マルセル・モースの『贈与論』のなかで取り扱われている「贈与」の対象にはどのようなものがあったのか。スポーツは「贈与」の対象となりえたのか。
この問いに,まずは,答えておかなくてはならない。「スポーツ文化論演習」のテクストとして『贈与論』を取り上げる以上は。
テクストの17ページに,「贈与」の方法と対象となるものの主なものが列挙されているので,そこを引用してみよう。
「現代に先行する時代の経済や法において,取引による財,富,生産物のいわば単純な交換が,個人相互の間で行われたことは一度もない。第一に,交換し契約を交わす義務を相互に負うのは,個人ではなく集団である。契約に立ち会うのは,クラン(氏族),部族,家族といった法的集団である。ある時は集団で同じ場所に向かい合い,ある時は両方の長が仲介を立て,またある時は同時にこれらの二つのやり方で互いに衝突し対立する。さらに,彼らが交換するものは,専ら財産や富,動産や不動産といった経済的に役に立つ物だけではない。それは何よりもまず礼儀,饗宴,儀礼,軍事的活動,婦人,子供,舞踊,祭礼,市であり,経済的取引は一つの項目に過ぎない。」
この引用によって,「贈与」というものの方法や対象を,かなり具体的にイメージすることができるだろう。驚くべきことは,「経済的取引は一つの項目に過ぎない」と言い切っていること,そして,それよりもまず「礼儀,饗宴,儀礼,軍事的活動,婦人,子供,舞踊,祭礼,市」である,と言っている点である。そして,「婦人,子供」までが「贈与」の対象になっていた,ということ。なぜ,「婦人,子供」が「贈与」の対象となったのかという問題については,ひとまず措くとして,「贈与」の対象としての「スポーツ」は含まれていないではないか,という指摘も可能であろう。
しかし,「スポーツ」は含まれているのである。しいていえば「スポーツ的なるもの」が含まれていたのである。わたしたちは,いつのまにやらスポーツといえば,テレビをとおして送り届けられる近代競技スポーツをイメージしてしまう習慣が身についてしまっている。しかし,少し視野を広げて考えてみればすぐに気づくように,前近代的なスポーツ文化は,さまざまな祭祀儀礼のなかに埋め込まれているのである。そして,それらの多くはいまも伝承されている。そして,それらを「スポーツ」と呼ぶかどうかは議論のあるところではある。しかし,そうした前近代的なスポーツ文化が,近代競技スポーツの生みの親であったことは,だれもが認めるところであろう。だとすれば,近代競技スポーツのルーツをたどっていく作業が必要になってくる。その作業をする学問分野が「スポーツ史」であり,「スポーツ人類学」という研究領域である。
したがって,「スポーツ史」や「スポーツ人類学」の視点からスポーツ文化を眺めてみると,こんにちのスポーツのルーツの多くは「芸能」の世界と深くきり結んでいることがわかってくる。その代表的な例が,わたしたちにもお馴染みの「大相撲」である。「大相撲」を「芸能」とみるか,「スポーツ」とみるかによって,こんにち話題になっている「大相撲問題」の解釈が解決方法も大いに違ってくる。『相撲の歴史』の著者である新田一郎さんは,明らかに「芸能」からでてきたものだ,ということを著書のなかでも,最近の発言でも明言している。しかし,大半の「スポーツ評論家」(この人たちが,じつはとても危ない人たちであるのだが)は大相撲を近代競技スポーツと勘違いして,一方的な「批判」をくり返している。その点は,マス・メディアも同じである。要するに無知。このことは,授業のなかで,もっと詳しく話をすることにしよう。
さて,スポーツの多くは「芸能」からでてきたものだ,ということを念頭において,テクストの引用文にもう一度,目を向けてみよう。「それは何よりもまず礼儀,饗宴,儀礼,軍事的活動,婦人,子供,舞踊,祭礼,市」である,という内容のうち,「婦人,子供」だけを除外すれば,あとは,すべて広義の「スポーツ文化」とどこかでリンクしている。つまり,スポーツ文化を構成する要素が分散して,さまざまな「贈与」のなかに紛れ込んでいる,ということである。その要素がどのようなものであるのかについては,授業のなかで,みんなで議論してみよう。
一つだけ,そのサンプルとして,冒頭の「礼儀」と「スポーツ文化」との関係についてここで考えてみよう。すぐにわかるように,スポーツには,いまでも「礼儀・作法」(マナー)は欠かせない。日本の武術では,「礼にはじまり,礼に終わる」ということが,いまでも徹底している。武術は,勝ち負けではない,「礼」だ,というのである。ウィンブルドンのテニスでいえば,選手たちは,まず,お互いに握手し,審判にも握手をする。これが何を意味しているのか,を考えてみれば,スポーツがどういうところから生まれてきたのか,ということがわかってくる。すなわち,「贈与」。このさきのことは,授業で考えることにしよう。
饗宴,儀礼,軍事的活動,舞踊,祭礼,市,と「スポーツ文化」との関係について,どこまで考えられるか,宿題にしておこう。
あと一つ,テクストの18ページにはつぎのような文章がでてくる。
「この制度の最も純粋な型は,オーストラリアの部族あるいは北アメリカ北部の諸部族における二つの胞族の協同関係によって示されているように思われる。そこでは儀礼,婚姻,財の相続,法的および経済的利害の関係,軍事的,祭儀的地位などのすべてを部族内の二つの半族によって取り仕切られている。」
この本文には注・11がついている。その注には「特にオマハ族のボール遊びの注目に値する規則を参照されたい」として,文献が提示されている。この文献は,授業までにはなんとか手に入れて,だれかに紹介してもらおうと考えている。自分でやってみようという人がいたら,ぜひ,調べてみてほしい。そして,ぜひ,プレゼンテーションをやってください。こういう人がでてくると,演習は間違いなく盛り上がります。
以上のように,「贈与」の対象として,スポーツ文化はきわめて重要な役割をはたしている,ということのアウトラインはみえてきたのではないかとおもう。
とりあえず,今日の問題提起はここまで。
1 件のコメント:
kappacoolazyだに。
しぇんしぇいお久しぶりだに。
この暑さで河童は、ちょっと溶けてしまってただによ。。。
我々河童はいろいろな形で語られているんだにぃ。富をもたらす存在としても語られるだにぃ。とても興味深くブログを読んだだにぉ。
しぇんしぇいのブログを読んでいて、遠い親戚の浦島太郎君のことを考えてしまっただにぉ。
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