2011年7月21日木曜日

消す方法のない「火」をつけてしまった人間の愚をこそ思い知れ。沖縄・うりずんで。

原発問題に関しては,ヤマトンチュー(大和の人=本土の人)は鈍感。ゆでガエル。ウチナンチュー(沖縄の人)はとても感度がいい。さすがに米軍基地問題で苦しんできた人たちの感性は鋭い。それも半端ではない。きちんと,ものごとの本質を捉えている。

沖縄・うりずん(本店)の常連のお客さんと泡盛を呑みながら,たまたま原発の話になり,そのことをしみじみと感じた。ふだんは米軍基地の問題もほとんど話題にすることもなく,ただひたすら楽しく泡盛が呑める話題がつぎからつぎへと展開していく。その話題の多いこと,そして,それをまたジョークまじりで話し,大笑いしながら盛り上がる。そうして,みんな仲良し(友だち)になっていく。だから,わたしのような,ほんのたまにしか沖縄に行かない人間でも,一度,一緒に呑んだらもうみんな友だち。イチャリバ チョーデー(出会えば兄弟)ということばも,うりずんの店で教えてもらった。

そのチョーデー(兄弟)にも等しい常連さんとの会話のなかで,地震・津波の話から,珍しく原発の話になった。常連さんから問われるままに,わたしなりに考えていることを話した。それらについて,いちいちもっともだ,と賛成してくれた。これで話も終わるなと思ったら,どっこい,もっと大事なことがあるのでは・・・?という。

わたしは,原発は止めればいいという問題では収まらない,使用済み燃料棒は永遠に冷やしつづけなければならないし(10万年とも,100万年ともいわれている),制御不能となった原発はチェルノブイリと同じことを繰り返すしか,いまのところ見とおしがないのが大問題だ,その上,放射能で汚染された土地,海水,空気,動植物,人間(とりわけ,子どもたち)の問題とどこまでも向き合っていかねばならない,というようなことをかなり熱心に話しつづけたつもりである。それらの一つひとつについて,「そのとおりだと思う」と賛意を示してくれた。その上で,常連さんは「もう一つ,付け加えて考えるべきではないだろうか」とおっしゃる。

それは「消す方法もわかっていない段階で第二の<火>をつけてしまったわれわれ人間の愚かさをこそ思い知るべきではないか」というのである。つまり,震災後の経緯はともかくとして,そして,結果がどうなったかもともかくとして,核エネルギーに手を染めてしまったこと自体,そして,それを「平和利用」と称して原発に応用するという現実を容認してしまった人間の「愚」をこそ思い知るべきではないか,というのである。もっといってしまえば,民主主義的(?)な手続を経て,このような事態に当面することになった現実そのものこそが問題なのだ,と。

いまにして思えば,原発の推進は,最初からすべてウソで固められていたことが明白であるが(よくぞここまでウソで固めてしまったものだと驚愕するのみだが),それでもなお,それをわたしたちは信じてしまったことは事実だ。少なくとも,原発推進を「阻止」することはできなかったのだ。この事実の重みをもっともっと肝に銘ずるべきではないか,と。

ヤマトンチューもゆでガエルのまま惰眠をむさぼるのではなく,ウチナンチューの米軍基地問題で培われてきた感性の豊さに目覚めなくてはならない。もう一つは,沖縄戦で祖父母や兄弟を失った経験の記憶がいまも生きていることだ。門中(一門の親戚)が集まって,亀甲墓でいまも祖先霊への祈りが捧げられている。そして,サンシン(三線=三味線)を軸にして民謡を歌い,カチャーシーを踊る。オトゥーリなるご挨拶(ひとこと述べて泡盛で乾杯)。こうしてウチナンチューはとても仲良く暮らしている。ウィーチェー ウガマビラ(行き会うことを拝みましょう=お会いします)。

ウィーチェーは「行き会う」,ウガマは「拝みま」,ビラは「しょう」。このこころがウチナンチューの人と人との絆を深くしている。濃密な人間関係はこうして維持されていく。

うりずんという居酒屋さんもまた,この精神に貫かれている。だから,とても居心地がいい。みんなチョーデーになって泡盛を酌み交わす。

消す方法のない「火」をつけてしまった人間の愚は,こうした人と人とのこころの通い合いが希薄化してしまった,東京を筆頭とする都会的生活者(いまは,田舎も同じだという)たちの「こころの貧しさ」にある。そして,この「こころの貧しさ」(大塚久雄)が,形骸化した民主主義を生む。その間隙を縫うようにして「原発推進」が「国策」となっていったことに,いまは,慙愧の念をもって反省する以外にない。残念ながら。

人が生きるということはどういうことなのか,原点に立ち返るときだ。
歌と踊りとは,いかなる文化装置だったのか。
贈与経済とはなにであったのか。

資本主義も民主主義も,その根幹が問われつつある。

そして,いまは,消す方法のない「火」を消すための「技術」をわがものとすべく,あらゆる叡智を結集する以外に,いまは方法がない。悲しいことながら。

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