余暇ということばのルーツをたどっていきますと,よく知られていますように,古代ギリシア時代の「スコーレー」ということばに行きつきます。一般的には「暇」な時間と理解されています。しかし,このときの「時間」は時計で計った機械的な時間ではありません。昼の間の,とくにやらなくてはならない用事があるわけでもない,自由になるぼんやりした時間のことです。
なにものにも拘束されることのない,自分の意のままになる,だれのものでもない「ぼんやりした時間」が,古代ギリシア時代の「スコーレー」(暇)ということばです。このスコーレーが,やがて,英語の school になり,ドイツ語の Schule になります。つまり,「学校」ということです。ということは,学校とは余暇活動の一環として展開された「学びの場」であったということです。
ですから,わたしの頭のなかには,余暇とは学校のことだ,ということがしっかりとこびりついています。学校というところは,もともとは「遊びの場」であり,その「遊びの場」をとおしてさまざまなことを「学ぶ場」でもあったということです。しばらく前に『人生にとって大事なことはみんな砂場で学んだ』(著者・出版社,忘れました)という本がベストセラーになったことがあります。わたしはこの本を読んだとき,ああ,これは古代ギリシア時代の Gymnasion と同じだと思いました。
その理由は以下のとおりです。
古代ギリシアの自由市民は,午後になると Gymnasion という砂場でできた運動施設に集まってきます。そして,みんな素っ裸になって,レスリングをしたり,ボクシングをしたりしてからだを鍛練し,筋肉質のバランスのとれた肉体を確保することに専念しました。そのレスリングを裸でやるために,オリーブ・オイルを全身に塗り,さらに固い地面ではなくて砂場が必要だったというわけです。そして,休憩している時間は,政治について議論をしたり,詩や音楽やダンスについて語り,哲学を考えたりしていました。こうして,古代ギリシア時代の自由市民は,Gymnasion でスコーレーの時間を過ごしていた,という次第です。この Gymnasion がのちのドイツの中学校・高等学校を意味するGymnsium となります。いわゆる学校の起源はみんな「砂場」にもどっていきます。
つまり,砂場でレスリングをしながら,政治や文学や音楽やダンスを学び,哲学を語り合っていたその時間が「スコーレー」であり,その場所が「Gymnasion」であった,というわけです。こんな風に考えてきますと,わたしの人生は,そのほとんど全部が「スコーレー」であり,余暇活動そのものだった,ということになります。
こんにちのドイツ人が,時間は基本的に全部自分のものであって,その一部を労働に当て,それ以外のすべての時間を自分の楽しみのために使う,という考え方の根源にはこんな「スコーレー」の精神が立派に生き延びているのではないでしょうか。わたしたち日本人も,江戸時代までは,よほど特殊な職業の人でないかぎり,みんなのびのびと自分の時間を楽しんでいたようです。つまり,労働と遊びの区別があいまいなままの状態が,大昔から江戸時代まではつづいていたのではないか,とわたしは考えています。そして,明治に入って,ヨーロッパ的な考え方による「近代化」が進むにつれて,日本人は大きな変化を経験することになります。その一つが,時計による「時間」の管理です。すなわち,労働と遊びの,厳然たる区別です。その延長線上に,こんにちのわたしたちが立っているという次第です。
もう一点だけ,古代ギリシア時代のスコーレーを考える上で忘れてはならないことがあります。それは,スコーレーを堪能できたのは自由市民といわれる貴族だけだった,ということです。貴族といえは格好よく聴こえるかもしれませんが,いわゆる戦闘する人たちです。つまり,自分たちの財産は自分たちで守る,そのことのために戦闘の最前線に立つ人びとです。
もう一歩踏み込んでおけば,この自由市民と呼ばれる人びとは,いわゆる奴隷制社会の上に立つ人びとでもあります。具体的には,ひとりの自由市民が30人も50人もの奴隷を抱え込んでいて,労働は,みんなその奴隷の仕事であり,自由市民はその監視役でしかありませんでした。つまり,労働には従事しない人たちが,自由市民であり,貴族であり,戦闘集団を形成しています。
古代ギリシア時代の直接民主制は,こうした奴隷社会を基盤にして成立していたということを忘れてはなりません。自由市民は外部からの侵入者に対する自衛集団であると同時に,内部の奴隷制を維持していくための自衛集団でもあったわけです。ですから,圧倒的な肉体の強さと,大声で相手を説得する弁論術が,そして,その論理を構築することのできる頭脳が,古代ギリシア時代の自由市民には求められたというわけです。そのための「学びの場」が Gymnasion であり,そこでの時間は「スコーレー」,すなわち「余暇」であったという次第です。
労働する必要のない自由市民の「学びの場」が Gymnasion ,「学びの時間」がスコーレー。この問題を問い詰めていきますと,近代スポーツの成立過程の議論になりますし,あるいは,「共同体」の議論に到達することになります。これらの問題については,また,場を改めて論じてみたいと思います。今日のところはここまで。
