2013年12月24日火曜日

どこまで暴走するのか。武器三原則を逸脱して「銃弾1万発」を韓国軍に譲渡するという。

 なにを考えているのやら,あきれ返ってものも言えないとはこのこと。人道上の必要性があるとはいえ,武器三原則を逸脱してまてして,「銃弾1万発」を韓国軍に譲渡することはないだろう。こうしてなし崩し的に軍隊をもつ「強い日本」へとまっしぐら。

 こうなったら,アーベ首相の鼻の下にちょび髭をつけた写真を額に入れて飾ろう。そして,Heil ! Hitler ! と叫ぼう。ただし,額縁の色は「クロ」。できれば額縁の周囲を Hakenkreuz (カギ十字)の模様でにぎにぎしく飾りたてよう。そうして朝晩といわず,暇さえあれば拝もう。拝んで,拝んで,拝み倒そう。「この野郎ッ!」と一声叫んで。

 圧倒的多数を議会で確保すればなにをやってもいい,と小学生のような多数決民主主義をアーベ首相は選択し,実行している。もちろん,政府自民党のこの暴挙を止められないのは野党の非力につきるのだが,そういう選挙をしてしまったわれわれの責任でもある。それにしても,公明党はなにをしているのだろうか。

 もう一度,振り返っておこう。この間の選挙で自民党が圧倒的多数の議席を確保したとはいえ,その内実である得票率はわずか22%にすぎない,ということを。このたった22%の国民の支持を背景に,絶対的な「信」を得たかのようにアーベ首相は振る舞う。この頓珍漢ぶりは断じて許されるものではない。しかも,議会での充分な審議もしない。審議の答弁もでたらめ。提出されている法案が修正中なのでお答えできません,と担当大臣が答える始末。それなら,とりあえず法案を引き下げて,修正後に再提出し,再審議をすればいい。それもしない。議会無視。それは民主主義をも逸脱する暴挙でしかない。しかも,緊急動議による強行採決で押し通す。

 かつて,こんな政権が存在しただろうか。どの政権も,ここだけは「守る」としてきた「武器三原則」を,いともかんたんに「例外措置」として解釈し,それで押し通し,平気なのだ。これが明らかに憲法違反であることは,だれの眼にもわかる。その肝心要の監視役であった法制局長の首もすげ替えたので,もう,なにも恐いものはない,とでもいうかのように。

 こうなったら,法はいかようにも解釈可能となってしまう。もやは,法治国家の名が廃る。法を逸脱してもだれも止められない国家であるなら,いっそのこと「放置」国家と名乗りを変えよう。それが現実の姿なのだから。憲法ですら,解釈によっていかようにも運用ができるとし,そのように運用しようとする,そういう政権なのだから。

 その典型的な例が「一票の格差」だ。最高裁ですら,「違憲状態」ではあるが,選挙は「無効」ではない,という。三権分立ということを,敗戦後間もない中学生のときに教えてもらったはずだが,その精神はどこに消えてしまったのか。毅然とした態度を貫きとおすべき司法までもが,いつのまにやら骨抜きにされてしまっている。つぎの選挙のときには,選挙「無効」を主張した最高裁判事だけを残して,あとは,みんな「×」をつけよう。

 最後の砦となっていたはずの「武器三原則」ももはや意味をなさないとなれば,あとは,軍国主義国家に向かってまっしぐら。アーベ首相の思うつぼ。

 やはり,これは拝み倒すしかなさそうだ。拝むたびに,一声,大きな声で「この野郎ッ!」と叫んで。それは,わたしたち自身がこの政権の暴走とその危険性に馴染んでしまわないための装置として不可欠だ。

 昨日のブログに書いた,川満信一さんの「琉球共和社会憲法」の前文を思い起こそう。そのサワリの部分をいま一度引いておこう。

 「・・・・われわれは非武装の抵抗を続け,そして,ひとしく国民的反省に立って「戦争放棄」「非戦,非軍備」を冒頭に掲げた「日本国憲法」と,それを遵守する国民に連帯を求め,最後の期待をかけた。結果は無残な裏切りとなって返ってきた。日本国民の反省はあまりにも底浅く,淡雪となって消えた。われわれはもうホトホトに愛想がつきた。
 好戦国日本よ,好戦的日本国民者と権力者共よ,好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない。」

 わたしは,ただ,ただ,恥じ入るばかり。川満さんに対して顔向けもできない。だから,こんどこそは許してはならない,と覚悟を決めるのみ。
 
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