2013年12月28日土曜日

長松禅寺の奇祭「どんき」のつづき。からす天狗と狐の関係について。

 昨日(27日)のブログを読んだ柴田さんから,早速に,新しい情報を提供していただきましたので,追加のブログを書いておきたいと思います。

 それは,からす天狗と狐がこの祭りの主役として登場することの根拠についてです。柴田さんから写真が送られてきたときには,「なんとも不思議な祭りです」とありましたので,わたしもそのまま受け止め,勝手な想像力をふくらませてしまいました。が,この間に柴田さんは,すでにつぎなるアンテナを張っていて,思考が進化(深化)していました。


 柴田さんのメールには以下のように記されていました。
 「添付は可睡齋の「あきやさま」の護符です。
 三尺坊はからす天狗の姿で描かれており,白狐に乗っております。
 どんきの白狐や天狗は,この護符に基づいたものと思われます。」

 なるほど,送信されてきた護符をみますと,白狐の背中の上にからす天狗が立っています。この白狐とからす天狗を主役にした祭りだからこそ「秋葉祭り」であり,それが,いつしか「どんき」と呼ばれるようになったという次第です。

 この護符には「秋葉三尺坊大権現」と書かれており,三尺坊が修験道の行者であったことが明らかです。ついでに,三尺坊のことを調べてみましたら,つぎのようにありました(Wikipedia)。

 由来:秋葉山の山岳信仰に,信州出身の修験者である三尺坊を没後に秋葉三尺坊大権現として御前立ちとして祀ったことが起源である。三尺坊は,越後の長岡蔵王権現の十二坊の第一である三尺坊に篭もって修行したのが,その名の由来であり,観音菩薩の化身とされた。遠州大登山秋葉寺から勧請された秋葉社が全国に広まった。

 可睡齋は,右の護符の下に書いてありますように,秋葉総本殿のことであり,遠州・袋井にあります。ここが禅宗であり,ここの末寺が秋葉寺です。このようにたどってみますと,秋葉祭りが長松禅寺に伝承されていても不思議ではありません。

 もっとも,「あきやさん」「あきやさま」信仰をたどっていきますと,これはこれでまた面白い話がいっぱいあるようです。ただ,遠州と三州にこの秋葉信仰が深く根づいた背景には,どうやら徳川家康が一枚噛んでいたようです。そのことと明治の廃仏毀釈の問題があって,秋葉祭りがさまざまな変遷をとげることになったようです。この問題はまた,別の機会に考えてみたいと思います。

 取り急ぎ,柴田さん提供による新しい情報に基づき,昨日のブログを補正させていただきました。この「どんき」という奇祭に,下佐脇の子どもたちが一喜一憂している映像をみると,やはり「お祭り」はいいなぁと思います。こういう祭りを先祖代々共有することによって,下佐脇の子どもたちは下佐脇の人となっていくのですから。この子どもたちが成人すると,こんどは「白狐」(子どもたちは「ホワイトコンコン」と呼んでいる)やからす天狗となって,紅ガラを塗る役割をにない,つぎの世代の子どもたちを追いかけるようになります。

 シモーヌ・ヴェイユが「根をもつこと」ということの意味の一つはここにもあるのだなぁ,としみじみ思います。

 柴田さん,ありがとう。また,いろいろと教えてください。
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