2011年10月11日火曜日

「ボタンのかけ違い」論(松田道雄)・再考。「3・11」を考えるために。

もう,ずいぶん昔の話になるが,松田道雄の「ボタンのかけ違い」論がひとしきり話題になったことがある。「ボタンのかけ違い」論とは,かんたんに言ってしまえば「近代化」論批判である。つまり,「近代化」礼賛論が圧倒的多数の意見だった1960年代(と記憶する・要確認)に,松田道雄は一矢を報いたのだった。

松田道雄は,小児科のお医者さん(名医といわれた)として名をなしていた人だが,その一方で「批評家」としても確たる地位をきずいていた。当時のペストセラーにもなった『スポック博士の育児百科』を翻訳・紹介した人といえば,ああ,あの人かと思い出してくれる人も少なくないだろう。その松田道雄さんが,じつに鋭い視点から,当時の思想・哲学に痛烈な批評を展開していて,わたしはこの人から大いなる啓発を受けた。

その松田道雄が投じた一石である「ボタンのかけ違い」論が,「3・11」を契機にして,ふたたびわたしの脳裏に浮かび上がってきた。いわゆる「近代化」には,大きな落とし穴がある,と松田道雄は主張した。たとえば,学生服(当時の大学生の大半は,まだ,学生服を着て,角帽をかぶっていた。それが大学生としての証であり,誇りでもあった)のボタンとボタン穴は,その一つひとつはきちんと整合性があって,なんの矛盾も抵抗もなく「ボタンをかける」ことができる。だから,ボタンを上着の下から順番にかけていけば,自然に,上までいって,きちんと上着を着ることができる。しかし,このとき,なにかのはずみで,最初のボタンを一つズレたままかけたとする。それでも,ボタンとボタン穴はなんの矛盾もなくかけることができる。きちんと整合しているからだ。ところが,一番上までいったとき,ボタンが一つ余ってしまう,という事態が生ずる。このときになって,初めて,最初のボタンの「かけ違い」に気づく。「近代化」には,ときおり,こういうとんでもない「落とし穴」がある,ということに注意する必要がある,と松田道雄は指摘したのである。

「3・11」は,わたしの理解では,まさに,この「ボタンのかけ違い」の典型的な事例に相当するのではないか,と。原発の事故は「想定外」である,と公式発表された。しかし,その「想定」がきわめて甘いものであったことも,いまでは,歴然としている。つまり,「核」を完全にコントロール(制御)できる技術は「数年」後には確立するはずであった。原発推進を「国策」として決定した当時は「技術革新」につぐ「技術革新」が相次いでいた。科学に不可能はない,という神話さえ生まれていて,そこに多くの人たちは「信」を置いていた。しかし,高木仁三郎さんのような専門家は,「核」をコントロールする技術を開発することはそんなにたやすいことではない,どちらかといえば「不可能」に近い,だから,その技術を確立するまでは原発は差し止めるべきだ,と主張した(いま,この人の本は復刻されて,ベストセラーになっているので,ぜひ,確認してみてほしい)。

つまり,原発は見切り発車をしてしまったのだ。当時の中曽根総理,その腹心であった与謝野馨の,とんでもない「ボタンのかけ違い」だったのだ。最初のボタンを「なんとかなる」と,一つずらしたまま,そこからボタンをかけていった。そのあとのボタンとボタン穴は,なんの矛盾もなく,みごとにかけることができた。その間に,最初のボタンの問題はなんとか解決する「はず」であった。しかし,いまだに「核」の最終処理技術は,まったく展望がないままなのだ(だから,10万年とも,それ以上ともいわれる年数をかけて,だましだまし鎮めるしかない,それが現実なのだ)。

10万年もの「ツケ」を子孫に残しても,なおまだ,原発推進を唱える人びとの「理性」とはいったいどうなっているのか。もはや「狂気」としかいいようがない。

一度,かけ違えてしまった最初のボタンは,もう一度,全部ボタンをはずして,初手からかけ直すしか方法はないのである。それには,もちろん,勇気が必要だ。しかし,それをしないことには,余ったボタンは半永久的に余ったままなのだ。その学生服が廃棄処分になるまでは・・・・。つまり,終末局面を迎えるまでは・・・・。

「3・11」は,松田道雄が指摘した「近代化」の落とし穴の,残念ながら,みごとな事例となってしまった。だから,もう一度,近代(もちろん「ヨーロッパ近代」ということだ)とはなにであったのか,その論理戸はなにであったのか,を出発点に立ち返って再検討しなければならないところに,いま,わたしたちは立たされている。「3・11」にふくまれている教訓の一つはこれだ。

わたしの専門である「スポーツ史」や「スポーツ文化論」についても,この「ボタンのかけ違い」という松田道雄の視点から,再検討し直すことが,もはや,避けてとおれないところにきている。

電力を使い捨てのようにして消費して平気でいられた「3・11」以前の生活意識(たとえば,テレビのつけっぱなし)が,どこから生まれてきたのか,わたしたちは本気で考えなくてはならないところにきている。最低限,生きていく上で必要なものを必要なだけ消費する,これは人間が地球という大自然に向き合い,他の生物と共存して生きていくための大原則だ。そんなことを無視して,ただ,ただ,人間の欲望を充足することを最優先させた「経済原則」なるものの「ボタンのかけ違い」を,わたしたちはこれから厳しく検証していかなくてはならない。

「3・11」は,そういう「近代」がはまり込んだ「隘路」からの脱出の必要性を,これ以上にはない方法で,これからを生きるわたしたちに迫っている。

わたしが主張してきた「後近代」は,まさに「3・11」からはじまった,と考えている。だから,「近代」に代わる「後近代」の新しい論理(思想・哲学)を明示していくことが喫緊の課題となっている。

いま,わたしたちは「世界史」の大転換期に立ち会っているのだ。そういう自覚をもつこと。そして,そのための「生き方」を模索していくこと。まさに,試練の時なのだ。わたし自身の自省も兼ねて,このことを強調しておきたい。

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