2011年7月18日月曜日

泡盛文化=「水合わせの儀」(結婚式披露宴)に感動。

昨日(17日),沖縄である結婚式があり披露宴に出席した。その折に,「水合わせの儀」という初めての経験をした。さすがに沖縄式の披露宴だなぁ,と感心したので報告しておこうと思う。もう,とっくのむかしにご存じの方は読みとばしてください。

新しい夫婦が誕生することを祝って,両家の井戸水を持ち寄り,出席者がひとりずつそれぞれの水を大きな瓶に入れながら,お祝いの口上を手短に述べる。そして,お互いの水がうまく溶け合って,末永く幸せな家庭が築かれることを祈念する。これがむかしながらの風習のひとつとして伝承されてきているという。

最近では,両家の井戸水の代わりに「あわもり」が用いて「水合わせの儀」が行われるようになったとのこと。まだ,それほど広く普及しているわけではないそうだが・・・・。その「水合わせの儀」が行われたという次第。

ラウンド・テーブル(8~10人着席)に,新郎・新婦の名前入りの泡盛(一升)が一本ずつ中央に置いてある。ひととおり,新郎・新婦の紹介,主賓のご挨拶,余興芸が披露されたあと,「水合わせの儀」が行われた。出席者全員がひとりずつ順番に,泡盛を瓶に注ぎ,口上を述べていく。ひとりずつ,みんな新郎・新婦との関係が語られ,それぞれの思いをこめた口上が述べられていく。なるほど,あーそうだったのか,という秘話も飛びだしとてもなごやかな雰囲気のうちにこの「水合わせの儀」が進行していく。小さな子どもさんもひとこと口上を述べる。これはこれでまたなんとも微笑ましい光景である。

この日に用いられた泡盛は「50度」のものだそうで,50年,100年,と時間が経てば経つほどに泡盛は熟成し,素晴らしい味に変化していくという。出席者全員の気持のこもった泡盛の熟成にあやかって,いい家庭を築けというメッセージが籠めらている。だから,この「水合わせの儀」で誕生した瓶は,その家の家宝として,大事に保存されることになる。

この「水合わせの儀」は,泡盛文化史の研究者でもある新婦の強い希望で行われることになったそうだ。その希望を「うりずん」のオーナーの土屋実幸さん(「百年古酒の会主宰者」)が受けてくださり,実現した。土屋さんの解説・立ち会いのもとで,この「水合わせの儀」は粛々と,しかも,なごやかに執り行われた。出席者全員がみんなで手をつなぎ,同じ経験を共有することによってひとつになる,一体化する,そういうことが「からだ」をとおしてしみこんでくる。

儀礼というものの意味が,実体験として,からだに入り込んでくる。意味のない儀礼はいつのまにか廃れていく。しかし,みんなが納得できる儀礼は継承しれていく。「水合わせの儀」は,水が泡盛に代わって,ふたたび息を吹き返したということだろうか。しかも,泡盛は「熟成」する。この隠喩がいい。泡盛が100年熟成されたら,なにものにも代えがたい価値を産む。まさに,家宝となる。これもまたいい。家宝は開いて飲んでしまってはいけない。だから,永遠に大切にされていくことになる。つまり,「終わりがない」。

披露宴の最後に,ロックシンガーである新郎の挨拶があった。これがまた感動的であった。前後は省略するが,ポイントだけを引くと以下のようだ。
「ぼくは,結婚式も披露宴もなんの意味もない,と思っていた。だから,なにもしないつもりでいた。しかし,新婦の父親から,一生に一度の大切な区切りとしてやるべきだといわれてやることにした。いまは,こういうものであったのかということがよくわかった。みなさんが気持をこめて協力してくださった「水合わせの儀」にはことのほか感動しました。こんな意味があるとは夢にも思ってはいなかった。やはり,結婚式も披露宴もやってよかったと思っています。この感動は生涯忘れることはないとおもいます。その意味で,みなさんにはこころから感謝しています・・・・。ありがとうございました。」

「水合わせの儀」という儀礼の恐るべき「力」。
ひとが生きるということの意味。ひとは一人では生きられない。ひとはいかようにも変わりうる。そんなことを思い起こさせてくれる新たな儀礼が沖縄という「地の力」にささえられながら生まれようとしている。しかも,そんな「現場」に立ち合うことができた幸せ。

泡盛文化の威力。恐るべし。

2 件のコメント:

925 さんのコメント...

「水合わせの儀」とはなんと幸せな光景なんだろうと感動しました。新しい夫婦が生まれ、家族が広がり、人同士のつながりが分有されるとはこういうことをいうのだろうと思います。どうぞお幸せに。

まゆのほっぺ さんのコメント...

そんな風習が沖縄にあるんですね。とても勉強になりました。