2013年4月14日日曜日

TPP日米事前合意,アメリカのいいなり。「日米地位協定」を廃棄するどころか,さらに補完・強化するもの。それが「国益」だと?!

 拙速ということばがあります。開けてびっくり玉手箱ということばもあります。開いた口がふさがらないということばもあります。茫然自失ということばもあります。これらのことばを全部掻き集めてきて,だんごにしてまるめて表現しても言い尽くせない,このやるせなさ。もはや,なにをか況や・・・・というところです。

 おれのところの車には関税をかけてはならない。しかし,お前のところの車には関税をかける。しかも,可能なかぎり「後ろ倒し」で継続する。こんな小学生でもわかる「不平等協定」を丸飲みにしてまで守らなくてはならない「国益」とはなにか。

 この理屈の根源には,おれのところは「核」をもつ,しかし,お前らは「核」をもってはならない,という不平等きわまりない「核拡散防止条約」が国際社会で承認されている,という「力の論理」がある。しかも,それがまるで「正義」であるかのごとく,国際社会(これがいかさま以外のなにものでもないのだが)を闊歩している,という現実があります。

 言ってしまえば,軍事力に支えられた経済強国の言い分をどこまでも貫いていこうとするのが「グローバリゼーション」の本質。

 わたしたちが取り組んでいる研究テーマのひとつ「グローバリゼーションと伝統スポーツ」(この研究テーマの継続研究として立てた「ポスト・グローバル化社会におけるスポーツ文化を考える」)も,こうした軍事力に支えられた経済強国の「スポーツ文化」による世界支配(グローバリゼーション)の企みを見破ることに力点をおいています。

 ですから,4月8日のブログで書きましたように,「TPP参加交渉からの脱退を求める大学教員の要望書」に署名をし,支援を呼びかけました。この段階で,すでに,一方的な不平等協定を強制されるということが自明のことと予測できたからです。しかし,その実態は,今回の「日米合意」で明らかにされたように,わたしたちの予測をはるかに上回るものでした。こんな,とんでもない「合意」をしてまでTPPの会議のテーブルにつく必要性はどこにもありません。

 あるとすれば,尖閣諸島,竹島,北の核に対する備えをアメリカに依存しなくてはならないからでしょう。しかも,そのつけを沖縄に被せていこう,というのですから言語道断です。尖閣諸島は「40年」にわたる日中友好条約の日本側の一方的破棄にはじまるものであること,竹島はすでに実効支配されてしまうまでの外交の無策にあること,北の核はだれも止めようがないこと(正当な理由はない),をもっと真っ正面から議論すべきだとわたしは考えています。しかし,政府与党をはじめ国民が一丸となって,これらの「自分たちにとって都合の悪い話」には蓋をして,目先の利益だけを合理化する方向に突っ走っています。もっとも大事な燐国との友好を無視して,それどころか「敵対」までして,その力及ばざるところをアメリカに縋りつく,というまことにみっともない日本の姿が浮き彫りになってきます。その結果が「日米地位協定」です。

 そこから脱出するのはかんたん。尖閣諸島は「棚上げ」にもどす(河野洋平さんの主張に同意),竹島もしばらくは「棚上げ」(国際法廷での決着を,韓国には求めて拒否され,中国からの求めに日本は拒否する,というとんでもない自己矛盾をひた隠しにしている事実をもっと議論すべきです),北の核はもっと外交交渉を密にして不信感を払拭すること(孤立させないこと,制裁を加えれば加えるほど「核」のカードを利用するしか方法がない),こうしてもっとも重要な燐国との友好関係を深めていくこと,ただ,それだけです。そうすれば,アメリカの一方的な不平等協定に「自発的隷従」をする必要もないし,憲法9条を改訂して再軍備し,カネと命を無駄にする必要もありません。戦争までする覚悟をもつのであれば,そのカネと命の代償を燐国との友好推進に使えばいい,これがわたしの持論です。

 小学校の教室のなかで,からだがもっとも大きくて,喧嘩の強いボスが,おれはナイフを持つ,しかし,お前らはナイフを持ってはならない,ということがもし実際に起きたとしたら,どうしますか。これは,わたしの小学校時代に実際に起きた話です。当時,同級生のなかではもっとも背の低い3人のうちの一人だったわたしは,その対応策を考え,実行しました。それは,全員がナイフをもつこと,でした。ボスには内緒で,一人ずつ説得をしてナイフを隠しもつことにしました。そして,過半数を超えたところで,ボスとその取り巻きに告げました。「ナイフは全員がもつか,あるいは,全員が放棄するか,とちらかだ」と。ここからいろいろの確執がはじまりましたが,最終的には,だれもナイフは持ち歩かない,というところに落ち着きました。これが利害・打算を超えた純粋な子どもの論理です。先生にも,親にも,内緒でした。(核抑止力ならぬ,ナイフ抑止力の実践でした。)

 アメリカは「核」をもっていい,しかし,イラクは許さない。こんな馬鹿げた理屈のために,どれだけ多くの貴重な命が犠牲になったことでしょう。そして,イラクは,いまもその破綻状態に苦しんでいます。アフガニスタンも同じです。テロリスト批判も同じです。世界でもっとも大きなテロリスト集団はアメリカです。その強いテロリストが弱いテロリストを一掃しようとしているたけの話しです。しかも,それが「正義」の名のもとに展開されているのですから。これまた開いた口がふさがらない,という次第です。

 しかし,すべてはそこからはじまっています。そのことをここでは強調しておきたいと思います。それらを視野に入れない議論は,たんなるまやかしにすぎません。しかし,多くの人はメディアの流す情報に左右されてしまいます。しっかりしてほしいのはメディアです。

 TPP(環太平洋連携協定)は,お互いの関税を撤廃して,完全なる自由貿易をめざすはずだったのではないか。にもかかわらず,そのリーダーであるアメリカが,日本に対して,その基本理念を一方的に無視した条件を提示し,それを実行に移そうとしています。こんなことを黙って見過ごしてはなりません。どこからでもいい,できるところから行動を起こすしか方法はありません。その最後の決め手は「選挙」です。しかし,その「選挙」が頼りない(憲法違反)。もう,ほんとうに,原点に立ち返って,0(ゼロ)からやり直すしかないのでしょう。情けないことですが,それが,いま,わたしたちの眼前に広がっている現実です。

 だからこそ,いま,わたしたちは目覚めなくてはなりません。その矛盾に気づかなくてはなりません。その意味で,とても大事な時代を生きている,ということです。しっかりと考えて,行く末を見極めたいと思います。

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