9月30日の『東京新聞』夕刊に,「歩くだけで美脚」根拠なし,リーボック製靴に米取引委指摘,という見出しの記事がシューズの写真入りで掲載された。しかも,2500万ドル(約19億円)の罰金つきの制裁である。
記事の要点だけ転載しておこう。
「米連邦取引委員会(ETC)は28日,スポーツ用品大手のリーボック・インターナショナルが,同社製の運動靴を「履いて歩くだけで通常以上の運動効果がある」などと宣伝していることが不当表示に当たると指摘し,リーボックが2500万ドル(約19億円)を支払うことで合意したと発表した。」
日本でも人気の高い商品で,よく売れているという。少なくとも,わたしの周辺ではリーボックのシューズについての苦情は聴いたことがない。むしろ,評判がいい。しかし,アメリカでは消費者から苦情がでていたという。
「ETCによると,リーボックは『通常の運動靴に比べ,ふくらはぎの筋肉に11%多く負荷がかかる」などと数値を掲げてテレビや雑誌などで宣伝。こうした宣伝内容が『科学的根拠の裏付けがないまま,健康や筋肉引き締めの効果を訴えている』とし,検査や研究の結果を誤って伝えていることも問題だとしている。」
その靴を履いて「歩くだけで美脚」になるとしたら,それは相当に無理な仕掛けがしてあるということ以外のなにものでもない,とわたしなどはすぐに考える。しかし,「11%多く負荷がかかる」などと数値を示されると一般の人は弱い。科学信仰がそこまで浸透している証拠だ。その数値を疑うということを,最初から放棄している。わたしは職業柄,そういうスポーツ科学の実験結果の数値がかなり恣意的であるという現場をたくさんみてきている。だから,まずは「疑う」ことからはじめる。
第一に「美脚」とはどういう脚のことを言うのか,その概念を聞きたい。健康という概念と同じで,美脚という概念もまた,きわめて恣意的なものでしかない,とわたしは考えている。ついでに言っておけば,「健康神話」もまた,原発の「安全神話」と同じでほとんど信用ならない。
こんな記事がでた翌日(10月1日)の夕刊に,「これ売れてます」というコーナーで,「蹴る力高めた子ども用の靴」という記事が載っている。思わず首をひねってしまった。この記事を書いた記者は,前日のリーボック製靴の制裁記事を読んでいなかったのだろうか,と。また,デスクはこのことを承知してこの記事を掲載したのだろうか,と。
記事は短いので転載しておく。
「運動会,徒競走の”勝負靴”になるか。子ども用運動靴「スーパースター J231」(4095円)が好評。ムーンスターが,全力疾走時の子どもの走り方を研究。多くの子どもは,かかとから着地して蹴り出す際に親指側に力が集中していたことに着目。靴底のかかとからつま先までの圧力がかかる部分に,独自開発した特殊なゴムとスパイクを搭載。ゴムが前に推し進める力を高め,スパイクで力強く蹴り出すことができる。歩幅を伸ばし,速い走りの手助けをする。男女兼用。」(シューズを履いた子どもの写真と,終わりに,サイズ,色,電話番号まで書いてある)
わたしはこの記事を読んで唖然としてしまった。こんなものがほとんどなんの効果もないことは,この記事と写真をみただけで,すぐにわかる。どのメーカーのシューズも同じような工夫がしてある。ただ,宣伝文句と運動会シーズンに合わせたキャッチ・コピーが,我が子が一番になればいいとしか考えない愚かな母親のこころをつかんだだけの話。もし,こんな程度の工夫で「速い走りの手助け」ができるとしたら,とっくのむかしにトップ・アスリート用につくられているはず。しかし,トップ・アスリート用の靴に,そんな仕掛けはしてない。ひたすら,裸足に近い,軽くて,しっかりした構造の靴が追求されている。
もし,この靴を履いて運動会で勝てなかったら,アメリカなら裁判沙汰になるだろう。そして,さきほどのリーボックのように米連邦取引委員会が乗り出してきて,調査をし,「科学的根拠なし」として,制裁金を支払うことになるだろう。
それより,なにより,同じクラスメイトを出し抜いて勝とうとする根性が見苦しい。そして,もし,その靴を履いて走って勝ったとしたら,そのあと多くの友だちを失うことになるだろう。そんなことは眼にみえている。そんなこともわからない自己中心主義の母親や子どもが増えていることの方が,はるかに重大な病理現象ではないか。
こういうものの見方・考え方(つまり,数量的効率主義最優先の考え方)が,原発を「合理化」し,それを容認する背景になっていたことをこそ,反省すべきではないのか。折角,「脱原発」をかかげた『東京新聞』としては,脇が甘い,としかいいようがない。とりわけ,スポーツ関連の記事の書き方は,基本的に「スポーツ専門紙」とほとんど変わらない。ここにも大きな問題があることを,気づいていないようだ。(ただし,「みんなのスポーツ」というコーナーがあることは高く評価したい。が,ここでも,その記事の書き方は勝ち負けに比重がかかっている点は残念の極み)
この最後のテーマについては,いずれ,詳しく論じてみたいと思っている。
結論だけ提示しておけば,スポーツ競技の「勝利至上主義」「競争原理」は,原発推進の論理とまったく同じだ,ということだけ指摘しておきたい。
