2014年5月23日金曜日

〔主文〕大飯原発3,4号機を運転してはならない。

 大飯原発訴訟の判決要旨を熟読してみました。何回も何回も繰り返して読み直してみました。とてもよくできた判決文で,感動しました。そこには生きものとしての生身の人間を重視する立派な思想・哲学が存在している,と感じ取りました。この判決を導き出した樋口英明裁判長にこころから敬意を表したいと思います。「司法は生きている」と心強くも思いました。

 この判決文を読んで,もっとも印象に残ったことは,「3・11」以後を生きる人間にとってなにが大事なのか,という司法の考え方が明らかにされたことでした。「3・11」以前と以後とでは,この国のあり方そのものが根源的に変わらざるをえなくなった,という良識がこの判決文に生き生きと脈打っています。まずは,そのことに,感動しました。これでなくてはいけない,とつねづね考えてきたことが,司法の場で機能していることを知り,こころから安堵しました。

 政治家の圧倒的多数が,上はトップから下は地方議会の議員にいたるまで,「思考停止」状態のまま,狂ったトップの言いなりになろうとしています。情けないことに・・・。韓国のセウォル号の悲劇はけして他山の火事ではありません。日本という国全体を巻き込んだ「日本丸」が,いま,まさに沈没しそうになっているのですから。そのことに,ようやく多くの国民が気づきはじめた「いま」,この大飯原発訴訟の判決が出されたことはとてもタイムリーで意義のあることだった,とわたしは考えています。

 「大飯原発3,4号機を運転してはならない」。これが主文です。まことに簡明で分かりやすい名文です。そして,〔求められる安全性〕の冒頭には以下のように書かれています。

 「原発の稼働は法的には電気を生みだす一手段である経済活動の自由に属し,憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。」

 なんと明快な文章でしょう。法律の世界に疎いわたしのような人間にも,すんなりと呑み込めてしまいます。原発の稼働は経済活動であって,人間の命にかかわる人格権よりも劣位にあるのだ,と明言しています。電気代と命,どちらが大事か,ということの憲法上の考え方(法的根拠)が提示されたのです。

 その上で,〔原発の特性〕を説き,〔大飯原発の欠陥〕を指摘し,〔冷却機能の維持〕についての考え方があまりに楽観的にすぎると批判し,さらに〔使用済み核燃料〕の処理方法についても,確かな展望もえられない脆弱なものだと断定。さらに〔国富の喪失〕について触れ,以下のような重要な指摘をしています。

 「被告は原発稼働が電力供給の安定性,コストの低減につながると主張するが,多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり,議論の当否を判断すること自体,法的には許されない。原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても,豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失だ。」

 「被告は,原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると主張するが,福島原発事故はわが国始まって以来最大の環境汚染であり,原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違いだ。」

 そして,最後に〔結論〕として,「原告のうち,大飯原発から二百五十キロ圏内の住民は,直接的に人格権が侵害される具体的な危険があると認められる。〕と結んでいます。

 以上のように,この判決文は,とてもわかりやすくて,説得力のある,みごとな見解を示してくれています。少し冷静に考えれば,だれでもわかる理屈ばかりです。にもかかわらず,「思考停止」してしまった政府(菅義偉官房長官)は「再稼働方針は変えない」と判決後の記者会見で述べて平然としています。また,原子力規制委員長の田中俊一氏も「大飯原発は従来通り,われわれの考え方で適合性審査をする」と言っています。(※原子力規制委員6名全員が,もちろん,委員長もふくめて全員が電力会社や関連会社から研究費という名のリベートをもらっている,という事実が今日・23日の新聞に報じられています。規制委員会とは名ばかり。この委員会こそが「規制」されている,という笑えない事実こそが肝要。)

 わたしたちは,この司法による,じつに明快で,論理的整合性に支えられた立派な判決文を熟読玩味して,原発再稼働に突っ走る政府自民党に歯止めをかけていくことが,まさに,喫緊の課題です。これからは,この判決文を旗頭にして,あらたな闘争の段階に入っていくことができます。ひとつの明るい灯火がえられた,とわたしはこころから喜んでいます。

 みなさんはどのようにこの判決文を読まれたのでしょうか。お聞かせください。
 ではまた。お元気で。
 
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