昨日(10月9日),第15回日本余暇学会研究大会にお招きいただき,基調講演をさせていただきました。会場は実践女子大学(日野市)。テーマは「『3・11』以後の日本人のライフスタイルとスポーツ文化の行方──「公」と「私」の交わる場所で」。時間は90分。
余暇学会会長の薗田碩哉さんとは旧知の仲なので,はいはいと気軽にお引き受けしたはいいものの,いただいたテーマをみて考えてしまいました。メイン・テーマの「『3・11』以後の日本人のライフスタイルとスポーツ文化の行方」も考えれば考えるほどむつかしいテーマであるということがわかってきました。加えて,サブ・タイトルの「『公』と『私』の交わる場所で」となると,ますますわたしの頭は混乱を起こしてしまいました。
このテーマはゆうに一冊の単行本に匹敵するひろがりがあるということもわかってきました。そうなると,では,どこをどのように切り取ってきて,ストーリーを展開させるか,ということになります。ここでまた熟考。
最終的には,話題の柱を四つにしぼって展開しようと覚悟を決めました。ひとつは,「3・11」とどのように向き合うのか,ということ。二つめは「日本人のライフスタイルの行方」,三つめは「スポーツ文化の行方」,そして,さいごの四つめは「『公』と『私』の交わる場所で」。こうと決まれば,あとは内容の整理です。それぞれの見出し項目ごとに,箇条書きのメモを作成。まるで,ツイッターのようなひとりごとを書きつらねたメモになってしまいました。が,それでもないよりはましだろうと考え,これをコピーしてみなさんに配布することにしました。
「3・11」以後を語るということは,これは文字どおり「踏み絵」を踏む覚悟が必要でした。つまり,自分の思考のスタンスを明確にすること。すなわち,「脱原発」の側に立つ,ということ宣言しなくては,話ははじまりません。もちろん,いろいろの考え方の人が余暇学会の会員のなかにはいらっしゃる,ということも視野のうちに入れておかなければなりません。そこでの一方的な宣言ですから,相当の覚悟が必要でした。
予想どおり,明らかに「不快」の感情を顔に出された方も何人かいらっしゃいました。でも,大方の方々がうなづいてくださいましたので,それを追い風にして,あとは必死でしゃべりました。しかし,毎日のように講義をしていたころとは勝手が違いました。しばしば論旨が頓挫してしまうのです。こんなはずではなかった・・・と焦りながら,必死でした。ときには,思いがけない話にのめりこんでしまって,なにゆえにこんな話をしているのだろうか,という場面にも遭遇しました。いわゆる,脱線です。そこでみずからを救ってくれたのが,箇条書きメモでした。困れば,そこにもどればいいのですから。
大半の方々がとても熱心に耳を傾けてくださいましたので,あちこち「想定外」の脱線をしながらの話になってしまいました。そのため,結果的には「時間切れ」という不始末。配布したメモの半分ほどのところで終わってしまいました。あとは,メモを読んで補足しておいてください,とお願いするしかありませんでした。
こんな不始末をしたにもかかわらず,みなさん,とても好意的で,何人かの人から名刺をいただきました。この講演のあと,「ワールド・カフェ」方式で全体討論会があるということでしたので,こちらにも参加させていただきました。まずは,その「ワールド・カフェ方式」というものがどういうものなのか知りたかったことが一つと,うまくいけば講演の補足ができるかも,と考えたからです。テーマは「新しい公共にむけて余暇はなにができるのか」。
これはなかなか面白い形式でした。いくつものテーブルを用意して,一つのテーブルに一人ずつ座長さんがいて,会員はそれぞれのテーブルに5,6人ずつ分散して座ります。そこで,15分ほど議論をすると,座長さんひとりが残って,あとの会員はまた別のテーブルに移動して,そこで議論を継続する,ということをくり返していきます。そして,最後に,全員を集めて,各テーブルでどのように議論が展開したかを座長さんが整理して報告します。
なにより素晴らしいと思ったことは,この「ワールド・カフェ方式」ではワインも焼酎も用意されていて,おつまみもある,ということでした。ほどほどにお酒がまわってくると,口もなめらかになり,議論も活発になっていきました。これは,まさにプラトンが『饗宴』(シュンポシオーン)で描いた世界の再現ではないか,と思いました。わたしが長年,思い描いてきたことが,ここ余暇学会では立派に行われているではないですか。いいなぁ,としみじみ思いました。
この「ワールド・カフェ方式」ですっかり気分がよくなってしまったわたしは,そのあとの「打ち上げ」にも参加させていただきました。ここがまたとても楽しくて,さらに深い会話ができました。そして,多くの友人ができました。これからが楽しみです。
というわけで,講演が終わってほっと一息,というところ。見上げれば,秋の青空。わたしのこころも青空。
でも,たったひとつ心残りは,講演が途中で終わってしまったこと。そのお詫びと言ってはなんですが,この講演で話したかったことのポイントとなる部分をいくつか抜き出して,このブログで補足させていただこうと思っています。乞う,ご期待!
