昨日の東京新聞一面トップの記事は「甲状腺微量被ばく45%」「福島第一周辺の子1000人調査」「精密検査は不要」(安全委)というものだった。微量とはいえ甲状腺被曝が45%にも達しているという調査結果は,わたしには衝撃的だった。この中には,6月30日(木)に案内してくれたNさんと恐怖に震えながら通過した飯館村の子どもたちがふくまれている。
30日の飯館村の天気は,くもりときどき晴れ。国道から少し離れたところに小学校がみえた。時刻は午前11時ころ。線量計の値が驚異的に上下動を繰り返している。暑い日で,気温もすでにかなり高くなっていた。しかし,小学校の教室の窓は締め切ったまま。さぞや暑かろうに・・・と想像する。(この日の午後,わたしはNさんの非常勤先の仙台市内にあるT大学での講義に参加。理事長命令で,今夏のエアコンの使用は禁止。なので,窓を開け放って授業を行ったが,暑かった。東北地方としては異例の暑さだという)。
Nさんの話では,自分の家でも窓は締め切っている,という。窓を締めても開けても放射線に関してはなんの関係もないと理屈ではわかっている。でも,心理的には締め切っていた方がなんとなく安心する。だから締め切っている,と。ふとんも外には干さない。これもほとんど無意味だとわかっている。しかし,そうしている,と。野菜なども福島産だとなぜか緊張してしまう,と笑う。考えはじめるとすべてが不安材料になってしまう,とも。線量計を自前で購入したのも,そういう不安心理の裏返しです,と話してくれる。
飯館村もさることながら,ここからそんなに遠くない宮城県の柴田町に住むNさんの気持ちは,わたしなどには推測もつかないほどの「不安」で一杯なのだろう,ということが伝わってくる。しかし,考えてみれば,この事実はとても他人事ではすまされない。インターネット上に流れているドイツ気象台の毎日発表するフクシマ情報をみれば一目瞭然だ。東京も神奈川も,その日の風向きによって,フクシマからの放射能は遠慮なく流れてきている。そして,同じように「汚染」されているのだ。そのことは神奈川県の山間の茶畑が汚染されていることがわかり,大騒ぎになったことからも知ることができる。
ほとんど垂れ流し状態になってしまったフクシマの放射能は,いまや,世界中を駆けめぐっているのだ。だから,ドイツ気象台はその観測をつづけ,インターネット上に公開している。「甲状腺微量被曝45%」は他人事ではない。かつて,チェルノブイリの報道が流れはじめたとき(わたしは,たまたま,ウィーンに住んでいた),わけのわからない「恐怖」に怯えたことを思い出す。娘の通っていたギムナジウムは屋外の運動をすべて禁止し,体育館の中だけとなった。プールの授業も,室内にある小さなプール(ウィーン市内で最初にできたプール,1920年代にK.ガウルホーファーによって設置されたものであることが,途中でわかった。幅3m,長さ8m,ほど。プールの側壁をよじ登らないと中には入れない。とても体育的(?)なつくりになっている)で行われていた。
未来のある子どもたちを犠牲にしてはならない。いかなる手をつくしてでも,まずは,子どもたちのからだを守らなくてはならない。Nさんの教え子は,結婚して子どもが生まれてまもないいま,母親としてこのまま郡山市内に住みつづけることはできないといって,沖縄への移住を決めたという。玄侑宗久さんの住む三春町でも,小さな赤ん坊をかかえる若者夫婦は,一大決心をして移住する人が増えてきている,という。しかし,移住ができる人はまだいい。その手だてすら得られないで悩み,苦しんでいる若い夫婦がどれほどいることか。このことを考えると,居ても立ってもいられなくなってくる。こういうことが,福島第一の周辺では日常化しているのである。
それでもなお「原発の安全宣言」をして,再稼働に踏み切ろうとしている経済産業省のカイエダ君はいったいなにを考えているのだろうか。人間の命よりもお金の方が大事だというのだろうか。多少の犠牲を払ってでも(多少どころの話ではない),経済優先の政策をとりつづける日本の中枢にいる「狂ったサル」たちに,いつまでわたしたちは身をゆだねていなくてはならないのだろうか。しかも,きわめて「理性的」に「狂ってしまったサル」たちに。困るのは,このサル族は自分が狂っていることに気づいていないことだ。ボタンとボタン穴の一つひとつは整合性がある。が,最初のボタンとボタン穴を一つかけ違えていることに気づいていないのだ。最後に残ったボタンをどうしたらいいかも,その処置の方法すら未定のまま,平気でなおも走りつづけようとしている。
「精密検査は不要」と安全委。
安全委とは,いったいなにをするところなのか。
危険なことであっても,「差し当たって危険ではない」と解釈しなおす,すり替え機関なのか。
