2013年1月28日月曜日

日馬富士時代の到来。全勝優勝は伊達ではない。白鵬に翳り?

 千秋楽の相撲をみて,いよいよ日馬富士時代の幕開けだ,と強く思った。今場所の日馬富士は一回りもふたまわりも,相撲内容がよくなった。スケールが大きくなった。それが今場所の日馬富士の相撲だった。とりわけ,千秋楽の相撲が。立ち合いから寄り切りまで,白鵬になすすべを与えなかった。それどころか,相撲内容に格の差さえみせつけた。もうひとつ上のレベルの世界に駆け上がった,そんな印象である。

 あの立ち合いの踏み込みの圧力で,すでに白鵬を圧倒していた。相手の土俵に一歩,攻め込んでいた。それほどの鋭い立ち合いだった。このときから白鵬はすでに受け身であった。その勢いに乗って,白鵬のあごの下に頭をつけて,あっという間に双差しを果たした。ここで勝負あり。白鵬は日馬富士の両腕をかかえて,防戦これあるのみ。たった一回だけ,腰を振って日馬富士の右の差し手を切って,つぎへの展開を見出そうとしたその瞬間に,日馬富士は,右で前まわしを引き直し,間髪を入れずに寄ってでた。右前まわしをぐいと引きつけた瞬間に白鵬の体が浮いてしまった。あとは,怒濤の寄りである。白鵬はなすすべもなく,持ち上げられるようにして土俵の外へ。立ち合いから真っ向勝負にでての,日馬富士の文句なしの圧勝。この一番のもつ意味はとてつもなく大きい。そのことは,日馬富士はもとより,白鵬が一番よく承知していることだろう。

 先場所の日馬富士の後半戦は両足首を痛めていて,パワーもスピードも半減。その結果の9勝6敗。相撲のなんたるかもわかっていない横綱審議委員長の情け容赦のない発言に,このわたしですら涙した。つまり,新横綱日馬富士の相撲を「横綱の資格はない」と唾棄したのだ。じゃあ,だれが横綱に推挙したのだ,とわたしはひとりで吼えた。なにか恨みでもあるのだろうか。二場所全勝優勝して,文句なしに横綱に登りつめた立派な力士だ。「どこか痛いところでもあったのか。だとしたら,早く治して,来場所に雪辱を。」くらいのことばがなぜ吐けぬ。いまのような横綱審議委員会なら必要ないない。もともと横綱というものは,外部委員会の合議制で決めるような,そんな存在ではないのだから。

 それにつけても今場所の日馬富士の相撲内容は素晴らしかった。立ち合いの鋭い踏み込みで,まずは,相手を圧倒していた。つねに,相手の土俵で相撲をとるべく努力していた。当たって,押し込んでおいてからの芸術的な変化技が冴え渡っていた。激しく当たって,突き立てておいてからの一瞬の変化わざ。そのスピードは,かつての横綱栃の海にも匹敵する,目の覚めるような芸術品だった。明らかに新境地を開く,みごとな場所だった。この今場所の日馬富士の相撲のすごさにどれだけの人が気づいているだろうか。

 わたしが確認したかぎりの新聞もテレビも,そして,ネットも,日馬富士の今場所の相撲のすごさについてはほとんど触れていない。解説する能力がないのかも知れない。ただ,星勘定だけして,全勝=素晴らしい,という程度の反応でしかない。ひょっとしたら,日馬富士の活躍を快しとしない輩がメディアには多いということなのだろうか。いやいや,そうではなくて相撲の醍醐味を伝えられるジャーナリストが少なくなったということなのだろう。あちこち掛け持ちで,いろいろの競技種目の記事を書いているようでは,相撲の醍醐味を理解し,解説し,記事にすることなど,まずは,不可能に近い。

 だからこそなおのこと,このブログでは強調しておこう。今場所の全勝優勝は,これまでにない内容のある相撲であった,と。つまりは,心技体の三拍子揃った,とてつもなく素晴らしい相撲内容を誇っている,と。日馬富士のこれまでの相撲歴のなかの頂点のひとつと言ってよいだろう。こんごも,つぎつぎに,そのレベルを上げていってくれるものと信じている。がしかし,そうそう簡単ではない。そのためには,両足首にかかえている時限爆弾を,一刻も早く完治させることだ。これを完全に克服したとき,日馬富士の相撲は完成するのだろう。そうなったら,もはや,天下無敵となる。日馬富士の黄金時代の到来である。

 その日のやってくることをこころから願ってやまない。それは,単なる日馬富士のファンとして,優勝記録を更新してほしいというよな単純な願望ではない。そうではなくて,これまでの大相撲のレベルを上げるために貢献してほしい。つまり,これまでの相撲史になかったような,まったく新しいスピードとパワーを兼ね備えた,きわめてレベルの高い,アーティスティックな相撲を見せてほしいからだ。それは日馬富士にしかできない芸だからだ。

 今場所にみせた,あのからだの切れのよさ,これこそ天下一品の芸だ。こんな芸をもっていた力士をわたしは知らない。日馬富士の相撲はこれからだ。円熟味がでてくるのは,これからだ。これから,ますます芸術的な相撲が完成していくことだろう。それをこれから楽しみにしたい。そのためには,まずは,なにをおいても両足首を完治させることだ。来場所は,まだ,その痛みを引きずりながらの相撲になるのかも知れない。そんな中でこそ,前人未到の相撲道を極めていくことができるのではないか。そんなことをこれからの日馬富士には期待している。

 そして,彼ならできる。そう,わたしは確信している。
 頑張れ,日馬富士!


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