サクセスフル・エイジングということばが気に入っている。以前にも書いたことがあるが,これは資生堂が生み出したキャッチ・コピーだ。まことにさわやかで,老いさらばえてゆくだけのわが身のことを忘れさせてくれる。さすがに資生堂会長の福原義春さんのセンスの良さだなぁ,と感心する。
これに対して,アンチ・エイジングということばがある。健康体操や中高年者向けのスポーツを推進する人たちがよく用いることばだ。エイジングは生物学的法則によるものであって,「アンチ」で対抗できる代物ではない。だから,エイジングに抵抗しようという発想は,まさに「自然」に逆らおうという発想と同じで,嫌いだ。つまり,スポーツをすれば健康になるとか,いつまでも若々しくいられる,という「健康神話」そのものがいただけない。第一,「健康」という概念そのものがきわめて曖昧なのだ(『健康という幻想』参照のこと)。にもかかわらず,「健康ブーム」はいまもつづいている。つまり,「健康神話」が立派に一人歩きをしているのだ。よくよく考えてみると,いま寄り掛かっている「健康」という概念もまた,ひたすら「科学的根拠」(あるいは,「医学的根拠」)にもとづいて「創作された」(「捏造された」)ものなのだ。だから,いつもどこか胡散臭くて,怪しい。これは,原発の「安全神話」ととてもよく似ている。
と思っていたら,「加齢制御医学講座教授」という肩書の某医大の先生が「アンチ・エイジング研究のエキスパート」として登場した。この「加齢制御医学」ということばを聞いて,びっくり仰天してしまった。そして,文字どおり「天を仰いで」しまった。「ほう,加齢を制御する・・・か」と。繰り返すが「加齢」は自然の大法則だ。この「加齢」を「制御する」ことなどできるはずがない。そんなことははだれの眼にも明らかだ。それを,現代の医学(「科学」)をもってすれば可能だと思わせるトリックは,まさに,原発の「安全神話」のでっちあげと同じだ。
ある健康系雑誌の新聞広告の中で,「加齢制御」ということばをみつけたので,早速,書店に走って立ち読みをした。
「某先生の免疫力アップ健康習慣」という大見出しのもとに,以下の三カ条が書いてある。
〇日光を浴びて運動する。
〇ビタミンDが豊富な食事をとる。
〇時間を有効に使い,気持ちに張りを持つ。
この一つひとつにもっともらしい解説がされている。が,やはり,読んでいて笑ってしまった。
日光を浴びると皮膚ガンになるからといって,日除け傘をさし,真夏のくそ暑いときでも黒い「アーム」(正しい名称を知らない)をつけて歩く女性が増えているご時世ではないか。これもまた,別の医大の某先生がご提唱の「健康法」として広まったことだ。このときも,わたしは笑ってしまった。わたしの子どものころのお百姓さんは,みんな真っ黒になって働いていた。わたしたち子どもも一夏に二度も三度も顔やからだの皮が日焼けして剥けた。それが原因でガンになったという話を聞いたことがない。その復活なのか,と。医学の学説はころころ変わる。
ビタミンDの豊富な食事を摂れという。偏った食事はよくないから一日「30品目」を目指せ,という説がついこの間まで声高に叫ばれていた。これもいつのまにか立ち消えとなって,こんどは「ビタミンD」ときた。かつて,「わらびを食べるとガンになる」という説がでまわり,わたしは「ガンになるほど食べてみたい」と笑ったことがある。一事が万事,健康法に関する医学は,こんな調子である。ピン・ポイントで結論を出す。そうではなくて,トータルで健康は考えるべきではないか,というのがわたしの経験知だ。
三つ目は「時間を有効に使い,気持ちに張りを持つ」だ。そして,いろいろの方法を提案していらっしゃる。これも笑ってしまった。時間の「有効」も,気持ちの「張り」も,個人差がある。普遍的な方法などあるわけがない。それをよく考えろ,とおっしゃる。それが「考えられる」人は,こんな記事は読まない。不要だから。考えられない人がこういう記事を読む。結局,なにをしたらいいかわからないのが落ちだ。
こんなことが「加齢制御医学」の成果だとしたら,かえって危ない,とわたしは思う。やはり,「加齢制御」という発想そのものが,どこか狂っているとしか思えない(狂気と化す「理性」の一例)。だから,わたしには根っから信じられない。しかも,こういう講座の新設を認定したのは文部科学省のはずだ。そうか,原発安全神話をテキストまで作成して,学校教育をとおして広めた張本人が文部科学省だったのだから,なんの不思議もないか,と納得。
結論。思考の根幹が狂いはじめている。それを「制御」するテクニックを開発せよ。
サクセスフル・エイジング。なんと響きのいいことばなのだろう。そう,上手に加齢しよう。年齢相応に,そして,個人差に応じて,楽しいと思うことに夢中になれればいい。
リタイアした人間に余暇はない。全部,自分の時間なのだから。だから,余暇活動はない。全部,本暇活動だ。これぞ至福のときぞ。この至福のときを「わがもの」とすること,これぞ「サクセスフル・エイジング」の憲法第一条。
どこかの大学で新しい講座を新設しませんか。「サクセスフル・エイジング講座」を。そして,その講座の一部をわたしに担当させてもらえないだろうか,と密かに夢見ている。
