2011年7月4日月曜日

東電株主は賠償金を負担する覚悟はあるのか。

東電の株主総会の様子を,わたしは宮城県岩沼市のホテルに滞在中のテレビ・新聞で追っていた。29日は,宮城県の海岸沿いに北上し,気仙沼まで,いたるところ手つかずのまま瓦礫が散在し,海水が水たまりをつくっている様子をつぶさに眼にしていた。その日の夜,テレビで総会の様子を映し出していた。もっと長い時間,くわしく放映してほしかったが,どこもとってつけたような報道でしかなかった。まるで大したことはなにもなかったかのごとくに。

そして,30日は,わたしは海岸沿いに南下し,南相馬市の20キロ喚問所まで(途中,救援センターや仮説住宅の様子なども見届けながら)行ってみた。そして,その場に立って,この境界線がなにを意味しているのか,しみじみと考えてみた。そこから折り返して,放射線量の高いと言われている飯館村を通り,伊達市のそばを通過して,福島市に到着。福島市内でも,持参した計器の警報が鳴りやまない。つまり,0.50マイクロシーベルトを超えているのだ。それもはるかに高い値を示しつづける。飯館村のある地域では,4.80マイクロシーベルトに達している。

ちなみに,この日にコンビニで購入した「福島民友」という地方紙に掲載されている「29日の県内環境放射能測定値(単位:マイクロシーベルト/時)を書き写しておこう。たとえば,福島県北部の午前11時の数値を挙げると以下のとおり。
福島:1.33,伊達:0.78,二本松:1.28,本宮:1.19,郡山:1.21,白河:0.50,会津若松:0.16,南会津:0.07,南相馬:0.50,いわき:0.20,田村:0.22,飯館:2.89。
20キロ県内の測定結果は以下のとおり。
楢葉町繁岡:1.50,広野町二つ沼:0.75,旧冨岡町役場:4.36,原子力センター:7.36,浪江中央公園:1.32,浪江町幾世橋小:0.68。

これからの数値をどのように読むかはここでは割愛しておく。ただ,福島市内や郡山市内の数値がいかに高いかはとりたてて注目しておく必要があろう。こういうところで,文部科学省はプールで泳がせてなんら問題はない,と平然としている。多くの専門家が警告を発しているにもかかわらず。

こういう現実について,東電の株主たちはどの程度の認識をもっているのだろうか。
東電は賠償金を支払うと言っている。しかし,その額については明らかにしてはいない。仮払い補償金ですら,明らかにされてはいない。が,すでに,賠償金を全額負担することは不可能だと言われている(つまり,破産してしまうということ)。その不足分は国に肩代わりしてもらおうとしている。国もまた,いつのまにか,そのつもりになっている。

ちょっと待ってほしい。株主たちは,これまで他社を圧倒するほどの「配当金」をもらっている。もらうものはもらっておいて,賠償金は負担しない,という法はないだろう。やはり,ここは,持ち株に応じて,応分の賠償金を負担すべきではないのか。このまま,国が肩代わりをしなければ,東電が破産することは明らかなのだから。もし,いやなら株を放棄して(売って),株主であることを止めるしかないだろう。

株主総会では「怒号」が飛び交ったというが,その中味を知りたい。どんな顔をした人が,どんな「怒号」を発したのか。株主は,その企業を支援しながら利潤の配当を受けることが当然の権利として認められている。だとしたら,その企業が破産するときには,それ相応の負担(負債)を背負うことになるのは当然ではないのか。少なくとも,株主は賠償金の一部を負担する義務がある,とわたしは考えるのだが,間違っているのだろうか。すでに長年にわたって手にした配当金で巨額の冨を築いている人たちがいることも知られているとおりだ。そういう資産の一部を賠償金に充当する考えはないのだろうか。それで平気なのだろうか。

もっとも金の亡者たちに,わたしのような庶民の考えは通用しないことはわかっている。しかし,それを黙って見過ごしていていいのだろうか。庶民は庶民の立場で,主張すべきは主張していかないと,世の中はなにも変わらない。またぞろ「3・11」以前にもどるだけの話になってしまう。

今回の株主総会の様子をみていて,一刻も早く以前と同じ「原発推進」の路線に立ち返ること,そういう底知れない恐るべき「亡霊」の姿を垣間見た思いがする。そういう恐るべき「意志」が,厳然として存在する,ということも明らかになった。

ならばなおのこと,株主はこれまでに手にした配当金の半分でもいい,賠償金として負担すべきではないのか。原発推進か,脱原発かの議論は,すくなくとも株主に関しては,この「義務」をはたしてからの話ではないのか。

東電の株主は,たった一日でいい,原発事故の現場に立って,作業員を経験してみてほしい。この人たちの命懸けの努力の上に「あぐら」をかいて平然として,いまもなお,自分の利潤追求しか考えない株主とはいったい,どういう人たちなのだろう。同じ株主にも「脱原発」を唱える人たちもいる。その人たちの「提案」をにべもなく「否決」する,その冷血さに身をゆだねているかぎり,日本の未来はない。

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