「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)なるものを70歳にして立ち上げ,早いもので,もう4年目に入っている。その事務所の窓に一番近いところに銀杏の木がある。手を伸ばせばとどきそうな距離である。毎日,この銀杏の木を眺めながら,机に向っている。
秋の深まりとともに,銀杏の葉が萎れていく。いまは,緑色が脱色してしまったのか,銀色にみえる。やがて,もっと色が抜けて白っぽくなり,そこから黄色へと変化していく。毎年,眺めてきたのですっかり記憶している。そこに青空がひろがると「ああ,秋だなぁ」と見上げる。
そんな気候がなせるわざなのか,それとも,エイジングのせいなのか,なんだかむかしむかしの子どものころのことを突然に思い出したりしている。ひょっとしたら,惚けないうちに「わが半生の記」のようなものを記録しておけ,という啓示なのかと思ったりする。
しばらく前までは,過去を振り返るのは嫌いだった。つねに,前だけをみつめて生きてきた。いまも,基本的にはそうだ。しかし,最近では,過去を,それも幼少のころを思い出すことに抵抗を感じなくなった。これこそエイジングのせいなのかもしれない。しかし,これに抵抗(アンチ)してはいけないと思う。これはわたしの信念となりつつある。年齢だけは自然のなりゆきにまかせよう,とちかごろは素直になってきた。これこそがサクセスフル・エイジングの基本ではないか,と。
さて,それならばと考え直し,わたしのからだに刻まれたもっとも古い記憶はなんだろうか,と考えてみる。できることなら,母親のおっぱいを飲んでいたころの記憶を思い出せないかと必死で思いを馳せてみる。しかし,残念ながら,なにも覚えてはいない。はいはいしていたころの記憶もない。初めて立ち上がったときの記憶もない。歩きはじめた記憶もない。ほとんどなにも記憶がないのである。
人によっては,この世に生まれ出てきたときの産道の記憶がある,という。羨ましくて仕方がない。くやしいので,真っ暗闇だったよなぁ,結構,大変だったよなぁ,と自分の記憶に誘いをかけてみる。しかし,さっぱりなんの反応もない。
そんな記憶遊びをしているうちに,ようやく,自分のからだに刻まれたもっとも古い記憶だろうと思われることが浮かび上がってきた。それは縁側の下にうさぎ小屋があって,その金網越しに指を入れて,遊んでいたときの記憶である。それだけだったら記憶に残るはずもないのだが,あるとき,そのうさぎに指をかじられてしまった。痛さは覚えていない。しかし,なにかあらぬことが起きたという驚きと恐怖で大声をあげて泣いたことを思い出した。
のちに,父がいまのわたしくらいの年齢だったころに,この話をしたことがある。すると,父はたしかにそういうことがあった,という。しかし,母は記憶がない,という。わたしは大阪の富田林市で生まれたのだが,父の話では,そのころ住んでいた借家には縁側があって,その下でうさぎを飼っていたそうだ。わたしたち家族はその後まもなく秋田県の本荘市に父の仕事の関係で引っ越しをしている。そのときのお別れ会のときの集合写真が残っていて,それをみると,わたしはようやく正座して正面を向いているのがやっとという年齢である。もちろん,このときに写真を撮ったことも覚えてはいない。
これらから推測すると,うさぎに指を噛まれたのは2~3歳。記憶としては「ハッ」としたこと。突然の思いがけないできごととしての記憶。しかも,からだの「負」の記憶。広い意味での他者との「接触」。触れる,という皮膚の感覚。うさぎの歯の感覚はないが,こちらの指先に残った「ザラリ」とした感覚はいまも鮮明だ。「接触」による「分割/分有」(パルタージュ)。うさきはこのときなにを記憶として分けもったのだろう,などとあれこれ考えてみる。
どうやら,記憶は,なにかを見たという記憶よりは,なにかに触れたという記憶の方が深く,いつまでも残るようだ。見るという視覚の記憶が残るようになるのは,もう少しあとになってかららしい。やはり,触覚が赤ん坊時代からの主役であって,少しずつ視覚がそれにとって代わるようになるのだろう。最近では,見るだけで満足してしまい,触るということには消極的になってきている。好奇心の減退か?
