「五輪警備に英軍1万人超投入,戦艦やミサイルも」という見出しの情報がインターネット上を流れている(読売新聞提供)。びっくり仰天である。もはや,「戦時体制」を敷かないとオリンピックの開催はできないらしい。
いつからオリンピックは「戦争」になってしまったのか。姿の見えない敵を相手に,なにを,そんなに怯えなくてはならないのか。なにゆえに,敵が攻撃してくると考えるのか。いったい,だれが敵をつくっているのか。敵の勢力が少しも衰えないのは,なぜか。つぎつぎに新しい敵が生み出されてくる世界のあり方に,なぜ,もっと疑問をいだかないのか。こんなに恐ろしい敵が存在すると予想されているのに,なぜ,オリンピックを開催しなくてはならないのか。オリンピックとは「平和運動」ではなかったのか。五輪のマークはなにを意味しているのか。オリンピック開催そのものが敵の勢力を増大させる契機になっていることの意味を,なぜ,考えようとはしないのか。オリンピックは反対勢力を排除するだけでいいのか。「テロとの戦い」というパラドックス(背理)について,なぜ,考えようとはしないのか。オリンピックが最大の攻撃対象とされる原因を,なぜ,取り除こうとはしないのか。徹底的に攻撃するだけでいいのか。いつまで,終わりのない「戦争」をつづけるつもりなのか。
こんな疑問が,つぎからつぎへと,浮かんでくる。問いを立てていくと際限がないほどだ。オリンピックは,もはや,「世界」というものの現状を映し出す絶好の素材となっている。いやいや,オリンピックは「世界」の写し鏡なのだ。「世界」の諸矛盾がすべて凝縮されて,露呈される「場」,それがオリンピックなのだ。
インターネット上の情報によれば,以下のようだ。
英国防省は15日,来夏のロンドン五輪の警備に約1万3500人の兵力と海軍艦船や地対空ミサイルを投入することを明らかにした。
英政府は当初,警察約1万2000人の警備態勢を想定していたが,「何十年かに一度の大きな行事で,安全確保に万全を期す」(ハモント国防相)との方針で大規模な兵力が投入されることになった。しかし,「アフガニスタン派遣部隊(約9,500人)よりも多くの兵力が必要か」(BBCテレビ)など疑問の声も出ている。
国防省の計画によると,投入される部隊は,競技会場の警備のほか,爆発物処理に備えるなどの役割を担う。ロンドンのテムズ川には,英海軍で最も大型の強襲揚陸艦「オーシャン」が停泊して警戒にあたるほか,戦闘機が地対空ミサイルを配備して空からの攻撃にも備えるという。
これは,もはや,完全なる「戦時体制」そのものである。さあ,どこからでも攻めて来い,と待ち構えている態勢そのものではないか。ここまでしてオリンピックを開催する意義はどこにあるのか。
去る15日には,2020年のオリンピックを東京に招致することを閣議決定した,という情報が流れている。表向きには,東日本大震災から復興した日本の姿を世界にアピールするため,とうたっている。しかし,本音は,全然別のところにあるのではないか。
もし,東京開催が決まったとすれば,日本もまた,ロンドンと同じような「戦時体制」を敷かなくてはならないだろう。いや,それ以上の警備態勢をとらなくてはならなくなるだろう。ということは,つまり,東京オリンピック招致の最終目標は防衛力(=戦闘能力)の増強にほかならない。すなわち,自衛隊を軍隊化させるための絶好のお膳立てであり,体のいい軍事訓練を行うことだ。こうして防衛予算も拡大させることが可能となる。
そうか,イシハラ君の狙いはそこにあったか。軍事力という点では,中国に舐められ,北朝鮮に舐められ,韓国にもいいようにあしらわれて,イシハラ君は頭にきているに違いない。冗談じゃない,と。近隣諸国から,日本国がこんなに軽くあしらわれていていいのか。これは日本の恥だ,と言いたいのだろう。しかし,そこまであからさまに言うだけの勇気もないので,とりあえず,オリンピック招致という手にでた「野田」ろう。オリンピックの「平和」という名の隠れ蓑を着て,じつは「戦時体制」の強化を狙うこと。衣の下から鎧が透けてみえてくる。
ロンドンの面積は,1,610平方キロ,人口:696万人(1994年),それに引き換え,東京の面積は2,186平方キロ,人口:1,157万人(うち,23区で783万人)。その上,ロンドンは周囲を田園に囲まれた独立都市であるのに対して,東京はその周辺を多くの大都市に囲まれ,いわゆる巨大な首都圏を構成している。その面積も人口も,ロンドンの何倍にも相当する。ここを眼にみえない敵から守るためには,これまたロンドンの何倍もの「軍隊」が必要となってくることは必定だ。いったい,どうやってオリンピックを開催しようと言うのだろうか。
オリンピック招致もまた,原発推進とまったく同じ手法で,強引に推し進められつつある。オリンピックの「平和運動」もまた,原発の「安全神話」とまったく同じ構造をもっていることは,もはや,指摘するまでもないだろう。
東京都民だけではなく,首都圏住民として,いやいや,日本人として,東京オリンピック招致の是非論を立ち上げていかなくてはならない。都民,住民,国民を無視して,イシハラ君とドジョウ君とが手を結んで,オリンピック招致に突っ走っている。しかも,巨額の招致資金を使って。その上,わたしの予想では,東京が選定される可能性はほとんどないにもかかわらず・・・・。無駄な労力と資金の浪費以外のなにものでもないのに・・・・。
