2013年4月5日金曜日

稲垣瑞雄著『風の匠』(岩波書店,2006年)を再読。明日(6日),49日法要。

 最新刊の『銀しゃり抄』(中央公論社,2013年)が,著者・稲垣瑞雄さんの突然の死去にともなう香典返しになろうとは,だれも想像しなかっただろう。ことしの年賀状には,同人誌『双鷲』が70号を迎える秋にはみなさんに集まってもらおうと思っているのでよろしく,と添え書きがしてあった。もう,ずいぶん前から大病を繰り返し,入退院がつづいていたことは,同人誌『双鷲』のあとがきなどで承知していた。どこかで体調のいいときをとらえてお会いしたいと,長い間,思い描いてはいたのだが,わたしの方の都合もなかなかつかず,そのままになっていた。そして,ついに,お会いすることなく,明日ははや49日の法要。

 こどものころからの,とびとびの記憶はあるものの,年齢差ということもあって,二人で面と向ってじっくりお話をするという機会はついに一回もなかった。もし,あったとすれば,伯父さんの7回忌の法要のときに,父親の代わりにお参りをさせていただいたとき。このとき瑞雄さんは,わたしを父の名代としてきちんと応対してくださった。わたしは大いに緊張して,むつかしい話題や議論に必死になって食い下がっていた記憶がある。

 あとは,わたしの父の葬儀のときにご夫妻で豊橋まで会葬にきていただいたときに,はじめて奥さんの信子さんとお話をさせていただいた。とはいえ,葬儀のときでもあり,ほんのひとことふたことの会話だった。しかし,なぜか,強烈な印象が残った。じっと,わたしの眼を見つめるまなざしが,尋常のものではなかったからだ。やはり,作家のまなざしというものは凄いものだなぁ,とわたしの脳裏に焼きついている。

 明日(6日)の49日の法要を控えて,わたしの気持ちがなんとなく落ち着かない。そこで,しばらく前から,もう一度,『銀しゃり抄』を読み,『風の匠』を読み返している。これに処女作『残り鮎』と『砂の記憶』を加えれば,わたしにとっての瑞雄さんのイメージはほぼ完成する。ものごころついたころから,羨望のまなざしで瑞雄さんを仰ぎみてきただけに,美しいイメージばかりだが,それでもわたしの眼のとどかないところにいくつもの謎があった。

 が,わたしも齢を重ね,ようやく瑞雄さんの一生というものがどういうものであったのかということがいくらか透けてみえてくるようになった。そのなかの重要な鍵のひとつが『風の匠』のなかに埋め込まれている,と最近,つくづくと思う。この短編集の舞台は渥美半島の小さな禅寺・普門寺。もう明かしてしまってもいいものかどうか迷うところだが,なにを隠そう,この普門寺こそ瑞雄さんが住職として跡を継ぐことが期待されていた寺,すなわち,実家がモデルになっている。

 しかし,ご承知のように,瑞雄さんはこの寺を捨てて作家の道をめざした。その寺を捨てたという自責の念が,終生,つきまとっていたのではないかと思う。そういう無意識にも近い意識が,おそらく通奏低音となって,この作品の深いところでいつも鳴り響いているように,わたしには聞こえる。この小説の軸になっているのは,どこからともなく流れついてこの普門寺の住職となった鉄源和尚とその梵妻である。そして,その両者は,瑞雄さんの祖父と祖母がモデルだ。その祖父と祖母は,わたしにとってもおなじ祖父であり,祖母である。だから,瑞雄さんの描くモデル(もちろん,作品としてモディファイされているのだが)と,わたしのイメージとが,多くのところで重なり合う。ただ,わたしの方が祖父母と接した時間が少ないだけのこと。他人事ではないという点ではおなじだ。