なにものにも拘束されることのない,自分の意のままになる,だれのものでもない「ぼんやりした時間」が,古代ギリシア時代の「スコーレー」(暇)ということばです。このスコーレーが,やがて,英語の school になり,ドイツ語の Schule になります。つまり,「学校」ということです。ということは,学校とは余暇活動の一環として展開された「学びの場」であったということです。
ですから,わたしの頭のなかには,余暇とは学校のことだ,ということがしっかりとこびりついています。学校というところは,もともとは「遊びの場」であり,その「遊びの場」をとおしてさまざまなことを「学ぶ場」でもあったということです。しばらく前に『人生にとって大事なことはみんな砂場で学んだ』(著者・出版社,忘れました)という本がベストセラーになったことがあります。わたしはこの本を読んだとき,ああ,これは古代ギリシア時代の Gymnasion と同じだと思いました。
その理由は以下のとおりです。
古代ギリシアの自由市民は,午後になると Gymnasion という砂場でできた運動施設に集まってきます。そして,みんな素っ裸になって,レスリングをしたり,ボクシングをしたりしてからだを鍛練し,筋肉質のバランスのとれた肉体を確保することに専念しました。そのレスリングを裸でやるために,オリーブ・オイルを全身に塗り,さらに固い地面ではなくて砂場が必要だったというわけです。そして,休憩している時間は,政治について議論をしたり,詩や音楽やダンスについて語り,哲学を考えたりしていました。こうして,古代ギリシア時代の自由市民は,Gymnasion でスコーレーの時間を過ごしていた,という次第です。この Gymnasion がのちのドイツの中学校・高等学校を意味するGymnsium となります。いわゆる学校の起源はみんな「砂場」にもどっていきます。
つまり,砂場でレスリングをしながら,政治や文学や音楽やダンスを学び,哲学を語り合っていたその時間が「スコーレー」であり,その場所が「Gymnasion」であった,というわけです。こんな風に考えてきますと,わたしの人生は,そのほとんど全部が「スコーレー」であり,余暇活動そのものだった,ということになります。
こんにちのドイツ人が,時間は基本的に全部自分のものであって,その一部を労働に当て,それ以外のすべての時間を自分の楽しみのために使う,という考え方の根源にはこんな「スコーレー」の精神が立派に生き延びているのではないでしょうか。わたしたち日本人も,江戸時代までは,よほど特殊な職業の人でないかぎり,みんなのびのびと自分の時間を楽しんでいたようです。つまり,労働と遊びの区別があいまいなままの状態が,大昔から江戸時代まではつづいていたのではないか,とわたしは考えています。そして,明治に入って,ヨーロッパ的な考え方による「近代化」が進むにつれて,日本人は大きな変化を経験することになります。その一つが,時計による「時間」の管理です。すなわち,労働と遊びの,厳然たる区別です。その延長線上に,こんにちのわたしたちが立っているという次第です。
もう一点だけ,古代ギリシア時代のスコーレーを考える上で忘れてはならないことがあります。それは,スコーレーを堪能できたのは自由市民といわれる貴族だけだった,ということです。貴族といえは格好よく聴こえるかもしれませんが,いわゆる戦闘する人たちです。つまり,自分たちの財産は自分たちで守る,そのことのために戦闘の最前線に立つ人びとです。
もう一歩踏み込んでおけば,この自由市民と呼ばれる人びとは,いわゆる奴隷制社会の上に立つ人びとでもあります。具体的には,ひとりの自由市民が30人も50人もの奴隷を抱え込んでいて,労働は,みんなその奴隷の仕事であり,自由市民はその監視役でしかありませんでした。つまり,労働には従事しない人たちが,自由市民であり,貴族であり,戦闘集団を形成しています。
古代ギリシア時代の直接民主制は,こうした奴隷社会を基盤にして成立していたということを忘れてはなりません。自由市民は外部からの侵入者に対する自衛集団であると同時に,内部の奴隷制を維持していくための自衛集団でもあったわけです。ですから,圧倒的な肉体の強さと,大声で相手を説得する弁論術が,そして,その論理を構築することのできる頭脳が,古代ギリシア時代の自由市民には求められたというわけです。そのための「学びの場」が Gymnasion であり,そこでの時間は「スコーレー」,すなわち「余暇」であったという次第です。
労働する必要のない自由市民の「学びの場」が Gymnasion ,「学びの時間」がスコーレー。この問題を問い詰めていきますと,近代スポーツの成立過程の議論になりますし,あるいは,「共同体」の議論に到達することになります。これらの問題については,また,場を改めて論じてみたいと思います。今日のところはここまで。
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