第92回全国高校野球選手権大会で沖縄の興南高校が,決勝で東海大相模を圧勝して,真紅の優勝旗を沖縄に持ち帰った。沖縄の人びとがどれほど喜んだことか,と涙がにじむ。
思い起こせば,1958年に首里高校が特別枠で初めて甲子園に出場。それから52年にして,ようやく夏の選手権大会で初優勝。しかも,史上6校目の春夏連覇という歴史に名を残す偉業をなしとげた。じつに立派である。主将の我如古(がねこ)君,そして,主戦投手の島袋君のの立派な応答を聞いて,久しぶりに素晴らしい高校生に出会ったと感動した。ついでに,我如古という名字もおぼえた。一歩,沖縄が近くなった。そして,より一層の親しみがわいた。
昨日の夜7時過ぎの那覇空港には5000人の出迎えがあったという。新聞の写真をみると,みんなが笑顔で拍手をし,熱烈歓迎をしてくれているのに,選手たちの顔はキリリと引き締まっていて,浮ついた感情はみじんもない。勝って兜の緒を締める,の教訓を地でいく古武士の姿をそこにみて,またまた,涙がにじむ。あっぱれである。(「あっぱれ」は「あわれ」と同じ語源でありながら,意味の逆転が生じた,みごとな日本語である,と松岡正剛はいう)。そこには,幾多の苦難を乗り越えて,ようやく到達した若者たちの境涯があったに違いない。
決勝の試合は,両校ともに激戦を勝ち抜いてきて,いうなれば,体力・気力の限界に達していた。とりわけ,主戦投手である島袋君も一二三君も,あとの頼りは集中力しかない。そのほんのわずかな差が,結果的には,あれだけの大差となってしまう。勝負というものは恐ろしい。もう一度,両校が,ベスト・コンディションで対戦したら,どちらが勝つかはわからないだろう。それほどに,どちらのチームもよく鍛えられた素晴らしいチームだ。
昨日,久しぶりに,「沖縄」から長電話があり,いろいろの情報を交換した。そのなかに,当然のことながら,興南高校の話があった。その一部を紹介しておこう。
夏の甲子園を戦うには,まず,なによりも野球場の蒸し暑さと高気温に耐える体力・気力が必要であると判断した監督は,選手たちに,日頃の練習時から,ユニフォームの下にレイン・コート代わりになるジャケットを着ることを示唆し,甲子園での体温の上昇に耐える気力・体力を養ったという。選手たちはそれに耐えたのだ。そういう気持ちの強さが,あの連打となって,チーム全体に連鎖反応を起こしたのだろう。ここでまた,涙がにじむ。
もう一つの秘話。興南高校が春の選抜で優勝したあと,やはり,いまどきの高校生の気質がでてしまい,周囲がちやほやするために,ついついその気になってしまい,チームの和が乱れ,監督の指示した「約束事」(野球部ルール)を破ってしまう,という「事件」があった。そのルールとは,1年生から3年生まで,野球部の部員は,レギュラーであろうと補欠であろうと,球拾いであろうとマネージャーであろうと,全員,ひとりの部員として対等・平等でなければならない,というもの。つまり,グラウンドの整備からボールやグラブの手入れ,合宿時の掃除・洗濯,食事の準備や後片付けに至るまで,なにからなにまで全員平等である,というルール。このルールをレギュラー選手の一部が破ったというのである。それを見届けた監督は,部員全員を集め,一カ月間,全員の謹慎を命じたという。つまり,練習はもとより試合もしない,と。あとは,各自,学校のグラウンド以外のところで,密かにキャッチボールをする程度だった,と。この一カ月間の野球部員たちの気持ちを考えると,なんだか恐ろしくなってくる。ルールを破った一部のレギュラー選手とそうでないレギュラー選手,そして,その他の部員たちの間に亀裂が生じない,とはだれも保証はできないからだ。しかし,結果的には,この期間をとおして,部員全員が,気持ちを引き締め,以前にもまして「一丸」となる方向に進んだのだそうだ。
