昨日の太極拳の稽古に,久しぶりに李老師が顔をみせてくれました。いつもにも増して緊張感が高まりました。なぜなら,李老師がご両親と一緒に現れたからです。太極拳仲間のNさんとKさんは,9月の中国旅行(雲南省方面)の折に昆明で(それ以前にも,一度),すでにお会いしていますので,顔なじみ。ほかの仲間は初めて。
李老師は,今日は見学だけです,といって着替えもしません。が,父上が上着を脱いで準備運動をはじめました。李老師から聞いていた話では,「父は若いころに少しだけやった経験があると聞いていますが,あまり,まじめにはやらなかったようです。いまは,ほとんどやっていません」とのこと。その父上が,とても面白い準備運動をはじめました。わたしたちは,いつものように,それぞれ思いおもいの準備運動を開始。すると,母上まで,わたしたちと同じような柔軟運動をはじめました。とても,からだが柔らかい人で,みんな感動。
父上の年齢は,わたしより一つか二つ上,母上は,わたしよりお若いと聞いています。でも,お二人とも溌剌としていらっしゃって,とても若々しくみえます。
その父上の準備運動をみていて,おやっ,と思うところが最初からありました。ひとくちで言ってしまえば,わたしたちのやっている準備運動とは,まったく異質のものでした。わたしたちのやっている準備運動は,いわゆる日本式。精確にいえば,和洋折衷式。父上の準備運動は,たぶん,少し前までの中国式。
父上の準備運動は,両脚をバネのように軽ろやかに曲げ伸ばしをしながら,脱力した両腕を振動させ,その勢いを利用しながら,前後左右に腕を動かしていきます。いわゆるリズム体操的なものですが,それとも異質です。なぜなら,両腕の動きは,すでに,太極拳の基本の動きになっているからです。いわゆる,号令をかけて,みんなが一緒にできるような体操ではありません。まったく,その人のリズムで,その日の気持ちとこころのコンディションに合わせた,じつに伸びやかな運動です。しばらく,両脚・両腕の振動を用いた運動のあと,こんどは,両脚をクロスさせたまま,深く曲げていき,一番下まで体重を下ろしていきます。両脚のクロスのさせ方を左右交互に変えながら,数回,この運動をやっていました。
そのあと,父上は,わたしたちの,いつもの全員一緒に行う基本の運動は,坐って見学。24式の稽古に入るところで,ふたたび一緒に,仲間に加わりました。そして,はじめてみたら,なんとゆったりとした太極拳であることか,とびっくり。わたしは,いつものとおり,集団の一番右端のうしろに立ってはじめましたので,全員の動きが一目でみえるわけです。わたしは,あわてて,父上の動きに合わせるようにしました。が,みんなは,いつものとおりのスピードで,どんどんさきに行ってしまいます。この段階で,父上の太極拳が,並の人のものではない,と直感しました。
李老師と母上は,床に坐ったまま,じっと観察しています。わたしなどは,あまりの緊張で,いつもできることまでできなくなってしまうほどでした。ほかのみなさんは,意外にのびのびといつものように24式が流れていきます。が,わたしたちのやっている太極拳は,明らかに「早すぎる」と感じました。もっと,ゆったりと,からだの声に耳を傾けながら,その折々のこころの状態に溶け込んでいくべきだ,と反省。でも,父上は,途中から,わたしたちの動きに合わせてくれる余裕でした。
この24式が終ったところで,李老師から,父上が中学生ころに習ったという太極拳を見せてくれる,と紹介があり,ここで,ふたたび「おやっ?」と思いました。父上は,静かに稽古場(とても狭い和室)の中央に進み出て,ゆったりとした太極拳をはじめました。李老師の説明では,楊式と呉式の中間に位置する,むかしの太極拳だとのこと。
