2011年7月15日金曜日

『テンペスト』(池上永一著,集英社文庫)を読む。

小説などを読んでいる場合ではない。考えなくてはならないことが山ほどあるのに・・・・。頼まれ仕事も山ほどあるのに・・・・。こういうときに限って小説が読みたくなる悪いクセがむかしからある。困ったものだ。でも,一瞬でもいいから,まったく別種の刺激で頭をリフレッシュすることも大事だとも思う。ときにはこういうことも,長い人生を生きていく上では必要なのだ,とつごうのいい「合理化」をしてみずからを納得させる。これもまた大事なこと?。

所要があって昨日(14日)から沖縄にきている。19日までの長滞在だ。いろいろな人と会う予定。で,ふだん遠ざかっている沖縄情報を少しは取り入れよう,沖縄的思考にもいくらかなじんでおこう,という下心もあって,いま話題になっている『テンペスト』(全4巻)を読みはじめた。沖縄を舞台にした時代小説だから軽い読み物だろうと思って選んだのだが,それが,それが,とんでもなく面白くて仕事もそっちのけで,一気に読まされてしまった。

よくもまあ,こんな奇想天外な小説を構想し,こんなにも面白い小説に仕立てあげたものだとあきれかえってしまうほどだ。さすが池上永一。現実にはありえない主人公を創作し,この主人公をめぐって起こるこれまたありえない事件がつぎつぎに起きて,気持の休まるときがないうちに,最終局面を迎える。まさに,書名どおりの「テンペスト」(波瀾万丈。たしかシェークスピアの戯曲に同名のものがあるので,それをヒントにしたらしい)。

こういうありえない虚構の世界を設定することによって,はじめて可能となる小説の世界がある。いわゆる純文学などではとうてい及ばない世界だ。人間というものの不思議さなどは,非現実を設定することによって,まったく自由な時空間を誕生させ,どこまでも掘り下げていくことが可能となる。生きるということはどういうことなのか,アイデンティティとはなにか,琉球王朝とはどういうものであったのか,沖縄に固有の論理を再確認しつつこれからの沖縄の進むべき道へのヒントを提示していたり・・・・と読み方によってはいくとおりにも読める。だから,名作なのだろう。

テレビでは仲間由紀恵が演ずる「孫寧温」は,もともとは女性なのだが,わけあって「宦官」と名乗って女性でもない,男性でもない「性」を生きる。幼少より頭脳明晰で,科試(こうし,と読む。中国の科挙に相当する試験制度)の試験に最年少で合格し,琉球王朝の外交の枢軸をささえ,大活躍をする。ストーリーは,琉球王朝最後の滅亡(明治維新による併合)にいたる経緯を,意外な視点から展開していく。後半に入ると,主人公は,高級官僚(男)でありながら,運命のいたずらで第二尚氏の側室(女)の,一人二役を生きることになる。まあ,笑ってしまうような話なのだが,意外なことに笑ってすませられないことがわかってくる。ここには「性同一性障害」という重要なテーマが,これまた意外な側面から浮かび上がってくる。

性同一性障害,高級官僚として,どこまでも「理詰め」でものごとを考え処理していく男の生き方と,王の側室として,あるいは,薩摩の武士雅博の恋人として,まったく新たに開かれていく情愛の世界に身をゆだねていく女の生き方との,どうにもならない葛藤が描かれいる。非現実だからこそ可能となる人間世界の掘り下げ,の一つの例。

こんな具合に,面白奇怪しい話がつぎつぎに展開していくのだが,はからずも意外に深く考えさせられる内容になっている。それ以外にも,わたしのような涙もろい人間は,何回にも分けて「嗚咽」させられる。しかも,突然。

もっとも考えさせられたのは,中国と日本との両極外交を展開する沖縄の地政学的な力学のなかを生き延びるための智慧。理詰めと思いやりと明確な一線。これまでと,これからの沖縄を考える上でも,なかなか示唆に富んだ小説になっている。

時間のあるときに,ぜひ一度,ご一読を。ただし,読みはじめたら止まらなくなることも計算に入れておいてください。このことに関する弊害について当局はいっさい関知しません。

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