2011年10月19日水曜日

中日ドラゴンズ,優勝おめでとう。それにしてもオーナーはなにを考えているのか。

中日ドラゴンズ,優勝おめでとう! 

わたしは中日ドラゴンズのファンではないが,この優勝はただごとではない,と注目していた。なぜなら,いっとき,首位との差が10ゲームまで開いたのに,じわじわと追い上げての大逆転優勝である。しかも,中日の打線は,打撃10傑のなかにひとりもいない,いわゆる貧打線だ。しかし,この大したことのない打線がチャンスにはきちんと仕事をした。そして,あとはピッチャーがひたすら頑張った。この投手力の後半の頑張りは素晴らしい。選手起用の方法とか,投手起用の仕方に関する監督の手腕もみごとだった。

マスコミではいろいろととりざたされたが,落合監督というのはなかなかの勝負師だ。なにを言われようと「オレ流」を貫いた。「勝つことがファンへのサービス」と高らかに宣言して,記者の取材を適当にあしらった。なぜなら,記者に話をしても,監督の真意などはなにも伝わらず,記事にして面白そうなところだけを誇張して書かれることの屈辱に,落合君は我慢ならなかったのだろう,と思う。(わたしの経験からも,そのことはよくわかる)。

それにしても,球団史上初の「2連覇」を達成した,歴史に残る名監督をクビにするオーナーをはじめとする球団首脳部はいったいなにを考えているのだろうか。まったく信じられない。中日ファンが激怒している(インターネット情報),という。わたしですら「許せない」と思っている。なにはともあれ,ファンがあってのチームではないのか。それを平気で無視する球団首脳部。この体質,なにかとそっくり。そう,国民の圧倒的多数の意志である「脱原発」を無視する政・財界のドンたちそのままではないか。

わたしの愛読している『東京新聞』では,中日ドラゴンズの優勝を大々的にとりあげた。2連覇を高く評価してのことかな?と思ったが,そうではなかった。たんに『東京新聞』が『中日新聞』と同系の新聞社だ,というにすぎなかった。おそらく,中日優勝の記事を,そっくりそのまま地元『中日新聞』から転載したものだろうと思う(比較していないので,不確かではあるが,これまでの経験ではよくあることだということを確認している)。

しかし,よくよく読んでみたら,球団首脳部に対する批判の記事はひとつもないし,落合監督を絶賛する記事もない。なんとも中途半端な記事であることがわかった。当たり前といえばあまりに当たり前の話ではある。しかし,自己批判のできない新聞社に未来はない。自浄能力を欠く組織は自滅するのみだ。そんなことは百も承知しているはずなのに。これでは『読売新聞』と変わらないではないか。せめて『東京新聞』は,たとえ小さくてもいい,こういう声があるという批判の記事を載せるべきではなかったか。

オーナー(あるいは,球団首脳部)という人種は,チーム運営を個人の道楽のひとつ,あるいは,私物化してなんら恥じることのない,厚顔無恥の種族であるらしい。だか,「3・11」を通過したいま,わたしたちはこの処遇にべつに驚くこともない。政府も,東電も,省庁も,官僚も,学者先生も,そして,メディアもみんな同じような人種ばかりだということが,百日のもとに曝け出されてしまっているからだ。そして,驚き,あきれて,ものも言えない状態にある。その結果,「驚く」ということを忘れてしまった。しかし,この「驚かなく」なってしまうことへの,なんともいいようのない「後味の悪さ」を,わたしたちは忘れてはならない。それが,当たり前になってしまったら,もう,世も末だ。しかし,いま,確実にそちらに向って,日本全体が進みつつあるようで怖い。

中日ファンの心境は察して余りあるものがある。
怒れ,中日ファンよ。そして,はっきりと行動で示せ。
そうしないと「懲りない輩」がのさばるばかりだ。
そうしないと,選手たちが浮かばれない。
監督・コーチとこころをひとつにして闘ってきたというのに。
懲りない輩に向けて,最後の餞(はなむけ)のひとことを!
「クソダワケ!」

2 件のコメント:

大仏 さんのコメント...

落合監督の長期政権を快く思っていない輩が多くいるのでしょうか。“オレ流”の手綱を引けるトップがいなかったのでしょうか。

そうだとしたら、寂しい限りですよね。

木直木寸十具也 さんのコメント...

落合監督を見ていると、西武ライオンズの森祇晶監督を思い出します。冷徹な目で選手の力量や勝負どころを見極めていたこと。「勝負至上主義」とも呼べる姿勢で野球に臨み、マスコミを敵に回すことをもいとわなかったこと。強いチームを作ったのに人気が出ず、球団首脳に嫌われて退団したこと。共通点はいろいろ考えられます。相違点を挙げるなら、西武には清原和博がいた、ということでしょうか。中日ドラゴンズにはいい選手が集まっていますが、ついに落合が嫉妬するほどの才能を持つ選手は現れませんでした。野球は、グラウンド上で嫉妬が交差してこそ輝きを放つもの。清原のような才能ある若者が、落合のもとで育ったとしたら…。落合はもう一度、どこかで監督をやるでしょうから、次の楽しみとしておきます。