 だから,どの短編ひとつを取り上げてみても,そこから浮かび上がる小説世界は,わたしにとっては濃密なリアリティにつつまれている。たとえば,「襖」などは,もう,何回も読み返しているが,そのたびに涙を流し,嗚咽までしながら読むことになる。そして,そのたびに,この作品が,細部の細部にいたるまで,じつに神経のゆきとどいた構成と描写がなされていて,余分な雑音を一切排除した,みごとな傑作であるとわたしは確信している。主人公は普門寺の梵妻。すなわち,わたしの祖母がモデルになっている。

 この人は,生まれながらにして悟っていたのではないか,と深くわたしの記憶に残る。その同一人物を瑞雄さんは,じつに的確に小説世界のなかに蘇らせてくれている。しかも,わたしの知らなかった祖母の顔があちこちに描かれている。生きているのか死んだふりをしているのか,その境界領域に身をゆだねて平然と日常生活をやりすごす祖母の,ちんまりと座す姿。この祖母の唯一の武器は「記憶力」。長い年月をかけて蓄積された記憶を,人知れず反芻しながら,日々を送り,いざというときに,その記憶の一端が日常生活に反映される。それ以外は,知らぬ勘兵衛。どうでもいいことはすべて聞き流す。しかし,ここぞというときのピン・ポイントのツボは外さない。もの静かな言動とはうらはらに,数少ないことばには力があり,少々のことでは動じない胆の坐った人だったように記憶する。だから,トータルで考えると,どこか凄みのある人だった。このあたりのことを瑞雄さんはみごとな筆致で描いてみせる。わたしが感動し,嗚咽する瞬間である。

 この祖母とは,たった一度だけ,私鉄沿線の最寄り駅から普門寺までの約一里の道を,手をつないで歩いたことがある。わたしがまだ小学校の4年生のころか?敗戦直後のことだ。そのときに道すがら祖母がわたしに語って聞かせてくれた話はいまも鮮明に記憶している。「正浩さはみんなに好かれる人になるよ」と言ってくれたことばが音楽のメロディのように,折に触れ,蘇る。祖母は,小説のなかにも書かれているように,自分の息子たち(わたしの父も)の名前を「さ」という方言の敬称の語尾をつけて呼んだ。孫であるわたしにも「さ」をつけて「正浩さ」と呼んでくれた。わたしは祖母の暗示にかかったかのように,「好かれる人」にならなくてはいけない,と若いときからこころに決めていた。

 祖父のことも,祖母のことも思い出はほんのわずかしかない。瑞雄さんにはありあまるほどあったに違いない。その中から選び抜かれた精髄だけを組み合わせて「襖」という短編の作品世界を構成しているはずだ。だから,瑞雄さんが元気なうちに,そのあたりの話をとことん聞いてみたかった。現実の祖母の実像と,作品世界のなかの「きよ」との乖離,などについて。でも,粋な瑞雄さんは,きっと,どうでもいい話はパスして,味わいのある話だけをわたしには聞かせてくれたに違いない。それは『銀しゃり抄』を読めばわかる。

 人間が「生きる」上でなにが重要で,なにが不要であるか,その厳密な選別眼というべきか,ある独特の美意識に支えられて瑞雄さんの文学は生まれた,とこれはわたしの勝手な解釈。いいことも悪いことも,全部ひっくるめて人生だ,そういう人生の成立ちの不思議を,みずからの人生を振り返りながら,小説世界に投影したように思う。

 いずれにしても,瑞雄さんのお蔭で,わたしたちのルーツのひとつである普門寺の記憶を,文学作品として呼び戻すことができる。この『風の匠』という作品がなかったら,わたしにはほんのわずかな記憶に残る人間模様にすがるしか方法がない。その意味では,この作品はわたしにとって大切な宝物に等しい。とりわけ,「襖」には,わたしの父の幼いころの話も埋め込まれているから,なおさらである。

 明日は49日。読経の間に,わたしはなにを想い浮かべることになるのだろうか。心静かに瞑想しながら,意識を瑞雄さんに集中してみたいと思う。ジョークの好きだった瑞雄さんのことだ。なにか話しかけてくるのでは・・・。合掌。

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