2013年12月26日木曜日

「3000億円」は眼くらまし。沖縄の戦後処理はまだ終わってはいない。

昨日(25日),仲井真知事と首相との対談が行われ,とうとう仲井真知事が辺野古埋め立てを承認するみとおしだという。おやおや,である。3000億円の手土産で,一区切りつけようというのだろうか。これではことの本質を見失ってしまう。

メディアもほとんど報道しないので,わたしたちはつい忘れがちであるが,米軍の普天間基地がどのようにして建造されたのか,この経緯をはっきりと想起しておく必要がある。

そもそも普天間基地は,米軍が沖縄本土に上陸してすぐ,そこに住んでいた住民が避難してだれもいない間に,地ならしをして,勝手にでっちあげた代物である。戦争とはそういうものだ。占領した土地はどのように使おうと勝った者の自由だ。

しかし,戦争が終わり,米国の統治がはじまり,まがりなりにも沖縄の平安は回復し,住民たちがもとの家にもどろうとしたら,そこはすでに飛行場になっていた。帰る家・土地もないまま,放り出されたままの苦労がつづく。やがて,本土復帰をはたし,本土並の平和を享受できるものと信じた人々の夢は破れ,なしくずし的にこんにちに至る。普天間は相変わらずのままだ。気がつけば「日米地位協定」なるものがあって,日本政府は米国になにも異議申し立てをする権利もなく,ただ「隷従」するのみだ。それどころか,敗戦直後から日本はアメリカにたいして「自発的隷従」の姿勢をとった(その経緯は,最近の西谷修さんのブログに詳しい)。しかも,いまではそれが日常化し,日本政府のアメリカに対する「自発的隷従」が当たり前になってしまった。

それに対して,沖縄では絶えることなく普天間の基地移転(県外移設)を求める住民運動が辛抱強く展開されてきた。この運動に対して,さすがのアメリカも良心がとがめたのか,移転を考えざるをえなくなってきた。そうして,こんどは普天間の代替地を要求してきた。しかも,沖縄県内に。そうして日米合意をえた場所が辺野古である。沖縄県民の意志を無視した頭越えの日米交渉の結果である。

これは,一見したところ,もっともな理由のように聞こえる。しかし,よく考えてみると変だ。戦争中とはいえ,どさくさに紛れて飛行場がつくられてしまった。言ってみれば,強盗に家・土地をとられてしまったので,それを返せと言ったら,じゃあ代わりの土地を寄こせ,と強盗に居直られ,凄まれたに等しい。沖縄県民が怒るのは当然のことだ。

しかし,日本政府は,沖縄県民の意志を無視して,アメリカへの忠誠と自発的隷従を貫きとおした。唯一,鳩山由紀夫首相が「国外移設」を主張し,悪くても「県外移設」を,と正論を吐いた。とたんにアメリカからプレッシャーがかかり,あっという間にこの政権は倒れてしまった。

そうして,今回は,仲井真知事が矢面に立たされ,日米両政府から強烈なプレッシャーがかかったと伝え聞く。そうして,3000億円という「手土産」で手を打つという暴挙にでた。言ってみれば,仲井真知事の顔を立てて,辺野古埋め立てへの道を,無理矢理開かせた,ということだ。

復興予算をちらつかせはしたものの,普天間の5年以内の撤去については名言を避けている。オスプレイの飛行計画を半減させるとか,日米地位協定の改定のための協議をはじめることに合意したとか,牧港補給地区の7年以内の全面返還要求にも「返還促進チームを設置」と応答したとか,いずれも「確約」はひとつもないのである。

IOCの総会で,フクシマは「under control 」と平然と言ってのける厚顔無恥の首相の「口約束」は,まったく信用がならない。努力したが,実現できなかった,と言っておしまい,という結末が透けて見えてくる。つまり,「空手形」でしかない,そんな気がしてならない。

沖縄では,昨日も一昨日も,沖縄県庁を取り囲む県民集会が開かれ,1,500人が「鎖」をつくって県庁を封鎖したという。今日(26日)はもっと多くの県民が駆けつけるに違いない。明日(27日)には,仲井真知事が「決断」をくだすという。

ヤマトンチュも手を拱いて,黙っているわけにはいかない。どんなに小さくてもいい。なんらかの行動を起こし,みずからの姿勢を提示し,その意志を鍛え,強化していくことが肝要だ。

いったい,日本列島はどこまで沈没していくのだろうか。
憂国の士よ,いでよ。

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