2011年7月24日日曜日

もどってきた日馬富士,おめでとう!

日馬富士が2度目の優勝を飾った。2年ぶりである。この日をわたしは首を長くして待っていた。右足首をはじめ,満身創痍のからだと向き合いながら,なんとか大関の地位を守ってきた。からださえもとにもどれば・・・,つぎは横綱だとわたしは密かに期待していた。なぜなら,いま,真向勝負で白鵬に勝てる力士は日馬富士しかいないからである。

真っ正面から激しく当たって,左前みつをつかんで食い下がる。左足を軸にして回転しながら相手の態勢をくずし,決めの態勢に入るのは右足だ。この右足に故障をかかえていて,おもうような相撲がとれなかった。が,ようやくその故障も癒えてきたようだ。今場所をみるかぎり,8割方の回復とみた。あとは絶好調まで2割ほど。そのすべてが右足首の捻挫にある。これさえなくなれば,あとは怖いものなしだ。

天性のスピードといい,相撲カンのよさといい,わたしの好きなタイプの力士だ。まずは,小兵であることが嬉しい。いまは,だいぶからだもできてきて,堂々たる体躯をほこることができるところまできた。そして,安馬時代からみたら雲泥の差である。ひょろひょろのからだはどこかひ弱ささえ感じたものだ。にもかかわらず,安馬は,立ち会い一歩も引かず真っ正面からぶつかった。そして,どんな相手にも押し込まれない立ち会いを身につけたときから,一気に大関に駆け上がった。が,そこに右足首の捻挫という宿敵が待っていた。

右足首に力が入らない,右足で踏ん張れないということは,得意の低く当たって左前みつをとるという態勢に入れない。そのために,無理をして,からだのあちこちに故障を呼び込んでしまった。不甲斐ない負け相撲がつづいたのはそのせいだ。そのねばることのできない不甲斐ない負けが,今場所は姿を消した。そして,見違えるような相撲内容を展開した。白鵬との一戦はそれをみごとに証明してみせた。右足の復活である。

怪我を克服したあとの力士は強くなる。精神的にも肉体的にも。自分でも納得のいかない,不甲斐ない相撲が日馬富士のこころもからだも強くした。これで一気に横綱だ。からだをしっかり休めてから,もう一度,きちんとからだをつくり上げ,来場所に臨んでほしい。そして,来場所は全勝優勝で,横綱昇進を実現しよう。そうなると,日馬富士の時代の到来である。

小兵,スピード,相撲カン,理詰め・・・・かつての横綱栃の海の再来である。顔もよく似ている。栃の海は横綱としては短命だったが,日馬富士は大丈夫。そういうからだを作り上げてきた。どんな相手にも怯むことなく真向から当たる馬力を持っている。というよりは,相手の圧力を吸収してしまう足腰の柔らかさがある。そして,ヌーボーとした表情がいい。だれを相手にしても表情を変えない。平常心そのままだ。だから,土俵上でほとんど緊張感を感じさせない。朝青龍,白鵬との違いである。勝負師としては一枚上である。

千秋楽の今日,稀勢の里に負けたのがよかった。最後の詰めが甘くなり,土俵際の突き落としをくった。はっきりとした課題が残ったとみるか,星ひとつ貯金ができたとみるか,稀勢の里に大関への道を用意したとみるか,見方はいろいろあろう。大相撲とはこういうものなのだ。その読みが深くなればなるほど大相撲の醍醐味を味わうことができるようになる。

それに引き換え,白鵬の3敗はいささか意外であった。
わたしの読みは,日馬富士との直接対戦で勝っておいて,14勝1敗同士になり,千秋楽の優勝決定戦で日馬富士に優勝させる,というものであった。が,そうはならなかった。そこがまた大相撲の面白いところでもある。
それにしても,琴奨菊は惜しいことをした。せっかく,白鵬に勝って,それいけ,というところでこけてしまった。自滅である。もうひとまわり強いこころをわがものとして,来場所に期待しよう。今場所はいろいろの意味で収穫が多かったはず。自信にもなったはず。あとは,自分の型にみがきをかけて,一気にがぶり寄りをしてほしい。

もどってきた日馬富士に,もう一度,おめでとう!を。
そして,来場所は横綱だ。怪我さえしなければ大丈夫だ。頑張れ,日馬富士!

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