これをみていて,唖然としてしまいました。もう,太極拳の「格」が,まるで違うのです。じつに,ゆったりと,悠揚迫らざる,自然そのものの流れに乗って,太極拳の表演が繰り広げられていきます。ふとみると,一番,熱心にみているのは李老師でした。いつもとはまるで違う,光る眼で,じっと父上の動きを追っています。しかも,時折,手の動作などを「後追い」のようにして,確認しています。水を打ったような静けさの中で,父上の表演が延々とつづきます。いつはてることもなくつづくのではないかと思うような時間でした。
みんな感動して,拍手喝采でした。
李老師の父上は,四人兄弟の長男。その一番下の弟さんが,李老師の子どものころの太極拳の師匠だった,と聞いています。その方たちとは,9月の昆明でお会いし,食事を共にしました。みんな,とても仲良しの,いい人たちばかり。その子どもさん夫婦やお孫さんたちともお会いしました。ファミリー全体が,とても温かいハートの持ち主ばかりなのにも,感動しました。こういう大家族の雰囲気のなかで,李老師は育ったこと,そして,早い時期から親元を離れて,太極拳の世界に飛び込んでいったこと,そして,いまは,長い日本での滞在生活を送っていること,などを思い浮かべながら,昆明でのひとときを過ごしたことを思い出しています。
李老師という名人が一朝一夕にして誕生したのではない,ということもよくわかりました。こんなにみごとな太極拳がいまもできる父上が,太極拳は素人です,と仰る。そして,ふだんは,読書が好きで,暇があれば本を読んで暮らしている,とのこと。お顔を拝見し,一緒に時を過ごしているときの挙措をみるかぎりでも,この方は相当の学者さんだな,ということはわたしにもわかります。理性的な,冴え渡ったお顔をしていらっしゃいます。そして,母上は,いまも美しい人。四川省出身とかで,お料理が得意。李老師の料理のお手並みは,母上ゆずりだそうです。
とまあ,李老師の父上の太極拳を拝見させていただいて,予想だにしなかった至福のときを過ごすことができました。
また一つ,太極拳の奥の深さを垣間見た思いです。
以上,昨日の太極拳の稽古での,思いがけないハプニングのご報告まで。
李老師は,今日は見学だけです,といって着替えもしません。が,父上が上着を脱いで準備運動をはじめました。李老師から聞いていた話では,「父は若いころに少しだけやった経験があると聞いていますが,あまり,まじめにはやらなかったようです。いまは,ほとんどやっていません」とのこと。その父上が,とても面白い準備運動をはじめました。わたしたちは,いつものように,それぞれ思いおもいの準備運動を開始。すると,母上まで,わたしたちと同じような柔軟運動をはじめました。とても,からだが柔らかい人で,みんな感動。
父上の年齢は,わたしより一つか二つ上,母上は,わたしよりお若いと聞いています。でも,お二人とも溌剌としていらっしゃって,とても若々しくみえます。
その父上の準備運動をみていて,おやっ,と思うところが最初からありました。ひとくちで言ってしまえば,わたしたちのやっている準備運動とは,まったく異質のものでした。わたしたちのやっている準備運動は,いわゆる日本式。精確にいえば,和洋折衷式。父上の準備運動は,たぶん,少し前までの中国式。
父上の準備運動は,両脚をバネのように軽ろやかに曲げ伸ばしをしながら,脱力した両腕を振動させ,その勢いを利用しながら,前後左右に腕を動かしていきます。いわゆるリズム体操的なものですが,それとも異質です。なぜなら,両腕の動きは,すでに,太極拳の基本の動きになっているからです。いわゆる,号令をかけて,みんなが一緒にできるような体操ではありません。まったく,その人のリズムで,その日の気持ちとこころのコンディションに合わせた,じつに伸びやかな運動です。しばらく,両脚・両腕の振動を用いた運動のあと,こんどは,両脚をクロスさせたまま,深く曲げていき,一番下まで体重を下ろしていきます。両脚のクロスのさせ方を左右交互に変えながら,数回,この運動をやっていました。