いよいよ「安全」ということばの新しい語釈を,大至急,「国語辞典」に書き加えねばならない,そういう場面にいまわたしたちは立ち合っている。かつて,「貴様」の意味がひっくり返ったように。
30日の飯館村の天気は,くもりときどき晴れ。国道から少し離れたところに小学校がみえた。時刻は午前11時ころ。線量計の値が驚異的に上下動を繰り返している。暑い日で,気温もすでにかなり高くなっていた。しかし,小学校の教室の窓は締め切ったまま。さぞや暑かろうに・・・と想像する。(この日の午後,わたしはNさんの非常勤先の仙台市内にあるT大学での講義に参加。理事長命令で,今夏のエアコンの使用は禁止。なので,窓を開け放って授業を行ったが,暑かった。東北地方としては異例の暑さだという)。
Nさんの話では,自分の家でも窓は締め切っている,という。窓を締めても開けても放射線に関してはなんの関係もないと理屈ではわかっている。でも,心理的には締め切っていた方がなんとなく安心する。だから締め切っている,と。ふとんも外には干さない。これもほとんど無意味だとわかっている。しかし,そうしている,と。野菜なども福島産だとなぜか緊張してしまう,と笑う。考えはじめるとすべてが不安材料になってしまう,とも。線量計を自前で購入したのも,そういう不安心理の裏返しです,と話してくれる。
飯館村もさることながら,ここからそんなに遠くない宮城県の柴田町に住むNさんの気持ちは,わたしなどには推測もつかないほどの「不安」で一杯なのだろう,ということが伝わってくる。しかし,考えてみれば,この事実はとても他人事ではすまされない。インターネット上に流れているドイツ気象台の毎日発表するフクシマ情報をみれば一目瞭然だ。東京も神奈川も,その日の風向きによって,フクシマからの放射能は遠慮なく流れてきている。そして,同じように「汚染」されているのだ。そのことは神奈川県の山間の茶畑が汚染されていることがわかり,大騒ぎになったことからも知ることができる。
ほとんど垂れ流し状態になってしまったフクシマの放射能は,いまや,世界中を駆けめぐっているのだ。だから,ドイツ気象台はその観測をつづけ,インターネット上に公開している。「甲状腺微量被曝45%」は他人事ではない。かつて,チェルノブイリの報道が流れはじめたとき(わたしは,たまたま,ウィーンに住んでいた),わけのわからない「恐怖」に怯えたことを思い出す。娘の通っていたギムナジウムは屋外の運動をすべて禁止し,体育館の中だけとなった。プールの授業も,室内にある小さなプール(ウィーン市内で最初にできたプール,1920年代にK.ガウルホーファーによって設置されたものであることが,途中でわかった。幅3m,長さ8m,ほど。プールの側壁をよじ登らないと中には入れない。とても体育的(?)なつくりになっている)で行われていた。
未来のある子どもたちを犠牲にしてはならない。いかなる手をつくしてでも,まずは,子どもたちのからだを守らなくてはならない。Nさんの教え子は,結婚して子どもが生まれてまもないいま,母親としてこのまま郡山市内に住みつづけることはできないといって,沖縄への移住を決めたという。玄侑宗久さんの住む三春町でも,小さな赤ん坊をかかえる若者夫婦は,一大決心をして移住する人が増えてきている,という。しかし,移住ができる人はまだいい。その手だてすら得られないで悩み,苦しんでいる若い夫婦がどれほどいることか。このことを考えると,居ても立ってもいられなくなってくる。こういうことが,福島第一の周辺では日常化しているのである。
それでもなお「原発の安全宣言」をして,再稼働に踏み切ろうとしている経済産業省のカイエダ君はいったいなにを考えているのだろうか。人間の命よりもお金の方が大事だというのだろうか。多少の犠牲を払ってでも(多少どころの話ではない),経済優先の政策をとりつづける日本の中枢にいる「狂ったサル」たちに,いつまでわたしたちは身をゆだねていなくてはならないのだろうか。しかも,きわめて「理性的」に「狂ってしまったサル」たちに。困るのは,このサル族は自分が狂っていることに気づいていないことだ。ボタンとボタン穴の一つひとつは整合性がある。が,最初のボタンとボタン穴を一つかけ違えていることに気づいていないのだ。最後に残ったボタンをどうしたらいいかも,その処置の方法すら未定のまま,平気でなおも走りつづけようとしている。
「精密検査は不要」と安全委。
安全委とは,いったいなにをするところなのか。
危険なことであっても,「差し当たって危険ではない」と解釈しなおす,すり替え機関なのか。
いよいよ「安全」ということばの新しい語釈を,大至急,「国語辞典」に書き加えねばならない,そういう場面にいまわたしたちは立ち合っている。かつて,「貴様」の意味がひっくり返ったように。
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