2013年12月23日月曜日

この4日間,密度の濃い時間を過ごしました。まさに,師走。

 師走とはよく言ったもので,あれやこれやと一年分の雑用が吹き溜まり,その後始末に茫然自失,でもなんとかしなくてはと焦っています。その上,突発的なできごとがあると,もう,大変です。この4日間,いつもにもまして多忙にあちこち走り回り,まさに師走を体験していました。そのあらましは以下のとおりです。

 12月19日(木)通夜式(愛知県豊橋市)
 12月20日(金)告別式(同上)+初七日
 12月21日(土)ラウンドテーブル「自発的隷従」を撃つ。東京外国語大学。
 12月22日(日)「ISC・21」12月東京例会+マンション管理組合分科会。

 といった具合でした。一歳しか年齢が違わない義姉を見送るのはなんとも複雑な気持でした。長い闘病生活ののちのことでもあり,義姉の生涯について考えてしまいました。そのせいか,いつもはほとんど聞いてもいないお経の経文がやけに耳に入ってきました。とりわけ,「修証義」は読み下し文になっていますので,そのまま耳に入ってきました。生も死も違いはないのだ,という道元さんの教えをわかりやすく説いた,経文です。この経文は,なんと明治になってから,道元さんが書いた『正法眼蔵』から抜粋して編まれたものです。ですから,とても現代的な色彩の強い内容になっています。そんなこともあって,よりいっそうわたしたちの耳にも馴染みやすいのでしょう。

 また,一方では,「仏縁」といいますように,もう長い間,会ったことのなかったいとこや遠い親戚の人たちとも,近しくことばを交わすことができました。ひとしきり昔話をしたり,その後の空白を埋め合わす話をしたり,みんなわたし同様に高齢化していますので,そこはかとなく人生を振り返ってしまいました。そして,いよいよ順番がくる・・・・と身に染みました。ですから,去年,西谷さんに言われた「幕引き」ということばが重くのしかかってきました。もはや,いつでも来い,という覚悟はできたつもりです。かつて,わたしが尊敬していた大伯父が「お迎えがこにゃあいけんわやい」と言っていたことばが,いまや実感となって,耳に響きます。

 豊橋からもどった翌日は,西谷修さんが企画したラウンドテーブル「自発的隷従を撃つ」を傍聴。真島一郎,土佐弘之,中山智香子,小森陽一,七沢潔,仲里効,川満信一,といった豪華メンバーがそれぞれに珠玉のことばを連ね,密度の濃い時間が流れました。なかでも,主催者の西谷さんのことばが,いつもにもまして切れ味鋭く,圧倒されてしまいました。最後のとりをとった川満信一さんの自作の詩の朗読(「エッジの水底から」)が,このラウンドテーブルでのさまざまな発言をもののみごとに串刺しにする,素晴らしいものでした。かつて,「琉球共和社会憲法C私(試)案」(1981年)を創案して世に放ち,その運動の先頭に立ったことのある人のこころの声を聞かせていただきました。こころから感動しました。

 そのまた翌日には,「ISC・21」12月東京例会をもちました。短い時間でしたが,ここでもまた密度の濃い時間を過ごすことができました。仲間のみなさんも,それぞれにラウンドテーブルに触発され,深い思考を味わったようです。わたしもまた,みなさんの発言に触発されて,ひとりでは思いつかない発想が生まれ,大満足です。

 それを終えて,すぐにマンション管理組合の分科会(ことしの6月から理事)に出席(遅刻)。重要な議題が山積していて,夜7時からふたたび会合。熱の籠もった議論が展開。工事発注にかかわる議論でしたので,わたしの出番はまったくありませんでしたが,でも,その迫力には驚きました。このマンションにはすごい人たちがいるものだと,しみじみ感心し,また安心もしました。これならこのマンションの管理も安泰だ,と。

 今日(23日)は久しぶりに鷺沼の事務所に落ち着いて,いつものペースの仕事にとりかかっています。やはり,いつもどおりの日常をとりもどすとほっとします。が,手つかずのまま放置してある仕事が山ほどあり,さて,どこから手をつけようか,と思案投首です。まあ,あわてず,騒がず,できるところから手をつけて・・・・と居直ることにしました。

というところで,このブログを閉じたいと思います。
まあ,どうでもいい「ひとりごと」だと思って聞き流してください。
 

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