いつからオリンピックは「戦争」になってしまったのか。姿の見えない敵を相手に,なにを,そんなに怯えなくてはならないのか。なにゆえに,敵が攻撃してくると考えるのか。いったい,だれが敵をつくっているのか。敵の勢力が少しも衰えないのは,なぜか。つぎつぎに新しい敵が生み出されてくる世界のあり方に,なぜ,もっと疑問をいだかないのか。こんなに恐ろしい敵が存在すると予想されているのに,なぜ,オリンピックを開催しなくてはならないのか。オリンピックとは「平和運動」ではなかったのか。五輪のマークはなにを意味しているのか。オリンピック開催そのものが敵の勢力を増大させる契機になっていることの意味を,なぜ,考えようとはしないのか。オリンピックは反対勢力を排除するだけでいいのか。「テロとの戦い」というパラドックス(背理)について,なぜ,考えようとはしないのか。オリンピックが最大の攻撃対象とされる原因を,なぜ,取り除こうとはしないのか。徹底的に攻撃するだけでいいのか。いつまで,終わりのない「戦争」をつづけるつもりなのか。
こんな疑問が,つぎからつぎへと,浮かんでくる。問いを立てていくと際限がないほどだ。オリンピックは,もはや,「世界」というものの現状を映し出す絶好の素材となっている。いやいや,オリンピックは「世界」の写し鏡なのだ。「世界」の諸矛盾がすべて凝縮されて,露呈される「場」,それがオリンピックなのだ。
インターネット上の情報によれば,以下のようだ。
英国防省は15日,来夏のロンドン五輪の警備に約1万3500人の兵力と海軍艦船や地対空ミサイルを投入することを明らかにした。
英政府は当初,警察約1万2000人の警備態勢を想定していたが,「何十年かに一度の大きな行事で,安全確保に万全を期す」(ハモント国防相)との方針で大規模な兵力が投入されることになった。しかし,「アフガニスタン派遣部隊(約9,500人)よりも多くの兵力が必要か」(BBCテレビ)など疑問の声も出ている。
国防省の計画によると,投入される部隊は,競技会場の警備のほか,爆発物処理に備えるなどの役割を担う。ロンドンのテムズ川には,英海軍で最も大型の強襲揚陸艦「オーシャン」が停泊して警戒にあたるほか,戦闘機が地対空ミサイルを配備して空からの攻撃にも備えるという。
これは,もはや,完全なる「戦時体制」そのものである。さあ,どこからでも攻めて来い,と待ち構えている態勢そのものではないか。ここまでしてオリンピックを開催する意義はどこにあるのか。
去る15日には,2020年のオリンピックを東京に招致することを閣議決定した,という情報が流れている。表向きには,東日本大震災から復興した日本の姿を世界にアピールするため,とうたっている。しかし,本音は,全然別のところにあるのではないか。
もし,東京開催が決まったとすれば,日本もまた,ロンドンと同じような「戦時体制」を敷かなくてはならないだろう。いや,それ以上の警備態勢をとらなくてはならなくなるだろう。ということは,つまり,東京オリンピック招致の最終目標は防衛力(=戦闘能力)の増強にほかならない。すなわち,自衛隊を軍隊化させるための絶好のお膳立てであり,体のいい軍事訓練を行うことだ。こうして防衛予算も拡大させることが可能となる。
そうか,イシハラ君の狙いはそこにあったか。軍事力という点では,中国に舐められ,北朝鮮に舐められ,韓国にもいいようにあしらわれて,イシハラ君は頭にきているに違いない。冗談じゃない,と。近隣諸国から,日本国がこんなに軽くあしらわれていていいのか。これは日本の恥だ,と言いたいのだろう。しかし,そこまであからさまに言うだけの勇気もないので,とりあえず,オリンピック招致という手にでた「野田」ろう。オリンピックの「平和」という名の隠れ蓑を着て,じつは「戦時体制」の強化を狙うこと。衣の下から鎧が透けてみえてくる。
ロンドンの面積は,1,610平方キロ,人口:696万人(1994年),それに引き換え,東京の面積は2,186平方キロ,人口:1,157万人(うち,23区で783万人)。その上,ロンドンは周囲を田園に囲まれた独立都市であるのに対して,東京はその周辺を多くの大都市に囲まれ,いわゆる巨大な首都圏を構成している。その面積も人口も,ロンドンの何倍にも相当する。ここを眼にみえない敵から守るためには,これまたロンドンの何倍もの「軍隊」が必要となってくることは必定だ。いったい,どうやってオリンピックを開催しようと言うのだろうか。
オリンピック招致もまた,原発推進とまったく同じ手法で,強引に推し進められつつある。オリンピックの「平和運動」もまた,原発の「安全神話」とまったく同じ構造をもっていることは,もはや,指摘するまでもないだろう。
東京都民だけではなく,首都圏住民として,いやいや,日本人として,東京オリンピック招致の是非論を立ち上げていかなくてはならない。都民,住民,国民を無視して,イシハラ君とドジョウ君とが手を結んで,オリンピック招致に突っ走っている。しかも,巨額の招致資金を使って。その上,わたしの予想では,東京が選定される可能性はほとんどないにもかかわらず・・・・。無駄な労力と資金の浪費以外のなにものでもないのに・・・・。
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