記事の要点だけ転載しておこう。
「米連邦取引委員会(ETC)は28日,スポーツ用品大手のリーボック・インターナショナルが,同社製の運動靴を「履いて歩くだけで通常以上の運動効果がある」などと宣伝していることが不当表示に当たると指摘し,リーボックが2500万ドル(約19億円)を支払うことで合意したと発表した。」
日本でも人気の高い商品で,よく売れているという。少なくとも,わたしの周辺ではリーボックのシューズについての苦情は聴いたことがない。むしろ,評判がいい。しかし,アメリカでは消費者から苦情がでていたという。
「ETCによると,リーボックは『通常の運動靴に比べ,ふくらはぎの筋肉に11%多く負荷がかかる」などと数値を掲げてテレビや雑誌などで宣伝。こうした宣伝内容が『科学的根拠の裏付けがないまま,健康や筋肉引き締めの効果を訴えている』とし,検査や研究の結果を誤って伝えていることも問題だとしている。」
その靴を履いて「歩くだけで美脚」になるとしたら,それは相当に無理な仕掛けがしてあるということ以外のなにものでもない,とわたしなどはすぐに考える。しかし,「11%多く負荷がかかる」などと数値を示されると一般の人は弱い。科学信仰がそこまで浸透している証拠だ。その数値を疑うということを,最初から放棄している。わたしは職業柄,そういうスポーツ科学の実験結果の数値がかなり恣意的であるという現場をたくさんみてきている。だから,まずは「疑う」ことからはじめる。
第一に「美脚」とはどういう脚のことを言うのか,その概念を聞きたい。健康という概念と同じで,美脚という概念もまた,きわめて恣意的なものでしかない,とわたしは考えている。ついでに言っておけば,「健康神話」もまた,原発の「安全神話」と同じでほとんど信用ならない。
こんな記事がでた翌日(10月1日)の夕刊に,「これ売れてます」というコーナーで,「蹴る力高めた子ども用の靴」という記事が載っている。思わず首をひねってしまった。この記事を書いた記者は,前日のリーボック製靴の制裁記事を読んでいなかったのだろうか,と。また,デスクはこのことを承知してこの記事を掲載したのだろうか,と。
記事は短いので転載しておく。
「運動会,徒競走の”勝負靴”になるか。子ども用運動靴「スーパースター J231」(4095円)が好評。ムーンスターが,全力疾走時の子どもの走り方を研究。多くの子どもは,かかとから着地して蹴り出す際に親指側に力が集中していたことに着目。靴底のかかとからつま先までの圧力がかかる部分に,独自開発した特殊なゴムとスパイクを搭載。ゴムが前に推し進める力を高め,スパイクで力強く蹴り出すことができる。歩幅を伸ばし,速い走りの手助けをする。男女兼用。」(シューズを履いた子どもの写真と,終わりに,サイズ,色,電話番号まで書いてある)
わたしはこの記事を読んで唖然としてしまった。こんなものがほとんどなんの効果もないことは,この記事と写真をみただけで,すぐにわかる。どのメーカーのシューズも同じような工夫がしてある。ただ,宣伝文句と運動会シーズンに合わせたキャッチ・コピーが,我が子が一番になればいいとしか考えない愚かな母親のこころをつかんだだけの話。もし,こんな程度の工夫で「速い走りの手助け」ができるとしたら,とっくのむかしにトップ・アスリート用につくられているはず。しかし,トップ・アスリート用の靴に,そんな仕掛けはしてない。ひたすら,裸足に近い,軽くて,しっかりした構造の靴が追求されている。
もし,この靴を履いて運動会で勝てなかったら,アメリカなら裁判沙汰になるだろう。そして,さきほどのリーボックのように米連邦取引委員会が乗り出してきて,調査をし,「科学的根拠なし」として,制裁金を支払うことになるだろう。
それより,なにより,同じクラスメイトを出し抜いて勝とうとする根性が見苦しい。そして,もし,その靴を履いて走って勝ったとしたら,そのあと多くの友だちを失うことになるだろう。そんなことは眼にみえている。そんなこともわからない自己中心主義の母親や子どもが増えていることの方が,はるかに重大な病理現象ではないか。
こういうものの見方・考え方(つまり,数量的効率主義最優先の考え方)が,原発を「合理化」し,それを容認する背景になっていたことをこそ,反省すべきではないのか。折角,「脱原発」をかかげた『東京新聞』としては,脇が甘い,としかいいようがない。とりわけ,スポーツ関連の記事の書き方は,基本的に「スポーツ専門紙」とほとんど変わらない。ここにも大きな問題があることを,気づいていないようだ。(ただし,「みんなのスポーツ」というコーナーがあることは高く評価したい。が,ここでも,その記事の書き方は勝ち負けに比重がかかっている点は残念の極み)
この最後のテーマについては,いずれ,詳しく論じてみたいと思っている。
結論だけ提示しておけば,スポーツ競技の「勝利至上主義」「競争原理」は,原発推進の論理とまったく同じだ,ということだけ指摘しておきたい。
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