2011年7月28日木曜日

『河北新報』特別縮刷版,3・11東日本大震災「一カ月の記録」,お薦め。

気がつけば大震災から4カ月が経過。まもなく5カ月になんなんとしている。わたしはいったいなにをしていたのだろうか,と忸怩たる思いでいっぱいである。たった一度だけ,仙台にいる友人のお誘いがあって,ようやく重い腰を上げて,三日間ほど海岸線を中心に現場に立つ機会をえた。やはり,その場に立つということの重要性をいまさらながら知った。

以後,新聞の読み方が変わった。雑誌の読み方も変わった。これまで想像の世界でしかなかった被災地の現実が,わたしのからだをとおして繋がった。だから,現地に急行し,からだを張った取材をとおして書かれる記事と,そうではなくて,間接的な情報を入手して想像力で書かれる,一見したところヒューマニズムに彩られたかにみえる記事とは,天と地ほど違うということがすぐにわかるようになった。そのころから,長年愛読してきた(ほぼ50年)わたしの朝日新聞に対する憤りは抑えようがなくなってきた。そうして,東京新聞に乗り換えたことは,すでに,このブログでも明らかにしたとおりである。

6月の後半に入ったころ,書店の風景が一変した。目立つところに,いわゆる大震災関連の特別企画本が並んだ。大震災をテーマにした単行本,特集雑誌,新聞縮刷版,写真集,など多岐にわたる出版物が並んだ。3カ月・・・これが出版のひとつのサイクルであることが,この事態の現出で明らかになった。なるほどなぁ,と思いながら,片っ端からめくってみる。が,どれもこれも一長一短があって買う気にはならない。

しかし,新聞の「2011・3・11~4・11」紙面集成の一冊くらいは手元においておきたいと考えた。そこで,朝日,読売,毎日・・・・という大手新聞社のものから,地方紙にいたるまで,ひととおりめくってみた。そうしたら,驚くべき発見があった。

『河北新報』の特別縮刷版だけが,ひときわ,わたしの眼を釘付けにした。それはひとくちで表現するのはなかなか困難なのだが,あえて言うとすれば「記事を書く人の温度差」とでもいえば,比較的近いだろうか。つまり,記者の取材の姿勢,まなざしの向け方・温かさ,痛みを分かち合う感覚,遺族や死者との共振・共鳴,などがまるでわがごとのように受け止められ,それが文章をとおして伝わってくる。思わず涙が浮かび,いつしか流れ出している。

どういう事情があるかは問わない。しかし,少なくとも,その地に生活し,同じ空気を吸って生きていた人間が,隣人を思いやる気持で書かれる記事,つまり,それは自分自身のことであったかも知れない,あるいは,親族・友人とともに被災を共有しているのかも知れない,そういう記事はわたしのこころを鷲掴みにする。そして,その記事にこころから「信」をおくことができる。

いまもなお,この種の企画ものは書店の店頭を飾っているので,ときおり立ち止まって他紙の縮刷版をめくってみる。目線がまるで違うのである。言ってしまえば「他人事」。「上から目線」。「温度差」。ようするに「そらぞらしい」のである。一度,騙されたと思って,書店で読み比べてみていただきたい。新聞とはなにか。メディアとはなにか。情報とはなにか。ジャーナリストとはなにか。そして,人が生きるとはなにか。わたしはこんなことをいつも考える。情報とは恐ろしいものだ。しかし,人間は情報なしには生きてはいかれない。だから,失望が大半。でも,ときおり,ほのかな期待や希望も見出すことができる。ほんものの「ジャーナリスト」との出会いがあったとき。

『河北新報』特別縮刷版は,いまや,わたしの座右の書である。ちょっとした時間があると,これをめくって読みふける。真実は小説より奇なり,という。わたしは,東北の人の心情に触れるという経験がほとんどなかった。いまのわたしにとっては,人間理解の教科書であり,もし,存在するとすれば「東北人」理解の教科書である。

いま,是々非々でフットワークの軽い地方紙が歯切れがいい。それに引き換え,全国紙と呼ばれる大手新聞は「原子ムラ」に支配されてしまっていて,まことに歯切れが悪い。いや,思考能力が停止してしまっているのだから,頭が悪い,というべきか。

いまという時代は,ありとあらゆる事象が「大震災・原発」というできごとと無縁ではない。すべての人がなんらかのかたちで「大震災・原発」という「踏み絵」を通過することなしには生きてはいかれない。ほとんどの人は気づいていないかも知れないが,いまを生きている人間の一挙手・一投足が,そのまま「大震災・原発」の写し鏡となっているのだから。

ぜひ,一度,書店で『河北新報』特別縮刷版をめくってみていただきたい。


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