そのあと,父上は,わたしたちの,いつもの全員一緒に行う基本の運動は,坐って見学。24式の稽古に入るところで,ふたたび一緒に,仲間に加わりました。そして,はじめてみたら,なんとゆったりとした太極拳であることか,とびっくり。わたしは,いつものとおり,集団の一番右端のうしろに立ってはじめましたので,全員の動きが一目でみえるわけです。わたしは,あわてて,父上の動きに合わせるようにしました。が,みんなは,いつものとおりのスピードで,どんどんさきに行ってしまいます。この段階で,父上の太極拳が,並の人のものではない,と直感しました。
李老師と母上は,床に坐ったまま,じっと観察しています。わたしなどは,あまりの緊張で,いつもできることまでできなくなってしまうほどでした。ほかのみなさんは,意外にのびのびといつものように24式が流れていきます。が,わたしたちのやっている太極拳は,明らかに「早すぎる」と感じました。もっと,ゆったりと,からだの声に耳を傾けながら,その折々のこころの状態に溶け込んでいくべきだ,と反省。でも,父上は,途中から,わたしたちの動きに合わせてくれる余裕でした。
この24式が終ったところで,李老師から,父上が中学生ころに習ったという太極拳を見せてくれる,と紹介があり,ここで,ふたたび「おやっ?」と思いました。父上は,静かに稽古場(とても狭い和室)の中央に進み出て,ゆったりとした太極拳をはじめました。李老師の説明では,楊式と呉式の中間に位置する,むかしの太極拳だとのこと。
これをみていて,唖然としてしまいました。もう,太極拳の「格」が,まるで違うのです。じつに,ゆったりと,悠揚迫らざる,自然そのものの流れに乗って,太極拳の表演が繰り広げられていきます。ふとみると,一番,熱心にみているのは李老師でした。いつもとはまるで違う,光る眼で,じっと父上の動きを追っています。しかも,時折,手の動作などを「後追い」のようにして,確認しています。水を打ったような静けさの中で,父上の表演が延々とつづきます。いつはてることもなくつづくのではないかと思うような時間でした。
みんな感動して,拍手喝采でした。
李老師の父上は,四人兄弟の長男。その一番下の弟さんが,李老師の子どものころの太極拳の師匠だった,と聞いています。その方たちとは,9月の昆明でお会いし,食事を共にしました。みんな,とても仲良しの,いい人たちばかり。その子どもさん夫婦やお孫さんたちともお会いしました。ファミリー全体が,とても温かいハートの持ち主ばかりなのにも,感動しました。こういう大家族の雰囲気のなかで,李老師は育ったこと,そして,早い時期から親元を離れて,太極拳の世界に飛び込んでいったこと,そして,いまは,長い日本での滞在生活を送っていること,などを思い浮かべながら,昆明でのひとときを過ごしたことを思い出しています。
李老師という名人が一朝一夕にして誕生したのではない,ということもよくわかりました。こんなにみごとな太極拳がいまもできる父上が,太極拳は素人です,と仰る。そして,ふだんは,読書が好きで,暇があれば本を読んで暮らしている,とのこと。お顔を拝見し,一緒に時を過ごしているときの挙措をみるかぎりでも,この方は相当の学者さんだな,ということはわたしにもわかります。理性的な,冴え渡ったお顔をしていらっしゃいます。そして,母上は,いまも美しい人。四川省出身とかで,お料理が得意。李老師の料理のお手並みは,母上ゆずりだそうです。
とまあ,李老師の父上の太極拳を拝見させていただいて,予想だにしなかった至福のときを過ごすことができました。
また一つ,太極拳の奥の深さを垣間見た思いです。
以上,昨日の太極拳の稽古での,思いがけないハプニングのご報告まで。
1 件のコメント:
この時の描写がうかんできます、李老師のご家族の事を書かれているので老師がみじかにかんじられました、老師はどんな人か教えてください!いつかお書きになると書かれてありました。
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