余暇学会会長の薗田碩哉さんとは旧知の仲なので,はいはいと気軽にお引き受けしたはいいものの,いただいたテーマをみて考えてしまいました。メイン・テーマの「『3・11』以後の日本人のライフスタイルとスポーツ文化の行方」も考えれば考えるほどむつかしいテーマであるということがわかってきました。加えて,サブ・タイトルの「『公』と『私』の交わる場所で」となると,ますますわたしの頭は混乱を起こしてしまいました。
このテーマはゆうに一冊の単行本に匹敵するひろがりがあるということもわかってきました。そうなると,では,どこをどのように切り取ってきて,ストーリーを展開させるか,ということになります。ここでまた熟考。
最終的には,話題の柱を四つにしぼって展開しようと覚悟を決めました。ひとつは,「3・11」とどのように向き合うのか,ということ。二つめは「日本人のライフスタイルの行方」,三つめは「スポーツ文化の行方」,そして,さいごの四つめは「『公』と『私』の交わる場所で」。こうと決まれば,あとは内容の整理です。それぞれの見出し項目ごとに,箇条書きのメモを作成。まるで,ツイッターのようなひとりごとを書きつらねたメモになってしまいました。が,それでもないよりはましだろうと考え,これをコピーしてみなさんに配布することにしました。
「3・11」以後を語るということは,これは文字どおり「踏み絵」を踏む覚悟が必要でした。つまり,自分の思考のスタンスを明確にすること。すなわち,「脱原発」の側に立つ,ということ宣言しなくては,話ははじまりません。もちろん,いろいろの考え方の人が余暇学会の会員のなかにはいらっしゃる,ということも視野のうちに入れておかなければなりません。そこでの一方的な宣言ですから,相当の覚悟が必要でした。
予想どおり,明らかに「不快」の感情を顔に出された方も何人かいらっしゃいました。でも,大方の方々がうなづいてくださいましたので,それを追い風にして,あとは必死でしゃべりました。しかし,毎日のように講義をしていたころとは勝手が違いました。しばしば論旨が頓挫してしまうのです。こんなはずではなかった・・・と焦りながら,必死でした。ときには,思いがけない話にのめりこんでしまって,なにゆえにこんな話をしているのだろうか,という場面にも遭遇しました。いわゆる,脱線です。そこでみずからを救ってくれたのが,箇条書きメモでした。困れば,そこにもどればいいのですから。
大半の方々がとても熱心に耳を傾けてくださいましたので,あちこち「想定外」の脱線をしながらの話になってしまいました。そのため,結果的には「時間切れ」という不始末。配布したメモの半分ほどのところで終わってしまいました。あとは,メモを読んで補足しておいてください,とお願いするしかありませんでした。
こんな不始末をしたにもかかわらず,みなさん,とても好意的で,何人かの人から名刺をいただきました。この講演のあと,「ワールド・カフェ」方式で全体討論会があるということでしたので,こちらにも参加させていただきました。まずは,その「ワールド・カフェ方式」というものがどういうものなのか知りたかったことが一つと,うまくいけば講演の補足ができるかも,と考えたからです。テーマは「新しい公共にむけて余暇はなにができるのか」。
これはなかなか面白い形式でした。いくつものテーブルを用意して,一つのテーブルに一人ずつ座長さんがいて,会員はそれぞれのテーブルに5,6人ずつ分散して座ります。そこで,15分ほど議論をすると,座長さんひとりが残って,あとの会員はまた別のテーブルに移動して,そこで議論を継続する,ということをくり返していきます。そして,最後に,全員を集めて,各テーブルでどのように議論が展開したかを座長さんが整理して報告します。
なにより素晴らしいと思ったことは,この「ワールド・カフェ方式」ではワインも焼酎も用意されていて,おつまみもある,ということでした。ほどほどにお酒がまわってくると,口もなめらかになり,議論も活発になっていきました。これは,まさにプラトンが『饗宴』(シュンポシオーン)で描いた世界の再現ではないか,と思いました。わたしが長年,思い描いてきたことが,ここ余暇学会では立派に行われているではないですか。いいなぁ,としみじみ思いました。
この「ワールド・カフェ方式」ですっかり気分がよくなってしまったわたしは,そのあとの「打ち上げ」にも参加させていただきました。ここがまたとても楽しくて,さらに深い会話ができました。そして,多くの友人ができました。これからが楽しみです。
というわけで,講演が終わってほっと一息,というところ。見上げれば,秋の青空。わたしのこころも青空。
でも,たったひとつ心残りは,講演が途中で終わってしまったこと。そのお詫びと言ってはなんですが,この講演で話したかったことのポイントとなる部分をいくつか抜き出して,このブログで補足させていただこうと思っています。乞う,ご期待!
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