昨日(9日)の講演で取り上げたキー・ワードのひとつに「ゆで蛙」がある。これが,じつは「3・11」以前までの日本人の姿だったのではないか,と。つまり,あまりの居心地のよさに思考停止したまま,なにも考えようとはしない人間の姿,というわけだ。
そして,その「ゆで蛙」が「3・11」を通過することによって,ようやく目が覚めた。あわてていろいろ考えたあげくに,さて,動きはじめようとしたら,からだはメタボでぶよぶよに太り,おまけに筋肉がなまってしまっていて,身動きひとつできないでいる。あわれな「ゆで蛙」,それがいまのわたしたちの姿だ,と。
そのむかし,大自然の田んぼの中にいたころには,身の安全を守るためにつねに注意を怠ることはなかった。注意深くあちこちよく観察しながら,自分の居場所を選んで移動していた。そのころは,メタボでもなかったし,思考力もしっかりしていた。動きも俊敏だった。跳躍力だって抜群だった。
ところが,あるとき,ふとしたはずみに妙などぶ川にはまってしまった。ここは外敵が襲ってくることもなく,食べ物も豊富だった。だから,自然にこのどぶ川に居ついてしまうことになった。ところが,ある日,少しだけ温かい水が流れてきた。あれっ?と思ったが,気持がいいのでじっとしていた。そして,いつのまにかこれを快感と思うようになった。やがては,それが当たり前になった。それからしばらくすると,また,ほんの少しだけ温かい水が流れはじめた。新たな快感の到来である。もう,病みつきになってしまった。
食料は豊富にある。外敵は襲ってこない。いわゆる安全地帯。しかも,快感つきの居場所。蛙君はもうそのテリトリーを手離そうとはしない。むしろ,死んでも離さないと覚悟を固めた。
自分ではなにも考える必要もない。すべて,欲しいなぁと思うものは,いつもどこかからやってきて自分にかしづいてくれる。そして,みんな意のままになる。こんないいことはない。
豊富な食料はいつでも食べられる。満腹になれば,日がな一日,ぬるま湯に身をゆだねてポカンと浮かび,居眠りながら過ごす。それでも,まだまだいいことがあるのではないか,とその到来を待っていた。
ちょうど,そんなある日,大きな地震が起きて,大きな津波が押し寄せ,原発とやらが爆発した,という。蛙君は,運良く震災の起きた場所から遠く離れたところにいたので,なんとか難を逃れたものの,あの快適な「ぬるま湯」と「食料」はもはやない。おまけに空には放射能汚染物質とやらが舞い上がって,風の吹くままに流されているらしい。はじめて身の危険を感じたものの,どうしていいかわからない。
あわててなんとかしようとするが,まずはメタボのからだが重くて身動きがとれない。しかも,思考能力はきわめて低下してしまったために,なにもいいアイディアは浮かばない。毎日,おろおろしながらもぼんやりと過ごすしかなかった。そして,ひたすら,あの大地震の前の「快感」ばかりを夢見ている。もう一度,早く,あの快適な居場所がもどってこないかと待ちつづける。しかし,自分ではなにもしようとはしない。だれかがやってくれるだろう,と他人任せ。
そこに巡回医がやってきて,この蛙君を診断した。ついた病名は「思考停止」病。
このつづきの物語は,これからはじまる。わたしたち全員の宿題だ。どんな物語になるかは,わたしたち自身の問題だ。さて,わたしたちはどんな物語を紡ぐことになるのだろうか。
そして,その「ゆで蛙」が「3・11」を通過することによって,ようやく目が覚めた。あわてていろいろ考えたあげくに,さて,動きはじめようとしたら,からだはメタボでぶよぶよに太り,おまけに筋肉がなまってしまっていて,身動きひとつできないでいる。あわれな「ゆで蛙」,それがいまのわたしたちの姿だ,と。
そのむかし,大自然の田んぼの中にいたころには,身の安全を守るためにつねに注意を怠ることはなかった。注意深くあちこちよく観察しながら,自分の居場所を選んで移動していた。そのころは,メタボでもなかったし,思考力もしっかりしていた。動きも俊敏だった。跳躍力だって抜群だった。
ところが,あるとき,ふとしたはずみに妙などぶ川にはまってしまった。ここは外敵が襲ってくることもなく,食べ物も豊富だった。だから,自然にこのどぶ川に居ついてしまうことになった。ところが,ある日,少しだけ温かい水が流れてきた。あれっ?と思ったが,気持がいいのでじっとしていた。そして,いつのまにかこれを快感と思うようになった。やがては,それが当たり前になった。それからしばらくすると,また,ほんの少しだけ温かい水が流れはじめた。新たな快感の到来である。もう,病みつきになってしまった。
食料は豊富にある。外敵は襲ってこない。いわゆる安全地帯。しかも,快感つきの居場所。蛙君はもうそのテリトリーを手離そうとはしない。むしろ,死んでも離さないと覚悟を固めた。
自分ではなにも考える必要もない。すべて,欲しいなぁと思うものは,いつもどこかからやってきて自分にかしづいてくれる。そして,みんな意のままになる。こんないいことはない。
豊富な食料はいつでも食べられる。満腹になれば,日がな一日,ぬるま湯に身をゆだねてポカンと浮かび,居眠りながら過ごす。それでも,まだまだいいことがあるのではないか,とその到来を待っていた。
ちょうど,そんなある日,大きな地震が起きて,大きな津波が押し寄せ,原発とやらが爆発した,という。蛙君は,運良く震災の起きた場所から遠く離れたところにいたので,なんとか難を逃れたものの,あの快適な「ぬるま湯」と「食料」はもはやない。おまけに空には放射能汚染物質とやらが舞い上がって,風の吹くままに流されているらしい。はじめて身の危険を感じたものの,どうしていいかわからない。
あわててなんとかしようとするが,まずはメタボのからだが重くて身動きがとれない。しかも,思考能力はきわめて低下してしまったために,なにもいいアイディアは浮かばない。毎日,おろおろしながらもぼんやりと過ごすしかなかった。そして,ひたすら,あの大地震の前の「快感」ばかりを夢見ている。もう一度,早く,あの快適な居場所がもどってこないかと待ちつづける。しかし,自分ではなにもしようとはしない。だれかがやってくれるだろう,と他人任せ。
そこに巡回医がやってきて,この蛙君を診断した。ついた病名は「思考停止」病。
このつづきの物語は,これからはじまる。わたしたち全員の宿題だ。どんな物語になるかは,わたしたち自身の問題だ。さて,わたしたちはどんな物語を紡ぐことになるのだろうか。
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