2011年10月30日日曜日

「死」と相撲の関係について。

昨日(29日)の「ISC・21」10月東京例会で久しぶりに気持が入り,思考がフル回転し,記憶に残る例会になった(わたしひとりだけだったかもしれないが)。現段階での思考のとどくかぎりの,ぎりぎりの議論ができた,と思うからだ。それを挑発してくれたのは,井上邦子さんのプレゼンテーション。テーマは「死を賭すモンゴル相撲を考える」。

このところ井上さんの研究は,はじけたように新たな展望をみせてくれる。その視点がフレッシュで魅力的だ。だから,わたしなどは妙に興奮してしまう。ふつうなら見過ごしてしまうところに焦点をあて,これはなぜか,と問う。まことに鋭い指摘にであう。

今回は,モンゴル相撲に関する記述を,三大古典文学にさぐり,ひとつの重要な疑問点を提起してくれた。モンゴルの三大古典文学とは,『ゲセル・ハーン物語』『ジャンガル』『元朝秘史』。これらの古典文学のなかに記述されている相撲には,あるひとつの共通点がある,という。それは,決闘ではないのに,相手を殺し,しかもその亡骸を引きちぎって捨ててしまう,という描写だ,という。

決闘は相撲とはまったく別個に扱われていて,決闘そのものの描写として登場し,完結している。しかし,相撲は宴の余興のようにして「取り組まれる」にもかかわらず,最終的には「殺して」しまい,亡骸を「引きちぎって」ばらばらにし,「捨てて」しまう,というのである。

相撲は決闘とはことなる(力を競い合う)「取組み」であるにもかかわらず,最後は,無残にも相手を殺してしまい,その亡骸をばらばらにして,捨ててしまうのは,なぜか?と井上さんは問題提起をする。そして,そこから井上さん独自のアナロジーが展開する。

このプレゼンテーションを聴きながら,わたしは「死」と相撲の関係に思いを巡らせていた。日本の相撲もノミノスクネはタイマノケハヤを「蹴り殺して」いる。これも天皇が「相撲を取らせた」という記述のなかでのことである。もうひとつの「国譲り」神話のなかでも,タケミカズチがタケミナカタと相撲を取ったが,タケミナカタが途中で逃げだしてしまい,諏訪でまで逃げたがつかまってしまい,「命だけは助けてくれ」と頼み,国を譲ったという話になっている。だから,わたしは日本の古代の相撲は「決闘」である,と単純に考えてきた。

さらには,ギリシア神話のなかにも,ある男が旅人をつかまえて「レスリングをしよう」と声をかけ,それに応じた旅人を「殺して」しまっている。ペロップス神話も同じだ。娘の婿取りのために大王が戦車競走を仕掛ける。それに応募した婿候補はつぎつぎに負けて大王に「殺されて」しまう。最後に勝ったぺロップスは大王を殺し,婿となり,その土地を領有する。それがギリシアのペロポンネソス半島の名前の由来だ。

ドイツ中世の英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』のなかにも,女王の婿選びのための競技会が描かれている。ここでも女王と競技をして負けた相手はみんな「殺されて」いる。

こういう例をあげていくとまだまだいくつもある。ギリシア神話のなかには,女王と駆けっこをして勝てば婿,負ければ殺される,という話もある。つまり,相撲や競技による「力比べ」はみんな,最後には「殺されて」いる。もっと言ってしまえば,「死を賭した力くらべ」なのだ。だから,わたしはこれらすべてが「決闘」だと考えてきた。

しかし,井上さんは,そうは考えない。モンゴル相撲の記述を三大古典文学にさぐり,明らかな「決闘」と「相撲をとる」とは分けて考えるべきだ,と提起する。つまり,最初から武器をもって闘う「決闘」と,武器をもたないで「力くらべ」をする「相撲」とは,分けて考えるべきだ,と。そして,そうすることによって「相撲」(力くらべ)のなんたるか,すなわち,相撲の本質により深く迫ることができるのではないか,と。

この井上仮説の感性の鋭さに,わたしは痛く感動し,同時に,わたしの思考にスイッチが入り,一気にフル回転しはじめた。ここからさきの話は,記述するとしたら大論文になってしまうので,ブログにはふさわしくない。また,いつか機会をあらためて,小さなテーマに分けて考え,書いてみたいと思う。

研究会というのは,こういうことが起きるから面白い。これは一種の「場」の力でもある。まさに至福の時である。残念だったのは,井上さんが懇親会に参加することなく,急いで帰途につかれてしまったことだ。あの思考の余韻を,懇親会で,さらに追い込んでみたかった。その時の到来をいまから楽しみにしているところ。


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