形力(目に見える物質的な力)の行使により行われた懲戒は,その一切が体罰として許されないというものではない』などとしていますが(18文科初第1019号・平成19年2月5日),いずれにしても,肉体的苦痛を伴うようなものであれば体罰に当たる点に注意する必要があります。」
こまかなことは省略しますが,要するに「体罰」ということばには大きなグレーゾーンがある,ということです。つまり,「体罰」と言った場合には,単なる暴力以外の意味もあることを文部科学省も認めているという次第です。そして,ここの部分に教育の根幹を形成する「教育愛」にかかわる重要な問題が潜んでいる,ということです。教育現場に携わった経験のある人であれば,みんな知っている事実です。ですから,このことを文部科学省もよく承知しているわけですので,その苦悩がこういう形で表現されているのだとわたしは考えています。
このグレーゾーンの核心部分に触れる発言が院生さんからありましたので,ここは避けてとおるわけにはいかないと考えました。そこで,わたしの考えているところを正直に吐露したという次第です。たぶん,このあたりのことを,学長さんは「大学の方針と食い違うように見受けられるのですが」とコメントされたのでは・・・と推測しています。
ここからは,いいわけになりますが・・・・。
ブログは限られたスペースに,ほとんど結論的なことしか書けませんので,これまでにもしばしば同様な指摘を受けてきました。そこで,読者の方たちにお願いしていますことは,当該のブログに関連したブログをほかにも書いていますので,それらと合わせて,総合的な判断をしていただきたい,ということです。たとえば,今回のブログに直接関連するものだけでも,以下のものがありますので,参照していただければ幸いです。
1月10日 桜宮高校バスケットボール部で起きたことは「事件」であって,「事案」ではない。
1月15日 「新しい文化の誕生」。帝京大学ラグビー部,岩出監督のことばが素晴らしい。
1月16日 橋下君,トンチンカンですよ。桜宮高校の生徒や受験生を犠牲にしてはいけません。
1月17日 「涙する情動を取り戻せ」(トリン・ミンハ)。木下監督,山口良治監督,そして桜宮高校。
1月20日 言論によるビンタは野放しのまま。これでいいのか。冗談じゃない。
1月22日 桜宮高校の入試中止。受験生無視,在校生無視,教育委員会はだれのためのもの? 断じて許せない。
1月22日 桜宮高校の生徒8人,記者会見で反論。素晴らしい。駄目なのは大人。
ながながと書いてしまいました。これで学長さんへの応答を終わります。
たいへん責任の重いポジションで,世間の荒波にもまれながらの対応,人には言えぬご苦労が多いことと思います。どうか,くじけずに,わが信ずるところを,一直線に進んでください。こころから応援しています。
〔お詫びと訂正〕
大阪体育大学学長さんからコメントがあった,という前提で,このブログを書いてしまいました。が,学長さんからのコメントはありませんでした。それは,「匿名」さんが,「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」をオープンにして,コメントしてくれたものでした。一度は,このブログを削除しようかと考えましたが,内容的には,前のブログを補完するものになっていると考えましたので,このまま掲載することにしました。とんだわたしの勘違いで,みなさんにはたいへんご迷惑をおかけしまた。お詫びして訂正させていただきます。ご寛容のほどを。
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