2011年10月2日日曜日

今福龍太さんの「群島─世界論」音響篇の第3回目のイベントに参加しました。

「眠れる薔薇を揺り起こす」──ヴィニシウス・ジ・モライスの世界,と題して「群島─世界論」音響篇の第3回目のイベントが開催され,そこに参加させてもらいました。

日時:10月1日(土)午後4時~
場所:sound cafe dzumi(吉祥寺)
主宰:今福龍太

早朝の読経を音楽代わりに禅寺で育ったわたしは,いわゆる音楽はまるで素人。大学を卒業したころに,どこかで聴いたナルシーソ・イエペスのギターの音にびっくりした程度。あとは,まるで音楽には無縁のままこんにちを迎えてしまった。だから,どんなイベントになるのかは,わたしにはまったく予想もできなかった。

会場のsound cafe dzumiは,以前に一度,編集者の佐藤真さんに誘われて(というか,荒川修作の三鷹天命反転住宅でのトークのあとの打ち上げで)行ったことがあったので,場の雰囲気は想像できた。あの素晴らしい音響と窓外の風景(8階から眼下に井の頭公園が広がっている)が強く印象に残っている。マスターの泉さんとも面識があるので,楽しみにでかけた。

この日のメイン・テーマは「ヴィニシウス・ジ・モライスの世界」。どこかでみた名前だな,くらいの知識しかなくて,いささか恥ずかしい。よくよく考えてみたら,今福さんが岩波の『図書』で連載していた「薄墨色の文法」のどこかの回に書かれていた名前だと思い出す。ちょうど,この日は,その『薄墨色の文法』──物質言語の修辞学(岩波書店)が刊行されたばかりで,受け付けで購入することができた。しかも,まだ,書店に並ぶ前で(奥付をみると10月4日第一刷発行とある),特別価格。これを購入して席を探す。

途中で道に迷ってうろうろしていたら,中山さんとばったり。一緒に探してやっとたどりついたときには,すでに遅刻。だから,満席。困ったなと思ったら,今福さんと林みどりさん(今日の対談者)が坐っていらっしゃる真ん前の席が空いているという。とても恥ずかしいが,遅れたのだから仕方がない。今福さんと林さんが,手を伸ばせばとどくような直近の場所。しかし,考えてみれば,特等席。

大音響の響くステレオのすぐ前だし,今福さん,林さんの表情はもとより,息づかいまで聞こえてくる,まさにライブの醍醐味満点。

さて,内容。最初に,今福さんから「ヴィニシウス」という人物について,かなり念入りな解説があって,なるほど,そういう人物だったのかとわたし一人が納得。おそらく,ここに参加された人のほとんどは常識だったのでは。

わたしの記憶に残っている話としては,以下のとおり。
ヴィニシウスは究極の「愛」をテーマに詩作に専念した詩人であること。職業は外交官。いわゆる堅気の仕事と詩人(アーティスト)の二足のわらじを履いて生きた人。詩の世界はもとより,実生活においても徹底して「愛」を追求。9回の結婚暦をもつ。バタイユといえども,ちょっと,太刀打ちできない。ここまで徹して「愛」を追求できる人は羨ましいかぎり。

そうして,ヴィニシウスの詩「MODINHA 」(モジーニャ)が紹介される。当日配布されたレジュメに,,原文と訳がある。ほかにも詩が何編か紹介されているが,すべて,今福さんの訳。美しいことばが並ぶ名訳である。「モジーニャ」の詩(断片)は以下のとおり。

否!
もう無理だ 愛する人よ
これほどに引き裂かれた心のまま
幻滅でしかないまぼろしの
奴隷となって生きることなど

おお 人生とはこんなものなのか
絶望を照らす月明かりのように
わたしに憂鬱を投げかけ
わたしのなかに詩をあふれさせる

響け 悲しい歌よ
わたしの胸から去るんだ
心のなかで泣いている思いの種を
あたりにまき散らせ

この詩に〇〇〇が曲をつけて〇〇〇が歌っています。この歌をまず聴いてみましょう。というところで,泉さんの自慢の音響装置が活躍。ブラジルの音楽とはこういうものなのか,と少しだけ目が開かれる思い。

こうしてボサノバという音楽について語られ,ナベサダの炯眼が語られ,ブラジル音楽の本質のような話に展開していく。これまでのわたしの経験にもなかった,遠いとおい,そして,深いふかい話へと進展していく。

うっとりしながら耳を傾ける。ヴィニシウスの詩も,ブラジルの音楽も,ボサノバも,ヨーロッパ近代が求めた音階どおりの機械的,あるいは,表層的なものにアゲインストするかのようにして,もっともっと深いところのヴェールにつつまれた「本質」に接近するところに,わたしたちのこころを打つものがある,と今福さんのお話がわたしには聞こえてくる。この視覚ではなく,聴覚にこそ,生きる人間の究極の存在理由があるのでは・・・・,と聞こえてくる。

これから通読してみようと思っている『薄墨色の文法』もまた,その聴覚がとどくかどうかわからない,曖昧模糊とした「場」に降りていって,ことばが生まれる直前の原風景に「触れて」みようとする今福さんのライフ・ヒストリーでもあるらしい。この日の「群島─世界論」音響篇もまた,そういう世界とリンクする企画だったのだろう,と考える。

だとすれば,かつて『近代スポーツのミッションは終ったか』(平凡社,西谷修,今福龍太の両氏との共著)で追求したテーマとも通底したものをそこにみとどけることができる。そして,今福さんがブラジルのサッカーについて熱をこめて語るときと同じものを,ブラジルの音楽について語るときにも聞きとることができる。だから,わたしにとっては至福のひととき。

こうして,わたしでは説明のできないブラジルの音楽の桃源郷へと誘ってくれる。そこに,林さんの詩の朗読が入り,泉さんの音響とつっこみが入り,フロアーからも自在につっこみが入り,和気あいあいのうちにこのイベントが進展していく。

あっという間に,第一部のイベントが終わり,第二部へと雪崩込んでいく。ここからの話はまた機会を改めて・・・・。ここでも,思いがけない「出会い」がいくつもあった。やはり,フットワークは軽く,そして,いろいろの人と「触れる」ことが,まずは大事だとしみじみ。

ここは「奄美自由大学」の番外篇でもあった。

こういう番外篇が,10月8日(土)にも予定されている。
第190回新宿セミナー@Kinokuniya
今福龍太著『薄墨色の文法』発刊記念対談
今福龍太×藤枝守
<瓦礫と書物>の風景を超えて──薄墨色の音を聴く
会場:新宿・紀伊国屋ホール(紀伊国屋書店新宿本店4階)
日時:10月8日(土)19時開演
料金:1000円(全席指定・税込)

0 件のコメント: