2013年4月11日木曜日

山田詠美著『明日死ぬかも知れない自分,そしてあなたたち』(幻冬舎,2013年2月刊)を読む。いま,読むべき本。

  「3・11」を契機にして,まっとうにものごとを考えるようになった人,付和雷同して多数派に与するだけの人,わが身の保全のためにのみ走る人,メディア情報に振り回されている人,どうにでもなれと自棄っぱちになっている人,その他,信じられない言動をする人たち,等々,まるで箍が外れてしまった日本人が百花繚乱です。

 それはごく普通の日常生活を営んでいる日本人から,ありとあらゆる専門職に従事している人びとを含むすべての日本人を,そっくりそのまま,丸飲みにしたまま流れ去る巨大なツナミの光景と二重写しになって,見えてきます。あらゆるものが「破局」(ピエール・デュビュイ)を迎え,なすすべもないまま大海原を漂流するしかない,みじめな難民になってしまった・・・・。その自覚があるかどうかはともかくとして・・・・。

 もっと先にあると思い描いてきた美しい「未来」は,たんなる「幻想」にすぎないということが露呈してしまい,「未来」のゴールは「破局」でしかなかった,という現実をつきつけられ,わたしたちは,いま,なすすべも見出せないまま右往左往するしかないのです。そういう結果のでてしまった「未来」をいまわたしたちは生かされている・・・・。なんとも辛く重い日々でしかありません。

 作家の世界も例外ではありません。「3・11」を真っ正面に見据えつつ,つまり,「破局」を見据えつつ,みずからの文学世界をさらに大きく切り開くために,挑戦的に新しいテーマに向って,最大限の努力を傾ける作家もあれば,「3・11」など,どこ吹く風とばかりに面白おかしく売れればいいという売文稼業に専念する作家まで,これまた百花繚乱ではないか,とわたしの眼には写ります。

 そんな中で,わたしが信をおく作家のひとり,山田詠美の最新作がどんなものか気がかりになっていました。彼女が,いま,この時代といかに向き合いつつ,みずからの文学世界を構築しようとしているのか,ずっと気になっていました。たまたま覗いてみた本屋さんに平積みになっていた本の山のなかに,このテクスト『明日死ぬかも知れない自分,そしてあなたたち』を見つけ,内容を確認することもしないで,タイトルから閃く直観を頼りに,即購入しました。が,ここしばらくの間,なにかと雑用に取り紛れていて読むことなく机の上に横になったままでした。

 今日,たまたま,中途半端な時間ができたのをいいことに,早速,開いてみました。そこには,予想をはるかに越える,わたしの待ち望んだエイミー・ワールドが広がっていました。『跪いてわたしの足をお舐め』以来のエイミー・ワールドは健在なまま,まさに,「3・11」を通過したいましかないというタイミングを測ったかのように,山田詠美はこの作品を世に問うている,とわたしには伝わってきました。

 結論から言ってしまえば,途中から恐ろしくなって鳥肌が立つ,そういう身体感覚まで引き起こす,これはまさに「破局」をテーマに据えた傑作です。「3・11」後の日本の社会に起きているさまざまな「崩壊」現象を,なかでも,だれもが理想として思い描いてきた「家族神話」がもののみごとに崩壊していくさまを,じつに的確に描いてみせます。

 わたしはかねてから「3・11」以後,日本人のこころの箍がはずれてしまって,これまでに経験したことのない「破局」が,社会の裏側のみえない奥深くで,だれも気づかないまま,無意識のうちに進行しているという妙な予感をいだいていました。しかも,まだ大丈夫,まだ大丈夫と思っているうちに,その現象はとどめようもなく進行し,気づいたときにはすでに「手遅れ」だった,というような進みゆきとして感じていました。それが,どこからくるのか,そのためにはなにをなすべきか,わたしなりにあれこれ思い描いてきました。

 その「解」のひとつを,作家・山田詠美は『明日死ぬかも知れない自分,そしてあなたたち』という作品をとおして提示している,とわたしは受け止めました。一見したところ,周囲のだれもが羨むような平和で幸せいっぱいの生活をしていると思われていた家族が,じつは,それはたんなる虚構にすぎなかった,という実態をもののみごとに描いてみせます。山田詠美の作家魂がじかに伝わってきます。

 この作品の冒頭は,じつに暗示的な,つぎのような文章ではじまります。
 「人生よ,私を楽しませてくれてありがとう。母方の曾祖母は,96歳で息を引き取る間際,愛用のスケッチブックにそう書き残した。そのラストメッセージは,彼女と関わりを持つすべての人々に語り継がれて行き,理想的な人生を締めくくったひと言として羨望の溜息と共に受け止められた,らしい。天晴れな終わり方よねえ,とまるで立志伝中の人物について語るような調子を耳にしたのは一度や二度ではない。そのたびに,そうか,と私は思う。皆,満足の行くように長生きをしてからこの世を去りたいのだな,と。そして,それをやってのけた曾祖母にあやかりたいと願っている。幸せな長い一生の,幸せな完結。それを自覚しながら死ぬのを最大の目標として,今を生きる。ああ,素晴らしきかな,人生。」

 この作品のあらすじを紹介するのはやめておきます。それは野暮というものです。ただ,ひとことだけ。家族の期待の星,長男が落雷に会って突然死する。そこから,家族全員で演じてきた「幸せ家族」という芝居に亀裂が走り,だれが悪いわけでもなく(その自覚もないまま),家族の崩壊がはじまり,ついに「破局」を迎える。この「落雷」という自然災害にはじまる人間の崩壊,そして,破局が,そのまま「ツナミ」のイメージと重なっていきます。

 もうひとことだけ。お互いにホンネをひとことも語ることなく,つまり,非合理な魂の触れ合いを忌避して,合理的で,理性的に「正しい」とされる言動に支配されてしまった現代の「幸福家族」,その「未来」は「破局」しかない,という作者・山田詠美の声がどこかから聞こえてきます。それは,わたしの空耳なのでしょうか。

 かつてエイミーは「猫の眼で眺めてごらん。世の中,おかしなことばかりだよ」と書いたことがあった。animal から anima を取り除いてしまったら,それはもはや,animal とはいえない。人間もまた一匹の animal なのだから。anima を喪失してしまった人間は,もはや,人間とはいえない。

 いま,必要なことは「animate」することだ,と講義の最後にちらりと触れたN教授のことばが,いまさらのようにわたしの耳に鳴り響いてきます。土で作った人形(ひとがた)に,神さまが「魂を吹き込」んだことによって「人間」が誕生した,という聖書の一節も想起されます。

 もう一度,人間の「原点」に立ち返って,やり直すしか道(方法)はないのだろう,というのがわたしの読後の感想です。

 久々の山田詠美の傑作です。ぜひ,ご一読を。

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