2011年7月3日日曜日

被災地短報・松島は手つかずのまま,闇の中。

「松島は被害が少なかった」と報道されたばっかりに,東京の人たちの多くは「松島は大丈夫だったらしい」と思い込んでいる。しかし,実際に現地に行ってみると,とんでもない。同じように大きな被害に会っている。

気仙沼や大船渡のような大きな漁港をかかえた,人口も多いところの津波による被害に比べれば,という前提つきの話であることを,わたしも知らなかった。松島にある群島が,津波被害を軽減したらしい,という話になっているが,はたしてそうだろうか。

たまたま通りがかった時刻が夜の8時を過ぎていたために,真っ暗闇の中を自動車のライトだけが行く手を明るく照らしだしていた。案内してくれたNさんが,このあたりが松島です,と教えてくれてはじめて気づく。が,そうでなければどこか山の中を走っているとしか思えない真っ暗闇である。そこで,よくよく自動車のライトの先に気をくばる。なるほど,海側には松島の島影がところどころ確認できる。そして,山側には民家がまばらながら建っている。その民家の周辺には,根こそぎになった松の木が転がっている。民家には灯はない。交差点の信号機も作動していない。鉄筋コンクリートで造られた電信柱が,ところどころでへし曲がったまま立っている。電線に支えられているかのように。真っ暗闇のなかに灯のない家が点在する光景は不気味である。

つまり,松島を通り抜ける国道の周辺は,罹災後,まったく手つかずのままに放置されているというのである。国道だけは,まっさきに津波の運んだ瓦礫を片づけて,通れるようにしたが,それ以外のことは「後回し」になっている,という。ようするに,ライフ・ラインが回復していないのだ。だから,家があっても住むことはできないし,あるいは,津波の恐怖を体験したいまとなってはもどってくる気持ちにもなれないのかもしれない。いずれにしても,松島の辺りは「後回し」にされたままだという。

松島のような全国に知られた観光の名所ですら,このような状態である。ましてや無名のところの罹災については,まったく手つかずのまま放置されている。その面積たるや恐るべき広がりであることを,家にもどってきて地図を拡げてみて知る。気仙沼でみた壊滅状態の惨憺たる光景は,何回もメディアがとりあげているとおりである。が,そこには,重機が何十台も入り,瓦礫の処理に従事しているし,その瓦礫を運ぶ他府県ナンバーのダンプカーがひっきりなしに走っている。復興へのエネルギッシュな活力をみることができる。しかし,気仙沼の周辺の小さな川が流れ込んでいる,ほんとうに小さな集落は,瓦礫すら放置されたままなのである。

この落差は仕方がないのかもしれない。しかし,遠く離れて住むわたしたちは,なにも知らないまま,メディアの報ずるところだけに眼が向かっている。そして,着実に復興に向かって頑張っている東日本の姿ばかりが印象に残る。しかし,復興に向かっているのは,全体のほんの一部にすぎない,ということをもっと精確に報道してもらいたいものである。

しかし,地元新聞の「河北新報」などは,じつにきめ細かく復興情報を伝えている。そして,まだ,手つかずの地域がどのような状態になっているのかも,しっかりと伝えている。つまり,地元住民の目線で報道がなされているのである。よくないのは,東京の大手新聞社やテレビ局の報道だ。「上から目線」で,ちょこちょこと取材をして,つまり「目立つ」ところだけをとりあげて,こと足れりとしている。だから,そこからは震災復興の実態はみえてこない。わたしたちは,その虚構に踊らされているにすぎない。

その結果として生ずるのが,東京と被災地との「温度差」である。これが関西にいくともっと「温度差」が広がる。九州にいくと,もはや,遠い国のできごとのようにみえているのかも知れない。東京にいるわたしたちが,鹿児島の桜島が噴火しても,ほとんど実感としては理解不能であるのと同じように。この「温度差」を埋め合わす努力をしていかないと,ほんとうの意味での「災害復興」は実現しない,とこんどの旅でしみじみと思った次第。

とにもかくにも,いま,東日本で進行している事態は,まさに「非常事態」そのものであるにもかかわらず,それをむしろ隠蔽するかのように「政局」争いをしている,わが日本酷(国)政府はなにを考えているのか・・・・と情けなくなる。選挙をすれば原発推進のイシハラ君を選んでしまう東京都民も情けないが・・・・。みんな,自分のことではないのだ。他山の火事を高見の見物で終わらせてはならない。必ず,その「死の灰」はわが身に降りかかってくるのだから。

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