2011年12月27日火曜日

ついに賀状を断念。暮れ,正月もなし。恥ずかしながら。

いよいよ暮れも押し迫ってきました。
いまも,駅前やスーパーの入り口などで賀状が売られています。その人たちの顔をみていると,どう考えても郵便局の正社員ではなさそうです。どういう人たちなのだろう,と想像しながらそこはかとなく観察しています。なんだかものの哀れを感じます。

ずっと年賀状をなんとかしなくては・・・・と考えつづけていましたが,どう考えても賀状を書くだけの瞬発力と持久力が足りない,ということに気づき,とうとうことしは賀状を諦め,断念することにしました。いよいよそういう時期がきたか,と複雑な気持ちです。賀状大好き人間にとっては,とても寂しいかぎりです。

若いころに,定年退職された先生から「ことしをもって賀状は最後にします」という添え書きのある賀状をいただき,なんとも寂しい思いをしたものです。しかし,わたしの方からは賀状を出しつづけましたが,なんだか空しい気分でした。でも,わたしも,いつのころからか,賀状はもういい,と思うようになりました。とりわけ,肉筆の痕跡がどこにも確認できない賀状が増えはじめたころからは,そう思うようになりました。

かく申すわたしもまた,宛て名書きと添え書きだけは自筆で,あとは印刷になってしまいました。むかしは,版画を彫って,刷って(元気のいいころは3色),宛て名は毛筆で,添え書きは万年筆で,と凝った賀状に仕立て上げ,それを出すことを楽しんでいました。同じことをする友人もかなりいて,毎年,楽しみにしていたものです。が,その数も次第に少なくなり,いまでは例外的にしか版画の賀状は手にすることはできなくなってしまいました。のみならず,表書きまでパソコンでプリントアウト。それが当たり前になってきました。そういう時代なのだなぁ,と感慨一入です。

それでも,賀状を断念する気持ちは複雑です。いくら多忙とはいえ,書こうと思えば書けるはずです。しかし,そのためには肝心要の瞬発力と持久力が必要です。ひとことで言えば気力と体力です。このふたつを賀状にそそぐだけの余力がなくなってしまった,というのが実態です。もういい,暮れ・正月はのんびりと過ごそう,と。そういう心境になってしまった,ということです。これはいいとか,悪いとかの問題ではない,からだの問題だ,と居直って。

その代わりと言ってはなんですが,このブログで新年のご挨拶をさせていただいて・・・・と自分を慰めることにしています。どうか,これまで賀状の交換をさせていただいた方々には,この場をお借りして,お詫びとご報告をさせていただきます。どうぞ,ご寛容のほどを。

しかし,賀状を断念する以上は,賀状に代わる内実のあるコミュニケーションのとり方を新たに工夫する必要があります。人間はひとりでは生きていけませんから。やはり,大勢の人に支えられて生きているという現実に背を向けることだけはしてはならない,と肝に銘じています。

このブログもそのためのひとつの方法だと考えています。が,それだけでは抜け落ちてしまう恩人たちがたくさんいます。その人たちに向けて,日常的に,どのように向き合うかを考えてみたいと思っています。なかなかいいアイディアが浮かびませんが・・・・。

というわけで,恥ずかしながら,ことしは暮れ・正月もなしの日常の生活を送ることにしました。その分,いつもよりも出だしのいいスタートを切りたいと思っています。まあ,そのくらいに追い込まれていることも事実ですので・・・・。

みなさんの,無事の越年を,こころからお祈りしています。



0 件のコメント: