2014年5月16日金曜日

「集団的自衛権,そんなんあかんやろ?」(奈良の中学生の声)。

 奈良県で教職についているわたしの若い友人から,5月14日の朝,つぎのようなメールがとどきました。前日(13日)夜の親子の会話です。息子さんは中学生(?,わたしの推測)。夕食時のテレビ・ニュースを聞いていての会話だそうです。

 息子:あれは許されへんわ。
 父親:なに?
 息子:集団的自衛権。そんなん安倍さんが変えたら,つぎ代わった人がまたそれを使ってええように変えるやん。そんなンあかんやろ。
 父親:たしかになぁ。
 息子:それにな,第三次世界大戦に日本が参戦するということになるやん。あかんやろ。なんで今変えようとするん?
 父親:アメリカに「言うこと聞いてますよ」とアピールしてはるんちゃう?
 息子:もう変えられへんねやろ?安倍さんが進む方向を。僕らとか,国民が,おいおい,と言っている間に変わっちゃうねんな。あかんやろ。

 こういう会話が,父と子の間で成立している家庭がまだまだ健在だということを知って,それがまずなにより嬉しかったことでした。そして,こういう会話ができる家庭の子どもは,たぶん,素直に世の中と向き合い,疑問に感じたことをそのまま「あかんやろ」と表現できるようになるのだろうなぁ,と想像しました。

 ごくふつうに育ち,ごくふつうの感性をもち,ごくふつうに考える力をもった中学生なら,ごくふつうに疑問をいだく,それが「集団的自衛権」。そして,それをくい止めることもできないなんて「あかんやろ」と素直に言うことができます。。しかし,思考を停止してしまって,単なる金の亡者となりはててしまった大人は,なんの疑問もいだくことなく,総理大臣の言うことだから,とまるごと信じてしまいます。

 自分の主張をとおすためなら,どんな詭弁でも,いやいや真っ赤な嘘(under control)でも平気で言えるアベ君ですので,その本性は集団的自衛権の主張でも同じでした。

 昨日(15日)の記者会見でも,みごとな詭弁を弄していました。たとえば,こんな事例を挙げていました。アメリカの輸送艦船に日本人(あなたの子どもさんやご両親)が乗っているときに,敵の攻撃を受けたとしても,日本は手も足も出せないのです。こんなことでいいのでしょうか。日本人の命を守るのは国家として,政府として,総理大臣として当然の義務です。それができるようにしようというのが集団的自衛権です。という具合でした。おまけに,稚拙なパネルまで提示して。

 聞いていて笑ってしまったのは,アメリカの輸送艦船に乗船する日本人とはどういう人のことを言っているのでしょう。その艦船に敵が攻撃してきたとき・・・というときの「敵」とはどういう国のことを言っているのか。いま,攻撃してくる可能性があるとしたら,アメリカがテロリストと名づけている集団だけです。しかも,テロリストの集団は国家ではありませんから,戦争にはなりません。一発攻撃だけです。しかも,攻撃される理由は不問に付しておいて,ただちに日本国は友軍を送らなくてはならない,と考えるアベ君の思考のレベルの低さが恐ろしいと思いました。こんな人がいまの日本国のリーダーなのです。恐るべしです。

 日本は戦争をしないと宣言し(憲法第9条),軍隊ももたない姿勢を貫いてきました。ひたすら,警察権と自衛権を前面に押し立てて,その姿勢を貫いてきました。なによりも,それを求めたのはポツダム宣言の戦勝国でした。ですから,国際社会もまた,それを守りつづける日本国を高く評価してきました。最近の情報では,日本の憲法第9条はノーベル平和賞にノミネートされたといいます。それほどに世界が注目している憲法なのです。

 積極的平和主義とは,憲法第9条を全面に押し立てて,世界外交を展開していくことだ,とわたしは考えます。しかし,アべ君はそうではありません。集団的自衛権の行使を容認することによって「抑止力」が高まること,これがアベ君のいう積極的平和主義だそうです。このことを15日の記者会見では何回も繰り返し主張していました。「あかんやろ」とくだんの息子さんなら言うでしょう。こういうアベ君の単純な発想による「抑止力」の最終ゴールは「核」を保有することになります。この発想は北朝鮮とまったく同じです。

 いよいよ日本国は戦争のできる国へと第一歩を踏み出そうとしています。くだんの息子さんに「あかんやろ」と言われないように,われわれ大人の踏ん張りどころを迎えました。こんどこそ「火の粉」がふりかかってくる話です。黙っているわけにはいきません。なにはともあれ,まずは,できるところから行動を起こすしか方法はありません。

 くだんの息子さんには,はがき一枚でいいから,官邸にむけて「集団的自衛権,それはあかんやろ」と書いて送るよう提案します。そして,友達にも声をかけて,その輪を広げていってください,と。沖縄では基地反対闘争には親子で参加し,小学生も中学生も,壇上に立って声明文を読み上げています。それが当たり前の風景になっています。本土ははるかに立ち遅れています。これからでも遅くはありません。できるところから,まずは,行動を起こしましょう。

(未完)。

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