経験とは,からだの記憶だ。からだの記憶は接触をとおして生まれる。好奇心旺盛な時代には,なんても手にとって触ってみる。そうして,さまざまな情報をかき集めながら,からだに記憶を貯め込んでいく。それが成長ということなのだろう。いまは,その好奇心がかなり少なくなってしまったようだ。これもまたエイジングに「成功」している証拠なのかもしれない。
秋の深まりとともに,銀杏の葉が萎れていく。いまは,緑色が脱色してしまったのか,銀色にみえる。やがて,もっと色が抜けて白っぽくなり,そこから黄色へと変化していく。毎年,眺めてきたのですっかり記憶している。そこに青空がひろがると「ああ,秋だなぁ」と見上げる。
そんな気候がなせるわざなのか,それとも,エイジングのせいなのか,なんだかむかしむかしの子どものころのことを突然に思い出したりしている。ひょっとしたら,惚けないうちに「わが半生の記」のようなものを記録しておけ,という啓示なのかと思ったりする。
しばらく前までは,過去を振り返るのは嫌いだった。つねに,前だけをみつめて生きてきた。いまも,基本的にはそうだ。しかし,最近では,過去を,それも幼少のころを思い出すことに抵抗を感じなくなった。これこそエイジングのせいなのかもしれない。しかし,これに抵抗(アンチ)してはいけないと思う。これはわたしの信念となりつつある。年齢だけは自然のなりゆきにまかせよう,とちかごろは素直になってきた。これこそがサクセスフル・エイジングの基本ではないか,と。
さて,それならばと考え直し,わたしのからだに刻まれたもっとも古い記憶はなんだろうか,と考えてみる。できることなら,母親のおっぱいを飲んでいたころの記憶を思い出せないかと必死で思いを馳せてみる。しかし,残念ながら,なにも覚えてはいない。はいはいしていたころの記憶もない。初めて立ち上がったときの記憶もない。歩きはじめた記憶もない。ほとんどなにも記憶がないのである。
人によっては,この世に生まれ出てきたときの産道の記憶がある,という。羨ましくて仕方がない。くやしいので,真っ暗闇だったよなぁ,結構,大変だったよなぁ,と自分の記憶に誘いをかけてみる。しかし,さっぱりなんの反応もない。
そんな記憶遊びをしているうちに,ようやく,自分のからだに刻まれたもっとも古い記憶だろうと思われることが浮かび上がってきた。それは縁側の下にうさぎ小屋があって,その金網越しに指を入れて,遊んでいたときの記憶である。それだけだったら記憶に残るはずもないのだが,あるとき,そのうさぎに指をかじられてしまった。痛さは覚えていない。しかし,なにかあらぬことが起きたという驚きと恐怖で大声をあげて泣いたことを思い出した。
のちに,父がいまのわたしくらいの年齢だったころに,この話をしたことがある。すると,父はたしかにそういうことがあった,という。しかし,母は記憶がない,という。わたしは大阪の富田林市で生まれたのだが,父の話では,そのころ住んでいた借家には縁側があって,その下でうさぎを飼っていたそうだ。わたしたち家族はその後まもなく秋田県の本荘市に父の仕事の関係で引っ越しをしている。そのときのお別れ会のときの集合写真が残っていて,それをみると,わたしはようやく正座して正面を向いているのがやっとという年齢である。もちろん,このときに写真を撮ったことも覚えてはいない。
これらから推測すると,うさぎに指を噛まれたのは2~3歳。記憶としては「ハッ」としたこと。突然の思いがけないできごととしての記憶。しかも,からだの「負」の記憶。広い意味での他者との「接触」。触れる,という皮膚の感覚。うさぎの歯の感覚はないが,こちらの指先に残った「ザラリ」とした感覚はいまも鮮明だ。「接触」による「分割/分有」(パルタージュ)。うさきはこのときなにを記憶として分けもったのだろう,などとあれこれ考えてみる。
どうやら,記憶は,なにかを見たという記憶よりは,なにかに触れたという記憶の方が深く,いつまでも残るようだ。見るという視覚の記憶が残るようになるのは,もう少しあとになってかららしい。やはり,触覚が赤ん坊時代からの主役であって,少しずつ視覚がそれにとって代わるようになるのだろう。最近では,見るだけで満足してしまい,触るということには消極的になってきている。好奇心の減退か?
経験とは,からだの記憶だ。からだの記憶は接触をとおして生まれる。好奇心旺盛な時代には,なんても手にとって触ってみる。そうして,さまざまな情報をかき集めながら,からだに記憶を貯め込んでいく。それが成長ということなのだろう。いまは,その好奇心がかなり少なくなってしまったようだ。これもまたエイジングに「成功」している証拠なのかもしれない。
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