これに対して,アンチ・エイジングということばがある。健康体操や中高年者向けのスポーツを推進する人たちがよく用いることばだ。エイジングは生物学的法則によるものであって,「アンチ」で対抗できる代物ではない。だから,エイジングに抵抗しようという発想は,まさに「自然」に逆らおうという発想と同じで,嫌いだ。つまり,スポーツをすれば健康になるとか,いつまでも若々しくいられる,という「健康神話」そのものがいただけない。第一,「健康」という概念そのものがきわめて曖昧なのだ(『健康という幻想』参照のこと)。にもかかわらず,「健康ブーム」はいまもつづいている。つまり,「健康神話」が立派に一人歩きをしているのだ。よくよく考えてみると,いま寄り掛かっている「健康」という概念もまた,ひたすら「科学的根拠」(あるいは,「医学的根拠」)にもとづいて「創作された」(「捏造された」)ものなのだ。だから,いつもどこか胡散臭くて,怪しい。これは,原発の「安全神話」ととてもよく似ている。
と思っていたら,「加齢制御医学講座教授」という肩書の某医大の先生が「アンチ・エイジング研究のエキスパート」として登場した。この「加齢制御医学」ということばを聞いて,びっくり仰天してしまった。そして,文字どおり「天を仰いで」しまった。「ほう,加齢を制御する・・・か」と。繰り返すが「加齢」は自然の大法則だ。この「加齢」を「制御する」ことなどできるはずがない。そんなことははだれの眼にも明らかだ。それを,現代の医学(「科学」)をもってすれば可能だと思わせるトリックは,まさに,原発の「安全神話」のでっちあげと同じだ。
ある健康系雑誌の新聞広告の中で,「加齢制御」ということばをみつけたので,早速,書店に走って立ち読みをした。
「某先生の免疫力アップ健康習慣」という大見出しのもとに,以下の三カ条が書いてある。
〇日光を浴びて運動する。
〇ビタミンDが豊富な食事をとる。
〇時間を有効に使い,気持ちに張りを持つ。
この一つひとつにもっともらしい解説がされている。が,やはり,読んでいて笑ってしまった。
日光を浴びると皮膚ガンになるからといって,日除け傘をさし,真夏のくそ暑いときでも黒い「アーム」(正しい名称を知らない)をつけて歩く女性が増えているご時世ではないか。これもまた,別の医大の某先生がご提唱の「健康法」として広まったことだ。このときも,わたしは笑ってしまった。わたしの子どものころのお百姓さんは,みんな真っ黒になって働いていた。わたしたち子どもも一夏に二度も三度も顔やからだの皮が日焼けして剥けた。それが原因でガンになったという話を聞いたことがない。その復活なのか,と。医学の学説はころころ変わる。
ビタミンDの豊富な食事を摂れという。偏った食事はよくないから一日「30品目」を目指せ,という説がついこの間まで声高に叫ばれていた。これもいつのまにか立ち消えとなって,こんどは「ビタミンD」ときた。かつて,「わらびを食べるとガンになる」という説がでまわり,わたしは「ガンになるほど食べてみたい」と笑ったことがある。一事が万事,健康法に関する医学は,こんな調子である。ピン・ポイントで結論を出す。そうではなくて,トータルで健康は考えるべきではないか,というのがわたしの経験知だ。
三つ目は「時間を有効に使い,気持ちに張りを持つ」だ。そして,いろいろの方法を提案していらっしゃる。これも笑ってしまった。時間の「有効」も,気持ちの「張り」も,個人差がある。普遍的な方法などあるわけがない。それをよく考えろ,とおっしゃる。それが「考えられる」人は,こんな記事は読まない。不要だから。考えられない人がこういう記事を読む。結局,なにをしたらいいかわからないのが落ちだ。
こんなことが「加齢制御医学」の成果だとしたら,かえって危ない,とわたしは思う。やはり,「加齢制御」という発想そのものが,どこか狂っているとしか思えない(狂気と化す「理性」の一例)。だから,わたしには根っから信じられない。しかも,こういう講座の新設を認定したのは文部科学省のはずだ。そうか,原発安全神話をテキストまで作成して,学校教育をとおして広めた張本人が文部科学省だったのだから,なんの不思議もないか,と納得。
結論。思考の根幹が狂いはじめている。それを「制御」するテクニックを開発せよ。
サクセスフル・エイジング。なんと響きのいいことばなのだろう。そう,上手に加齢しよう。年齢相応に,そして,個人差に応じて,楽しいと思うことに夢中になれればいい。
リタイアした人間に余暇はない。全部,自分の時間なのだから。だから,余暇活動はない。全部,本暇活動だ。これぞ至福のときぞ。この至福のときを「わがもの」とすること,これぞ「サクセスフル・エイジング」の憲法第一条。
どこかの大学で新しい講座を新設しませんか。「サクセスフル・エイジング講座」を。そして,その講座の一部をわたしに担当させてもらえないだろうか,と密かに夢見ている。
1 件のコメント:
サクセスフルエイジングという言葉は、私が今勉強中の介護福祉士資格の講座でも出てきました。長寿で、生活の質が高く、社会貢献をしていることを構成要素とする「サクセスフルエイジング」、老化に抵抗して健康長寿を目指す「アンチエイジング」、高齢になってからも生産的かつ創造的な生き方を目指す「プロダクティブエイジング」、などの言葉を最近教わったところです。
長寿を目指す意味ではアンチエイジングもいいのでしょうが、あまりに年を取ることを怖がるっていると、若い人から年を取る、大人になる楽しみを奪ってしまうようにも思えます。
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