6日間,旅にでていたので,毎日がまことに楽しく,充実していた。だから,あっという間に時間がすぎていった。が,どこか,なにか,違うなぁ,と思っていた。その理由が今日になってわかった。「午睡」という快楽がひとつ欠けていたのだ。
神戸も暑かったが,かの地は海と山に挟まれていて,猛暑になっても風がそよそよと吹いてくる。日陰に入ればどことなく涼しげである。しかも神戸市外国語大学は郊外の山の中腹のような緑に囲まれた地形のところにある。近くに谷もあり,そこが風の通り道になっている。だから,直射日光さえ避ければまことに快適そのもの。教室のエアコンは要らないくらいだ。
が,昨日(11日)の大阪はうだるような暑さ。市街地は熱風が吹いている。暑さには自信のあるわたしだが,この暑さは危険域に達している。と思いながら溝の口にもどると,夜も背中を汗が流れている。おお,久しぶりの熱帯夜。幸いなことに,高層マンションに住んでいるので,風向きによっては涼しい風が入ってくる。が,風が巻いているらしい。あまねく,すべての家に均等に風を送り込んでいるらしい。でも,夜半には気温も下がり,快適な眠りに落ちることができた。
そして,今日(12日)である。朝からがんがん気温が上がっていく。Tシャツ一枚なのに,背中は汗の運動会。やるべきことを済ませて,鷺沼の事務所へ。午前11時30分,到着。窓を全部開け放って,留守の間の空気の入れ換え。まずは,旅の間,持ち歩いていたパソコンを設定したり,あちこち片づけたりして,いつもの事務所の状態にもどす。と,異様に暑いことに気づく。ここの窓は東と北にあるので,そちら方面からの風が吹いてくれれば,真夏でもエアコンは不要という,まことに都合のいい部屋なのである。しかし,今日はその風ではない。だから,室温は外気とまったく同じ。扇風機(2000円を切る安物)が唯一の頼り。35℃を越えたらエアコンをつけることにしている。いま,34℃。どうしようかと迷いながら我慢している。
とたんに集中力が欠けてくる。これではいけない。エアコンをつけようか,どうしようか,と躊躇しているうちに眠気が襲ってきた。こういうときの眠気は,からだからの貴重なサインである,とわたしは考えている。よほどのことがないかぎり,眠ることにしている。すなわち,「午睡」である。昼食をとっていないのに眠気がくる。こういうからだからのサインに逆らってはならない。食欲と睡眠欲では,睡眠欲の方が上位なのだから。この生物学的法則に逆らってはいけない。
神戸も暑かったが,かの地は海と山に挟まれていて,猛暑になっても風がそよそよと吹いてくる。日陰に入ればどことなく涼しげである。しかも神戸市外国語大学は郊外の山の中腹のような緑に囲まれた地形のところにある。近くに谷もあり,そこが風の通り道になっている。だから,直射日光さえ避ければまことに快適そのもの。教室のエアコンは要らないくらいだ。
が,昨日(11日)の大阪はうだるような暑さ。市街地は熱風が吹いている。暑さには自信のあるわたしだが,この暑さは危険域に達している。と思いながら溝の口にもどると,夜も背中を汗が流れている。おお,久しぶりの熱帯夜。幸いなことに,高層マンションに住んでいるので,風向きによっては涼しい風が入ってくる。が,風が巻いているらしい。あまねく,すべての家に均等に風を送り込んでいるらしい。でも,夜半には気温も下がり,快適な眠りに落ちることができた。
