2014年5月26日月曜日

千秋楽の一番。下手くそな八百長相撲。後味の悪さが残る。

 白鵬の圧倒的な強さだけが光った一番だった,と多くのメディアは絶賛するだろう。そして,白鵬の優勝を絶賛し,こころから言祝ぐことだろう。そして,日馬富士は優勝戦線から脱落して気落ちしたか,雑な相撲をとった,と。

 しかし,わたしの眼にはそうは写らなかった。
 これは日馬富士のひとり八百長だったのだろうか。それとも白鵬も承知の上だったのだろうか。あるいは,途中でわかったのだろうか。と,三つの見方が同時にわたしの頭のなかを駆けめぐっている。

 土俵上の相撲の流れをみるかぎりでは,日馬富士のひとり八百長,とみるのが自然だ。それにしては下手すぎた。最後の投げられ方(上手出し投げ)は,昨日の琴奨菊とまったく同じだった。まるで,格の違いをみせつけるような演出だった。あそこまでやってはいけない。少し眼の肥えた相撲ファンにはバレバレになってしまう。

 ひとり八百長でもなさそうだな,という見方もある。それは,控えに入ってからの白鵬の顔つきがいつもとは違っていた。いつもは,控えに入ってからも眼つきは鋭く,闘志を全面にみなぎらせている。しかし,千秋楽はそうではなかった。腰を下ろして座ったときから,どこか悟りきったようなおだやかな顔をしていた。目つきもどこかトロンとしている。このときから,わたしは「おやっ?」と思って,以後,土俵に上がるまでの白鵬の目つきを追った。ずっと静かな,そして柔らかなまなざしのままだった。

 土俵に上がってからは,いつもの白鵬の目つき・顔つきになった。日馬富士の方はいつもとまったく同じ顔つき。そして立ち合い。日馬富士はもろ手突きででたが足が動いていない。まったくいつもの立ち合いとは違う。白鵬は左から張手,そして,やや左に回り込んで左上手をとる。これで十分の組み手となる。日馬富士は左上手も引けないまま,右を差して,動こうとはしない。どうしたんだ,とわたし。動け,動いて動いて左の上手を狙え,さもなくば巻き替えて双差しを狙え,とわたし。しかし,一向に動こうとはしない。それどころか,日馬富士のやったことは両足を揃えて腰を低くして身構えたことだ。まるで白鵬の寄り身に備えているかのようにみせていたが,その意図は激しい寄り身をみせた上で,上手出し投げを打ってくれという合図を送ったのだ。

 白鵬は,よしわかった,とばかりにちょっと寄りをみせてすぐに出し投げを打った。日馬富士はなんの抵抗もしないでみごとに投げられ,転がっていった。これは日馬富士の思惑とはいささかズレがあった。日馬富士は白鵬の寄り身に備える体勢をつくったのだから,激しく寄り身をみせて,それを日馬富士が必死でこらえる,その場面を演出したかったのだ。その上で,出し投げを打ってくれ,と。だが,白鵬はほんのちょっと寄りをみせてすぐに出し投げを打った。さきを急ぎすぎたのである。少なくとも,あの場面は,真っ赤になって寄り身をこらえる日馬富士の見せ場をつくった上で,最後に出し投げを打つべきだった。そうすれば申し分のない完璧な八百長だった。まだまだ白鵬はわかっていないなぁ,そして,下手くそだなぁ,というのがわたしの見立て。

 さて,みなさんの見立てはいかがなものだったのでしょうか。

 もうひとこと加えておけば以下のとおり。
 稀勢の里が,もしも負けていたら,日馬富士は勝ちにいっただろう。しかし,稀勢の里が勝ったので,ここは白鵬に華をもたせてやろう,ということになったのだろう。その意味では,日馬富士のひとり八百長。でも,最初から仕組まれていた可能性もなきにしもあらず,という見方もある。

 これもまた大相撲の醍醐味というもの。こういう楽しみ方もあり,というのがわたしのスタンス。
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