2013年1月20日日曜日

言論によるビンタは野放しのまま。これでいいのか。冗談じゃない。

 鳩山由紀夫が「国賊」ならば,わたしもまた立派な「国賊」である,と昨日(19日)のブログに書いた。その理由はすでに書いたとおりであるが,その他にもある。わたしは長い教職生活の間に,中国や韓国からの留学生をたくさん受け入れてきた。そのうちの何人かは,博士論文を書くためのお世話もしてきた。かれらは,みんな優秀で,その多くは中国や韓国に帰って大学の教授になっている。そのかれらとは,いまも,密接な交流がつづいている。時折,かれらが日本にもやってくるので,あるいはまた,わたしがあちらに出かけたりするので,そのつど,かなり踏み込んだ議論をする。お互いの信頼関係があるので,ホンネで話をする。

 当然のことながら,今回の「尖閣諸島」の問題についても意見の交換をしている。こちらは,いまのところメールでやりとりをしている。そして,みんな異口同音に「日本がだまし取った」という趣旨の意見を述べている。わたしも,まったく同感である,と応答している。そして,その根拠をポツダム宣言以後の連合国の処理の仕方に問題があったと指摘して,かれらの意見を尋ねみたりしている。そして,やはり,現段階では「棚上げ」にして,しかるべき「時」を待つのがベターである,と。もちろん,このわたしの意見に反対する中国人もないわけではない。たとえば,「実効支配」していること事態が間違っている,という意見の人もいる。しかし,それを言いはじめると日中国交回復の前提が崩れてしまうから,それはもう少し待ってほしい,とわたしは応答している。そして,なにより大事なことはお互いに「友人」になることだ,と。しかし,いまや,その前提すら日本が一方的に破棄してしまい,友人になることどころか,真っ向から「敵対」することになってしまっている。

 しかし,こういう民間でのやりとりもまた「国賊」だというのであれば,わたしはまぎれもなく「国賊」のひとりだ。このように言われることを覚悟した上で,でも,ほんとうのことは言っておこうと腹をくくることにしている。

 その一方で,わたしにも言い分はある。はっきり言っておこう。小野寺国防相の発言そのものが,わたしにとっては「言論によるビンタ」に等しい,ということだ。大臣の言論に対して,わたしたち庶民は,せいぜいこういうブログで対抗するしか方法はない。言ってみれば,ほとんど無抵抗の庶民にビンタをくらわしているのと変わりはない。現に,わたしは少なからず怯えている。そして,相当の覚悟をもって,このブログを書いている。

 この言論という名のビンタは,じつは,ずいぶん前から浸透している。たとえば,テレビ討論などをみていても,わたしのような意見を述べる論者には超党派で集中攻撃を浴びせてくる。ついには,わたしのような論者は,ひとりも登場させてもらえない情況ができあがってしまっている。あらかじめ,排除されているとしか思えない。そして,みんながみんな異口同音に「尖閣諸島」は日本の固有の領土だ,という前提の話しかしない。そうなると,日本の国民の圧倒的多数がそれをそのまま鵜呑みにして,信じることになる。そして,「早く軍隊をつくって,中国の船を追い出してしまえ」「竹島をとりもどせ」「北朝鮮をやっつけてしまえ」という暴論を吐く人が,日に日に増えている。恐ろしいことが,いま,水面下で進展している。

 それに輪をかけるようにして,新聞もテレビも「中国船が領海を侵犯した」「飛行機が領空侵犯」という報道をくり返す。

 これでは,言論による「往復ビンタ」ではないのか。

 庶民はいつのまにか,この「往復ビンタ」に順応してしまい,なんの抵抗もなく,ああ,そうなんだ,と思うようになる。そして,にわかに愛国主義者に変身する。そして,いとも短絡的に「軍隊をつくって,やっつけてしまえ」と吼えはじめる。そのくせ,自分の息子たちは絶対に兵隊には行かさない,と平然と言ってのける。じゃあ,だれが戦うのか。そんなことはそっちのけの愛国主義者が激増している。わたしの身のまわりにもうじゃうじゃいる。そして,自分の言動の矛盾に気づいてはいない。こういう庶民レベルの話が,いまでは,高学歴者で一流企業に勤めるエリート社員の間にも広がっている,という。わたしも,そのうちの何人かの人と話す機会があった。

 もう,びっくり仰天を通り越して,唖然としてしまって,茫然自失である。エリートもまた,「思考停止」「自発的隷従」の隘路に入り込んでしまっている。まわりの人がみんなそうなってしまうと,自分の奇怪しさに気づくこともなくなってしまう。

 こんなことが日常化しつつある。となると,どういうことが起こるのか。

 漫画家牧野圭一のデビュー当時のマンガにつぎのようなものがある。
 サラリーマンが,いつものように朝,バス停で新聞を読みながら立っている。そこに,どこかから鉄砲の弾が飛んできて新聞紙を突き抜けていく。サラリーマンはなにが起きたのかわけがわからなくて呆然と立ち尽くす。すると,そのバス停周辺はいつのまにか戦場になっている。そして,兵士たちが銃撃戦を繰り広げている。サラリーマンは急いで身構える。そのサラリーマンに銃が手渡される。最初は自分の身を守るために銃を構えているが,敵が目の前に現れると,もう,われを忘れて銃を撃ちつづける。いつのまにか立派な兵士に変身している・・・・というマンガである。

 熱心に新聞を読んでいたサラリーマンが,あっという間に,ひとりの兵士に成り果てる。
 言論による「往復ビンタ」をくらっているうちに,だれもが無抵抗のまま兵士となる可能性を予言しているようなマンガである。

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