それ以後,部員一人ひとりの自覚がワン・ランク,レベル・アップし,日常の行動となって現れたという。いま,なにをすべきかを部員たちは自分で判断し,行動するようになった,という。こうなれば,もう,監督はなにも言うことはなくなる。必要最小限の指示を出して,あとは,じっと見守っているだけでいい。最高の状態が生まれた,というわけである。
ついでに,電話の主に,勉強の方はどうなの?と聞いてみた。そうしたら,みんな勉強もよくできるのだそうだ。主戦投手の島袋君は,プロには行かない,医学部をめざす,という。この島袋君,Nさんのブログによると,沖縄国際大学にヘリコプターが墜落した事件のとき,小学生だったという。しかも,大学のすぐ近くに住んでいた。事件のあとの住民抗議集会では,小学生を代表して,抗議声明を読み上げたという。ただ,勉強ができて,野球が上手だ,というだけではない。日常的に,生まれたときから,米軍基地に隣接する土地に育ち,戦争というものを目の当たりにしている。沖縄県民として,そして,ひとりの人間として,いかに生きるべきか,つねに考えなくてはならない環境で育っている。ヤマトンチューの高校生とは,決定的に違う要因がそこにはある。
真紅の大優勝旗をもって那覇空港に降り立った我如古君の,あの引き締まった顔,そして,そのあとにつづく選手たちの毅然とした表情を,もう一度,しみじみと眺めてしまう。そして,またまた,涙がにじむ。
Nさんが,つねづね言っていることばがある。沖縄を考えるということは世界を考えるということだ。世界の諸矛盾が集約されて,この沖縄で起きている。その諸矛盾と真っ正面から向き合うこと,これこそが日本人として考えなくてはならない喫緊の課題である,と。
たぶん,島袋君の視野のなかには,野球と同じように,沖縄という地政学的な,どうにもならない当面の課題,つまり,基地移転の問題もまたしっかりととらえられているに違いない。そういう明確な意識が興南高校野球部員の一人ひとりのなかにしっかりと共有されているに違いない。それが,かれらの顔の表情をとおして透視することができる。きりっとした若者の力強い「目力(めぢから)」に久しぶりに出会うことができ,わたしは嬉しい。
ゴルフの宮里藍ちゃんが,アメリカ・ツアーで5勝目をあげた,という情報も流れている。日本人女性としては岡本綾子の4勝を抜いて,トップに立った,と。ふたたび,世界ランキング1位に返り咲く日も遠くないだろう。彼女の「目力」もまた抜群である。そこに「沖縄」を感じてしまう。
沖縄のことについては,わたしたちはあまりに無知である。
いまからでも遅くはない。少なくとも,基地問題については,しっかりとした発言と行動がとれるよう,日本人のひとりとして覚悟を決めなくてはならない。この「覚悟」が大事だとおもう。
興南高校野球部のみなさん,おめでとう! そして,沖縄のみなさん,おめでとう!
そして,ありがとう!
2 件のコメント:
興南高校、春夏連覇!
このことに関するブログが必ずあると思ってました。
ブログの内容に付け加えて、興南高校の選手達が派手なガッツポーズをとっていなかったことにも、感銘を受けました。
さらには、準決勝だったと思うのですが、リードされても浮き足立つ雰囲気がまるで感じられない。じっと状況を見て、それこそ、今自分がすべき事は何かを考えてプレーしていたことに、他のチームとは違うものを感じました。
ブログにもあるように、私もじーんと涙ぐんでしまっていました。
興南高校のみなさん、おめでとうございます。
私も決勝戦を見ていた一人として、試合後の我喜屋優監督の一言ひとことに込められた意味に注目しました。
「今まで毎試合、負けた相手チームのことも考えてきました・・・」。
この言葉の重みを、興南高校の選手全員が共有しているはずであり、それがこのチームの強さの根底にあるのだと思います。
静かな面もちの監督が、勝敗や技術だけでなく、沖縄独自の思考を選手自身が内在化することも忘れていなかったのだと感じ取りました。
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