そして,今日(12日)である。朝からがんがん気温が上がっていく。Tシャツ一枚なのに,背中は汗の運動会。やるべきことを済ませて,鷺沼の事務所へ。午前11時30分,到着。窓を全部開け放って,留守の間の空気の入れ換え。まずは,旅の間,持ち歩いていたパソコンを設定したり,あちこち片づけたりして,いつもの事務所の状態にもどす。と,異様に暑いことに気づく。ここの窓は東と北にあるので,そちら方面からの風が吹いてくれれば,真夏でもエアコンは不要という,まことに都合のいい部屋なのである。しかし,今日はその風ではない。だから,室温は外気とまったく同じ。扇風機(2000円を切る安物)が唯一の頼り。35℃を越えたらエアコンをつけることにしている。いま,34℃。どうしようかと迷いながら我慢している。
とたんに集中力が欠けてくる。これではいけない。エアコンをつけようか,どうしようか,と躊躇しているうちに眠気が襲ってきた。こういうときの眠気は,からだからの貴重なサインである,とわたしは考えている。よほどのことがないかぎり,眠ることにしている。すなわち,「午睡」である。昼食をとっていないのに眠気がくる。こういうからだからのサインに逆らってはならない。食欲と睡眠欲では,睡眠欲の方が上位なのだから。この生物学的法則に逆らってはいけない。
急いで,柔軟体操用のウレタン・マットをのばして,ごろり。あっという間に眠りに落ちていく。この,えもいわれぬ「快感」。そうか,これもまた動物性の世界に身をゆだねるひとつの経験なのに違いない。バタイユのいうように,動物性の世界から離脱して人間性の世界に移動してしまった人間は,どこか,わけのわからないところで(理性では説明不能の)存在不安を抱え込んでしまっている。その存在不安から解消されるひとつの方法が「眠る」ことだ。眠りの世界に入り込んでしまえば,あとは,ふつうの一般の動物となんら変わりはない。内在性へも,内奥性へも出入り自由のはずだ。意味不明の夢をみるのも,理性から解き放たれているからに違いない。だから,なにものにも代えがたい「快楽」なのだ。
お盆休みで自由になる時間はたっぷりあるはず。この猛暑のなか,無理して外にでていくことはない。部屋のなかで,少々暑さに耐えて,難しそうな本でも読むとよい。間違いなく睡魔からの招待状がとどく。そのときは素直にお招きに預かること。そこは,なにものにも優る「快楽」の場所。素直に身をゆだねるべし。そのための休暇ではないか。
などといいわけをしながら,「午睡」という快楽にひたることにしよう。せめて,お盆の間くらいは。
「くわばら,くわばら」の反対はなんというのだろう? カッパ博士に聞いてみよう。応答願います。「すがわら,すがわら」はもうありません。
1 件のコメント:
kappacoolazyだにぉ。
いながきしぇんしぇい、出張おつかれさまだっただにね。
で、事務所での「午睡」ではエアコンをつけたんだにか。
少し心配になっただにぉ。笑
なんで「夢」を見るんだにかぁ。
ほんでほんで、なんでときどき奇妙な夢をみるんだにか・・・
怖い夢・・・深い穴に落ちる夢、親近者の葬式の夢、時々溺れそうになって起きるだにぉ。。。河童も眠るだにぉ。。。
また「快感原則の彼岸」を読みたくなってきただにぉ。
フロイトしぇんしぇいのところへ行ってくるだにぉ。
とある人間の友人に「くわばらくわばら」という呪文を知らない人がいただに。
kappa族では菅原様は親分だから、「くわばら」を知らない人はいないんだけど・・・、僭越ではあるだにが、僕が説明するだにぉ。
菅原道真が死んだ後、都では雷が頻繁に落ちたらしいだにぉ。ただ、菅原氏所領の桑原という土地にだけは落ちなかったらしいだに。で、雷除けの呪文として「くわばらくわばら」といったんだによ。。。それがこの呪文の始まりだにぉ。
しかし、だに・・・桑というのは・・・じつは、蚕と関係があっ、、、、、
あれ?あれれ?
もう一回長老に聞いてくるだにぉ。。。
「くわばらくわばら」の反対???
これも、長老に聞いてくるだにぃ。
それにしても恐るべし菅原様だにねぇ。
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